【フローニンゲンからの便り】17174-17178:2025年8月9日(土)
- yoheikatowwp
- 1 日前
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タイトル一覧
17174 | ChatGPT-5が誕生して |
17175 | 今朝方の夢 |
17176 | 今朝方の夢の振り返り |
17177 | 今朝方の夢のさらなる振り返り |
17178 | 第144回のクラスに向けた予習 |
17174. ChatGPT-5が誕生して
時刻はゆっくりと午前7時を迎えようとしている。今朝方も穏やかな朝空が広がっていて、2階の両側の窓を開けていると、冷たくて心地良い風が入ってくる。今の気温は14度で、今日の日中の最高気温は24度まで上がる。来週は久しぶりに数日ほど30度に達する夏日がある。おそらく来週のそれが最後の夏日なのではないかと思う。
昨日、ChatGPT-5が登場したというニュースを目撃した。ヨーロッパはまだ昨日の段階ではそれを使うことができなかったが、今朝方確認してみると、モデルが新しくなっていた。以前はいくつかと細かくモデルが分かれていて、それを選べばいいのか少々悩むことがあったが、今回は2つのモデルに絞られた形でスッキリしている。ChatGPT-5とChatGPT-5 Thinkingの2つのモデルが誕生し、後者についてはさらに徹底的に深く思考することが可能とのことで、両者をタスクに応じて使い分けることを念頭に置きながら、どのようなタスクがとりわけ後者に最適なのかを自分なりに検証してみたいと思う。後者はかつてのDeep Researchのような感じなのだろうか。後ほど今朝方の夢を振り返る際に、両者を実験的に試してみて、どのような応答が得られるかを確かめてみよう。
今日はゼミナールの第144回のクラスがある。それに向けての予習をすることはいつもの土曜日の過ごし方である。受講生の方に共有している4つの問いについて自分なりの回答を準備することに加えて、論文の該当箇所を改めて読んでおく。毎回のクラスでは新たな発見がもたらされ、今日もまたきっとそのようなことが起こるだろう。他者と学びを共有することの価値はそうしたところにある。自分では気づけなかった観点や論点、さらには考え方と出会えることに大きな意義がある。ゼミナールの準備に加えて、今日もまたIELTSの対策を楽しみながら行う。今日はゼミナールの準備と実際のクラスがあるので、勉強時間は限定的だが、その分集中して対策をしたい。ゼミナールのある土曜日は、リーディングセクションやリスニングセクションの対策をすることはせず、アウトプット科目のスピーキングとライティングに特化する。それらのセクションは、前回よりもそれぞれ最低でも0.5ほどスコアを上げたいと思っており、可能であれば1.0上げることができたらと思う。それを可能にしてくれるのは、ChatGPTをフル活用した綿密な対策である。スピーキングのVoice Chat機能はハマってしまうほどに使い勝手が良く、これは今回のIELTSのスピーキング対策だけではなく、今後も唯識や量子論哲学の英語での探究の際に活用したい。それらの分野はいつか大学で講義を持つことを考えているし、英語での研究発表の場面も今後増えてくるであろうから、それらの分野に関して、今行なっているようなスピーキング対策のように、自分で英語で説明し、それに対してChatGPTから表現を洗練してもらうフィードバックを得るということを毎日の実践としたい。それは朝の30分と昼の30分の2回でまずは十分かもしれない。それを毎日数年続けていくと、きっと驚く効果をもたらすだろう。フローニンゲン:2025/8/9(土)07:08
17175. 今朝方の夢
今朝方は夢の中で、ある画家の知人と一緒に小さな勉強会に参加していた。テーマはその日にその場で決められ、その日のテーマは自分の専門外のものでありながらも、自らの専門性と架橋することで色々と学びがあった。勉強会を仕切っていたのは自分よりも少し年上の優しそうな日本人女性だった。彼女が作ってくれた場は、とても心温まるもので、安心な気持ちで参加者は意見を述べることができた。勉強会が終わり、私は知人のその女性に声を掛けた。すると、その方が自分でAIを駆使して作ったウェブサイトがまるで目の前の空間がスクリーンであるかのようにそこに映し出された。彼女のウェブサイトを拝見すると、構成がとても良く、大変見やすかったが、まだ作成中のようで、ところどころ文言を修正する必要のある箇所が見えた。すると突然、その方の作品が何点か所蔵されているその方のオリジナル美術館に瞬間移動した。そこは神社の境内にあり、美術館の受付も神社のお守りを購入する場所の窓口のような作りになっていた。私はその方の知り合いということもあって、特別にチケットを購入する必要がなく、中に入ることができるようだった。しかし私は、あえて中にはいることをせず、少し外の雰囲気を楽しみたいと思った。するとそこで夢の場面が変わった。
次に覚えているのは、前職時代のオフィスに朝出社をする時に、気づけばもう就業時間が始まりそうになっていて焦っていた場面である。時計を見ると、自宅を出発する時間どころか、もうデスクで仕事を始めている時間になっていた。私は慌てて着替えをし、洗面台で髪の毛を整えた。朝食を摂る暇はなく、そのまま出発しようと思った時にふと、そう言えばうちの会社はリモートワークが最近導入されたのだと思った。それを使えば、もうオフィスに行く必要はなく、自宅で自分のペースで仕事ができると思った。そもそも自分は昇進や昇格を一切考えておらず、どこかで会社を離れて独立しようと思っていたので、リモートワークでゆったりとしたペースで働けばいいと思って深い安堵感に包まれた。
最後に見ていたのは、見慣れない学校の教室にいる場面である。最初の場面で登場した知人の画家の方も教室の中にいて、自分はある発表を待っていた。その発表とは、自分がクラスの「代表」になることである。その名称は学級委員とかではなく、「代表」というものだった。しばらく静かに待っていると、普段は教室の前から入ってくる先生が、どういうわけか後のドアから入ってきて、生徒全員と自分を驚かすように、自分が代表となったことを嬉しそうに報告してくれた。私はその報告を聞いた時、有頂天となり、大変喜んだ。なぜ自分がそれほどまでに代表になりたかったのかは定かではないが、自分が代表となることによってクラスの雰囲気をさらに良いものにしていくことに加え、学年全体の、そして学校全体の雰囲気を楽しく平穏なものにしていきたいと思っていたようである。先生の促しもあって、私は教壇に上って代表としての最初の挨拶をした。即興的に出てきたユーモア溢れる挨拶にクラス中が笑いに包まれた。すると突然どこからともなくノリの良い音楽がかかり始め、私はそれに合わせてサッカーボールを用いて即興的にパフォーマンスを始めた。サッカーボールを地面で巧みに扱う技術を披露したり、リフティングの技術を披露したり、最後は両足にボールを挟んで逆立ちするパフォーマンスを披露して教室を沸かせた。フローニンゲン:2025/8/9(土)07:24
17176. 今朝方の夢の振り返り
今朝方の夢は3つの主要な場面から成り立っており、それぞれが互いに響き合いながら、自己の成長過程と役割意識、そして創造性と社会的貢献の関係性を象徴的に映し出しているように思われる。第一場面の「勉強会」は、知識の交換と異分野連結の場として描かれているが、そこに登場する優しげな女性は、単なるファシリテーターではなく、自己の内的世界における「安全基地」の象徴であると解釈できる。彼女がAIを駆使して構築したウェブサイトは、自分自身の思考やビジョンが可視化されるプロセスを示しており、その未完成さは、まだ熟成途上の内的プロジェクトや人生設計を表している。続いて瞬間移動した神社併設の美術館は、創造性と精神性が融合した場であり、特別な関係性によって入場が許されながらも、あえて中に入らず外の雰囲気を味わうという選択は、成果を急がず熟考や観照を優先する態度を示している。これは、外的成果よりも内的熟成を重んじる心理傾向を示唆しているであろう。第二場面の「前職オフィスへの遅刻の危機」は、一見すると焦燥感と義務感の夢的表現に見えるが、途中でリモートワークの導入を思い出し安堵する展開は、拘束からの解放と主体的ペースの回復を象徴している。これは単なる労働環境の変化ではなく、自己の働き方や生き方における枠組みの再構築であり、昇進への無関心や独立志向といった意識が、夢内で現実的安心感として具現化されている。つまり、かつての緊張的構造から自己を切り離し、自らのペースで創造的活動を進めるための条件が整いつつあることを夢は示している。第三場面の「学校での代表就任」は、夢全体のクライマックスであり、象徴性が際立っている。「代表」という呼称は、単なる役職ではなく、自分が場の中心となり調和と活気をもたらす使命感を帯びた立場を意味している。後方のドアから入ってくる先生の演出は、予想外の機会や役割が背後から訪れることを暗示し、その知らせを喜びとともに受け入れる姿は、自己承認と社会的承認が一致した瞬間を表している。即興的なユーモア溢れる挨拶やサッカーボールを用いたパフォーマンスは、自己表現の自由さと身体的創造性を融合させたものであり、自己が内的にも外的にも「流れ(フロー)」の状態に入っている様子を象徴している。それは単なる人気や賞賛の獲得ではなく、共同体全体の雰囲気を向上させるリーダーシップの発露として解釈できる。総じてこの夢は、異分野の知的交流(第一場面)、働き方の自由化による創造的余白の獲得(第二場面)、そして場を盛り上げ統合するリーダーシップの発揮(第三場面)という3つの段階的モチーフを通じて、自己が内面的に成熟しつつ、次なる創造的飛躍に向けた条件を整えていることを示していると読み解くことができるだろう。未完成のウェブサイトや外から眺める美術館の情景は、まだ全貌を現さない構想の存在を、リモートワークによる解放感はその構想を育む時間的・心理的余裕の獲得を、そして「代表」としての活躍は、その構想がやがて人々の心を動かし、共同体全体に影響を与える段階へと至る予兆を象徴していると言えそうである。フローニンゲン:2025/8/9(土)07:44
17177. 今朝方の夢のさらなる振り返り
今朝方の夢を改めて振り勝っている。今朝方の夢は、自己の更新が「場・時間・声」の三層で同期的に進む通過儀礼として立ち現れていると見ることもできるかもしれない。第一場面の勉強会は、異分野を架橋する知の実験室であり、優しげな年長の女性は外在的ファシリテーターであると同時に、自己の内部にある「安全基地」の機能が人格化した像である。彼女のAI製ウェブサイトが空間に投影される描写は、自己が自らのビジョンを編集可能なインターフェースとして外化し始めた徴であり、ところどころの未校正は「生の設計図」をまだ書き換えうる余地として示されている。神社境内のオリジナル美術館は、創造の成果が聖域化される未来像であり、特別入館の許可があるにもかかわらず、敢えて外気に身を置く選択は、成果の占有よりも生成の気配を味わう態度、すなわち観照の呼吸を尊ぶ決意を象徴している。境内の縁側に留まるようなこの姿勢は、急いて内奥に踏み込まず、門前の風の向きを読む賢慮である。第二場面の遅刻の焦燥は、旧来の規範時間と身体の自然律の摩擦が露呈した瞬間である。慌ただしい身支度や朝食の断念は、他者の時計に合わせるために自己の栄養を後回しにしてきた癖を示し、そこへ差し込む「リモートワーク導入」という想起は、時間主権の奪還として機能している。昇進への無関心と独立志向の自覚は、外部評価の階梯から降り、制作と思索のリズムへと歩調を合わせる転回である。ここで会社は「父の法」であり、リモートは「自らの律」である。前職という過去の鋳型はなお反射的に不安を喚起するが、その不安に飲み込まれず、呼吸を取り戻す術を身につけたことが安堵として表象されているのである。第三場面の教室で下される「代表」の告知は、肩書の管理ではなく声の媒介者としての任命である。「学級委員」ではなく「代表」である点に、規律の執行者ではなく場の気流を言葉と所作で整えるスポークスパーソンの原型が刻まれている。教師が前方ではなく後方の扉から現れる倒置は、承認が背面意識から到来すること、すなわち自己がすでに内的に可決した役割が外部から追認される構図を示す。即興の挨拶とサッカーボールのパフォーマンスは、知性と身体が一致して流れに入る合図であり、ボールのリフティングは多領域の課題を落とさず循環させる能力、両足にボールを挟んだ逆立ちは価値の上下を反転し、重力(重責)を遊戯へと転化する錬金術の比喩である。どこからともなく鳴りだす音楽は、個の即興に共同体のリズムが合奏し始めるシンクロニシティの兆しである。総合すれば、夢は次の順序でメッセージを送っている。まず、AIと芸術を媒介に「編集可能な自己」を開くことで、作品と場は神聖さを帯びるが、今は尚早に内部へ踏み込むより閾で風を読む時期である。次に、他者の時計から自らの拍へ回帰せよという時間主権の回復が、創造の余白を確保する。最後に、その余白から生まれた声と身体性が共同体を温める「代表」の機能として発動する。すなわち、この夢は成果の提示よりプロセスの調律を、到達より流れの持続を、所有より媒介を選べと告げるものであり、門前の風、掌の拍、教壇の呼吸が一本の見えない糸で結ばれていることを、静かにしかし確かに示しているのである。フローニンゲン:2025/8/9(土)10:18
17178. 第144回のクラスに向けた予習
先ほど朝のジョギング兼ウォーキングを楽しんだ。8月の中旬にこれから差し掛かろうとしている段階だが、朝日の強さはもう夏のそれではなく、初秋のそれに近いように感じられる。朝日を全身に浴びてエネルギーをチャージしたところで、今日のゼミナールのクラスの予習をしたい。
受講生の方に共有した1つ目の問いは、ダイナミックシステム理論とダイナミックスキル理論の統合に関するものだ。両者の統合は、人間発達の理解において極めて重要な視座を提供している。従来の理論は、発達を段階的かつ直線的に捉える傾向が強く、個人のスキルはある年齢で特定の段階に到達しているものとして一律に評価されることが多かった。しかし、ダイナミックシステム理論の導入により、発達とは多因子的で時間的に変動するプロセスであり、文脈・感情・社会的関係によって複雑に形成されるものであることが明らかになった。とりわけ、自己組織化(self-organization)・創発(emergence)・非線形性(nonlinearity)といった概念は、スキルの構成と再構成のプロセスを理論的かつ数学的に説明する枠組みを提供している。この統合的視座は、個人内の変化と個人間の多様性を共に理解するための強力なフレームワークである。2つ目の問いは、教育や臨床の現場において極めて重要なものだ。従来のテストや評価は、多くの場合、被験者のスキルを固定的な能力として捉え、ある時点でのパフォーマンスによってその人の能力全体を判断する傾向があった。しかし、ダイナミックスキル理論によれば、人間のスキルは文脈に応じて大きく変動する「発達範囲(developmental range)」を有しており、その柔軟性が学びや成長の核心となる。例えば、子どもが教師や仲間から適切な支援を受けたとき、日常では観察されない高次スキルを発揮することがある。これはヴィゴツキーの「最近接発達領域(ZPD)」の考え方とも合致しており、支援のあり方次第で潜在的能力が顕在化することを意味している。したがって、教育実践においては「現在できること」ではなく、「適切な支援によって可能となること」に着目し、評価や指導を柔軟に設計する必要がある。3つ目は、微小発達(microdevelopment)と協働的構成(collaborative construction)に関するものである。それらの概念は、発達理解の質を根本的に変革する視点である。従来の発達理論は、個人の内的能力の蓄積や成熟に焦点を当てていたが、ダイナミックスキル理論は、個人が課題や他者との関係性の中でスキルをどのように再構築していくのかという「構成のプロセス」そのものに着目する。とりわけ微小発達の研究においては、課題に直面した際、個人が一時的にスキルレベルを低下させ、試行錯誤を通して新たな構造を組み上げていくスパイラル的発達が観察されている。また、こうした再構成は、他者との協働的な相互作用(ensemble)を通して活性化される傾向があり、発達が社会的文脈の中で加速されることが実証されている。ゆえに、教育や心理支援においては、個人の内的成熟のみならず、意味のある協働的環境の設計が極めて重要な課題となる。最後の問いは難問を用意した。この問いは、ダイナミックスキル理論の本質に関わる重要な論点であり、発達を「固定的段階」ではなく「流動的かつ構成的なプロセス」として捉え直す必要性を示している。例えば、ピアジェ理論に代表される従来の発達理論では、発達は比較的普遍的な順序に従って進むとされていた。しかし、ダイナミックスキル理論は、スキルが突発的なスパート(急成長)や一時的なドロップ(退行)を経験すること、そして文脈・感情・支援条件によってスキルレベルが瞬間的に変動することを実証的に示している。この視点に立つと、「スキルレベル」や「発達段階」を画一的・年齢基準で定義することには限界があり、むしろスキルは「文脈における行動の組織化の質」として、常に「最適レベル(optimal level)」と「機能レベル(functional level)」の間で変動するものと理解すべきである。教育・臨床の現場においてもこの理解は重要であり、例えば学習支援では「この子は〇歳だから〇〇ができるはず」といった静的期待ではなく、「どのような支援と文脈によってスキルが立ち上がるのか」を問う必要がある。また、発達のドロップは単なる退行ではなく、新たな構成への過渡期である可能性も考慮すべきである。さらに、評価においては、単一の状況でのパフォーマンスによって能力全体を測定するのではなく、複数の文脈と支援条件のもとでスキルの変動と可能性を観察するアセスメントが望ましい。このように、スキルの不連続性と変動性を前提とする発達理解は、人間の柔軟性と構成力に焦点を当てた新たなパラダイムへの移行であり、教育・臨床の実践的介入の設計にも深い示唆をもたらすものである。フローニンゲン:2025/8/9(土)10:25
Today’s Letter
Life is constantly changing, and a variety of different things happen to us. Yet, whatever happens, I remain grateful in each moment. This sense of gratitude enriches the quality of my life. Groningen, 08/09/2025
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