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【フローニンゲンからの便り】17017-17020:2025年7月23日(水)


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タイトル一覧

17017

デイヴィッド・ボームの量子論思想の発展史

17018

今朝方の夢

17019

今朝方の夢の振り返り

17020

さらに能動的な音読へ

17017. デイヴィッド・ボームの量子論思想の発展史 

             

時刻は午前7時半を迎えた。今日は久しぶりに朝日が顔を出しており、優しい朝日を地上に降り注いでいる。とても爽やかな気温で、朝のそれは秋を思わせる。まだ8月を迎えていないのだが、もう秋の入り口に入ったかのような涼しさである。この涼しさを受けて、今日もまた翻訳作業が一気に進んでいくだろう。


デイヴィッド・ボームの量子論思想の発展を辿るとき、その端緒は彼の若き日のマルクス主義的関心にまで遡ることができる。彼は20世紀前半のアメリカにおいて、階級的不平等や社会的抑圧に深い問題意識を抱き、唯物論的歴史観を通じて世界の本質を理解しようとする思想的枠組みを形成していた。特に、個別の事象の背後にある構造的な全体性に注目するマルクス主義の方法論は、後年の彼の「ホロニック(全体の中の部分としての)世界観」の萌芽となったと言える。ローレンス・バークレー研究所での研究を経て、プリンストン大学においてロバート・オッペンハイマーのもとで博士号を取得した彼は、従来の量子力学の確率論的解釈に対して深い疑問を抱くようになり、ボーアのコペンハーゲン解釈に代わるより整合的かつ全体論的な理解を模索するようになる。すなわち、彼にとっての量子論とは、単なる物理現象の記述にとどまらず、「部分と全体の関係」「現象と潜在構造の相互作用」をめぐる認識論的・存在論的問いそのものであった。このような問題意識のもと、彼は1952年に「隠れた変数理論(hidden variables theory)」を発表し、波動関数の収縮や測定問題を説明する新たな枠組みを提示する。ボームによれば、電子などの素粒子は単なる点状の存在ではなく、背後にある「量子ポテンシャル」によって導かれる全体的な運動を持つ存在であり、その運動は周囲の情報場(インフォメーション)と不可分に結びついている。この量子ポテンシャルこそが、彼の後年の理論における「内在秩序(implicate order)」と「外在秩序(explicate order)」という二層構造の基盤である。すなわち、私たちが感覚し、測定し得る物質的世界(外在秩序)は、より深層にある目には見えない秩序(内在秩序)によって絶えず生成されており、個別の出来事もその一部として理解されるべきだという視座である。この全体性への志向は、彼の東洋思想や瞑想への傾倒と密接に関わっている。1970年代以降、彼はインドの精神的教師クリシュナムルティと深い対話を重ね、心と物質、思考と現実、観測者と被観測対象の関係について哲学的・実践的な省察を深めていった。彼にとって瞑想とは、静的な心の状態を目指す手段ではなく、「思考という運動そのものを観照する行為」であり、観測行為を通じて現実が形成される量子力学の本質と響き合うものであった。ボームは、人間の思考が往々にして断片化(fragmentation)された構造を持つことが、社会的対立や科学の分断的理解の根源であると捉え、瞑想的対話(dialogue)を通じて分断を超えた共感的理解と創造的秩序の回復を目指したのである。そのような視座のもとで、彼の量子論思想は物理学の範疇を越え、認識論・社会哲学・宗教的省察を包摂する包括的世界観へと昇華していった。彼の言う「ホロムーブメント(holomovement)」とは、静的な実体としての世界ではなく、全体が部分を含み、部分が全体に反映されるようなダイナミックで自己生成的な現実の流れであり、それは彼が瞑想のうちに経験した思考の運動や、対話を通じて立ち上がる新たな理解の生成と不可分であった。マルクス主義的全体観に始まり、量子力学を通じて宇宙の非局所的全体性に触れ、瞑想と対話を媒介として主観と客観の二元性を越えようとした彼の探究は、科学と精神性を架橋する稀有な試みであり、現代の分断された知の地平を再統合するための先駆的足跡であると評価することができるだろう。フローニンゲン:2025/7/23(水)07:47


17018. 今朝方の夢 

                 

今朝方は夢の中で、見慣れない超高層ホテルに宿泊している夢を見ていた。まず気がつくと自分は全裸でホテルの近くにいて、どうやら早朝に全裸でランニングをしていたようだった。都心であるにもかかわず、幸いにも人は全くおらず、裸で走っても問題はなかった。しかし、ホテルに戻ってくる頃になると、その日に行われるマラソン大会のランナーがウォーミングアップしている姿がちらほら見かけるようになり、気づくと自分はバスタオルを1枚巻いた状態でいた。なんとかタオルがあったおかげで不審者には思わず、しかしそれでも確かにタオル1枚の姿だったこともあり、少し視線を感じたが、ホテルは目と鼻の先なので早くホテルに戻ろうと思った。すると大きな通りの横断歩道の信号が点滅を始めたので、急いで向こうに向かっていった。無事に横断歩道を渡り切ると、ホテルの入り口が目の前にあり、ホテルのロビーに入ると、ちょうど背の高い外国人の中年女性2人と彼女たちとは関係ない数人の小柄な2人の日本人男性と同じ方向に向かって歩いている自分がいた。外国人の女性2人は受付に行き、小柄な2人の日本人男性は私と同じくエレベーターに乗った。タオル1枚の姿だったこともあり、他の人とは目を合わせないようにしていたのだが、ふと彼らを見ると、自分の知り合いだったことがわかった。彼らもまた初めて自分と目を合わせて、自分に気づいた。そこから私たちはエレベーターの中で少し話をした。片方の知人は大学時代からの知り合いで、彼は私のまた別のコーチの知人にかつてコーチングを受け、それがとてもためになったとのことで、またコーチングを受けたいと述べた。しかし、その方の連絡先がわからないので教えて欲しいと言われた。その方に確認してみると伝えようとしたところで、彼らはエレベーターを降り、彼は自分の返事が聞き取れなかったようで、そこから突然縦方向ではなく、横方向に動き出したエレベーターを追いかけるようにして走ってきて、私にメッセージを投げかけていた。私は彼のメッセージをしっかり受け止めたことを伝え、そしてその知人の方に連絡先を聞いておくことを約束した。なんとか彼は私の声を聞き取ったようで、とても嬉しそうにしていた。しかし彼がいたのは、どういうわけか列車のプラットホームの上だった。そこからエレベーターは上方向に動き始め、目的の階に到着した。そのような場面があった。


それ以外にも夢を見ていたことを覚えている。確かその夢の中では、自分が英語のカタカナ混じりの新たな言葉を生み出し、その言葉の響きと意味の双方が面白く、その言葉を作った自分も笑ってしまうほどだった。実際にその言葉を友人たちに紹介してみると、彼らもまた思わず吹き出していた。そこからも、自分は新しく面白い言葉を生み出すことに長けているのだとわかった。それは単に人を笑わせるだけではなく、笑いがもたらされるということは、それは少し大袈裟に言えば、パラダイム転換を生み出すものなのだと思う。人々を苦しめる旧態依然とした思考のパラダイムを超克するための、そして思わず笑いがこぼれてしまうような言葉をこれからも即興的に生み出していこうと思った。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2025/7/23(水)08:10


17019. 今朝方の夢の振り返り 

         

今朝方の夢における夜明け前の都会を全裸で駆ける光景は、自己の奥底に潜む「生の衝動」が布一枚の社会的仮面もまとうことなく純粋に躍動している様を示す。都心で人影がなかったのは、外的評価を一切気にせずに自己存在の根源へ降り立つ無垢の時間帯であることを告げる。やがてマラソン大会のランナーが視界に入り、タオル1枚を身にまとった瞬間、主体の「裸のままではいられない」という微かな自覚が芽生える。それは社会的舞台へ戻る前触れであり、タオルは最低限の体裁――すなわちアイデンティティの薄衣――を象徴する。横断歩道は現実世界への再入場を許す結界であり、点滅信号は「いま渡らねば新たな局面は開けぬ」と警告する時限装置である。渡り切った直後に現れる超高層ホテルは、個人の精神が築いた多層構造の自己体系――記憶・価値観・欲望が積層する内的ビルディング――を示す。ロビーで交差した背の高い外国人女性は異文化的・超個的な知見を司るアーキタイプであり、小柄な日本人男性は古い友誼(ゆうぎ)や過去の努力を体現する身近な自己部分である。彼らと同じエレベーターに乗る場面は、多層自己の各側面が同時に上昇運動に参加し得ることを教える。エレベーターが突如横方向へ滑るのは、従来の「垂直的成長=地位向上/精神向上」という一元的軸を逸脱し、水平的ネットワーク――すなわち他者との関係性、文脈的広がり――を拡充する必要性への暗示である。その水平移動を追って走る友人は、かつて授かった知の恩恵(コーチング)の再接続を求める過去の自己であり、その声を胸に刻む行為は「縁の更新」を宣言する儀式である。プラットホーム上に彼が立つという転位は、列車=時間軸のメタファーの上に彼が位置していることを意味し、旧来の関係性を未来へ運ぶレールが敷かれていることを示唆する。そこで受け取ったメッセージは、過去の学びを新しい地平へ橋渡しせよという時空を超えた要請に他ならない。再び上昇を始めたエレベーターが目的階へ到達するくだりは、「水平拡張を経てこそ垂直的深化が完了する」という弁証法を物語る。上昇し切った階は、自己統合が一段落した臨界点、あるいは次章への踊り場である。一方、新語を創出しては笑い転げるもう1つの夢は、言葉というシンボル生成装置を自在に操る創造的無意識の噴出を示す。カタカナ混じりの響きは既存言語体系の枠を軽やかに逸脱し、友人たちの爆笑は「意味のずれ」から生じる快活なカタルシスである。笑いとは、硬直化したパラダイムに亀裂を入れるイノベーションの原初衝動であり、そこに立ち会った者は旧い観念の拘束から一瞬で解放される。ゆえに語の創造に長けているとの自己確認は、自分が「言語」と「場」を媒介に他者の内的構造を書き換える潜在的力を有していることの証左である。総じて本夢は、素裸の衝動としての自己、最小限のタオルという社会的仮面、垂直と水平を往還するエレベーター=多元的成長モデル、過去の恩恵を未来へ接続する列車レール、言語創造によるパラダイム転換――これら五層が絡み合う多重構造を持つ。超高層ホテルの客室とは、これら諸力が同居する内なる天空階であり、そこで目覚める者は、裸で駆ける勇気、タオル1枚の謙抑、水平連関を駆使しながら垂直に跳ぶ跳躍力、そして世界の肌理を笑いで編み替える詩的技術を同時に携える存在である。夢は静かに告げる――自分は既に、言葉と関係性を杖として次元を渡り歩く遍歴のマラソンランナーであり、笑いと創造によって旧来の構造を超克する者である、と。フローニンゲン:2025/7/23(水)08:23


17020. さらに能動的な音読へ


時刻は午後4時を迎えた。今日取り掛かった翻訳箇所は分量が多かったので、午後3時過ぎまで時間を使っていた。翻訳が目安のところまで進んだので、息抜きがてら散歩に出かけ、そのついでに6冊ほどの書籍を受け取ってきた。今日はここから自由時間なので、ざっとそれらの書籍に目を通したい。書籍の受け取りのために立ち寄ったショッピングモールでは、夏季休暇を楽しむ家族連れの姿が目立った。彼らは一様に楽しそうな表情を浮かべていて、リラックスした人たちの姿を見ているとこちらも穏やかな心になることを感じていた。あくせく働く人たちに溢れる環境に身を置くのか、それともゆったりと人生を楽しむ人たちで溢れる環境に身を置くのか。自分は後者の環境を常に選んでいる。


学術書を日々音読しながら著者に質問を投げかけたり、自分の考えを口ずさんでいくことの学習効果について少し考えていた。学術書を音読しながら著者に語りかけるように問いを投げかけたり、自らの考えを口ずさむという学習方法は、単なる知識の受動的な摂取を超えて、深い理解と思索の深化を促す能動的かつ対話的な学びの形態であると言えるだろう。この行為は、一見孤独な営みに思えるかもしれないが、実のところそれは著者との時間と空間を超えた対話を成り立たせるものであり、読者が書かれた言葉を自己の経験や疑問と照らし合わせながら、能動的に概念を組み替え、咀嚼していくプロセスである。音読すること自体が、目で追うだけの読書に比して言語処理の多重化をもたらし、視覚・聴覚・運動感覚が連動して活性化されることによって、記憶定着が強まり、内面化が促進される。さらに、問いかけや独り言を通じて自分の考えをその場で言語化することは、思考の整理と認知の統合に寄与し、情報の単なる保存から構造的理解への橋渡しとなる。例えば、著者の主張に対して「なぜそう言い切れるのか?」と疑問を呈し、その背景にある前提や論理を自分なりに再構成してみる行為は、読解力だけでなく批判的思考力をも養う契機となる。こうした姿勢は、読者が一方的に知識を受け入れるのではなく、自らの思考の枠組みと応答させながら学びを自家薬籠中のものとすることを意味し、まさに「対話する読書」なのである。また、声に出すことによって言葉の響きやリズム、語彙の選び方にも意識が向き、文章表現に対する美的感性や批評眼も育まれる。とりわけ哲学書や思想書など、抽象的かつ多義的な概念を含む書物においては、黙読では通り過ぎてしまうような細部の含意を、音読と独り言の往還によって繊細に掘り下げることが可能になる。さらに、問いを立てるという営みは、問いの質自体が思考の深度を表すという点でも重要であり、自分がどのような問いを発するかに気づくことで、自らの関心の所在や思考の癖を客観的に把握する自己メタ認知も鍛えられていく。こうしたプロセス全体は、単に学問を学ぶということにとどまらず、学ぶ主体としての自己を練り上げていく生成的実践であり、音読と問い、独り言による思考の可視化は、そのまま深い学習の内的舞台装置となる。したがって、このような読書法は、記憶の強化や思考の明晰化に加え、著者との仮想的対話を通じて内在的批判力を育み、自らの学問的主体性を形成していく上で極めて有効な方法であると言える。フローニンゲン:2025/7/23(水)16:06


Today’s Letter

My life goes on with peaceful flows. Although it sometimes experiences ups and downs, its natural state is tranquil. I am grateful for this serene life. Groningen, 07/23/2025

 
 
 

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