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【フローニンゲンからの便り】16948-16952:2025年7月12日(土)


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タイトル一覧

16948

量子もつれについて

16949

今朝方の夢

16950

今朝方の夢の振り返り

16951

ベルの不等式の破れについて

16952

アラン・アスペの実験について

16948. 量子もつれについて 

       

時刻は午前6字半を迎えた。今日は起床直後から朝日が姿を見せていて、柔らかな朝日を地上に降り注いでいる。今、1羽の小鳥が高らかな鳴き声を上げた。今の気温は15度と低く、今日の日中の最高気温は24度のことなので、とても快適な1日になるだろう。ここから10日間ほどは20度の後半に達する夏日はないようで、高くても25度に収まることはとても有り難い。この調子で涼しい7月を過ごすことができたら幸いである。


量子もつれとは、2つの粒子が互いに深く関係づけられた状態にあり、一方の粒子に対する測定結果が、たとえ相手が遠く離れていたとしても、他方の状態を瞬時に決定づけるという現象である。ただし、これはいわゆる超常的な力によるものではなく、もともと2つの粒子が1つの不可分な全体状態として生成された結果であり、それぞれの粒子が独立して存在しているわけではないという量子的事実に起因するものである。このようなもつれ状態は、粒子が同時に、かつ区別できない方法で生まれたときに自然に形成される。例えば、ある種の特殊な結晶にレーザー光を当てると、光子が2つの光子へと分裂する現象が起こる。このとき、分裂して生じた2つの光子は、エネルギー・運動量・偏光といった性質が互いに補い合うように決定されるため、単独では記述できない一体化した状態を形成する。これがいわゆる量子もつれのペアである。また、原子やイオンを利用した手法においても、同一装置内で特定の操作を施すことにより、2つの内部状態が制御された相互作用を通じてもつれた状態へと導かれる。これは、量子情報処理や量子通信における基本操作であり、もつれ生成の人工的な手段の一例である。さらに、半導体中の量子ドットと呼ばれるナノ構造体を用いた場合にも、電子と正孔の対が再結合して光を放出する過程において、もつれた光子対が生成されうる。これもまた、エネルギー保存則や対称性の制約が自動的に相関構造を形成する条件を整えているためである。重要な点は、もつれが成立するためには、「どの粒子がどの経路を取ったかを識別できない」という情報の区別不能性が本質的な役割を果たしているということである。この区別不能性がある限り、観測者は粒子を個別に扱うことができず、結果として2つの粒子は全体としてひとつの状態に束縛されるのである。ゆえに、量子もつれは、自然の基本的な相互作用の中で、ごく普通に生まれる現象であり、決して奇跡的な特殊事象ではない。現代物理学と量子技術において、それはもはや仮説ではなく、日常的に制御・利用される実証された現象であり、私たちの「現実とは何か」という認識そのものを揺さぶる原理的問いを含んでいるのである。フローニンゲン:2025/7/12(土)06:42


16949. 今朝方の夢

 

今朝方は夢の中で、小中高時代のある友人(HY)に声を掛けられて、丸の内にある高層ビルに向かっていた。彼から何に関して声を掛けられたかというと、彼の知り合いの女性がそのビルの投資会社で働いていて、個人にも提供している投資商品があるとのことで、一度話を聞いてみると良いと言われたのであった。ビルの周りには高層ビルが立ち並び、そこはビジネスの一等地だった。目的のビルに到着すると、ちょうど昼時だったので、ビルから人がゾロゾロ出てきて、近くの数多くあるレストランに人が散らばっていった。しかし、彼から聞いたところによると、そのビルではそのビルで働く人だけではなく、ビジターも飲み食いが自由にできる場所があるとのことだった。ビルの中に入ってみると、各フロアに飲み食いが自由にできる食事ができるスペースがあり、とても便利だと思った。そのスペースは、レストランのように廊下と店が仕切られておらず、廊下に溶け込むような形で存在していたので、ふらりと立ち寄るにはとても便利だった。私はビルの1階で彼と待ち合わせをしており、彼と一緒に話を聞きに向かうことにした。彼と1階で会うと、彼は先に地下1階にあるその女性のオフィスに行っててくれと述べた。なので私はまずは1階で食事を取って、食後のコーヒーを持って地下1階に向かうことにした。簡単に食事を済ませて地下1階に向かうと、すでに友人とその女性が部屋の前で待っていたので2人挨拶をした。そこから部屋の中に案内され、投資商品について説明を受けたが、すでに自分は暗号資産を含めて自分なりに投資をしていることもあり、その方から説明を受けた商品の購入を控えた。その商品を購入したいと思うほどに魅力的なものではなかったのだ。話が終わり、トイレに向かうと、トイレの個室から何やら話し声が聞こえてきた。自分は3つの個室の真ん中に入り、その個室を挟む両側の個室でやり取りされている話に耳を傾けた。すると、どうやらそれらの個室に入っているのが友人であることがわかり、個室から出たら彼らに話しかけようと思った。実際に彼らに話しかけると、彼らは自分とこんな場所で遭遇したことに驚いているようだった。トイレから出て先ほどの友人のところに行くと、彼がこのビルの非常階段に隠れた温泉を発見し、いつもそこでリラックスしてから帰ることにしていると述べたので、自分もその温泉を案内してもらうことにした。彼にその場所を聞き、一旦飲み物を取りに行ってからそこに向かうと、彼はすでに温泉に浸かって寛いでいた。非常階段にある温泉ゆえに広くはなかったが、2人か3人は入れる大きさで、何よりも眺めが良かった。確かに階段で視界が遮られる部分もあったが、それでもそこは高層ビルなので東京の街を眺めることができた。温泉の湯の色は白色をしており、それは天然の色で、どうやら肌にとても良さそうだった。いざ温泉に入って寛ぎ始めると、気がつけば東京の郊外にある家族の墓地にいた。身内の中で誰かが亡くなり、そこで弔いの儀式をしていた。桜の花びらが舞いながら、同時にたんぽぽも咲いていて、春と初夏の双方を感じさせた。儀式の最後に突然どこからともなく『蛍の光』の曲が流れていて、そこにいた親族一同その曲を合唱した。その曲を自分も歌いながら、亡くなった身内のことを思っていると夢から覚めた。フローニンゲン:2025/7/12(土)07:00


16950. 今朝方の夢の振り返り

 

今朝方の夢は、現代的な都市生活と個人的な精神的探求、そして死と再生という普遍的なテーマが、極めて象徴的かつ滑らかに織り込まれた一連の変容のプロセスとして解釈することができる。夢の構造は、まるで地下から地上、さらに天へと昇りつつ、また祖先の記憶の眠る土地へと回帰する、循環的な旅の軌跡を描いている。その全体は、人生における資本・人間関係・癒し・死生観という複数の層を通過する「魂の旅路」として読むべきであるとChatGPTは述べる。まず、夢の発端は、旧知の友人HYによって招かれる形で始まる。彼の語る「投資商品の紹介」という出来事は、表層的には資本主義的現実の象徴であり、個人が経済的自由や自立を志向する時代のパラダイムを示すように見える。しかしそれは、単なる金銭的な利得の追求ではなく、むしろ「人との縁」によって新しい可能性を開かれた体験として構成されている。この友人は、過去の記憶から現れた「導き手」としての役割を担っており、自分を現代の東京の象徴たる丸の内の高層ビルへと誘う。この高層ビル群は、都市的秩序と権力、効率と競争の象徴である一方で、その中にあった「自由に飲食できるスペース」は、資本の中に潜む無償性や流動性、あるいは都市における“公共性”への希望のようなものを表している。それが「廊下と溶け込む形」で存在していたという描写は、現代社会において、明確な境界が溶解し、私的と公共的、労働と休息、形式と非形式が融合していく様を象徴している。まるで都市が大きな身体のように機能しており、自分はその内臓の中を歩いているかのようである。地下1階での投資商品の説明は、現代人がしばしば経験する「選択の自由」と「判断の疲労」を想起させる。自己はすでに自分で投資を行っており、提示された商品を「それほど魅力的ではない」と退ける。ここで重要なのは、「何を選ぶか」ではなく、「なぜそれを選ばないか」にある。それは外部から与えられる価値ではなく、自らの内側で育んだ価値基準に基づく判断であり、精神的な成熟の現れである。自分はここで、情報に巻き込まれる受動的存在ではなく、自らの道を選び取る主体となっている。トイレという場面への移行は、極めて象徴的である。トイレとは、身体の排泄を行う場であると同時に、心理的・無意識的なものを処理・解放する場でもある。自分が個室の「真ん中」に入ることは、無意識と意識、自己と他者の間に位置することを意味し、その両側にいるのが友人であったことから、「自己の過去」や「旧い関係性」との再接触の象徴とも読める。つまりここでは、内面的な浄化が行われている。次に登場するのが、「非常階段に隠れた温泉」である。非常階段とは、通常は緊急時にのみ用いられる構造物であり、それが温泉と結びつくことで、極めて興味深い象徴となる。それは、都市のシステムの中で、通常は注目されない“裏側”にこそ、真の癒しと再生の場が隠されているという示唆である。また、その場所が「眺めの良い場所」であることから、自己を俯瞰する視点、あるいは現実を少し離れた位置から眺める智慧の視座が得られることを暗示している。白い湯は、浄化と再生、そして「死者の国」への入り口を思わせる神聖な色である。実際、その温泉からの転換によって、夢の場面は「家族の墓地」へと飛躍する。この急な移行は、まるで死後の世界への遷移のようでもあり、身体的な癒し(温泉)から魂の癒し(弔い)への連続的な流れが暗示されている。墓地は、記憶と帰属、先祖とのつながり、死者との対話の場所であると同時に、生者が自らの命の意味を問い直す場でもある。そこに舞い落ちる桜の花びらと咲き誇るたんぽぽは、儚さと力強さ、終わりと始まりの共存を象徴しており、春と初夏という季節の重なりは「移行」の美しさを詩的に語っている。そして最後に響く『蛍の光』の合唱は、日本文化において「別れ」や「旅立ち」を象徴する旋律であり、ここでの合唱は、単なる個人の感情ではなく、親族一同がともに歌うことで、集団的な悲しみと癒し、あるいは魂の再結束が行われていることを示している。自分はその場で亡き人を想い、自らもその歌に声を重ねることで、死という出来事に対して“関係性の中での応答”を示している。このように、夢全体は「導き—選択—癒し—死—追悼」という5つの段階からなる一種の儀式的構造を持ち、都市の深層に隠れた再生の泉と、祖霊の眠る場との間を往還することで、自己の魂が日常的現実から一歩深い存在論的な地平へと踏み込んでいることを示している。その地平では、経済と人間関係、身体と精神、個人と先祖、死と再生が分かちがたく結び合っており、自己はその結節点で静かに、しかし確かに変容しているのである。フローニンゲン:2025/7/12(土)07:19


16951. ベルの不等式の破れについて

                          

グラハム・スメザムの書籍を読みながら、改めて「ベルの不等式」について考えていた。ベルの不等式とは、1964年に物理学者ジョン・ベルによって導かれたものであり、古典的な「局所実在論(local realism)」の枠組みのもとで成り立つ、観測結果の相関に対する数理的制限を表した不等式である。局所実在論とは、「観測される物理量には観測前から確定した値(実在性)があり、かつ、遠く離れた場所の出来事が瞬時に影響を与えることはない(局所性)」という直観的な考えに基づいている。これは、古典的な世界観に根ざしたものであり、アインシュタインが信じていた現実像でもある。この局所実在論が正しければ、いかに観測装置の設定や条件が変わったとしても、離れた二者の測定結果の相関には限界があるはずであり、その限界を数式で表したものがベルの不等式である。ここで、簡単な例を考えてみたい。アリスとボブは遠く離れた2地点にいて、それぞれの元に、ある工場からペアで送られてくる「赤か青のボール」があるとする。このボールの色は、工場でペアとして出荷される時点であらかじめ決められており、アリスとボブがどのタイミングで開けても、色は変わらないとする。つまり、「ボールの色」はあらかじめ決まっている隠れた情報(隠れた変数)である。この前提に基づくと、アリスとボブがそれぞれ開けてボールの色を調べた結果の一致率(相関)には、一定の限界が存在する。ベルの不等式は、こうした隠れた変数モデルが成り立つと仮定したときに、2人の結果が一致する確率がある上限を超えないことを示す。例えば、3種類の質問(測定設定)をアリスとボブにランダムに投げかけ、それに対する答え(赤か青)を記録したとき、古典的な理論に従えば、彼らの答えが一致する頻度は最大でも75%である。しかし、現実の量子実験では、アリスとボブが光子などの量子もつれ状態(entangled state)にある粒子を使って測定を行うと、その一致率が最大で約85%に達することがある。この結果は、ベルの不等式に違反している、すなわち、「古典的な隠れた変数モデルでは説明できない」ことを意味している。この理論的な考察は、アラン・アスペ(Alain Aspect)らの1980年代の実験によって実証された。彼らは、量子もつれ状態にある光子の偏光を使い、アリスとボブがそれぞれ異なる角度で偏光を測定するという実験を行った。その結果、測定結果の相関がベルの不等式の上限を統計的に有意に超えていることが確認された。これにより、局所実在論は現実の自然界には成り立たない可能性が高いことが示されたのである。ベルの不等式の破れは、単なる物理学の細部的な論点にとどまらず、現実そのものの構造に対する根源的な問いを投げかけるものである。もし局所実在論が破綻しているならば、次のような意味が導かれる。「観測されるまで物理的な性質が決まっていない可能性がある」(非実在性)「空間的に離れた場所でも、量子的には瞬時に情報が関連し得る」(非局所性)「世界は観測によって“立ち現れる”性質を持つ可能性がある」(観測中心的宇宙観)このように、ベルの不等式の破れは、量子力学が私たちに提示する世界像――それは「常識的」ではないが、実験的に確証されている――を受け入れるための重要な扉となっている。要するに、ベルの不等式の破れは、世界が古典的直観に反して非局所的かつ確率的であり、実在そのものが観測と切り離せない可能性を孕んでいることを、理論と実験の両面から突きつけるものである。この破れは、物理学における「確信」の終焉と、新たな哲学的探究の始まりを意味しているのである。フローニンゲン:2025/7/12(土)08:23


16952. アラン・アスペの実験について

                       

先ほどの日記で触れたアラン・アスペの実験は、量子力学における非局所性の存在を実証的に示すものであり、ベルの不等式が定める古典的世界観の限界を明らかにした画期的な試みである。1964年にジョン・ベルが導出した「ベルの不等式」は、古典的な局所実在論が成り立つならば、量子系における観測結果の相関には一定の限界があるはずだという予測を数式の形で示したものであった。局所実在論とは、観測対象の物理的性質が観測以前から確定しており、空間的に離れた二地点間での出来事が光速を超えて即座に影響を及ぼすことはないという考え方である。しかし、量子力学はこのような常識的直観に反して、離れた粒子同士が「量子もつれ(エンタングルメント)」という形で、瞬時に相関するという奇妙な振る舞いを予言していた。この理論上の対立を解決すべく、1980年代初頭にアラン・アスペはフランスにおいて一連の実験を行い、現実がどちらの理論に従うのかを検証したのである。アスペの実験では、まずカルシウム原子を励起状態から崩壊させ、2つの光子が同時に発生するような装置を用いた。これらの光子は量子もつれ状態にあり、それぞれ遠く離れたアリスとボブに相当する2地点に送られる。アリスとボブはそれぞれ、ランダムなタイミングで測定装置の偏光角度を切り替え、光子の偏光状態を測定する。このとき重要なのは、角度の設定が光子が中間点を通過している最中にランダムに決定されるという点である。この仕組みにより、一方の測定の設定や結果が他方に光速以下の速度で影響を与える可能性――すなわち「局所性ループホール」――が排除されたのである。アスペとそのチームが得た測定結果は、ベルの不等式が許容する古典的限界を明確に超えていた。これは、隠れた変数理論や局所実在論の枠組みでは説明できないほど強い相関が、自然界に実在することを意味している。すなわち、アスペの実験は、自然が量子力学の予言する「非局所的な相関構造」を持っていることを、実験的に裏付けたのである。この実験の意義は、単に量子力学の正しさを示すにとどまらず、私たちが現実について持つ根本的な理解――「世界は観測者とは独立に存在する」「情報は光速を超えて伝わらない」といった直観的な前提――を再考する必要性を突きつけるものであった。その後、アスペの成果は2015年以降に行われた「ループホールフリー実験」に受け継がれ、すべての既知の抜け道を塞いだ状態でもベルの不等式の破れが観測されることが確認された。こうしてアスペの実験は、量子もつれの現実性と、自然の根底にある非局所性を証明した科学史に残る業績となった。彼はこの功績により、2022年にノーベル物理学賞を受賞しており、その実験は現代における量子情報理論、量子暗号、量子通信といった応用的分野の基礎を築いたのである。アスペの実験は、物理学の枠組みを超えて、私たちの「現実とは何か」という哲学的問いに直結する深遠な意義を持つものである。フローニンゲン:2025/7/12(土)08:30


Today’s Letter

A drop of my intentions permeates the world. The kind of intentions I have is crucial to the impact on this reality. I am one of the waves of the ocean—and the ocean itself. Groningen, 07/12/2025

 
 
 

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