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【フローニンゲンからの便り】18110-18115:2026年1月28日(水)



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タイトル一覧

18110

今朝方の夢

18111

今朝方の夢の振り返り

18112

発達理論の実践的展開(その1)

18113

発達理論の実践的展開(その2)

18114

発達理論の実践的展開(その3)

18115

音色に関するブランダン・エイカー氏の助言

18110. 今朝方の夢

                               

今朝方は夢の中で、古代中国の二つの国が交流する姿が現れていた。自分は夢を観察する者として存在しており、二人の若い男女が自国を出発し、相手国の皇帝に会いに行っている場面を眺めていた。二人が皇帝が住む大きな城に到着すると、皇帝は城の外にある巨大な闘技場の中心で訓練をしていた。皇帝は非常に有名な武帝のようで、日々鍛錬することを怠っていないようだった。彼が闘技場の中心に一人立っている姿はとても威厳があり、そこだけエネルギーが違って見えた。皇帝のところに途轍もないエネルギーが凝集しているように見えたのである。皇帝はすぐに二人がやって来たことに気付いたようで、瞬間移動して深々と頭を下げている二人の目の前にやって来た。二人はすぐさま皇帝にある懇願をした。両国は学術・文化的な交流が活発で、特に二人の国から留学生が多数皇帝の国にやって来ていた。とりわけ官僚たちは必ずと言っていいほどに留学をしていたのだが、どうも最近の官僚たちが堕落しているようで、喝を入れてほしいと皇帝にお願いしたのである。そこでは武力行使も辞さないと二人は述べ、それだけ自国の官僚の腐敗は顕著なようだった。皇帝はすぐさま承諾をしたが、どのように相手国に刺激を入れるかはもう少し考えてみると述べた。すると、その城にある図書館に場面が切り替わっていた。図書館の廊下で老年期に入った著名な日本人の学者が、この国で学んだ自国の留学生の話を嬉しそうにしていた。彼らが図書館のどの辺りで勉強していたかなどを細かくリアルに語ってくれ、それを聞いている自分は感慨深い気持ちになった。引き続き自分はこの夢を観察する者として存在していたのだが、先ほど皇帝の姿を見ていた時と比べると、まるで夢の世界に存在しているかのようでもあった。そこからその先生はレクチャールームに入っていき、少し開始時間が遅れる形で講義を始めた。その部屋には講義を楽しみにしていた人たちが詰めかけており、部屋は一杯だった。ふと最前列を見ると、そこに小中高時代のある友人(TK)がいたので驚いた。彼は最前列で熱心に講義を聞いており、途中で一度恐る恐るではあるが質問をしていた。その時に、あえて友人の彼は「先生」と呼ばず、「さん付け」でその先生のことを呼んでいた。先生は彼の質問に微笑みを浮かべ、懇切丁寧な説明を黒板を使いながら行った。フローニンゲン:2026/1/28(水)05:30


18111. 今朝方の夢の振り返り

                   

今朝方の夢は、自分という存在が直接行為する主体ではなく、全体を観察する意識として位置づけられている点において、自己の在り方が一段抽象化されていることを象徴しているのではないかと思われる。古代中国の二国間交流という舞台設定は、異なる価値体系や伝統、あるいは内なる複数の自己構造の対話を示唆している可能性がある。若い男女が自国を出て皇帝に会いに行く姿は、自分の内部に芽生えた未成熟だが純粋な志向性が、より高次の原理や中心的権威に接触しようとする運動を象徴しているようにも感じられる。闘技場の中央で鍛錬を続ける武帝の姿は、力と規律、そして絶えざる自己修練の体現であり、自分の内奥に存在する統合的中心、すなわち精神的主権の象徴である可能性が高い。彼の周囲にエネルギーが凝集して見えたという描写は、価値や意志が一点に収斂した状態、いわば精神的重心が確立している状態を暗示しているのではないかと思われる。瞬間移動して二人の前に現れる様は、中心が周縁を即座に包摂する統合力を示唆しているようである。堕落した官僚への喝を求める懇願は、知的制度や組織の内部に生じる形式化・形骸化への危機感を映している可能性がある。学術・文化交流が活発であるにもかかわらず、倫理的緊張が失われつつあるという構図は、自分の歩んできた学問的道程における緊張と弛緩の揺らぎを反映しているのかもしれない。武力行使も辞さないという強い言葉は、自己刷新にはある種の断固たる決断や痛みが伴うという直感の表出であるようにも思われる。場面が図書館に転じ、老年の学者が留学生の軌跡を語る場面は、知の継承と時間の厚みを象徴している可能性がある。闘技場が意志と力の空間であったのに対し、図書館は記憶と解釈の空間であり、自分の関心が力の集中から意味の編成へと移行していることを示しているようである。講義室が満員である光景は、知を求める共同体への帰属願望を示唆しているのかもしれない。最前列に座る旧友の存在は、過去の時間軸が現在の知的探究と接続されていることを象徴しているように思われる。彼が「先生」と呼ばず「さん付け」で問いを発した点は、権威への距離感を自ら調整し、水平的な対話を志向する姿勢を示唆している可能性がある。教師が微笑みながら黒板で丁寧に応答する場面は、力による喝ではなく、言葉による覚醒が真の変容をもたらすという構図を暗示しているようである。全体としてこの夢は、武的中心と知的中心という二つの極を内包しつつ、自分が観察者としてそれらを統合しようとする過程を象徴しているのではないかと思われる。人生における意味としては、外的権威に喝を求める段階から、自らが中心を鍛え、対話と教育を通じて刷新を促す段階へと移行する準備が進んでいることを示している可能性がある。すなわち、自分の内なる皇帝を鍛えつつ、図書館の灯を絶やさぬことが、今後の歩みの核心であると示唆しているのかもしれない。フローニンゲン:2026/1/28(水)05:35


18112. 発達理論の実践的展開(その1)

                                

今日もまた知人の鈴木規夫さんとの対談収録がある。今日の対談は第7回を迎え、全10回の対談も後少しで完成となる。今日のテーマは、「発達理論の実践的展開」というものである。今回の対談をもとにした共著書籍の第7章で問われているのは、成人発達理論を理念や説明枠に留めず、現実の組織運営の中に「発達が起こりやすい条件」をどう埋め込むか、という実装の問題である。ティール組織はその入口として参照されやすいが、ここで重要なのは、ティールを「優れた経営モデル」として称揚することではない。むしろ、ティールが提示した自己管理・ホールネス・進化する目的という三要素を、発達理論の観点から「どのような能力要求(発達負荷)が組織内に発生するのか」「その負荷を支える制度・規範・学習装置は何か」という形で分解し、成功と失敗のメカニズムを言語化することである。自己管理は、権限委譲やフラット化という表層の制度改革ではなく、日常的な意思決定の分散化を意味する。意思決定が分散されると、現場の一人ひとりが「何を根拠に判断するか」「利害が衝突したときにどう調整するか」「誤りが起きたときにどう学ぶか」という問いを引き受ける必要が出てくる。ここには、複数視点の同時保持、時間地平の切り替え、短期成果と長期整合の両立、感情的反応と合理的判断の調停といった、高い意味生成負荷が内在する。自己管理が失敗する典型は、これらの負荷を「個人の成熟」に丸投げし、支援条件を設計しないまま権限だけを渡すことである。結果として、非公式な声の大きさ、情報の偏在、心理的安全性の欠如が生まれ、フラットの名の下に見えない序列が形成される。ティールの自己管理を発達理論的に成立させるには、意思決定プロトコル(誰が何をいつ決め、どこまで合意を要し、異議申立てをどう扱うか)、情報の透明性、対立の処理規範、失敗を学習に転換するレビュー文化など、負荷を分散しつつ学習が回る設計が不可欠である。ホールネスは、仕事の場から切り落とされてきた感情、身体感覚、価値観、人生の意味の要素を、組織が受け入れるという主張として理解されることが多い。しかし発達理論の観点からは、ホールネスは「自己物語の統合」に関わる。つまり、職業的自己と私的自己の分断を弱め、役割の仮面だけで生きる状態から、価値・感情・関係性を含む自己全体で関与する状態へ向かう動きである。ただしここにも落とし穴がある。ホールネスが「開示が善」という文化規範に変質すると、語りたくない人が沈黙できなくなり、逆に心理的安全性が損なわれる。ゆえにホールネスの実装は、自己開示の強制ではなく、境界の尊重と選択権の保障である。具体的には、守秘のルール、語らない自由、関係の修復手続き、ケアの役割の偏在を防ぐ設計、管理職の感情労働の適正配分などが必要になる。ホールネスを「人間らしさの回復」として美しく語るだけでは、現場では「誰がケアを担うのか」「誰が損をするのか」という現実問題に負ける。進化する目的は、固定的なKPIや計画に従うのではなく、環境変化の中で目的理解を更新し続けるという姿勢である。発達理論的に言えば、これは「目的」そのものを客体化し、状況と照合しながら再編集できる能力を要請する。だが進化する目的が現場で機能するには、目的の更新が気分やスローガンではなく、意思決定と資源配分に接続される必要がある。目的が更新されるなら、何を止め、何を続け、何に投資するかが同時に更新されなければならない。ここが曖昧なままだと、進化する目的は「責任の所在が薄い自由」になり、疲弊を招く。ゆえに、ティールを発達理論の実践として扱うなら、三要素を理念として掲げるのではなく、日々の意思決定の設計、対話の規範、学習の仕組み、権限と責任の対応、ケアと境界の設計へと落とし込み、発達負荷を支える骨格を作ることが核心になるだろう。フローニンゲン:2026/1/28(水)06:59


18113. 発達理論の実践的展開(その2)

                        

ティールが組織文化や関係性の言語で語られやすいのに対し、エリオット・ジャックスの要件適合型組織(Requisite Organization)は、組織を成立させるための必要条件を、役割・階層・権限・説明責任の整合として設計する枠組みである。発達理論の実践的展開としてジャックスの理論が重要なのは、発達を「個人の内面の問題」に閉じず、「役割負荷と意思決定構造の問題」として扱える点にある。つまり、人が伸びないのは本人の資質が低いからではなく、役割が要求する時間地平や複雑性と、与えられた権限・情報・支援が適合していないからだ、という見立てが可能になる。要件適合型組織の中心概念の一つが、役割ごとの「タイムスパン(裁量の時間幅)」である。現場の役割は日次・週次の変動を捌くことが主となり、中間は複数チームの調整や数ヶ月先の計画を扱い、上位は年単位の不確実性の中で資源配分や方向づけを行う。この時間地平の差は、単なる忙しさの差ではなく、扱う抽象度と不確実性の差である。発達理論的に言えば、時間地平が長くなるほど、複数要因の統合、遅延した結果の評価、矛盾する価値の調停、他者の視点を含むシステム理解が必要になる。つまり、役割設計は暗黙に発達負荷を配分する装置である。ここでジャックスの洞察が生きるのは、「階層=悪」という短絡を避けられる点である。現実の組織は、階層があるから問題なのではなく、階層の意味が不明瞭で、権限と責任と情報が不整合だから問題なのである。例えば、上位が短期指標に過度に介入すると、現場は学習機会を失い、主体性が萎む。逆に、現場に長期の不確実性を丸投げすると、燃え尽きが起きる。中間層が調整責任を負わず「伝言係」になると、葛藤は未処理のまま下層に沈殿する。こうした問題は「人の未熟さ」として語られがちだが、要件適合型組織はそれを設計問題として扱う。発達理論の実践とは、この翻訳ができるかどうかに大きく依存する。また、発達理論はしばしば「高次段階に到達させる」方向へ傾くが、ジャックスの視点は「適合」を中心に据える。これは、常にストレッチをかけるのではなく、適切な役割配置と育成配置の循環を設計することの重要性を示す。発達には揺らぎがあり、負荷が高すぎれば崩れ、低すぎれば停滞する。そこで必要なのは、本人の準備度に対して少し背伸びの課題を与えつつ、情報・裁量・上位のコーチングを整えるという、発達にとっての「適切な不均衡」の設計である。要件適合型組織は、この不均衡を無理に個人に背負わせず、役割と階層の整合として扱う枠組みを提供する。ティールが志向する自己管理や進化する目的を、現実の意思決定構造として成立させる足場として、ジャックスの理論は重要な補助線になるのである。さらに、成人発達理論の文脈で重要なのは、ジャックスが「能力」より「仕事の複雑性」を起点に議論する点である。個人の能力評価から出発すると、測定は選抜へ寄りやすい。仕事の複雑性から出発すると、議論は設計へ寄りやすい。発達理論を倫理的に実装する上で、この起点の違いは決定的である。人を測って序列化するのではなく、仕事の設計を見直し、発達が起こる条件を組織側が引き受ける。第7章が求めるのは、このような「個人責任化」から「設計責任化」へのシフトでもある。フローニンゲン:2026/1/28(水)07:42


18114. 発達理論の実践的展開(その3)

                             

発達理論を実践に落とし込む際、最後に必ず立ち上がる難題は「それは何を変えたのか」をどう示すかである。理念や対話の手応えだけでは、組織の意思決定は動かない。そこで第7章は、発達測定をリーダーシップ開発に組み込み、個人支援と組織支援を橋渡しする試みとして、Lecticaの取り組みを位置づける。ここで焦点となるのが、Lectical Leadership Decision-Making Assessment(LDMA)である。LDMAは、単なる性格検査やコンピテンシー診断とは異なり、複雑で利害が絡む状況において、どの程度の視点統合や文脈理解にもとづく意思決定ができるかを評価し、発達的フィードバックへ接続することを狙う。発達測定をリーダーシップ開発に組み込むときの最重要点は、測定を「点数による査定」ではなく「学習のセンサー」にすることである。つまり、測定値は人を固定するラベルではなく、現状仮説であり、次の学習設計の入口である。具体的には、測定→解釈→実践課題の設計→現場実験→振り返り→再測定、という循環が必要になる。ここで測定は単発イベントではなく、プロセス管理の一部になる。個人支援としては、自己理解を深め、学習課題を焦点化し、抽象概念を日常の意思決定に接地させる機会になる。組織支援としては、どの階層・どの職種・どの意思決定局面で複雑性が詰まっているかを可視化し、会議設計、権限設計、情報設計、育成配置の改善へと戻せる。この「戻し先」を経営の言語に翻訳する枠組みが、人材資本価値連鎖(Human Capital Value Chain)である。人材資本価値連鎖とは、HR施策(採用・育成・配置・評価など)が直接に業績を生むのではなく、能力や行動の変化(アウトカム)を介して、意思決定品質、協働の生産性、顧客価値、リスク低減といった中間成果を生み、最終成果へ連結するという考え方である。発達理論をここに接続すると、発達測定は「研修を実施した」という活動指標ではなく、「意思決定の質がどう変わり、関係性の摩擦コストがどう変わり、長期の不確実性への対処がどう変わったか」を評価する中核指標になり得る。ここまで接続できて初めて、発達支援は必要な投資へと位置づけが変わる。一方で、発達測定を組織に導入すると倫理リスクが高まる。測定がハイステイクス(選抜・昇進・報酬)に直結すると、測定は防衛を生み、学習を壊す。ゆえに実装では、目的の明確化、同意、結果共有範囲、フィードバック設計、データの扱い、異議申し立ての仕組みが不可欠である。理想は、発達測定をローステイクスで運用し、本人の学習のために使い、組織側は集計レベルで学習設計に使うことである。個人の点数を武器にしてはならない。最後に、第7章が掲げる「発達志向型支援プログラム(VCoL)」や「個人支援と組織支援の統合的枠組み」は、突き詰めれば一つの設計原理に集約される。それは、発達を個人の内面に閉じず、組織の制度に閉じず、両者を循環でつなぐことである。センサーとしての測定、場としての対話と実践、骨格としての役割・権限・情報設計、そして価値連鎖としての成果検証。この四点がループとして回るとき、発達理論は初めて「現実を動かす理論」になる。第7章の実践的展開とは、理論を掲げることではなく、発達が起こり続ける学習システムを設計し運用する技術の総体なのである。フローニンゲン:2026/1/28(水)08:30


18115. 音色に関するブランダン・エイカー氏の助言 

 

ブランダン・エイカー氏の「音色の問題の多くは右手ではなく左手に起因する」という助言は、クラシックギター演奏における音響生成の構造を的確に突いている見解である。一般に音色の善し悪しは右手のタッチ、すなわちアポヤンドかアルアイレか、爪の角度や接触面の滑らかさなどに意識が向きやすい。しかし実際には、弦を振動させる前提条件を整えているのは左手であり、そこに微細な問題があれば、右手がいかに理想的に機能していても音は完全には響かないのである。特に「指が平らになる」ことの弊害は見過ごされがちである。指腹が寝てしまうと、押弦している弦の隣の弦に無意識に触れ、倍音成分や持続音を減衰させてしまう。単音では気づきにくいが、和音や分散和音では一音でも減衰すれば全体のハーモニー構造が崩れ、音楽の立体感が失われる。ギターは六本の弦が同時に共鳴する楽器であり、一本の弦の消失は空間の一部が欠けることと同義なのである。それに対して、指を十分に曲げ、指先の最先端で押弦することは、各弦の独立性を確保する操作である。指先を垂直に近づけることで、弦間に空間が生まれ、不要な接触が排除される。この「空間を作る」という感覚は、単なるフォームの問題ではなく、音響的な自由度を確保する行為である。弦が自由に振動できる環境を整えることこそが、良い音色の基盤となる。エイカー氏が提案する練習法、すなわち非常にゆっくりとアルペジオを弾き、各音で止まり、全ての弦が鳴り続けているかを聴き取る方法は、音の生成を構造的に観察する訓練である。音が消える瞬間を感知できる耳を養うことで、左手の微細な角度や圧力の差異に気づけるようになる。ここでは速度や技巧よりも、持続と共鳴への感受性が重視されている。「良い音は何を弾くかだけでなく、何を響かせ続けるかに依存する」という言葉は、ギター演奏の本質を表現している。演奏とは音を発する行為であると同時に、音を阻害しないための環境整備でもある。右手が音を生み、左手がその振動の可能性を守る。両者は対立ではなく相補的関係にある。音色を磨くとは、弦が最大限に共鳴できる条件を整え続けることであり、その核心は左手の精緻な空間設計にあるのである。フローニンゲン:2026/1/28(水)12:13


Today’s Letter

The white world outside draws my mind into a meditative state. The snowy landscape feels pure and serene. Groningen, 1/28/2026

 
 
 

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