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【フローニンゲンからの便り】16934-16940:2025年7月10日(木)


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タイトル一覧

16934

朝の創造的な時間/観心覚夢に向かって

16935

今朝方の夢

16936

今朝方の夢の振り返り

16937

因明における五支作法

16938

菩薩道としての学術研究/今朝方の夢の続き

16939

今朝方の夢の続きの振り返り

16940

相転移の瞬間

16934. 朝の創造的な時間/観心覚夢に向かって 

                     

—情熱は人間を高貴にする—辻邦生


時刻は午前8時半を迎えようとしている。今、小鳥と鳩がそれぞれ鳴き声を上げていて、とても穏やかな雰囲気を発している。今の気温は17度で、今日の日中の最高気温は22度に到達するようだが、1日を通して曇りゆえに随分と涼しく感じられるのではないかと思う。昨日まではヒートテックを着て過ごすほどで、今朝方も上にはそれが必要なぐらいである。

ゲーテは、朝の時間を創造活動に充てるとりわけ大切なものとしていたことはよく知られている。晩年に完成した『ファウスト第二部』という大作は、毎朝手のひらに乗るほどのわずかな行数を書き記すことを続けていった結果生まれたものとのことである。まさに自分も、毎朝『大日本仏教全書』の漢文を音読しながら2ページほど転写するということを行なっている。それは4本目の修士論文と1本目の博士論文の執筆のためであり、査読付き論文の執筆のために行なっているのだが、こうして毎朝微量の転写作業に従事していると、気づいた時には随分と遠いところまで来ていて、多くの仕事が終わっていることに驚き、そして喜びを感じる。これでいいのだ。ゲーテのように、日々小さなものを楽しみながら積み重ねていく。自らの情熱は、常に意識とリアリティの地動説の提唱に注がれている。


それにしても今朝方は随分と多くの時間眠っていた。毎日自然と目覚めるようにしており、今日は結局10時間半以上寝ていた形となる。いつもより1時間か1時間半ぐらい長い睡眠時間となった。心身が回復を求めていたようで、ぐっすりと眠り続ける形で深層的な回復が実現されたように思う。自分にとって睡眠は非常に重要なもので、それは心身を癒すという意味に加えて、日中の学習内容を定着させるという意味でも重要だ。それ以上に重要なのは、しっかりと夢を見て、翌朝夢を振り返ることを通じて洞察を得ることである。言い換えると、自分は夢を見て、この夢の世界としてのリアリティから目覚めるために夢分析をしており、そのためにはしっかりとした睡眠が必要になる。そうした形で睡眠と夢を見ることを意義づけている。今こうしてこの文章を執筆している自分もまたある意味では夢を見ている状態なのだ。現実世界という夢を。全てをあるがままにありありと照らし出す智慧と慈悲の心が実現されるまで、自分は絶えず夢の世界の中にあるという自覚を持っている。それは目覚めへの一歩である。今日の活動もまた良遍の言葉にあるように、観心覚夢につながるものにしたい。フローニンゲン:2025/7/10(木)08:32


16935. 今朝方の夢

                 

今朝方は夢の中で、見知らぬ街の中心部にいた。ちょうど目の前には横断歩道があり、それを渡ったところにはコンビニがあった。自分はサッカー日本代表の候補に選ばれていて、ワールドカップに出場するための準備として、日常生活の中ではずっとサッカーのことを考え、サッカーの技術が少しでも高まる工夫をして過ごしていた。その一環として、コンビニ前の横断歩道の手前から、何歩か後ろに下り、水の入った直方体の容器を蹴ってコンビニ横の狙った箇所に飛ばす練習をしてみようと思った。容器の水の量を確認すると、少し多めに入っていたので、それだと飛距離が出ないような気がしたので、少しだけ水を減らした。いざ助走をつけて容器を蹴ると、舞い上がった容器は見事に狙った場所に着地し、水が辺りに飛び散った。すると、ちょうどゴミ箱にゴミを捨てに来ていた知人の方がいて、危うくその方にぶつかりそうだったが、大丈夫で、その方も何が起こったのか最初はわからず驚きながらも笑顔を浮かべていた。私はすぐさま横断歩道を走って渡り、その方に事情を説明した。するとその方は、練習熱心である自分を讃えてくれた。コンビニの中に入ると、その方が雑誌コーナーに向かったので無意識的についていくと、ちょうど少年ジャンプの最新号の発刊の日だったらしく、途轍もなく分厚い最新号を1冊その方は私に渡してくれた。巻頭を見ると、どうやらジャンプが発刊されてから何十周年のようで、それを祝った特集号とのことだった。中身を開くと、幼少時代に読んでいた漫画かつそれはアニメとしても見ていたもので、懐かしく思ってその作品の漫画家が書いた特集漫画を読んでいると、気がつけばその漫画の世界の中にいた。私は目撃者として、その漫画の主人公が、これまでとは次元の違う目には見えない強敵を倒しにある塔を下の階から上の階に向かって登っていて、その最後の強敵と闘い始めた。主人公たちはもちろん戦闘能力はもの凄く高かったが、それを遥かに超えるほどの強さの強敵に苦戦していた。だが、その漫画の特徴として、ここから主人公たちは何か突破口を見出して、その強敵を最終的には倒すのだろうと思った。


その瞬間に自分は、雑草がほとんど生えていない山の中腹の野原にいた。そこでもまた自分はサッカー日本代表の候補として、来たるワールドカップに向けてフリーキックの練習をしていた。蹴り方としては、先ほどのコンビニの横のゴミ箱付近を目掛けて蹴ったとの同じく、ブレ球が発生するような蹴り方をしていた。ただし今度は水の入った容器ではなく、普通のサッカーボールを蹴っていた。何球か蹴っていると、それらのいずれもが素晴らしいキックで、横にいたサッカー日本代表の若手のエースの選手がそれを誉めてくれた。仮に一緒に本番の試合に出場することになったら、遠い距離は自分が担当し、近い距離は彼が担当することにしようと話し合った。彼はカーブをかけたキックが上手く、確かに近い距離は彼に任せる方が絶対に良いと思った。練習がひと段落したので山を降りて、ワールドカップ開催直前の合宿地であるグリーンランドに行くために空港に向かうことにした。その前に、野原にいたモロッコ系だと思われる背の高い男性に呼び止められ、サインを求められたのでサインをすることにした。彼は手にホールケーキか何かのデザートを持っていて、その容器の底にサインをすることにした。幸いにも容器の中身は空だったので、容器をひっくり返し、底に最初はアルファベットで名前を書き、それだけでは物足りないような気がしたので漢字でも名前を書いて、それをサインとして彼にプレゼントした。すると彼はとても嬉しがって笑顔を見せた。そこから走って山を降りようとすると、気がつけば空港にいた。その空港はそれほど大きな空港ではなかったが、中が複雑で、すでに搭乗の時間になっていたので急いで搭乗口に向かった。少し迷いそうになったが、途中で搭乗口の場所を係員に尋ねると、ちょうど目の前に搭乗口があって、なんとかギリギリ搭乗することができた。機内には日本代表の仲間たちがいて、自分のことを心配していたようだが、こうして必ず最後は帳尻をつけて間に合うことを信頼していたようで、全員が笑顔で自分を出迎えてくれた。フローニンゲン:2025/7/10(木)08:51


16936. 今朝方の夢の振り返り

                     

今朝方の夢は、現実と虚構、過去と未来、個と集団という複数の次元を行き来しながら、自己の力を「的確に放つ」ための心理的調整過程を示していると解釈できる。舞台はまず見知らぬ街の中心である。そこは自我がまだ十分に地図化していない領域、言い換えれば拡張途上のアイデンティティの中心地であり、目前の横断歩道は「ここから向こうへ」―すなわち現在の自己から次の段階へ―と渡る通過儀礼を象徴する。コンビニは日常的な欲求と即時的な充足を扱う場であり、夢の中で自分がそこをただ利用するのでなく射程に置くことは、日常的環境そのものをトレーニングフィールドへ変換しようとする意図の表明である。蹴りの対象がサッカーボールではなく水を入れた直方体の容器であった点は示唆的である。水は感情や無意識のリソースを象徴し、容器の形状はそれを一時的に封じ込め、扱いやすくする枠組みを示す。水を少し減らしてから蹴る行為は、情動の量を適切に調整し、技術と意図がかみ合う重量バランスへ最適化する内的操作である。狙いどおりに飛翔しながらも知人を危うく傷つけかねなかった場面は、自我のエネルギー放射が社会的関係に及ぼすリスクを示唆し、それに即応して事情説明し称賛を得る流れは、自己主張と社会的承認の両立がテーマに組み込まれていることを示す。ここで舞台がコンビニ内の『少年ジャンプ』特集号へ切り替わる。極端に分厚い記念号は、幼少期から蓄積された想像力と物語資産の圧縮ファイルであり、自分がページを開くとその世界へ没入するという転換は、創造的原体験が現在の挑戦と不可分である事実を強調する。塔を登り見えない強敵と対峙する漫画の場面は、ワールドカップという現実の「世界頂点」を目指す構造のメタファーであり、強敵の姿が不可視であることは未知への漠然とした不安や、まだ言語化できない課題そのものを示す。それでも物語の性質上「突破口が必ずある」という期待を抱く観客=夢見手の視点は、自己効力感の裏打ちを提供する。次のステージは、雑草のほとんどない山の中腹に広がる野原である。雑草の欠如は無駄な思考や余計な感情が一時的に静まったクリアな意識空間を象徴し、そこで行われるフリーキック練習は、以前の容器蹴りと対を成す本番仕様のスキル研磨である。若手エースとの役割分担の合意は、チームという集合体の中で自我の専門領域を限定・深耕しつつ協働するという社会的成熟を示す。ここでモロッコ系とおぼしき男性が登場し、空のケーキ容器の底にサインを求める。ケーキは祝祭を象徴し、空であることは完成が未来に委ねられている余白を示す。アルファベットと漢字を併記した署名は、グローバルとローカル、外向的アイデンティティと内向的ルーツの統合を視覚的に表現している。空港での迷路的構造と時間制限は、物語がクライマックスへ向かう際にしばしば現れる「タイムリミットと選択の緊張」を担う。最終的にギリギリ間に合い、仲間たちが笑顔で迎え入れる結末は、夢全体に流れる「最後は帳尻を合わせられる」という自己への信頼感を明確に裏付ける。合宿地がグリーンランドという寒冷かつ辺境の地である点は、自己革新のために敢えて快適圏を離れ、極端な環境で潜在能力を引き出そうとする無意識の覚悟を示している。こうした一連の場面は、日常空間の技巧化、想像力の原資への回帰と統合、高地的視点での技能洗練、国境や言語を超えたアイデンティティ表明、制限時間内の移行成功、という5つの相互補完的モチーフで構成される。全体を貫くキーワードは「調整」と「放射」である。水量調整、役割分担、署名の二重表記、搭乗時間の調整など、自分は常に自己エネルギーの量と方向を測りながら、最後にノイズなく狙いを定めて放つことを目指す。最終的に飛行機へ滑り込み、仲間と共に大空へ飛び立つ姿は、意志と準備が整ったとき自己は社会的・地理的境界を超えて跳躍できるという予祝的ビジョンである。したがってこの夢は、目前に迫る大目標に対し、幼少期に根ざす創造的衝動と、現実的スキル、社会的ネットワークを一体化させる段階にあることを告げる。自分が水の量やキックの距離を微調整し続ける限り、そして物語が示すように「見えない強敵」にも突破口は存在するという信念を保持し続ける限り、世界舞台への飛躍は必然的に達成されるであろう。フローニンゲン:2025/7/10(木)09:35


16937. 因明における五支作法

     

昨日から一昨日知人の方に届けていただいた仏教論理学の和書を読み始めた。その書籍に掲載されていた因明における五支作法が興味深かったので簡単にまとめておく。五支作法とは、正当な推論を構成するための5つの要素を指す形式であり、主張から結論に至るまでの論理的構造を丁寧に言語化したものである。これはインド仏教における論理学の中核を成しており、陳那や法称といった仏教論理学者たちによって体系化された。この五支作法において、最初に提示されるのは「宗」である。これは論証全体の出発点であり、すなわち話者が成立させたい命題である。例えば「山には火がある」というような主張がこれに当たる。この段階では、まだその命題がなぜ正しいかは説明されていない。次に来るのが「因」である。これは宗を支持する根拠を示す部分であり、宗が単なる独断にとどまらないための論拠を提供する。前述の例で言えば、「なぜなら山には煙があるからである」というのが因に該当する。つまり、火があるという主張を支える根拠として、煙の存在が提示されるのである。3つ目の要素である「喩(ゆ)」は、提示された因が適切なものかどうかを確認するための例証であり、普遍的な因果関係の実例を示す役割を果たす。例えば「煙のあるところには必ず火がある。例えば厨房のように」という言い方がこれに相当する。この喩の部分により、「煙があるから火がある」という因果関係が特殊な事例ではなく、一般に成り立つものであることが明示される。続いて「合」が示される。これは、先ほどの喩に基づいた一般的な関係性を、具体的な主張対象に適用する段階である。すなわち「山にも煙がある」と述べることにより、煙の存在が当該の場所にも確認され、普遍的な因果関係がこの場合にも適用可能であることが示されるのである。最後に示されるのが「結」である。これは、ここまでの論証を総合して、最初の主張をあらためて確認し、それが妥当であることを結論として述べる部分である。例としては「ゆえに山には火がある」となり、これによって五支作法全体が一つの完成された推論として結ばれる。このように、五支作法は単なる形式的な枠組みではなく、主張の根拠を明示し、類推による妥当性を補強し、最終的に正当な結論へと導くための論理的道筋である。その構造には、主張の正しさを独断的にではなく、共通了解可能な形式で確立しようとする精神が込められている。特に仏教思想においては、このような推論は真理への到達、すなわち妥当な認識(プラマーナ)を得るための重要な手段とみなされており、単なる論争技術ではなく、認識論的・実践的意義を担った体系なのである。フローニンゲン:2025/7/10(木)09:48


16938. 菩薩道としての学術研究/今朝方の夢の続き 

             

—「今」の中に掛けがえなく生きる人は、実は、時間の流れを見ないのだ—辻邦生


菩薩道としての学術研究。意識とリアリティの地動説の提唱に向けた研究は、確かに好きで、そして楽しさを感じるがゆえに行っている側面もあるが、それだけでは片付けられない側面があることも確かである。そこには実存的かつ霊的な要求がある。それは不可避の要求で、自我が何か計らいごとをして行ったり、行わなかったりすることを超えている。今の自分は常に「今」を大切にして、菩薩道としての学術研究に邁進没頭し続けている。気がつけば、良遍作の『覚夢鈔補闕法門』の転写がほぼ完了し、英訳と註釈に向けた準備が整った。明後日からは良遍作の『應理大乗伝通要録』の転写を始められそうである。


正午を迎えてふと、今朝方の夢の続きを思い出した。夢の中の私は、東京のどこかの街にいて、人が多くいる大きな駅に到着した。偶然にも駅で大学時代のゼミの友人数人と遭遇し、そのうちの2人と不思議な電車に乗った。それは前々から乗ってみたかったもので、それはその街の港から海の上を走り、再び街中に戻ってきて目的地に向かう特急列車だった。それに早速乗車してみると、乗客は私たちだけだった。私たちが乗り込んだ瞬間にドアが自動で閉まり、いざ出発すると、即座に電車は波止場から海面に着水し、海の上をホバリングするかのような走りを見せた。最初私は、電車が海面に向かっていく瞬間に、電車が海に沈んでしまうことを心配したが、その心配は即座に杞憂に終わり、電車の見事がホバリングが始まった。そのメカニズムはよくわからないが、とにかく海面に触れるか触れないかのギリギリの場所を浮かんでいて、高速で電車が走り出した。その速度はとても早く、気がつけばその波止場をぐるりと回って街中に入っていった。街中でもその見事な走りは変わらず、宙に浮かぶ形で進行していった。この電車には運転手はおらず、全て自動で動いており、どうやらその背後には高度なAIの存在があるようだった。しかし、街中を走っている時にふと、仮に事故が起こったら、一体誰が責任を取るのだろうかと責任の所在を考えた。これはAIに関する倫理・道徳的な問題として古典的なものだったが、実際にこの不思議な電車に乗って直接体験をしていると、その問いは非常に重要なものに思えた。気がつくと、目的地の周辺にやって来て、先ほどまでの電車は人の背の高さぐらいの所を浮かんでいたが、目的地の駅に向けてラストスパートする頃には高度が下がり、高度の低下と合わせて、地面から水が自動的に吹き上がり、その水の上をまたホバリングして駅に向かっていった。無事に目的地の駅に到着すると、なんとも言えない爽快感があった。それはどこか遊園地のジェットコースターに乗った後の感覚に似ていた。電車から降りると、電車に乗らなかった残りのゼミの友人が出迎えてくれ、電車に乗った感想を興味津々に尋ねてきた。彼らにも一度乗車してみることを勧めたが、同時に自分はやはりどこかこの電車はいつか必ず思いがけない事故を起こすという予感があったので、彼らに勧めることに若干の躊躇いがあった。フローニンゲン:2025/7/10(木)12:17


16939. 今朝方の夢の続きの振り返り

                  

今朝方の夢の続きが織り成す構図は、都市的理性と海洋的無意識、そして旧友という過去の自己と、AI運転の無人列車という未来の自己とを交差させながら、主体が「制御の手放し」と「責任の回収」という二重螺旋を上昇してゆく過程を描くものであるとChatGPTは指摘する。まず東京の大きな駅は情報と人流が絶えず往還する巨大なシナプスであり、そこでゼミ仲間――すなわち学問的ルーツ――と再会する出来事は、過去に植え付けられた知的興奮が再び活性化する瞬間である。そこから乗り込む特急列車は、海と街をシームレスに貫く移動体であって、意識が情動の大洋(海面)と社会的現実(街中)を同一軌道上でホバリングしながら縫合する働きを象徴する。船でも飛行機でもなく「列車」である点は、レールという軌道依存の論理的枠組みを保持しつつ、その軌道が水上にも空中にも延伸している点で、既存の学術的方法論を超論理的領域へ拡張しようとする自己の欲望を示す。乗客が自分たちのみである状況は、自己の内的探究がまだ大衆化していない孤高の探検であることを示唆し、無人運転と背後の高度AIは、思考や行為の舵を漠然とした外部アルゴリズムに委ねつつある現代的心性の投影である。ここで浮上する「事故が起きたら誰が責任を取るのか」という問いは、自由意志と決定論の境界領域に立つ倫理的アポリアを具体的感覚として突き付ける。ゆえに本夢は、純粋なテクノ歓喜と倫理的逡巡との振幅が、精神の加速度を増幅するトリガーとして機能している様を描出している。終盤、列車が高度を下げ地面から水柱が湧き上がる場面は、無意識の水が能動的に立ち上がり、現実の路面を一時的に「海化」して主体の着地を支援するイメージであり、感情のエネルギーが理性的行路を補完する瞬間である。到着時の爽快感は、リスクを孕む未知のプロセスを一挙に乗り切った快感であり、その直後に芽生える「いつかは事故が起こるかもしれない」という暗い予感は、深層が発するメメント・モリである。すなわち歓喜と死角を併せ呑むことで、自我は技術的未来への陶酔から覚醒へと揺り戻されるのである。本夢全体は、AI倫理研究や意識研究に携わる者が抱く希望と警戒を、体感速度の速いライド感覚として象徴的に再構成したものと解せる。学問的旧友との同行は過去の知見が現在のフロンティアへ橋渡しを行うことを示し、列車のホバリング走行は「理論と体験」「秩序と流動」を並存させる新たな方法論を示唆する。それゆえ自分がこの列車を友人に勧めつつ躊躇する姿は、最先端研究を社会へ解放する際のエヴァンジェリズムと慎重さの弁証法を映し出す。総じて本夢は、制御された漂流という逆説的パラダイムを生きる主体が、加速する技術文明と倫理的責任の二極を往還しながら、次なる創造的地平へ滑空する予兆であると言えるだろう。確かにそのように感じる。フローニンゲン:2025/7/10(木)13:03


16940. 相転移の瞬間 

           

時刻は午後4時半を迎えた。今、夕方の空に優しい夕陽が浮かんでいる。そして、爽やかな風が流れている。今日の最高気温は結局21度であったので、午後にジムに出かけた際にはとても涼しかった。すでに体感として理解しているのは、20度に達していれば半袖で出かけられるということであり、半袖半ズボンの状態でジョギングがてらジムに向かった。いつもこれが良いウォーミングアップになっていて、汗をかかない程度にジョギングしてジムでの筋力トレーニングを本格的に開始するのが習慣になっている。今日は本当はパーソナルトレーニングの日だったが、パーソナルトレーナーのエリーザが別の仕事が入ったという連絡を昨日してくれ、今日は自主トレーニングとなった。ジムの更衣室に到着すると、そこに70歳をゆうに越えながらも熱心に鍛錬しているキャロルの姿を見た。私たちはとても仲が良く、トレーニングの合間にも良く声を掛け合ったりする。今日はちょうど更衣室で出会ったので、少し話をしてからお互いトレーニングに向かった。「今週何回目のトレーニング?」と聞かれたので、2回目と答え、キャロルにも同じ問いを投げかけると、火曜日は疲労が溜まっていたのでジムには来なかったらしい。聞くところによると、月曜日はバレーボールをしていたらしく、おそらくそれで疲労が溜まったのだろうと述べた。自分もこの間の月曜日はどうも体調が100%ではなかったので、調整を兼ねたトレーニングとなった。7月に入って寒さが戻ってくるような日々が続いていたので、気温差に体も驚いてしまっていたのだろう。その調整にエネルギーを使っていた可能性はお互いに十分にある。今日は10時間半睡眠を取っていたこともあり、体は絶好調だった。ここから3日間の休息日を挟むので、今日は思いっきり全ての種目で限界まで追い込んでいった。1つ嬉しかったこととして、ラットプルダウンの重さを5kg上げることができたことである。何か今日は直感的に、これまでよりも5kg上げて限界を突破できるような気がしていて、本当にそれが実現された。2年前にトレーニングを始めてから、重さが増える瞬間が時折やって来て、それはある種の筋肉における相転移現象だと言えるだろう。2年前よりも今は25kgほど追加でトレーニングができている。5kgずつ増やすことを5回行ったがゆえに、今日は5回目の相転移の日だったのだろう。確かに毎回のトレーニングは地味なものかもしれないが、それがいつか必ず成果をもたらすことを今日改めて実感した。こうした成果を感じられることは喜びであり、学術研究においてもこうした日々の地道な積み重ねを大切にし、時折訪れる飛躍の瞬間を祝いたい。フローニンゲン:2025/7/10(木)16:39


Today’s Letter

Studying the fundamental nature of consciousness and reality is, for me, a path of the Bodhisattva. The more I devote myself to research on this theme, the more my mind and existence are purified by wisdom and compassion. All I want to do is continue studying and sharing the wisdom I acquire and the compassion I cultivate. Groningen, 07/10/2025

 
 
 

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