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【フローニンゲンからの便り】16870-16873:2025年6月26日(木)


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タイトル一覧

16870

千里の道も一歩から

16871

今朝方の夢

16872

今朝方の夢の振り返り

16873

爽快に汗をかいて/非二元の根源

16870. 千里の道も一歩から  

   

時刻は午前7時半を迎えた。今日は空が曇っていて、朝日を拝むことはできない。ここ最近はとても涼しい日が続いており、今日も日中の最高気温は22度までしか上がらないようだ。しかも、ここから夕方まで小雨が降る予報が出ているので、日光がない分より肌寒さを感じるのではないかと思う。室内の気温はすでにある程度の低さだが、換気のために2階の両側の窓を開けている。そこから吹き込んでくる微風はやはり冷たい。来週の月曜日と火曜日は30度ほどに達する夏日となるが、その翌日からまたしても最高気温が20度にしか到達しない日が続く。時折夏日がやって来て、その他は涼しい日が続く形の気候がここからしばらく続きそうである。


昨日の1人10冊100年プロジェクトのキックオフミーティングを終えて一夜が明け、このプロジェクトの意義について改めて考えていた。その詳細についてはここに書き留めることをしないが、このプロジェクトを通じて出会った人たちとのご縁を大切にし、その人たちからまた広がる人のご縁に感謝の念を常に持ちたいと思う。人と本は不一不異であるということ。そうした気づきも昨日得られていた。書物の存在がなければ、それこそ自分は今、800年前の鎌倉時代の良遍の思想に触れることはできなかった。良遍の漢文文献を読むことができ、鎌倉時代の様子が窺え、その時代を生きた良遍の思想を窺い知ることができるのも書物のおかげである。書物は記憶と想いの双方を記録し、伝達してくれる。今日もまた、自分の学術研究にとって書籍は不可欠な役割を果たし、自分の心を満たしてくれる。これからどれほどAIが進化し、AIから情報が得られるようになったとしても、自分は書籍に固有の価値をすでに見出しているがゆえに、書物とも継続して良き関係を続けていくだろう。あるいはこれまで以上に書物との関係性が深まるかも知れない。そうしたことを思わせてくれるキックオフミーティングだった。今日もまた『法相二巻鈔』の転写作業を見開き2ページほど行っていく。気がつけば『法相二巻鈔』の転写も明日で完了する様子を見ると、地道に継続することの大切さをひしひしと感じる。『法相二巻鈔』の転写が完了したら、せっかくなのでこの作品が収められている大日本仏教全書に掲載されている良遍の他の作品についても転写を完了させ、8月に『因明大疏私鈔』が収められた大日本仏教全書を知人の方に持ってきていただいてから、それを転写していきたいと思う。『因明大疏私鈔』は、博士論文の題材として取り上げたいものなので、今のうちからすでに転写作業だけ完了させてしまい、来たるべきタイミングで英語翻訳と註釈を開始したいと思う。千里の道も一歩から。今日もまた地道な探究活動を楽しみながら行っていく。フローニンゲン:2025/6/26(木)07:43


16871. 今朝方の夢 

                         

今朝方の夢で覚えているのは、地元の海が舞台となっている場面である。それは両親が住んでいるマンションの目の前の海ではなく、小中高時代を過ごしていた社宅のあった室積の海水浴場が舞台だった。大学時代のクラスメートと小中学校時代の友人たちがたくさんその場にいて、海に入る前に砂浜の随分と手前の場所で服を脱いで水着になることにした。まだ誰も海には入っておらず、自分は隣にいた友人と同じタイミングでいち早く着替えが終わり、海に飛び込んだ。海に潜ると、魚たちが優雅に泳いでいる姿が見えた。そこから私は、突然目の前に現れたバナナ型のバランスボードのようなものにしがみついて、その上でバランスを取りながら海面を縦横に自由自在に進んでいった。砂浜から自分の様子を見ている男女の友人たちは、自分が見事にバランスを取る姿を見て感嘆の声を上げていた。そこから私はバランスボードを使わず、ほぼ光速ぐらいの速さで、海面を跳ねていく形で、さらに縦横無尽に自由に海面を行き来していた。その遊びがひと段落すると、海辺に立つタワーの中にいた。そのタワーの各階層では課題が出され、それをクリアしていくことが求められていた。私はそのタワーの中で課題に挑戦する人たちを目撃する存在だった。最上階では、2人の若い男性が対決することになった。対決の内容は、各人がそれぞれ右と左に走り始め、相手にタッチした方が勝利というものだった。いざその勝負が始まってみると、お互いに譲らず、2時間半が経過してもまだ決着はついていなかった。その間に不思議なことに、そのフロアは色々と情景が変わった。ある時は高級デパートの食料品売り場となり、またある時は何もない空間となったりした。2時間半が経った頃、片方の人に疲れが見え始め、勝負はそろそろ決するかと思った。


この夢の場面以外に覚えているものは、睡眠をしっかり取って休息の大切さについて見知らぬ人が話し合っている様子を目撃している場面である。そこでも私は目撃者の意識だったが、同時に自分が深い睡眠を取っている自覚もあった。そのような状態で彼らの話に耳を傾けながら、良質かつ適度な長さを持つ睡眠の大切さを思った。そこから目覚めがやって来ると、まだ眠っていたいような気がしたので、再び目を閉じて半覚醒の状態でしばらく思い浮かぶ想念に対して考え事をしていた。昨夜から今朝にかけて10時間ほどの十分な睡眠を取り、昨夜の学習内容の中で必要な事柄は定着しているような感覚があった。フローニンゲン:2025/6/26(木)07:58


16872. 今朝方の夢の振り返り

                     

今朝方の夢がまず示しているのは、時間の層を横断しながら自己の深層へと潜る無意識の運動であるとChatGPTは指摘する。舞台が現在の両親宅前の海ではなく、小中高時代を過ごした室積の海水浴場であったという一点が、すでに記憶の原風景へ回帰するベクトルを指し示している。かつての友人たちと大学時代の仲間が同時にそこへ集う情景は、人生の異なる位相が一挙に混線し、現在の自我が抱える多層的アイデンティティを象徴する。衣服を早々に脱ぎ、水着一枚となって海へ飛び込む行為は、社会的仮面を外し、感情や本能を司る水の領域──無意識──へ身を投じる決意を物語る。潜水した眼前に現れた魚の群れは、抑圧されていた願望やインスピレーションの自由遊泳を示す。魚を驚かせず、ただ眺めるだけであった点は、その多様な可能性を急いで捕獲しようとはせず、あるがままに受容する態度を浮かび上がらせる。そして突如出現したバナナ型のバランスボードは、滑稽な形状ゆえに遊戯性と生命力(バナナは果実=滋養の象徴)を同時に帯びる装置であり、自己の創造的エネルギーを楽しみながら制御するメタファーである。友人たちの喝采は、内的成熟が周囲にも認識されたいという願い、あるいは実際に認められつつある現状を反映する。バランスボードを捨て、ほぼ光速で海面を跳躍し始める場面は、外的サポートを超えた自己統御の完成形である。あらゆる制限を突き抜けて縦横無尽に移動する姿は、最近の自分が知的・感情的領域で得た解放感、あるいは学習の加速的吸収を映す。速度の質感が「光速」であることは、思考や洞察の閃光性を示唆し、時間への支配感覚──学習内容の迅速な定着──とも共鳴する。その後に登場する海辺のタワーは、ユング心理学で言う「個性化」の垂直プロセスを彷彿とさせる。各階の課題は人生段階ごとの試練であり、自分は挑戦者ではなく「目撃者」として振る舞う。そこには、これまでの努力で得た内的距離感、すなわち俯瞰的視座が示される。最上階で対決する2人の若者は、右と左へ走るという設定から左右脳、理性と感情、あるいは競争心と協調心など、二元的な心理作用の拮抗を象徴する。2時間半という長さは、現実の時間軸ではなく「容易には統合されない対立」を示す象徴的指標である。勝負の最中にデパートの食品売り場や空虚な空間へ情景が変貌するのは、意識が見せる多重のスクリーンであり、現実感覚が可変であることを告げる。高級デパートは物質的充足や世俗的成功、空白の空間は精神的空虚や瞑想的静寂を暗示し、2つの相反する価値世界が自己の内側で交互に姿を現している。疲労の兆しを見せる片方の若者は、優勢になりつつある価値側面が可視化されたものであろう。夢の後段で、睡眠の重要性を語る未知の人々を「目撃」する自分は、眠りの中に眠りを観察する二重化した自己──メタ意識──を体験している。十分な睡眠時間を確保し、学習内容の定着を実感する自己認識は、深いレム睡眠が記憶統合を促進している事実を無意識が自ら演出しているとも解釈できる。再び目を閉じ半覚醒のまま思考を巡らす場面は、無意識から意識へ昇るイメージと概念を、まだ粗熱の残る夢の領域で吟味する「創造的余韻」の時間である。総じてこの夢は、過去と現在、内面と外面、遊戯と課題という対極を往還しつつ、自己が獲得しつつある統合的な自我像を映し出している。海での自由な飛躍は創造的流動性、タワーは階層的成長、若者の拮抗は未統合の二極性、そして睡眠談義は身体的基盤としての休息の不可欠さ──これらが一本の糸で貫かれている。今朝の目覚めに際し、なお眠っていたいという感覚が残ったのは、夢が語り終えていない「統合の物語」があることを示唆する。ゆえに、この日の学びや活動でも、無意識が提示した二元のバランスと質の高い休息を意識的に尊重するならば、海面光速の自由とタワーの頂上での課題突破は現実世界へと転写されていくだろう。フローニンゲン:2025/6/26(木)08:15


16873. 爽快に汗をかいて/非二元の根源 

           

時刻は午後4時半を迎えた。今の気温は20度だが、ジムは湿度が高く、今日のパーソナルトレーニングでは最初から随分と汗をかいた。天気予報よりも早めに雨が上がり、幸いにも行きも帰りも傘を差さずに済んだ。さて今日のパーソナルトレーニングであるが、今日は最初から随分とハードなメニューが続き、心拍数を高める形で全身の筋肉を満遍なく鍛えていった。普段の自主トレーニングではあまり心拍数を高めるようなトレーニングはしていない。もちろん2つの種目を組み合わせて行うときにはそれなりに心拍数が上がるが、エリーザが提供するメニューはそれを上回る刺激を心肺に入れてくれる。ジムにHYROXのトレーニング器具が揃ってからは、毎回のパーソナルトレーニングの最後の15分から20分はHYROXのメニューをこなしている。これはとてもハードだが、それを終えたときには爽快感がある。今日はとりわけ60分のトレーニングが終わる頃には汗だくだった。先ほどジムから帰ってきてシャワーを浴びてさっぱりしたところである。HYROXのトレーニングを好んで行っている人はジムではあまり見かけず、自分がそのトレーニングをしている際にはジムの中にいる人が自分を注目しているのがわかる。中には関心を持って声をかけてきてくれる人もいる。HYROXのメニューが思わぬ形で社交性を帯び、人を惹きつけていることが興味深い。

ジムに行く前に考えていたことを簡単にまとめておきたい。今日をもって無事に『法相二巻鈔』の転写が終わった。明日からは『奥理抄』の転写をしたいと思うが、それは3ページほどしかないので、明日と明後日で転写が終わる。そこからは再び良遍の長編作品の転写をしていき、来たる論文執筆に向けて地味に準備を進めたい。大日本仏教全書に掲載されている作品は全て註釈し、論文や書籍の形にしていきたい。そうした思いが強い動機となって、日々の地道な転写作業を前に進めている。


ひょっとしたらこのリアリティの根源は、物質でも意識でもないものが横たわり続けているのかも知れない。そんな直感があった。リアリティの根源は空だとした場合に、その空は物質にも意識にも還元できない存在なのではないかと考える。リアリティの根源は物質でも意識でもなく、非物質的かつ非意識的な何かという風に考えてここからの探究を進めていき、どのような気づきや発見が得られるかを楽しみにする。とりあえず、リアリティの根源を普遍意識として決めつけすぎないようにすることが肝要である。それも研究上の執着となって、より真理に近い真実を見落とすことにつながってしまいかねない。当面は、リアリティの根源は物質と意識の二元性を超えた非二元の空なる存在とみなして探究を進めたい。フローニンゲン:2025/6/26(木)16:46


Today’s Letter

All of us exist in a seemingly local world, but in fact, we live in a non-local one. The fundamental principle of consciousness is non-locality. The underlying nature of reality might be neither material nor conscious. Instead, it may be a non-duality that transcends both materiality and consciousness. In Buddhist terms, it could be understood as non-dual emptiness Groningen, 06/26/2025

 
 
 

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