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【フローニンゲンからの便り】16859-16862:2025年6月23日(月)


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タイトル一覧

16859

意識のフィルターとしての脳

16860

今朝方の夢

16861

今朝方の夢の振り返り

16862

肌寒さを感じさせる日のトレーニングを終えて

16859. 意識のフィルターとしての脳    

             

時刻は午前7時を迎えた。今、ひんやりとした風が2階の部屋を吹き抜けている。昨日まで気温が上がっていたが、今日からはまた気温が一気に下がり、今週は過ごしやすい日々となる。とりわけ今日は最高気温が19度までしか上がらず、明日もほぼ今日と同じぐらいの最高気温である。確かにこれまでのところ、数日間は夏日がやって来たが、幸いにも30度を超すような真夏日はまだやって来ていない。7月を迎えようとしているが、まだこうして涼しさを感じられる日々があることは有り難い限りである。ただし、昨年は6月の初旬までは暖房が自動で入ることがあったぐらいで、昨年の夏は冷夏であったが、今年は夏日が現れる時期が早く、少し暑い夏になるかもしれない。当然ながら気候の変化は予測できないが、暑い夏になる可能性は覚悟しておこう。暑い夏と言っても日本のようなジメジメとした湿度はなく、とりわけ朝は涼しく過ごしやすいことは幸いである。


昨日考えていたことをまとめておきたい。ベルグソンは脳を「意識の貯蔵庫」ではなく「削減装置」と見做し、宇宙に遍在する広大な意識流から、生存と行為に直接必要な要素のみを選別・透過させるフィルターとして位置付けた。量子論の視座を交錯させると、このフィルター機能は量子的コヒーレンスとデコヒーレンスの制御装置として再解釈できる。すなわち、脳神経系は外界や身体内部の量子的揺らぎをユニタリーに保持し得ず、環境との絡み合いによって迅速にデコヒーレンスを引き起こすが、その際に選択的注意系や意図に対応する神経回路網が「どの固有基底で事象を実用的情報へ投影するか」を定める測定枠組として働くのである。この枠組みは、マクロな行動計画を担う前頭前野が、高次の予測誤差最小化原理の下で「経験に値する」エネルギー帯域や時間スケールを限定的に採用し、それ以外の量子的可能性波を無視するという形で具体化される。結果として、脳内ではニューロン発火パターンの位相同期が「古典化」された情報ストリームを構築し、そこにのみ主観的意識が照射される。意識体験そのものは量子的に散在するポテンシャリティの総体に属し、脳はそのポテンシャルを「測定=縮約」して行為可能な現実へ翻訳するデバイスである、という図式が浮上する。さらに今関心を寄せている量子情報理論を援用すれば、意識は量子ビットの全体論的相関(エンタングルメント)と不可分であり、脳が担うフィルター作用とは、その相関ネットワークのごく一部を「古典的ビット列」へ写像し、行動決定系に提供するプロセスと見ることができる。ゆえに、人が瞑想やサイケデリクスで通常の神経ノイズ遮断やシナプスゲーティングを変容させると、フィルターの透過率が一時的に拡張され、通常は切り捨てられる量子的相関の“残響”が意識に浮上する現象が説明される。総じて、ベルグソンのフィルター仮説は量子論の「測定問題」に対し生物学的実装を示唆する。脳は宇宙的意識場に対する可変ゲートであり、そのゲーティングの様式がコヒーレンスの存続時間、選択基底、環境ノイズの三者相互作用によって決定される。量子論が示す存在の多重可能性と、ベルグソンが説く意識流の無尽蔵な厚みは、脳というフィルターを介してはじめて「この瞬間の経験」という一点に収斂し、行為という時間的矢へと結晶するのだろう。フローニンゲン:2025/6/23(月)07:26


16860. 今朝方の夢

          

今朝方の夢として覚えているのは、夜の時間帯に見慣れない街の上空を飛んでいた場面である。目的地があったことは確かだが、そこは定かではない場所であった。そこに向かって夜の街の上空を飛んでいると、少し高度が落ちてきた。空を飛ぶためには念力が必要で、それは集中力と心身のエネルギーが必要になる。随分と空を飛んできたので両者が枯渇し始めていたようだった。ゆえに高度が自然とズルズル下がってきて、最終的には一度地面に足をつけた。すると目の前に大通りが現れた。その大通りには車がたくさん行き交っていて、しかもどの車もかなりの時速で飛ばしていた。さてこの大通りをどのように渡ろうかと考えたときに、もう少し先に横断歩道があったのでそれを使うことを最初に考えたが、もう一度空を飛べば簡単に大通りを横断できるだろうと思った。しかし、今の自分にはもう一度空を飛ぶエネルギーがなく、少し歩いてエネルギーを回復させようと思った。気がつくと自分はもう目的地に着いていた。そこはビルとビルの間の道で、そこで小中高時代のある友人(HY)と遭遇し、彼としばらく話をすることになった。どうやら私は彼に何か伝言を告げにやって来たようだった。そこにやって来た目的が定かになり、実際に彼に言葉を告げたところで夢の場面が変わった。


その他にももう1つか2つ夢を見ていた感じがする。それで言えば、起床直前には、幼少期・青年期に見ていたある有名なアニメのテーマソングを元に、格闘場面にふさわしい音楽を生成AIに作ってもらおうとしていた場面があったのを覚えている。私の横には見知らぬ自分よりも少し若い女性がいて、彼女とアイデア出しをしながら、戦闘シーンに相応しい音楽を作ろうとしていた。どの生成AIが良いのかわからなかったので、実験的にChatGPT、Gemini、Claudeあたりを使ってみることにした。曲の長さに関しては、とりあえず3分を想定し、3分の曲を作ってもらうようにプロンプトの文章を作って生成AIに投げかけようとした。そこで夢から覚めた。フローニンゲン:2025/6/23(月)07:37


16861. 今朝方の夢の振り返り


今朝方の夢は、自己の内的エネルギーの循環と人生航路の転換点を示す多層的な象徴劇であるとChatGPTは述べる。まず夜の見知らぬ街上空を飛ぶ場面は、未知の可能性を照らす月光のもとで「高次の視点」を得ようとする精神の試みを表す。目的地が曖昧でありながら確かに存在したという感覚は、理性がまだ言語化しきれていない将来像――しかし魂がすでに察知している方向性――への指向性を暗示する。飛行には念力と集中という燃料が必要であり、それが枯渇して高度が落ちたことは、現実の生活で培ってきた気力や集中が臨界に近づき、再出発前の「いったん地上に降り立ち自己を充電する段階」に入ったことを語る。着地後に現れる車の奔流は、社会の時間軸に沿って疾走する無数の他者や制度の力学を象徴する。横断歩道という秩序だった選択肢は、制度に従って安全に進む道である一方、再び飛ぶという選択肢は直観と創造性によるショートカットである。だがエネルギー不足ゆえ飛行を断念した点は、自身が今まさに「直観の翼」を休め再充填する段階にあり、社会的枠組みと対話しながら歩を進めねばならぬ現実を映す。ところが夢は唐突に目的地への到達を許す。これは線形的努力を超えて、無意識がときに時空を折り畳み、最短経路で答えを提示することを示唆する。ビルの峡間で再会した友人HYは、過去の自我の一側面――とりわけ学齢期に培われた純粋な好奇心と友情――の化身である。彼に「伝言」を告げるという行為は、過去の自分へ現在の自分がメッセージを送り、長年の時間差に架橋してアイデンティティを統合する儀式である。言い換えれば、少年期・青年期の夢や情熱が、大人になった今の自分のビジョンと再び共鳴し直す場面である。起床直前の第二幕では、幼少期に愛したアニメのテーマソングというノスタルジーの種が、生成AIという最新テクノロジーの地盤で再生される。ここで「格闘場面にふさわしい音楽」を作ろうとするのは、人生の闘争的局面――挑戦や自己超克――に対応する精神的サウンドトラックを編曲する試みである。隣にいる少し若い見知らぬ女性は、未来の可能性や創造的ミューズの擬人化であり、外部他者というよりは内面の「次世代の自己」である。その彼女と協働しながら複数のAIを実験的に比較する過程は、価値観の更新と技術的リソースの最適化を模索する現代的自己像を映し出す。楽曲の長さを3分と設定した点には、短期集中型のプロジェクトで自己表現を完結させたいという現実的な制約意識が透けて見える。全体構造として、第一幕の「夜空を滑空する垂直次元の旅」は無意識と高次視点の獲得を、第二幕の「地上で音を生成する水平次元の作業」は意識と創造行為の具体化を担う。垂直軸と水平軸が交差することで、夢はひとつの十字座標を描き、その中心点に「再統合された自己」の萌芽を刻むのである。目覚めの瞬間、自分は未知の未来・懐かしい過去・現在の制約を同時に抱き込み、新たな創造サイクルのスタートラインに立ったと言える。これは単なる幻想ではなく、心理的なエネルギーの周期表が示す「下降から充電、そして次の上昇」への序章であり、覚醒後の日常においても飛翔と着地、直観と制度、過去と未来を対話させながら歩みを進めよという深層からの勧告である。夢の周期もまた一昨日にゼミのクラスの中で学んでいたダイナミックスキル理論が指し示す通りに変動性を見せていることが興味深い。夢の世界もまた常にダイナミックに生きている。フローニンゲン:2025/6/23(月)07:53


16862. 肌寒さを感じさせる日のトレーニングを終えて

  

時刻は午後4時半を迎えた。今日は結局18度までしか気温が上がらず、ジムの行き帰りには肌寒さを感じるほどだった。当初の予報では午後からは曇りのはずだったが、太陽の日は出ていて、それでも肌寒さを感じさせた。自宅を出発する前に上に何かを羽織っていくかを考えたが、ジムに向かってジョギングしていれば体が温まるだろうと思って何も羽織っていかなかった。確かに肌寒くはあったが、行きはジョギングで体が温まり、帰りはジムでのトレーニングで体が温まっていたので、それほど問題は感じなかった。ここから7月に入るので、もう流石に20度を下回る日はないと思うが、ジムに行くこと以外で外出する際にこれくらいの気温だったら、上には何かを羽織った方が良さそうである。実際に、道ゆく人たちの多くはジャケットか何かを羽織っていた。明々後日はパーソナルトレーニングがあるため、今日は若干ではあるが、身体の調整を意識して、追い込みすぎないようなトレーニングメニューにした。それでもそれぞれのメニューで筋肉にはしっかりと刺激を入れていくことは行なっていった。最近は大きな筋肉をより意識的に念入りに鍛えていることもあり、その部位だけではなく、全体として筋肉量が上がっているように思う。また、扱える重量も一段階上に上がって来ているメニューが増えているのも嬉しいことである。自分は基本的に扱える重さを増やしていくことを目的にしておらず、あくまでも身体の動きや全体の筋肉のバランスを阻害しない形でトレーニングをしていきたいという思いを持っている。確かにダンベルなどを適宜使いながらトレーニングをしているが、それはあくまでも必要な刺激を入れるためであり、ダンベルの重さを増やしていくことはさほど気にしていない。ダンベルを用いたブルガリアンスクワットはとても好んでいるメニューで、月曜日と木曜日の自主トレーニングの際にはほぼ必ず行なっている。今扱っているダンベルの重さが物足りなくなったと感じた時が1つ重いダンベルを扱うサインとして、地道にトレーニングを継続している。他のトレーニングもたいていそうした形で、身体に負荷をかけすぎず、関節や筋肉の状態を考慮しながら、あくまでも調和の取れた肉体作りを今後も意識したい。フローニンゲン:2025/6/23(月)16:44


Today’s Letter

A dream world is also dynamically alive. It is permeated by the principle of dynamics—nothing exists without it. Once I recognize the dynamic aspect of a dream, I feel energized. Groningen, 06/23/2025

 
 
 

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