【フローニンゲンからの便り】16851-16853:2025年6月21日(土)
- yoheikatowwp
- 6月23日
- 読了時間: 10分

⭐️心の成長について一緒に学び、心の成長の実現に向かって一緒に実践していくコミュニティ「オンライン加藤ゼミナール」も毎週土曜日に開講しております。
タイトル一覧
16851 | ライフワークとしての『唯識論同学鈔』の註釈プロジェクトに向けて |
16852 | 今朝方の夢 |
16853 | 今朝方の夢の振り返り |
16851. ライフワークとしての『唯識論同学鈔』の註釈プロジェクトに向けて
時刻は午前6時半を迎えた。この時間はもうすっかり明るく、優しい朝日が輝いている。種々の鳥たちも朝日を浴びて嬉しそうにしている。彼らの鳴き声からそれが伝わってくる。今の気温は14度と涼しいが、今日の日中の最高気温は29度まで上がるようだ。そして明日は30度に達するらしい。今日は雲ひとつない晴天に恵まれるゆえに気温の上昇は頷けるが、明日は曇りにもかかわらず30度に達するようだ。明後日からは打って変わって、最高気温は20度を下回り、19度までしか気温が上がらない。7月を目前に控えながら、まだ涼しさを感じられるフローニンゲンである。
今日は午後からゼミナールの第137回のクラスがある。クラスに向けて、午前中の段階で課題文献の予習をしておこうと思う。今週は数式が絡む箇所もあり、先週よりも少し細かな点に注目して論文を読み返しておきたい。予習以外にはいつものように良遍の『法相二巻鈔』の転写作業を進めていく。転写の過程においても漢文を音読していることもあり、内容理解も同時に実現されている。もちろん正確に意味を把握するのは英訳をする時になるが、それでも漢文を音読している段階からでも十分に意味が把握できるようになっていることは嬉しい限りである。中高時代に習った漢文の知識が活かされ、またこれまで唯識関係の文献を膨大に読んできたことと相まって理解が実現されているのだと思う。昨日ふと、良遍の著作に関して修士論文と博士論文を書き終えたら、『唯識論同学鈔』の註釈プロジェクトを開始し、それをライフワークとしたいと思った。これは貞慶の弟子の良算が編纂したもので、日本法相唯識における聖典である『成唯識論』に関する千数百を超える論議を集めたものだ。論議はまるで判例集や棋譜集のようなもので、当時の学問僧たちがどのような問題意識を持って『成唯識論』の内容を読み解いていたのかがわかる貴重な文献である。すでに第日本仏教全書から出版されている『唯識論同学鈔』の全10巻が収まった文献が手元にある。それは昨年の春に注文していたもので、昨日それを改めて開いた。およそ800年前の学問僧たちの声が聞こえてくるようで、彼らが喧喧諤諤に議論していた様子が想像され、知的エネルギーが詰まっていることを感じた。全10巻の『成唯識論』のそれぞれの項目に対して細かく問いと答えの問答が展開されているゆえに、分量としてかなりのものになる。1巻ずつ註釈をしていって、その都度世界のどこかの学術系出版社から出版できたらと思う。前述のように、これはライフワークとなるプロジェクトである。その開始に向けた大切な準備として、同様の手順で註釈していく良遍の作品を丁寧に紐解いていきたい。ここから執筆する修士論文と博士論文は、ライフワークに向けた最良の準備になるだろう。フローニンゲン:2025/6/21(土)06:48
16852. 今朝方の夢
今朝方は3つの夢を見ていた。まず覚えているのは、高校時代の数人の友人と見慣れない宿泊施設に宿泊していた場面である。大広間で全員一緒に寝ており、自分は昼になってもずっと眠っていた。それを心配してか、ある友人が自分を起こしに来ると、自分を起こそうとした彼の指を寝ぼけて噛んだ。半覚醒の意識の最中にあって、彼の指を噛んでいることがわかってはいたが、同時にそれが夢でもあるように思えて、彼の指を数秒ほど噛んでいた。噛むのをふっとやめた時に、自分が寝ぼけていたことを自覚したが、再び眠りの世界に入っていきたいと思った。気がつくと、もう自分はすっかり起床していて、宿泊施設にある体育館の中にいた。そこで反復横跳びを競っている2人の友人が目の前にいた。私は片方の友人と同じチームにいるらしく、彼がそれを終えたら、今度は自分はハイハイのポーズで反復横跳びの線を上下に行ったり来たりする種目に従事することになっていた。すると、私の目の前にいた友人が反復横跳びを手抜きし始め、次に控える私にハードルを課し始めた。相手よりも随分遅れたところからのスタートとなって巻き返しを測ろうとしたところ、彼が自分の背中の上に乗り、その重さがまたハンデとなったが、全力で動き始めた。勝敗がどうだったかは分からず、無事に競技が終わると、私の目の前にいた2人の友人が、私の精神的に未熟な点と自民党の党員についての知識のなさを指摘し、彼らが所属している秘密の組織に所属できない可能性があると述べた。私は別にその組織に所属したいと思っておらず、全く気にしていなかったが、彼らの自分に対する態度が少し気になり、何か対応をしなければならないかと思った。
次に覚えているのは、見慣れない街にいて、朝の時間に散歩していた場面である。街の中心から少し離れたところに隠れた名所があることをどこかで聞いており、そこに行ってみることにした。道から外れたところに、少し地下に下っていく道があり、その場所に到着した。そこには何か複数の存在が祀られていて、霊的な力を感じた。その名所を見た後に、近所の寺に向かい、寺に到着すると、寺は朝の7時から開いていたことに気づいた。時刻はすでに午前9時を回ろうとしていて、もっと早く寺に来ても良かったと思った。寺の住職から、これから雨が降ると思うかどうかを尋ねられた。空をふと見上げると、今この瞬間の空の様子は雨を予感させなかったが、直感的に今から3時間後に小雨が降るかもしれないことを伝えた。
最後に覚えている場面は、日本のあるプロサッカーチームにかつて所属していたレジェンド級の選手の引退セレモニーがスタジアムで行われていた場面である。その選手はとても気さくで常にユーモア溢れるムードメーカーのような存在だった。その選手の性格を反映してか、引退セレモニーもド派手に行われており、スタジアムにいる観客たちはとても盛り上がっていた。その選手が観客席からグラウンドに降り立ち、現役の選手たちに叱咤激励の言葉を投げかけた。その中に、昨年の成績に関するものがあった。どうやら36試合の中で、ルーズボールの競り合いの勝率に関して、5試合は相手に負けていたらしく、その選手はそれを指摘した。全試合で相手よりもルーズボールの競り合いに勝つことをその選手は促したところ、スタジアムは歓声と拍手に包まれた。その選手が述べていたことの中で他に印象的だったのは、昨年のJリーグは仏教とアルゼンチンのスタイルが流行っていたらしいとのことで、仏教をもとにした戦術とはどのようなものだったのだろうかと気になった。フローニンゲン:2025/6/21(土)07:08
16853. 今朝方の夢の振り返り
三幕から成る今朝方の夢は、自己の成長過程を時間軸と空間軸の両面で描き出す長編小説にも似た構造を備えている。それぞれの場面は独立しているようでいて、実際には「眠り──目覚め──覚醒」という三段階の意識変容を象徴しながら連鎖している。第一幕は青年期を引きずる半覚醒の領域、第二幕は霊的成熟へ踏み込む黎明の領域、第三幕は社会的役割と集合的無意識が交錯する真昼の領域である。見慣れぬ宿泊施設に高校時代の友人たちと雑魚寝している場面は、かつて共有した価値観や習慣に包まれて惰眠を貪る「延長された青春」を示唆している。昼になっても起きられない自分は、社会的責任を引き受ける準備がまだ整っていない潜在意識を体現している。友人の指を噛むという行為は、本来なら対話によって行われるはずの相互作用が、衝動的で未分化なエネルギーとして発露した様態であり、エディプス的な葛藤にも似た幼児的攻撃性を帯びている。噛まれた友人は無意識からの呼び鈴であり、自分はその痛覚を通じて覚醒へと促されるが、なお夢の世界へ戻ろうとする。この「戻りたい」という願望は、成熟のハードルを回避して母胎的保護へ逃避したい欲望に他ならないとChatGPTは述べる。体育館での競技は、個人的努力と社会的評価の狭間で揺れる自我の試練である。反復横跳びは左右のバランスを素早く調整し続ける運動であり、日常的判断の連続や価値観の二項対立を象徴している。友人が手抜きをしてハンデを課す場面は、外的条件や他者の期待が自己成就へわざと障害を置く構図を示す。背中に重石として乗られる展開は、家族観念・文化規範・政治的立場など、自分が背負う無形の荷物のメタファーである。競技結果が示されないまま、友人から「精神的未熟さ」と「自民党員についての無知」を指摘されるくだりは、自我形成の遅れと政治的世界観の曖昧さが露呈する内省的シーンである。自分がその組織に無関心でいながら態度を気にするのは、承認欲求と独立心との間で葛藤する青年期後期の心的相貌を示す。第二幕では舞台が「見慣れない街」と「隠れた名所」へ移り、地下道を下る演出によって、意識はより深層へ潜行する。複数の存在が祀られる空間は、まだ言語化されていない多元的自己──ペルソナ、アニマ、シャドウ──の合祀場であり、そこで感じた霊的力は多層的可能性の躍動である。その後に訪れる寺と住職は、未分化な霊的エネルギーを制度化された宗教的秩序へ翻訳しようとする媒介的役割を果たす。寺が7時に開くという情報は、早朝の「7」という聖数によって霊的啓示の時刻を象徴し、自分が9時近くに着く遅さは、内なる啓示をタイムリーに受け取れない自己の遅延を示す。住職から天候を問われ、3時間後の小雨を「直感」で言い当てる場面は、論理ではなく感覚を介した預言的知覚の目覚めを示している。ここに至り、自分は自らの奥底に眠る予知能力──すなわち未来を想像し行動を調整する力──を試運転し始める。第三幕では、舞台がスタジアムという巨大な共同幻想の空間へと拡大する。レジェンド選手の引退セレモニーは、自分の中にある「過去の栄光」と「役割モデル」の象徴的葬送である。派手な演出は、ユーモアやカリスマ性を武器に社会的場面を沸かせるペルソナの死と再誕を示し、観客の歓声は集合的無意識がその儀式を祝福していることを物語る。選手が現役組に向けて「36試合中5試合でルーズボール争いに敗北した」と叱咤するくだりは、自分の現実生活における「あと少しで取りこぼす」局面への厳しい自己批判を代弁する。また、仏教とアルゼンチン流が昨年の戦術トレンドだったという奇妙な言及は、禁欲的精神性(仏教)と情熱的攻撃性(アルゼンチン)という二極の統合を示唆する。戦術としての仏教とは「空」や「縁起」に基づく空間認識、無我のプレッシング、流動的ポジショニングなど、自己を溶解して全体と一体化するプレー哲学を暗示している。その対極にあるアルゼンチン流の闘争心が共存することで、主人公は「無私の献身」と「個の情熱」を併せ持つ新たな生き方を模索しているとChatGPTは述べる。3つの夢を貫く鍵語は「時間感覚」である。昼まで眠る遅延、9時に寺へ着く遅延、昨年の成績という過去の指摘。これらはすべて、「適切なタイミングを逃すことへの恐れ」と「未来を先取りする直感」を対比させながら、自己がリズムを取り戻す必要を訴えている。噛む・降りる・叱咤するといった能動的行為が、毎幕で主人公ないし象徴的人物によって実行される点も見逃せない。それは衝動的かつ愛着的な接触(噛む)、深層への潜行(地下へ降りる)、社会への影響力行使(叱咤)の順に、エネルギーが洗練されていく道程を示している。結語として、今朝方の夢は「未熟な衝動の自覚」「霊的直観の目覚め」「社会的使命の統合」という三部構成の通過儀礼を描くものである。内なる友人たちとの葛藤は自己の未分化側面を訓練するためのロードマップであり、霊的名所と寺はそのロードマップを照らす灯台であり、スタジアムの喝采は統合を成し遂げた後に得られる共同体的承認を示す祝砲である。自分が次に取るべきは、眠りを引き延ばす無意識的逃避をやめ、直感的予測を現実の行動計画へ落とし込み、情熱と空性を両立させた「自分流の戦術」を日常で実践することであるとChatGPTは述べる。そのとき初めて、夢のレジェンドが託した「すべての試合でルーズボールを勝ち取る」精神が、自己自身の人生において具現化されるであろう。フローニンゲン:2025/6/21(土)07:32
Today’s Letter
Everything remains in the condition of both being and non-being. Once consciousness engages with this condition, the state of existence is determined as one or the other. Groningen, 06/21/2025
Comments