【フローニンゲンからの便り】16827-16829:2025年6月15日(日)
- yoheikatowwp
- 3 日前
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タイトル一覧
16827 | 無自性空なる発達段階/仏教研究の方向性 |
16828 | 今朝方の夢 |
16829 | 今朝方の夢の振り返り |
16827. 無自性空なる発達段階/仏教研究の方向性
時刻は午前6時半を迎えた。昨日もまた気温が30度ほどに到達していたが、今日は打って変わって22度までしか気温が上がらない。しかもどうやら今日は1日を通して曇りのようだ。2階に籠った熱を逃すために、両側の窓を開けて涼しい風を取り入れている。もうしばらく窓を開けて換気がてら室温を下げたい。昨日のゼミナールのクラスはとても充実しており、幾つも洞察に溢れる議論がそこでなされたことが印象的である。クラスの内容を改めて振り返ってみると、発達段階というのは見方によっては存在するとも言えるし、存在しないとも言える。まさにそれは自性を持たず、縁起によって現れるゆえに空なのだ。発達段階を実体化することを避け、方便として発達段階を捉えることが自他の成長の実現の鍵を握る。「依言真如」と「離言真如」という考えが唯識にあるように、まずは言葉を活用しながら、成長の道を歩んでいき、言葉にならない真如に触れる体験を通じて、言葉を徐々に手放していく。言葉との付き合い方はそのような形がいんだろうか。そうしたことを考えながら、発達の道には唯一の正解はないということを考えていた。道は本来、道ならざることが真の道の意味である。ということを長尾雅人先生は述べていた。発達の道は、様々な因果のネットワークによって生まれてくる無自性空なるものである。1人1人の発達の道は固定されたものでも、唯一つあるものでもなく、また他と独立して存在しているものではない。他の全てと相互関係を持ちながら立ち現れてくるのが道である。そうした道を大切にしていこうという気持ちを昨日新たにした。
インド思想には六派哲学を含めて実に多種多様な思想があり、それらと混ぜこぜにならないようにまずは仏教の思想に精通していく。そこから他のインド思想を学んでいくことにする。これまではインド思想にまで手を広げて探究をしていたが、どれが自分の主たる研究対象である瑜伽行唯識学派の思想であるかわからなくなって来てしまっている。そうした混沌とした状態から脱却するために、まずは瑜伽行唯識学派の思想に焦点を当てる。その次に、瑜伽行唯識学派の思想と深い関係がある中観派の思想について探究していく。これで大乗仏教の2つの主要な思想の学派を押さえることになり、そうした2つの軸ができれば、あとは自由に他の学派の思想を探究してもいいかもしれない。昨日のゼミのクラスでも議論があったように、まずは1つの点、ないしは軸を作っていくこと。そしてその次に、新たな点ないしは軸を作って、2つ点あるいは軸を結びつけていくようにすること。そうしたことを仏教研究においても意識したい。フローニンゲン:2025/6/15(日)06:49
16828. 今朝方の夢
今朝方の夢を振り返ってみると、まず覚えているのはかつて勤めていた進学塾が舞台となっていた。そこはカリフォルニアのアーバインという町で、そこの校舎は爽やかな感じがあった。ちょうど時期は夏期講習と重なっており、忙しくなり始める頃だった。私はすでにこの塾を辞める決断をしており、その日か遅くとも今週中には塾を辞める予定だった。できれば早い方がいいと思っていて、その日に辞めることができたらと考えていた。そんな自分が担当していたのは小学校3年生の算数と国語だけだった。他の講師はもっと多くの講座を担当していたが、おそらく自分がもう退社するということを知ってか、私に割り振られたのは小学校3年生の算数と国語だけだった。生徒たちがやってくる前に、2人の講師と話をした。1人はもと音楽大学に通っていて、その女性の講師がもう片方の男性の講師にピアノを教えることになった。ちょうど塾にはピアノがあったので、早速練習を始めてみると、これまでピアノの演奏などしたことのなかったその男性講師はすぐに両手でピアノが弾けるようになったので驚いた。ピアノが両手で弾けるようになった本人も驚いていたが、教え方が上手い人のもとで練習すると、こうも早く上達するものなのかと考えさせられた次第である。特に伴奏パートとメロディラインがとても綺麗にマッチしており、演奏を聞いているこちらも気分が良くなってきて、自分もピアノを弾いてみたいと思った。自分も両手で弾く方法を教えてもらったところ、すぐに弾けるようになり、自分は少しユーモアを発揮して、滑稽な音を曲の終わりに出し、その場にいた2人から笑いを誘った。ピアノの演奏を終えてふと、今日はまだ昼食を食べていなかったと思い、生徒たちがやって来る前に昼食を食べておこうと思ったところで夢の場面が変わった。
次に覚えているのは、イギリスの元プロサッカー選手のスターの自宅に招かれた場面である。その方は大豪邸をアメリカに構えていることは知っていたが、アメリカのある町に別の小さな家も所有していて、そちらの家にお邪魔させてもらうことになった。その家は本当に普通の家で、どういうわけか家のドアには、“Don’t post coins!”という文言が書かれていた。ドアをよくよく見ると、一見すると自販機に見えるような作りになっていて、実際にコインの投入口のようなものがあり、そこに通行人が間違ってお金を入れてしまうことがあるようだった。またホームレスの人がそのお金を拾いにやって来ることも迷惑なようだったので、そのような文言がドアに書かれているのだろうと思った。その方の家の中に入り、そこからは他のゲストたちと一緒に楽しい会話を楽しんだ。時が経つのを忘れて飲み食いをしながら会話をしていると、帰宅の時間になっていることに気づいた。その場で知り合った男性が帰る方向が同じだったので、一緒に駅に向かうことにした。駅に到着する間際に、乗車するべき列車が間も無くやって来る予感があったので、階段を駆け降りてチケット売り場に向かった。チケットの販売機がいくつかある中、誰も使っていない販売機に駆け寄り、クレジットカードを出してチケットを購入しようとすると、見知らぬ男性に声をかけられ、チケットの買い方について教えてあげようかと言われた。しかし、自分は買い方はすでに知っていたので断ると、その瞬間に強引に自分の財布を持って行こうとした。私は抵抗し、彼の腹部にサイドキックを喰らわせ、その男性を撃退した。どうやらこの駅のチケット売り場にはスリの集団がいるようで、気をつけなければいけないと思った。なんとか無事にチケットを購入し、無事に列車に乗り込んだところで夢が終わりに向かっていった。フローニンゲン:2025/6/15(日)07:10
16829. 今朝方の夢の振り返り
今朝方の夢は、第一幕と第二幕に分かれながらも、通奏低音として「境界を定め直し、次なる段階へ向けて自己資源を再配分する過程」を物語っていると解釈できるとChatGPTは述べる。進学塾の場面では、自らが辞職を決めている点が重要である。夏期講習の開始という「繁忙の入口」と、退職という「退出の出口」が同じ時間軸上に重なり合うことで、夢はそもそも「入口と出口の同時体験」を象徴化している。担当が小三の算数·国語に絞られているのは、自身の仕事が“基礎”に還元された状態を示す。周囲の講師が多くの授業を抱えるのに対し、語り手は最小限の単元のみを担う──そこに、これまで外へ向けていたエネルギーを自らの内部へ呼び戻し、次の局面に備える意図が映し出されている。ピアノのエピソードは、左手=伴奏(無意識·土台)、右手=メロディ(意識·顕在)の統合過程を示す。未経験の男性講師が瞬時に両手奏を習得する奇跡は、優れた指導者(女性講師)=アニマ的存在の介入によって、語り手の内部で分離していた機能が急速に協調し得ることを示唆する。自分も続いて両手奏を得る場面は、「他者の学習=鏡」として自己の潜在能力が活性化されるプロセスである。曲の終端に滑稽な音を加え周囲を笑わせる行為は、創造力が単なる技術習得にとどまらず、遊戯性を帯びて自己表現へ転化する兆しを告げる。演奏後に浮かんだ「昼食を取らねば」という想念は、精神的エネルギーの急速な消費と同時に、身体的栄養の必要性を告げる警鐘であり、自己メンテナンスの課題を提示しているとChatGPTは述べる。場面転換後、イギリスの元サッカー選手が所有する〈豪邸ではない小さな家〉へ招かれる設定は、「名声と質素」「公的人格と私的人格」という二重性を表す。ドアに掲げられた “Don’t post coins!” の注意書きは、他者からの無自覚な投げ銭的評価·期待を拒み、「ここでは等価交換を前提としない純粋な交歓を望む」という居住者の境界線である。ドアが自販機のように見える構造は、周囲の人々が〈家=人格〉をも消費装置と誤認し得る社会的現実を示す。ホームレスが硬貨を拾いに来るという逸話は、無秩序に開かれ過ぎた境界が、逆に脆弱層を呼び寄せてしまうパラドックスを映し出す。ここでの歓談は、名声を纏った存在とも対等に語り合える自己の成熟を象徴するが、帰路に際して“時間を忘れた”ことに気付くのは、享楽に浸るあまり現実的リズムを逸する危険を示すシグナルでもある。駅でのスリ集団との遭遇は、〈移動=変化〉の最中にこそ資源を狙う存在が現れるという警句である。チケット販売機という、硬貨ではなくクレジットカード(信用)を通す装置が舞台となる点で、ここでは「信用をどう扱うか」が問われる。男が親切を装いながら財布を奪おうとするのは、助言や援助の仮面をかぶった搾取の寓意である。自分が腹部へのサイドキックでその男性を撃退する場面は、第三チャクラ=個人の意志力·境界設定の中心を守り切る象徴的行動であり、前半のピアノ演奏で得た左右協調の内的統合が、外的危機に対して実践的な護身として発動した形である。無事に列車へ乗り込む結末は、危機をくぐり抜けてなお「次なる旅程」に自力で乗車できる準備が整ったことを物語る。総じて、本夢は〈離職→再学習→遊戯的創造→社交→警戒→自己防衛→移行〉という多段階プロセスを連鎖的に示す。語り手は旧来の職務から離れ、自身の基礎的能力を点検しつつ、無意識下で休眠していた技能(両手奏)を解き放つ。そして他者との交歓を通じて「与える/受け取る」のバランスを探る一方、境界が曖昧になれば搾取が入り込むことも学ぶ。最終的には意志力をもって境界を張り直し、列車という象徴的な「時系列のレール」に自らの足で乗り込む。夢全体が示唆するのは、外発的な期待や評価を脱ぎ捨てて、本来の創造性と主体性を携えながら次のフェーズへ踏み出す準備が整いつつある、という深層心理の宣言である。今日の夢もまた実に示唆深く、ChatGPTの説明を読みながら色々と納得することがあった。こうした納得感が心の治癒と変容に着実につながっていく。フローニンゲン:2025/6/15(日)07:36
Today’s Letter
A serene wind blows through the afternoon world. It comes and goes, appears and disappears. It embodies the principle of emptiness—an expression of quantum potentiality. Groningen, 06/15/2025
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