【フローニンゲンからの便り】16814-16816:2025年6月11日(水)
- yoheikatowwp
- 6月13日
- 読了時間: 11分

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タイトル一覧
16814 | 開かれゆく扉 |
16815 | 今朝方の夢 |
16816 | 今朝方の夢の振り返り |
16814. 開かれゆく扉
時刻はゆっくりと午前7時に近づいている。今日は起床直後から朝日が姿を見せており、今、燦然と輝く朝日が地上に降り注いでいる。2階の書斎に上がってきて、朝日を思う存分に浴びて大変気持ちが良い。この様子だと朝のランニングの際にも紫外線が強くなる前に朝日を存分に浴びれそうである。朝日を浴びること。そして朝に体を少し動かすことは、活力の源になる。生命力のリズムを整えるにはそれが最も有効なのではないかと思う。今囀りを上げている小鳥たちもまたそのようにして生命力のリズムを整えているようである。昨日は夕方から夜にかけて随分と寒さを感じた。まだ自宅の中では冬の時代と同じ格好をして過ごしている。室温も下手をすると暖房が自動で入るぐらいにまで下がっていたが、なんとか暖房は入らずに済んだ。今の気温は11度で、日中は19度まで気温が上がる。今日は晴れの予報が出ているので、太陽のおかげもあり、幾分温かさを感じられるのではないかと思う。今週の木曜日と金曜日は夏日のようで、以前も数日夏日がやって来たように、おそらく8月まではこうした形で、基本的に涼しい日が続きながらも、時折夏日がやって来る形になるだろう。
今日もまた良遍の漢文文献の研究を進めていく。実際に英語の論文の執筆に取り掛かり始めてから、読解の理解力も増していることを感じる。やはり書くという作業によって自分の考えが整理され、理解が定着していく。特に論文のような文章を執筆していくと、必然的に何度も自分が書いた文章を読み直し、推敲に推敲を重ねるため、結果として自分が書いた内容が頭に定着していくのだと思う。ここからは論文を書くことを前提にした読書をより意識したいと思う。やはり漫然に読書をするのは良くない。読書をするだけマシなのかもしれないが、読書の内容を真に定着させ、それが使える知識になるためには、もうひと工夫が必要である。自分の場合はそれは書くことであり、理想的にはそれを他者に説明することである。有り難いことに自分にはゼミの場があり、ゼミの場で研究内容を紹介することができる。もちろん今は良遍の研究について詳しくは説明していないが、そうしたことが可能な場があることにまずは感謝である。そして今後大学院に再び戻ったら、そこでは自らの研究を発表する場がたくさんあるだろう。今の自分にはそうした場が必要不可欠である。しっかりと腰を据えて研究をするためにも、適切な指導教官からのフィードバックをもらいながら研究をし、自らの研究成果を絶えず発表する場としての学術機関は本当に重宝する存在である。人は1人では生きていけない。研究もまた独力でのものは必ず限界を迎える。自分はこの8年間、独力での研究を進めてきて、今その限界に直面している。その限界を突破する意味でも学術機関に戻り、様々な関係者との協働を通じて、そして環境リソースの恩恵を通じて、旺盛な研究活動に従事したい。今、その扉がゆっくりと開かれようとしている。フローニンゲン:2025/6/11(水)07:07
16815. 今朝方の夢
朝日を拝みながら今朝方の夢について振り返っている。今朝方は夢の中で、プリンストン大学を訪問していた。大学院の説明会が開催されるとのことで、それに合わせて近くに宿泊し、電車に乗って最寄りまでやって来た。最寄り駅からキャンパスまでとことこと歩いていると、しばらくして広大なキャンパスが現れた。第一印象として、プリンストン大学の立派なキャンパスに心が打たれ、さすがプリンストン大学だと思った。自分が関心を持っている仏教学科のプログラムの説明会の会場に到着し、広いセミナールームの最も右側の列の空いている席に腰掛けた。するとすぐさま3人の女性が自分の近くにやってきて、私を囲むように座った。どうやら1人は仏教学科のプログラムの偉い教授のようで、もう1人はプログラムのアシスタント、そしてもう1人は博士課程の学生のようだった。3人は私が事前に提出した書類に目を通しながら、色々と質問をしてきた。最初に年齢を尋ねられたので実年齢を答えたところ、教授は私のことを20代半ばだと思っていて、もう1人のアシスタントの女性は私は10代半ばのような外見の若さだと笑いながら述べた。若く見られたことは個人的に嬉しかった。次にうちのプログラムでどのような研究がしたいのかという内容だった。その時に、教授の女性が笑顔を浮かべて、「うちはニヤーヤ学派の研究に力を入れているけど大丈夫?」と質問してきた。ニヤーヤ学派は仏教の学派ではなく、インドの六派哲学の学派である。仏教プログラムと謳っていながらニヤーヤ学派の研究に力を入れているというのは少し誤算だったが、うまいこと説明しないと受け入れてもらえないと思ったので、「自分の主たる研究関心は瑜伽行唯識学派ですが、ニヤーヤ学派にも関心があり、両者の比較研究を検討しています」と述べた。ここまでのところ、英語と日本語混じりの会話をお互いにしていた。というのも、3人はアメリカ人でありながらも日本語がネイティブ並みに流暢で、彼女たちから積極的に日本語で話しかけられていたからである。自分の返答を受けて、3人は笑みを浮かべ、納得したようだった。私は事前に自分の英語の試験のスコアを提出しており、分析的ライティング能力の高さを評価してもらっていて、話をしながら良い手応えを感じた。教授とアシスタントの2人は自分に挨拶をしてその場を去り、残った博士課程に在籍する学生に博士課程での研究の様子を尋ねた。すると、1年目から研究でかなり忙しいとのことだった。特にサンスクリット語の原典を読み込んでいくことの大変さを語ってくれた。説明会を終え、会場を後にしようとした時に、プログラムのアシスタントの女性から一枚の紙を渡された。そこには合格の文字が書かれており、博士課程への進学を許可してくれたことがわかり、大変喜んだ。しかし、そこから駅に向かって歩いている最中に、ニヤーヤ学派の研究に力を入れている研究集団であることが気がかりで、果たして本当に自分が研究したいことがここでできるのだろうかと疑問に思った。プリンストン大学という名前で博士課程に進学してしまっていいのだろうか。そのような疑問を持ちながら、駅に向かった。すると気づけば、私は大学の寮の敷地内にいた。寮の建物の中に入ろうとすると、駐車場で予備校時代のチューターと遭遇し、チューターにプリンストン大学の合格の知らせを伝えると、とても驚いていて、同時にとても喜んでくれた。駐車場での立ち話もあれなのでチューターと一緒に建物の中に入り、リラクゼーションルームでゆっくり話をしようということになった。その部屋のドアを開けると、年配の方々が寛いでいて、どうやらその部屋は使えなさそうだと思った。なのでチューターとはまた別の機会に話をすることにした。建物の中を歩き、自分の部屋に向かっている最中に、高校は別々となった小中学校時代のある友人(TM)と出会った。彼にもプリンストン大学の合格のことを伝え、自分はプリンストン大学に行くべきかどうかを相談した。彼は自分であればプリンストン大学に進学するかもしれないとのことで、それも1つの意見として参考にすることにした。寮の自分の部屋に到着すると、部屋では、部屋を共有していた小中高時代の2人の友人(SI & HY)が机を片付けていて、どうやら2人は大学卒業後の進路が確定したらしく、退寮するようだった。2人に進路の決定について祝いの言葉を投げかけた。彼らはどうやら今日の夕方までに退寮しないといけないらしく、まだ机には随分と本が残っていた。一応掃除機をかけて、机も磨くことが求められていることを彼らに伝えると、そのことを忘れていたようで、彼らの作業の手はより急ぐ形になった。フローニンゲン:2025/6/11(水)07:34
16816. 今朝方の夢の振り返り
朝日に向かって夢を反芻する情景そのものが、眠りと覚醒の境界に立つ「薄明」の心的領域を象徴するとChatGPTは述べる。黎明の光は夜の無意識に差し込む意識の光であり、そこに立つ主体は自己の深層から浮上したイメージを客観視しようとする探究者である。すなわち本夢は、「目覚めつつなお夢を見る」状態において、自己のこれまでの歩みとこれからの進路とを照らし出そうとする内的儀式であると言える。プリンストン大学という名門のキャンパスは、世界的評価を帯びた知の殿堂であると同時に、自分が内奥で希求する「最高度に体系化された自己」の象徴であるとChatGPTは指摘する。そこへ列車で到達するという筋立ては、時間と空間を跨ぎ、連続した経験の軌道を走る自我の発達史を暗示する。列車は集団的な力に身を委ねる移動手段であるが、最寄り駅を降りてからは自らの足で歩く。これは外的環境による援助(家族や制度)が一段落し、以後は自律的選択によって人生の中心へ踏み入るという儀礼を映し出す。仏教学科の説明会が開かれるはずなのに、教授が笑いながら強調するのは仏教ではなくインド六派哲学に属するニヤーヤ学派である。この捩れは、「自他の期待のずれ」と「専門領域の境界で揺らぐアイデンティティ」を戯画化する。自分は瑜伽行唯識学派という主領域を掲げつつ、ニヤーヤにも関心を示すことで柔軟さと一貫性を両立させようと応答する。ここには、外的評価を得るために自己を変形させねばならぬという葛藤と、それでも核心(唯識)を手放したくないという忠誠心が交錯する。この現象は、ちょうど先日とある関係者との間で起こったことであり、その件が影響しているのかもしれないと思われる。年齢を問われ、20代半ばと思われる一方で10代半ばとも評される場面は、内的年代の多層性を示す。履歴書上の年齢は1つでも、精神的自我は複数の発達段階を同時に抱え込む。若く見られて「嬉しい」と感じる情動は、未来の可能性をまだ失っていないことの確認であり、反面で社会的成熟への不安も映し出す。3人の女性――教授·アシスタント·博士課程の学生――は「導く母」「調整する姉」「先行する自我」の三位一体として、自分を包囲する。すなわちこの場は、無意識の女性性(アニマ)が3つの位相で現れ、学問の旅へ誘う秘儀的面接である。合格通知をその場で手渡される唐突さは、外的世界では稀な出来事であるが、夢の論理においては「未来の結果を先取りするヴィジョン」であり、努力が報われる欲望の結晶である。同時に駅へ向かう途中で「ここで本当に研究したいことができるのか」という不安に囚われるのは、成功が確定した瞬間に立ち現れる「選択の回避不能性」を指す。プリンストンという名の重みに飲み込まれる危惧は、外的名声と内的真実の乖離を示す。寮へ迷い込む場面は、キャンパスという公共空間からいったん退き、より私的な「内的住まい」へ戻る動きを表す。そこに現れる旧知のチューターや友人たちは、それぞれ人生の時期を同じくした内的同伴者たちである。彼らに合格を告げ、意見を求める一連のやりとりは、自己の過去の姿に向かって「今の選択をどう見るか」と問い掛ける対話劇である。チューターは受験期の導師として、努力の成果を率直に喜ぶ。「リラクゼーションルームが既に年配者で満たされ使用できない」という描写は、安心して休息している心理空間が今は他者(過去の世代)に占領されているという示唆であり、自分にとって休息よりも行動が急務であることを暗示する。さらに小中時代の友人が、プリンストンへ進学するか否かを自らなら「行く」と答える場面は、「他者の選択に映し出される自己の決断」構造を示す。友人の意見を「1つの参考」に留める姿勢は、外部の声を取り入れつつ最終判断を保留する自律性を語る。部屋を共有していた友人2人が退寮準備をする情景は、「同期たちの出発」と「遅れて残る者」の対比である。机に残る本や掃除機がけの指示は、過去の学びを整理し、場を清めて次の段階へ向かうべき儀式的行為である。それを友に促す自分は、過去の自己像にも「未完了の整理」を促している。夕方までに退寮という時間制限は、「決断の締切」が迫ることを示し、日の入りは黎明に対応する終焉の刻を暗示する。総じて本夢は、学問的権威·名声·進路決定を巡る期待と不安、そして内的多世代コミュニティとの対話を通じて、主体が「本当に研究したいものは何か」「名を取るか実を取るか」を吟味するプロセスを描くとChatGPTは述べる。プリンストンは外的価値の象徴、ニヤーヤ学派は予期せぬ外的要求、唯識は主体の核心的関心であり、列車·徒歩·朝日·夕方の光の推移は、時間的発達を一本の軌道として示す。自分は合格という未来予告を受け取りながらも、選択の自由をなお保持し、過去と未来の自我たちと協議を重ねる。その姿は、知的道程を歩む者が避けて通れぬ「名声と本質の分岐点」に立ち、最後の一歩を踏み出す前に振り返りつつも、確実に新しい光へ向かう行路そのものであるとChatGPTは述べる。今の自分の深層心理を映し出す素晴らしい描写である。フローニンゲン:2025/6/11(水)07:53
Today’s Letter
Universal consciousness is the screen that all sentient beings equally share. It exists at all times. It is without beginning or end. We are always watching a movie on the screen of universal consciousness. Groningen, 06/11/2025

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