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【フローニンゲンからの便り】16811-16813:2025年6月10日(火)



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タイトル一覧

16811

『観心覚夢鈔』の註釈に向けて

16812

今朝方の夢

16813

今朝方の夢の振り返り

16811. 『観心覚夢鈔』の註釈に向けて 

                       

時刻は間もなく午前7時を迎える。今朝方はうっすらとした雲が空を覆っていて、朝日の姿を拝むことはできない。今の気温は13度で、日中の最高気温は17度とのことである。昨日よりも1度ほど気温が低い。今週末には今の所29度に達する日が出てくるようで、それはもう完全なる夏日であり、今日と比較して12度も気温が違うことになる。気温差には十分気をつけたいと思う。


ここ最近は毎日良遍が残した漢文作品を英語に翻訳し、註釈を加えていく形で実際に学術論文を執筆している。良遍は偉大なる学僧であったにもかかわず、日本語でもほとんど研究がなされていない。先日調査をしたところ、良遍の名前がタイトルに含まれる日本語の論文は数えるほどであった。入手できたのは11本の論文で、入手できなかったものも数本ほどあるが、それでも合計で20本の査読付き論文があるかないかぐらいの量である。これはお世辞にも十分に研究されているとは言えない状況で、英語の論文に関してはほぼ0だと言える。そうした状況を眺めると、やはり良遍研究に自分の貢献の可能性を見出す。欧米の仏教研究はまだまだサンスクリット語やチベット語での研究が主流で、中国語や日本語による研究は盛んではない。逆にこの状況は自分にとって有り難く、自らが日本語を母国語に持つことの意義を実感している。今日もまた『観心覚夢鈔』の註釈に向けて、まずはその準備として、漢文文献の原文を1字1字正確にワードファイルに落とし込んでいく作業をしていく。1日に少なくとも2ページその作業に従事する予定で、ジムに行く日には最低1ページほど作業を進めていく。『観心覚夢鈔』は漢文文献において55ページほどの分量だが、先日他の見開き2ページほどの文献に対して翻訳と註釈を加えたところ、英語の字数で5千字を超え、それだけで査読付き論文1本分の分量となった。それと同じぐらいの翻訳量·註釈量になると仮定すると、『観心覚夢鈔』は、査読付き論文で20本を超えるほどの分量になる計算だ。今の所は『観心覚夢鈔』の註釈を4本目の修士論文にしようとしているが、査読付き論文20本分は多すぎる分量かもしれず、それであれば『観心覚夢鈔』の上中下の3巻のうち、最初の1巻に留める形の註釈を行っていきたいと思う。まずは地道な下準備を着実に進めていき、それに並行して仏教思想の英文書籍と量子仏教に関する英文書籍の音読読解も行っていく楽しみがある。フローニンゲン:2025/6/10(火)07:05


16812. 今朝方の夢 

                   

今日はほぼ無風である。世界がピタリと静止したかのようである。しかしよくよく辺りの世界を見渡してみると、そこには微細な動きがある。世界は本当に絶えず動的な運動を続けているようだ。この世界は運動体である。そして私たち自身もまたそうなのだ。絶えず揺らぎを経験する世界と自己を観察しながら、今朝方の夢について振り返っている。夢の中で私は、見慣れない部屋の中にいた。そこはどうやらセミナールームのようで、照明は随分と薄暗かった。そこで私はセミナー登壇者の1人として待機していた。すでに何人かの方が講演を終え、今度は自分の番がやって来た。そして気づくともう自分の講演は終わっていた。セミナーが無事に終わると、そこで振り返りの時間となった。数人の講師たちが集まって、そこでお互いの講演についてフィードバックし合うということを始めた。その場にふと、今自分が毎週末に開催しているゼミのある受講生の方がいて、その方が連れてきた2人の大学生の男の子を紹介してくれた。2人の学生のうち、1人は日本史の現代史を専門に研究しており、先ほどの自分の講演に対して補足の解説をしてくれるそうだった。実際に話を聞いてみると、大学生とは思えないほどの博識で驚いた。彼は丸坊主、いやほとんどスキンヘッドで小柄な体型であり、外見はちょっと異様に思えたが、話を聞いてみると、その専門性には感銘を受けた。そしてもう1人の学生は、人間の表情から感情を分析する研究をしているとのことで、実際にセミナー最中には、セミナールームの後ろでモニター越しに登壇者だけではなく、参加者の表情を分析していた。彼に話を聞くと、自分が講演している時の参加者の表情は明るく、感情的にもとてもポジティブなものが多く検出されたとのことだった。2人から話を聞き終えたタイミングで、突然私たちは見慣れない立派な神社にいた。そこでも先ほどの歴史に詳しい学生の彼がこの神社の歴史について解説してくれた。そして特に興味深かったのは、この神社の神事に関して7つの名門家がこの70年ほど対立を続けている歴史だった。その7つの家系は合併と分裂を繰り返しながら、常に7つの数を保っているようだった。そもそもなぜ彼らが対立しているのかについて尋ねると、単に年に数回の神事で集まるのではなく、常日頃から顔を合わせることが多いらしく、頻繁なコミュニケーションが裏目に出て、人間関係のしがらみが存在するとのことだった。自分としては、頻繁な日頃のコミュニケーションの質を変えれば、きっと各家系の関係性は向上するだろうにと思った。それにしても立派な神社だなと思って神社を見上げたところで夢から覚めた。フローニンゲン:2025/6/10(火)07:18


16813. 今朝方の夢の振り返り

             

今朝方の夢の振り返りの際に、風が止んだかに見える世界を凝視しながら、かすかな動きを感知するという場面を描写していた。静止と運動の二項は、一見相反しながらも同時に現れる。意識は「無風」を知覚した瞬間に静を宣言するものの、すぐさま微細な振動を捕え、世界が絶えざる運動体であることを再確認する。ここには“世界=自己”という同型対応が示唆されているとChatGPTは述べる。外界の揺らぎを観測する主体自身も、同じ揺らぎの内部にある――この気づきが、後続する夢の場を通じて深化してゆく。セミナールームという舞台は、知の交換と発露の象徴である。薄暗い照明は、未だ意識化されていない潜在的内容を暗示する。講演が「気づくと終わっていた」という時間の飛躍は、自我が自身の表現行為を完了させる過程を、意識が直視しきれなかったことを示す。言い換えれば、自分の中で成熟しつつある知識や洞察が、意識的な努力を超えて自立的に語られたのであるとChatGPTは述べる。講演後のフィードバックは、自己省察のメタ層――すなわち「自分の語りを語る」場面である。この二重化は、夢全体の構造が入れ子状の自己観察で成り立っていることを端的に示す。ここで登場する2人の大学生は、対照的な才能を帯びた補助人格のように映る。歴史研究の学生は、過去を縦軸に世界の文脈を読み解く能力を体現する。丸坊主という外見上の異形性は、俗世の装飾を削ぎ落とした「核の知」を示唆し、小柄な身体は凝縮されたエッセンスとしての知性を表象する。彼は自分の内部に潜む「歴史的視座」を具現化しており、個人的体験を超えて長期スパンで事象を位置づける働きを担うとChatGPTは指摘する。もう1人の学生は、表情解析という極めて微視的·情動的な研究に従事している。モニター越しに人々の感情を観測する姿は、自身が他者の情緒を繊細に読み取る能力、さらには自己の情動を客観視するメタ情動的機能を象徴する。彼が告げる「参加者の表情は明るかった」という報告は、自分の言葉が対話者の内的世界に調和を生じさせているという暗示であり、自己のコミュニケーションスタイルの肯定的な自己評価が投影されているとChatGPTは述べる。突然移行する神社の場面は、夢の第二層――俗世間的知の次元から、より深奥のスピリチュアルな領域へのシフトを示す。神社は垂直軸、すなわち天と地、超越と現世を結ぶ結節点であり、そこで語られる「7つの名門家」の対立は、多重的自己構造の拮抗を物語る。7という数は、古来より調和と循環の象徴であり、七曜、七福神、7つのチャクラなど多様な神秘的文脈に現れる。名門家が合併と分裂を繰り返しながら数だけを維持する図は、自分の内面に存在する七つの機能(知性、感情、意志、感覚、直観、精神、身体などが考えられる)が、統合と分化を経ながら恒常性を保っていることを示唆する。70年というスパンは1人の人生をほぼ覆う時間幅であり、個体発達の全期間を象徴する。その間続く対立は、自己成長の歴史が単なる線形的成熟ではなく、衝突と再統合を反復する弁証法的過程であることを強調する。対立の原因が「頻繁なコミュニケーションの質」にあるという説明は、夢の冒頭で掲げられた「世界は微細に動き続ける」というテーマと直結する。量としての“頻度”は既に満たされているが、質的側面――すなわち相互理解や配慮の質――が改善されねば、エネルギーは対立として噴出する。これは現実生活における人間関係のみならず、自分の内的諸側面(思考と情動、意識と無意識など)の間の対話の質を問うメッセージである。歴史学生の語りに耳を傾けつつ、自分が「コミュニケーションの質を変えればよい」と直感する場面は、内的調停者としての自我が解決策を把握しつつあることを示すとChatGPTは述べる。最後に神社を見上げるという行為は、意識が垂直構造を仰ぎ見る身振りであり、精神的高みへの志向を象徴する。視線が上方へ向かう瞬間、夢は終わり、覚醒が訪れる。これは、深層から得た洞察を現実へ持ち帰るための転換点であり、夢全体を通じて築かれた「世界=自己=運動体」という認識を、覚醒意識の光にさらす儀式的な瞬間である。総合すると、この夢は自己の内に存在する多層的能力――歴史的洞察と情動分析という2つの補助機能――を前景化し、それらをさらに上位の精神的統合へ導くプロセスを描く物語である。停滞に見える外界も、実は絶えず運動している。同様に、自分の内部でも7つの機能が絶えず交錯し、摩擦を生じながらも数という秩序を保持している。鍵は“量から質への転換”――つまり、コミュニケーションのあり方を洗練させ、各側面の対話を調和へと導くことである。夢は静けさの中に潜む無数の振動を感知せよと語る。外界の微細な揺らぎを認識する自己の感性は、内的世界でも同じ精妙さで対立と共鳴を読み取り、それらを統合へと架橋できる潜在力を備えている。今後、自分が現実の場で行う講演や対話、さらには日常の些細な交流において、その質を高めることが、夢の示した神社――精神の中心聖域――を平和裡に保つ鍵となるだろう。フローニンゲン:2025/6/10(火)07:46


Today’s Letter

The world is a dynamic, constantly moving existence, and so are we. Our fundamental nature is a dynamic, empty, and ever-changing existence. Groningen, 06/10/2025

 
 
 

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