top of page

【フローニンゲンからの便り】16784-16787:2025年6月2日(月)



⭐️心の成長について一緒に学び、心の成長の実現に向かって一緒に実践していくコミュニティ「オンライン加藤ゼミナール」も毎週土曜日に開講しております。


タイトル一覧

16784

ウェルビーイングマトリクスの作成に向けて

16785

今朝方の夢

16786

今朝方の夢の振り返り

16787

懸垂のトレーニングの工夫

16784. ウェルビーイングマトリクスの作成に向けて 


時刻は午前6時半を迎えた。昨日は、早朝の時間にも暖かさを感じていたが、今日は昨日よりも気温が低い。今の気温は12度で、今日の日中の最高気温は18度の予報が出ている。週間予報を見ると、明日は22度に達するようだが、それ以外の日は軒並み20度を下回る気温となり、涼しい日々が続くようだ。6月に入ったが、フローニンゲンはまだまだ涼しい日が続くことに有り難さを覚える。暑すぎもせず、寒すぎもせずという環境の中で過ごせるのが一番であり、快適な気候の中で自らの取り組みを前に進めていきたい。昨日のCRESTの申請に向けたミーティングを終えて、改めて自分一人の無力さを感じ、他者と協働して社会課題の解決に当たっていくことの大切さを思った。今回の人間とAIの共生·共進化の試みは、本当に多くの研究者の力なしでは実現され得ない。厳密には、研究者の力だけではなく、研究に背後で協力する無数の一般人の人たちの力なしでは、今回の取り組みが実現し得ないことを思う時、改めて縁起の存在とその大切さを思った。今回のプロジェクトは7人の研究者が協働し合う形で進められていく。自分にあるものを全て出し切っていく形で、地球上の有情とAIに対する貢献を果たしていきたい。今回のプロジェクトを通じて、発達科学に関する自らの専門性もより拡張されることが期待される。今回のプロジェクトの中では、ユーザーのウェルビーイングについても指標化していこうと考えており、昨日少しそれについても考えていた。今のところ、自分で一からウェルビーイングに関する基礎研究をして新たな理論を生み出すことは得策ではないと考えている。ウェルビーイングに関する既存の理論がいくつかあることを調査して気づき、それらの理論の概念を指標項目にし、そこに発達理論の観点からウェルビーイングの「質」を特定していきたい。そうすれば、水平方向にウェルビーイングの種類が特定でき、垂直方向にウェルビーイングの質が特定できる。その結果は、「ウェルビーイングマトリクス」と呼べるものになるだろう。ウェルビーイングに関する指標を作成する前に、改めてAIが倫理的知性を創発的に高められるようにするための倫理に関する尺度設計も重要になる。遠藤太一郎さんとの協働研究においては、コールバーグのモデルを活用しており、今回の倫理尺度の設計においても引き続きローレンス·コールバーグのモデルを活用する。しかし、コールバーグのモデルは尺度間の精密さが低いので、それを補う意味で、カート·フィッシャーのダイナミックスキル理論を活用すると良いかもしれない。コールバーグのモデルをさらに高度化させることと、モデルを精密にしていくことを行えば、一つまず良い倫理尺度が作れそうである。フローニンゲン:2025/6/2(月)06:59


16785. 今朝方の夢

  

朝の静けさに浸りながら、今朝方の夢について振り返っている。今朝方の夢でまず覚えているのは、小中高時代のある親友(SI)の家に遊びに行き、彼の部屋の中にいた場面である。そこにはその他にも2人の友人(HS & YU)がいた。彼の家は小高い丘の住宅地の中にあり、不思議なことに、彼の部屋のドアは住宅地の道につながっていた。なので、ドアを開けると住宅地の1本の坂道が見えたのである。ドアを一度閉め、もう一度開けると、今度は1階につながる階段が現れ、それが本来の家の構造だった。階段の下から彼の母親が、飲み物を持っていこうかと述べた。彼は階段を降りて飲み物を取って来てくれ、私たちに振る舞った。ちょうど喉が渇いていたのでとても有り難く、冷たいお茶をぐいっと飲んだ。そこから私たちは、カーレースのゲームを楽しんだ。ゲームで盛り上がった後に彼がふと、「最近両親の仲が悪くて困ってるんだ···」と悩みを打ち明けた。特に彼の母親が父親に対してかなり厳しい口調で言葉を発しているようで、2人の仲裁に手を焼いているとのことだった。私の方からその点について何か貢献できる助言があるかもしれないと思い、それを伝えようとしたところで夢の場面が変わった。


次の場面として覚えているのは、見慣れないデパートの中にいる場面だった。そのデパートにはスナックが入っており、デパートとスナックの組み合わせはとても珍しいと思った。しかも、そのスナックのママは100歳を超えており、客層も高齢者が多いようだった。そのスナックは、デパートのフロアに開放的な形で存在しており、デパートの客がスナックの前を行き来していた。ちょうど自分もスナックの前を通りかかったので、少し立ち止まってみると、80歳を過ぎた男性の客と100歳を超えたスナックのママが話をしていた。2人のやり取りはとても微笑ましく、2人はいつまでも気持ち的に若く、認知的な機能もまだまだ正常であった。2人の会話のやり取りを見た後にトイレに立ち寄ると、そこに小中高時代のある友人(SS)がいて、彼が女装していたので驚いた。彼に話を聞くと、最近女装の趣味に目覚めたとのことで、それを少し気恥ずかしそうに話してくれた。彼と少し会話をし、デパートを後にしようとすると、英語混じりの中国語が聞こえてきたのでそちらを見ると、中国人の家族がデパートにお土産を買いにやって来たようだった。


最後にもう1つ覚えている場面として、東京大学に通っていた大学時代のある友人が、仕事をしながら会計とAIを関連づけた学術書を出版したことを教えてくれた。彼は大学時代から学者気質があり、晴れて自身の専門書を出版したようだった。1冊出版すると、さらに出版に勢いがついたようで、さらに新しく専門書を執筆しているとのことだった。彼が出版した本を見せてもらうと、それは生粋の学術書で、引用されている文献は英語のものが大半で、中にはフランス語やドイツ語のものもあり、彼の語学の堪能さに感銘を受けた。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2025/6/2(月)07:17


16786. 今朝方の夢の振り返り

                           

ChatGPTは、今朝方の夢全体を貫くのは「境界の可塑性」であると指摘する。閉じたはずの空間がふいに外界へと接続し、私的な領域と公的な領域が幾度も入れ替わる。そこには、幼少期の仲間という最も身近な存在を媒介にしながら、世界が重層構造を持って拡張していく感覚が刻まれていると述べる。丘の住宅地にある友人SIの部屋は、扉を開くたびに姿を変える。最初は坂道に面し、ついで階段へと続く――外と内、上と下が一瞬にして反転するこの仕掛けは、自己の“現在地”が固定され得ないことを示唆する。しかも階下から差し出される冷たいお茶は、幼年期から続く母性的養いの連鎖であり、乾きを癒すと同時に、他者の気遣いを自己へ取り込む儀式でもある。喉を潤した直後に始まるカーレース·ゲームは、密室でありながら外界の疾走感をシミュレートする応接間的活動である。速度と競争は現実を戯画化し、プレイヤーそれぞれの“進路”を疑似的に競わせる。だが熱狂の真っただ中で、友人は両親の不和という静かな裂け目を告白する。ここで夢は、遊戯と癒し、躍動と停滞のコントラストを通じ、家族という最小単位の葛藤を浮かび上がらせる。自分が助言を試みようとした瞬間、夢は舞台を転換する――仲裁者としての役割が未完のまま、次の“境界”へと連れ去られるのである。デパートに併設された100歳のママのスナックは、本来なら夜の裏路地にたたずむはずの空間が、真昼の商業施設に露出した姿だ。高齢の客とママの飾らぬ会話は、老いを決して閉じられた終末としてではなく、周囲に対して開かれた“今”として提示する。ここでは年齢が物理的な衰退を意味せず、むしろ精神の瑞々しさの証しとなる。自分がそれを見守る位置にいることは、時間の川を先回りして、自らの老いと和解する予演でもあると指摘する。トイレで遭遇した友人SSの女装は、性別という境界の再配置である。彼が羞じらいを帯びつつも新しい自己像を語るさまは、自分自身の内部に潜む未活性の側面――伝統的規範には収まり切らない感性――を映し出す鏡だ。そこに重なるのが、中国語と英語を混用する家族の登場である。多言語が飛び交い、国境が溶解する情景は、文化的アイデンティティの揺らぎを象徴する。同質性の殻を破るたび、世界は一層複雑で魅力的なパターンを編み上げることを、夢は視覚化する。確かに、今再びオランダからイギリスへと生活拠点を移そうと考えている自分にとって、国を移動するごとに同質性の殻が破られて来たことを思うと、文化的多元主義な様相が自己の中でさらに育まれていることを感じさせる。大学時代の友人が会計とAIを結びつけた専門書を出版した場面は、学術という知の体系と、最新テクノロジーとを架橋する試みである。彼が多言語の文献を自在に引用する様子は、前景化された“境界横断”の到達点である。自分が感銘を受けるのは、言語·学問領域·実務の壁を同時に突破する姿に、自分自身の可能性を重ねるからである。彼の連続的な出版計画は、知の欲望が一冊では収まらぬこと、未知の領域へ漕ぎ出す運動体としての「書く行為」の無限性を示す。これも今の自分の深層心理をよく映し出している。学術論文の執筆に向けて、ここから旺盛に取り掛かっていこうとする自分の投影として夢の中の彼が現れたのかもしれない。こうして3つの舞台――親友の家、デパートのスナック、学者の書斎――は、いずれも「内と外」「古いものと新しいもの」「固定と流動」の境界を溶解させる。最初の扉の多重構造、老スナックの開放性、女装や多言語使用の越境性、そして学術書のハイブリッド性――いずれも“閉じた系”を拒むモチーフである。夢は自分に対し、保守的な枠組みを安住の場とせず、自身もまた多層的な通路と化すよう促す。親の仲裁を求める友人に対して助言を完遂できなかったのは、まだ「調停者」としての自我が準備段階にあることを示唆する。まず自分自身の内部で、年齢·性別·文化·知をまたぐ複層的エネルギーを統合し、そのうえで他者の対立をも媒介する力を獲得する必要があるとChatGPTは指摘する。総括すると、本夢は、扉を開閉する身振りやフロアを行き交う視線を通じて、「位置取りそのものを創造し直せ」という指令を発している。自分が立つ場所は固定点ではなく、状況に応じて生成される可変座標であると。異質との遭遇、世代間の接触、学知と技術の融合を恐れず、むしろそこに新たな自己を見出すべき時期に来ているのだ。夢が最後に残したのは、出版を続ける友人の躍動であり、それは自分自身がこれから着手すべき創造行為の予兆である。すなわち、境界を越えるごとに自己は更新され、更新のたびに世界は拡張する――その原理を体感させるために、この一連の夢は編まれたのである。まさにCRESTでのAIの研究開発プロジェクト、そしてイギリスでの学術研究は、今の自分の境界を超えていくことにうってつけの経験かと思う。フローニンゲン:2025/6/2(月)07:37


16787. 懸垂のトレーニングの工夫

  

時刻は午後4時半を迎えた。今、夕方の空が見事な輝きを見せている。今日は最高気温が19度に到達したので、午後にジムに向かう際には半袖半ズボンで出かけたのだが、意外と肌寒く感じた。ジムに到着する頃には随分と体が温まっていたが、風の冷たさを感じる形となった。行き道のジョギングは良いウォーミングアップになっていて、今日も懸垂からトレーニングを始めたのだが、懸垂を始めると、すぐさま汗が滲み始めた。今はまだ懸垂をする際に補助具としてのゴムバンドが必要であるが、少しずつ進歩を楽しんでいけたらと思う。ラットプルダウンに関してはある程度の重さを引けるようになっているが、懸垂になると自分の体重を持ち上げることはまだ難しい。これには何が原因としてあるのだろうか。懸垂も基本的には広背筋を活用し、腕の力は極力使わないようにするため、腕の力はほとんど関係ないはずである。そうなると、まだ広背筋の鍛錬不足なのだろうか。この点については考察を深めたい。あとからやって来た背の高いオランダ人の男性が別の場所で懸垂をしているのを見かけ、彼は何も補助具なしに何度も懸垂をしていたのでそのコツを尋ねてみた。どうやら彼はバーの握り方が自分と違うらしいことに気づいた。彼らはリバースグリップの形でバーを握っていた。何やらリバースグリップでバーを握ると、上腕二頭筋に負荷が集中するらしい。ものは試しということで、今週の木曜日の自主トレーニングの際には、リバースグリップでも懸垂を試してみようと思う。トレーニングをしてシャワーを浴びてリフレッシュしたので、夕食準備の時間まで再び学術書の音読読解を進めていきたい。フローニンゲン:2025/6/2(月)16:49


Today’s Letter

What we call the self is just like a flowing river, in that it is constantly changing both mentally and physically. The self is continually undergoing transformation. All dharmas, including the self, are empty. Groningen, 06/02/2025

 
 
 

Comments


過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

bottom of page