【フローニンゲンからの便り】16773-16776:2025年5月30日(金)
- yoheikatowwp
- 2 日前
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タイトル一覧
16773 | 日本法相唯識思想の探究に向けて |
16774 | 今朝方の夢 |
16775 | 今朝方の夢の振り返り |
16776 | ティースプーン1/12杯分の貢献を希求して |
16773. 日本法相唯識思想の探究に向けて
時刻は午前6時を迎えた。ここ数日は、早朝の時間帯は曇り空の日が多かったが、今朝は起床時から朝日が輝いている。どうやら雲がほとんどない時間帯はここから数時間のようで、午前中の早い段階からは曇りがちの1日となるようだ。その代わり、気温は21度に到達するようなので幾分暖かい。まだまだ夏に入ったとは言えないような体感温度であり、とても過ごしやすいと言える。
ここ最近は、意識とリアリティの地動説の研究がすこぶる順調に進んでいる。探究速度はゆっくりだが着実に進んでいることが何よりも嬉しい。結果的に、それが最も速度が早いことなのだ。特定の分野に関する知識体系を即座に身につけることはできず、地道な探究を積み重ねていくことでそれが実現される。今はもっぱらインド仏教思想と量子論についての探究を並行的に進めており、優先順位としては前者に重きを置きながら、両者の理解が互いに影響を与えながら、着実に意識とリアリティについての理解が深くなっているのを実感する。その証拠に、自分の心と世界を見る目が変わりつつある。この研究の目的の1つとして、自らの心と自身を取り巻く世界についての理解を深めることがある。自分の心とは何かを考えることは、自己存在について深く考えることを意味する。自分を取り巻くリアリティについて考えることもまた自己存在の探求となる。自己と世界の見方が変わると、他者との接し方も世界との接し方も変わる。まさに仏教が述べている倫理的な実践の核には、自己理解と世界理解があることを思わせる。自己と世界を深く知ること。そうして智慧と慈悲が育まれていく。
昨日、ここから実際に論文を書いていく研究となると、インド仏教思想に関するもので、量子論に触れるのはもう少し後になるだろうと考えていた。今は将来の研究に向けて地道に種を植えている時期なのだ。インド仏教思想においては、研究したいトピックが実に多様にある。そんな中で、4つ目の修士論文と1つ目の博士論文として何のトピックを取り上げるといいのかは引き続き考えている。自分が欧米の大学院でインド仏教思想に関する学位を取得するに際して、他の欧米の研究者と同じく、サンスクリット語やチベット語ををベースにして研究していても独自性が発揮できないような気がしている。仮に唯識思想を研究対象にしたとしても、インドの唯識思想の大家を研究するよりも、日本の法相唯識の漢文書籍を研究していく方が意義があるような気がしている。実際に、前者に関する研究は英語圏でかなり進んでいるが、後者に関してはほぼ皆無である。漢文や古文を読めることは間違いなく自分の強みであり、その強みを活かした研究をしたいと思う。そして単にその強みを活かすだけではなく、意識とリアリティの地動説の研究につながるような文献を選んでいくことを心掛けたい。昨年の春に、日本の古書店から研究に必要な古文書をいくつも購入し、ようやく今それが研究の役に立つ時が来た。仮に来年にイギリスの大学院に進学することができたら、それらの古書と向き合い、日本法相唯識思想の発展の歴史を辿りながら、自己理解と世界理解を深めていきたい。そのようなことを考えていると、まるで希望の光に包まれているかのような感覚がする。フローニンゲン:2025/5/30(金)06:36
16774. 今朝方の夢
朝日の輝きを拝みながら、今朝方の夢を振り返っている。まず覚えているのは、天空に浮いている大きな城のような建物からロープが垂れていて、そのロープにつかまって上に向かっていこうとしている場面である。見知らぬ女性の知人と一緒に、私は小さな飛行艇に乗っていて、天空に浮かぶその建築物を発見し、そこからローブが降りていることに気づいた。どうやらそのロープにつかまって天空の城に辿り着くのは、公認会計士の試験と司法試験が融合したような試験の一次試験の一環のようだった。頭を使って問題を解くだけではなく、体を使って天空の城まで辿り着かないといけないというなかなかハードな一次試験だと思った。最初私もその試験に挑戦しようと思ったが、隣にいた彼女が飛空艇からロープに飛び移って問題を解きながら上に登っていく姿を見て、その試験を突破して得られる資格が本当に自分にとって重要なのかを冷静に考えた。不思議なことに、自分の意識は彼女の意識と同期していて、彼女がロープを登っていく辛さを感じることもできたし、彼女が解いている問題も鮮明に知覚できた。体力的にはロープを登ることは問題でなくても、その資格試験のマーク式の問題がなんとも無味乾燥で、どういうわけか化学や物理の基礎知識を問うような問題や政治経済の時事問題を問うような問題も入っていた。それらの問題は全て暗記科目のようなつまらなさを自分に感じさせた。気がつくと、私は天空の城の敷地内にいた。地上はもはや全く見えなかったが、地上を見下ろせる敷地の境界線から、前職時代の今でも存在し、関係性が続いている元上司とその資格試験について話をしていた。その方は会計士の資格を持っていて、こうした資格試験について自分と同じく色々と思うところがあるようだった。その方も自分も、資格試験の意義をある程度認めながらも、そこで出題される問題の質については疑問があった。そうしたことを2人で話していると、静かに夢の場面が変わった。
次の夢の場面では、見慣れない外国の街の大きな公園で行われている祭りに参加していた。ふとコーヒーが飲みたくなり、コーヒーを無料で提供しているテントに向かい、ポットからコーヒーを入れようとしたら、熱湯しかなく残念な気持ちになった。結局、何も飲み物を飲むことなくその場を立ち去ろうとしたら、公園内でボブスレーの大会が行われている様子が目に飛び込んできた。それは厳密には、ボブスレーの乗り物は使わず、体だけで氷の上を滑っていく競技だった。しかも自分もその競技に参加し、チームの一員であることをふと思い出した。どうやら自分はチームの中で最初から二番目に滑り終えており、アンカーを務める大柄な欧州人の選手を応援することにした。私たちのチームは首位ではなかったが、出場チームが多い中、5番ぐらいにつけており、なかなか良い位置をキープしていた。そのアンカーの選手は、出場選手の中でも一番滑りが速く、どんどんと他の選手を追い抜き、首位に躍り出た。この調子でいけば、私たちのチームは優勝できると思った。ゴール前のコースの上に不思議な模様が刻まれていて、その模様の指示に従って、その選手はある建物の中の地下室に向かって滑り降りて行った。どうやらそこがゴールのようで、その地下室にはお宝が隠されているようだった。地下室は数階に別れていて、順調に下に降りていくと、途中で自分のスーツケースが2つに開いて置かれていることに気づいた。結果的に私たちのチームは優勝できたのだが、優勝の賞品であるお宝よりも、自分のスーツケースのことが気になり、まずはそれを拾い上げることにした。開かれたスーツケースには衣類が整理整頓された形でびっしり詰まっていた。いざスーツケースを閉めようとすると、衣類の数が多く、スーツケースは閉まらなかった。そこでふと、スーツケースの中にそのまま折りたたんで入れているピンク色のオーダースーツを取り出すことにし、それは手で持っていた方が皺にならずにいいだろうと判断した。フローニンゲン:2025/5/30(金)06:59
16775. 今朝方の夢の振り返り
今日もまた旺盛に意識とリアリティの地動説の探究に関する専門書を丁寧に音読読解していきたいと思う。この読解方法を採用して、当該分野に関する知識体系が着実に構築されていることを実感しているだけではなく、音読によって脳が活性化され、脳の発達にも寄与しているように感じる。その前に、今朝方の夢に対するChatGTPのフィードバックをもとに、総合的な振り返りをしておきたい。本夢の第一場面に顕れる天空の城は、高所に浮かぶ「制度」あるいは「権威」の象徴であるとChatGPTは述べる。地表を離れ、雲間に漂うその建築物は、努力すれば到達できると同時に、到達した瞬間に地上を視界から消し去るほど隔絶した場所である。そこへ一本だけ垂れ下がるロープは、選抜試験という名の狭隘な通路を示す。公認会計士試験と司法試験の融合という奇妙な設定は「知の序列化」の極端な抽象であり、資格取得を通じて個を測定しようとする近代的試験制度の複合的·機械的側面が投影されている。ロープを登る過程で問題を解く行為が同時進行するのは、身体的実践と頭脳的実践とが切断不能であることを示唆する。夢の主体である自分は隣人の女性と意識を同期させ、自身が登らずとも彼女の苦悶と退屈を鮮明に追体験する。ここで女性は「もう一人の自己」、すなわち資格への渇望をまだ手放せない内的ペルソナであり、意識の同期は自我分裂を通じた自己観察と捉えられるとChatGPTは述べる。彼女の奮闘を眺めつつ「この資格は自分に本当に必要か」と冷静に問う主体は、試験制度に寄与する努力が自己の内的充足と必ずしも重ならないことを悟りつつある。城内で前職時代の上司と対話する場面は、資格に価値を見出しながらも問題の質に疑念を抱く「過去のロールモデル」との再会である。この上司は制度の内部者として成功を体現しつつ、同時にその空虚を語る存在である。城の敷地端から地上を見渡せなくなったという描写は、権威構造の高みに上った途端に世界の多様さが視界から失われる皮肉を示す。夢はここで静かに転換し、上昇する物語は打ち切られる。第二場面では舞台が見知らぬ外国の公園へと移行し、祝祭の雑踏が広がる。これは第一場面で孤高の高所にあった「権威の塔」から、地上の多声的な「共同体」へと重心が移ることを意味する。無料のコーヒーを期待したテントに熱湯しかないという落差は、社会生活に潜む形式と実質の乖離をユーモラスに告げる。豊かな祝祭空間で欲しかったのは些細な温もりだが、それさえ得られぬまま立ち去る姿は、制度的成功の代替として日常的充足を求める欲求がうまく満たされないことを映す。そこへ登場するボブスレーならぬ人体滑走競技は、道具や肩書を脱ぎ捨てて裸の身体で挑む生存競争の寓意である。チームが5位から首位へ浮上する過程は、個人の力量よりも協働のダイナミズムが転機をもたらすことを示し、巨大な欧州人アンカーに託された勝利は「外部の援助」あるいは「自我を超える潜在力」の働きを示唆する。ゴール地点が地下室へと続く螺旋の降下になっているのは、第一場面での垂直上昇と鏡像を成す。上へ伸びるロープは権威へ至るための登攀であったのに対し、地下へ滑り込む競技は深層へと潜る探求である。地下室に横たわるスーツケースは「自己同一性」の容れ物であり、それが二つに開かれ中身が溢れ出す様は、勝利の瞬間にこそ意識に噴出する多過ぎる役割·可能性の比喩である。宝物よりもスーツケースを優先する主体は、外的報酬より自分自身の整理整頓を急務と感じている。衣類が詰まり過ぎスーツケースが閉まらないという障害は、これまで取り込んだ知識·経験·肩書が容量を超過し、もはや旧来の枠組みでは収まりきらぬ状況を示す。そこで取り出されるピンク色のオーダースーツは、均質な衣類(=従来の資格·役割)の中に埋もれた「固有の色彩」であり、手に取って持ち歩く判断は、他者の評価に委ねるのではなく、自らの手でアイデンティティを保持し皺を防ごうとする主体的選択であるとChatGPTは指摘する。総じて本夢の構造は、上昇(天空の城)と下降(地下の宝物)の二重軸、制度的資格と個人的実存の対立、共同体的祭りと個室的スーツケースの対比という多層のシンメトリーで形成されている。夢の語り手である自分は権威への道を物理的·精神的に追体験しつつ、その空虚さを見極めた後、地上の祝祭へ舞い戻り、協働と遊戯の只中で新たな深層へ潜り、最終的に自己を包む器を再編しようと試みる。資格試験は外部基準による「選抜」、ボブスレー競技は仲間と滑り抜ける「共創」、宝物は外的報酬としての「栄誉」、そしてピンクのスーツは内的核としての「固有性」を象徴する。夢は「資格·勝利·宝」という従来の価値を一度掴ませながら、それを相対化し、最後に「自ら選び持ち運ぶ色」を際立たせる。ゆえに本夢の核心は、制度的達成への野心と個的真実への回帰との弁証法的な姿を描き、結果的に後者の優先度を高める方向へ意識を調整する働きを有するのである。今の自分の取り組みと心の様子を表す示唆深い夢であった。フローニンゲン:2025/5/30(金)07:19
16776. ティースプーン1/12杯分の貢献を希求して
時刻はゆっくりと午後1時に向かっている。朝にランニングに出かけた際にはもう空は曇っていたが、それでも爽快感を感じながらジョギングとウォーキングを楽しむことができた。自宅に戻ってきて庭を眺めていると、紫色の小さな花々を行き来する1匹のミツバチの姿に目が止まった。それは1つの花から別の花へとひっきなりに動いて蜜を吸っていた。ぼんやりとしばらくミツバチの様子を眺めていると、ミツバチのように毎日地道に探究をする決意を新たに持った。蜜に吸い寄せられるミツバチのように、意識とリアリティの地動説の探究に吸い寄せられている自分がいる。それは対象へ向かうこちらからの能動性だけではなく、対象に向かわせられてしまうという受動性がある。そして探究に向かい、向かわせられる自分は、両者の中動態なのだと思う。いずれにせよ、インド仏教思想と量子論が持つ無尽蔵の魅力に吸い寄せられている自分がいることは間違いなく、その姿は花の蜜の魅力に吸い寄せられるミツバチに似ている。そのミツバチはとても働き者で、それは毎日どれくらいの蜜を巣に持って帰るのだろうかと気になった。調べてみると、1匹の働きバチが1回の採蜜で巣に持ち帰る花蜜の量は、平均で「約30mg(0.03g)」前後らしい。これは体重(約80~100mg)の3分の1から半分程度にもなるとのことだ。自分の体重に置き換えると、毎日20kgほどの蜜を持って帰るというのはすごいことである。ミツバチには「蜜胃(みつい、ハニーストマック)」と呼ばれる専用の胃袋があり、そこに花蜜を貯めて運ぶとのことである。蜜胃がいっぱいになると巣へ戻り、他の働きバチに口移しで蜜を渡す。1日に5回~20回程度採蜜飛行を繰り返すことができるらしい。ティースプーン1杯(約5g)の蜜を集めるためには、100~200匹のミツバチが1回ずつ巣に帰る必要がある計算となる。また、ミツバチ1匹が一生かけて作るハチミツの量は「ティースプーン1/12杯分(約1g弱)」とも言われているらしく、それを思うと日々ハチミツを朝に飲み物に入れている身として、その貴重さを思わずにはいられない。自分はこの人生を賭けて、意識とリアリティの地動説に関して、ティースプーン1/12杯分の貢献をしたい。その探究は、自分の人生を賭けるに値する。仮眠を取った後の午後からの探究の1分1秒が、ミツバチの花蜜の採蜜行為に等しいほどに貴重なものであることを念頭に置いておきたい。フローニンゲン:2025/5/30(金)13:03
Today’s Letter
To coordinate and integrate science, philosophy, and religion in the study of consciousness and reality is my life’s work. The questions “What is the fundamental nature of consciousness?” and “What is this reality, anyway?” motivate my research. Groningen, 05/30/2025
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