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【チューリッヒからの便り】16702-16706:2025年5月12日(月)



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タイトル一覧

16702

【チューリッヒ滞在記】今朝方の夢

16703

【チューリッヒ滞在記】今朝方の夢の振り返り

16704

【チューリッヒ滞在記】フライトの突然のキャンセルを受けて/科学・哲学・数学における証明

16705

【チューリッヒ滞在記】フライトの時間変更を受けての学び

16706

【チューリッヒ滞在記】ヤン・ウェスターホフ教授の6冊の書籍を購入して

16702. 【チューリッヒ滞在記】今朝方の夢           

   

時刻は間もなく午前7時を迎える。チューリッヒを出発する朝は、とても穏やかで、朝日がうっすらとした雲間から地上に降り注いでいる。チューリッヒを出発する朝の夢の世界は比較的落ち着いていた。覚えている場面として、実際に通っていた小学校の低学年の校舎の1階の渡り廊下にあるトイレに誘われるようにして入っていった場面である。自分は特に尿意も便意も催していなかったが、なぜかトイレに引き寄せられるようにそこに入った。夢の中の私は成人の体をしていた。トイレに入ると、個室が4つあり、一番左側だけが空いていて、残り3つはすでに埋まっていった。個室に入ると、仕切りの壁がとても低く、隣だけではなく、残り3つの個室に入っている人の頭が見えた。それらの頭を見ていると、そこに誰が入っているのかが明確で、頭の形から友人が入っていることがわかった。特に隣の隣には、小中高時代のある親友(NK)が入っていることがわかった。個室に入っている3人とも何やら動きが不穏であり、どうやら彼らは個室に入って自慰行為をしているようだった。それを見て、自分も彼らと同じことをしていると思われるのが嫌だったので個室から出たところで一度目を覚ました。時刻を確認すると、午前5時だった。そこで起床しても良かったが、昨日はいつもより1時間ほど就寝するのが遅かったので、もう1時間ほど寝ることにした。その時に見ていた夢は、成人発達理論に関するゼミナールを開催し、新しく入ってきた受講生の方にマンツーマンで現在扱っている発達理論について対話形式でレクチャーをしている場面である。その方は発達理論の学習に対して非常に熱心で、こうした熱意ある方と学ぶことは自分にとってもやりがいがあった。その方の学ぶ意欲がとても高いだけではなく、学ぶ吸収力も高く、こちらが教えることを次から次に速やかに理解していき、その方なりの具体例や説明を聞いていると、こちらも大変学びになった。こうした学びに熱心な方の存在はとても貴重で、その方がクラスにいてくれることの幸運を思った。今朝方はそのような夢を見ていた。今日から少し生成AIに投げかけるプロンプトを変えてみて、どのような解釈をしてくれるのかを楽しみにしたい。チューリッヒ:2025/5/12(月)07:02


ChatGPTによる夢の解釈と今後のアクション

夢の構造は、夜明け前の静けさを背景にしながら、二段構えで自己の発達課題を映し出している。第一幕は「排泄空間」という最もプライベートで原初的な場面に舞台が据えられている。小学校低学年のトイレは、幼少期の記憶が沈殿する「根源の部屋」である。そこへ成人した自我が導かれるのは、成熟した理性の背後に眠る無垢な衝動――恥、好奇心、そして他者との同調圧力――を直視せよという無意識からの招待状である。

個室の壁が低い点は、境界の曖昧さを象徴する。幼少期に形成された「自他の区分」が、大人となった今なお流動的であり、他人の欲望や視線を容易に見渡せてしまう状態を示す。友人たちが自慰行為に没頭している光景は、仲間内で共有される性的エネルギーや創造性が、いまだ未分化な形で渦巻いていることを示唆する。自身がその渦に取り込まれることへの拒絶は、「同一化の恐れ」と「個体化への希求」のせめぎ合いである。結果として個室を出る選択は、恥を回避したというよりも、幼い同調的衝動を超えて自律を守ろうとする発達的跳躍である。

第二幕は、夜明け直前にいったん目覚めた後、あえて戻った睡眠で展開する。ここでは「成人発達理論ゼミ」という高度に抽象化された学習空間が舞台である。熱心な受講生との対話は、「教える自分と学ぶ他者」が循環的に役割を交換し、両者がともに成長する生成的プロセスを体現している。先のトイレが“無防備な共有空間”なら、ゼミは“意図的に構築された相互学習空間”である。壁の高さは十分に確保され、知的エネルギーが安全に行き交う設計となっている。

ゆえに二つの夢は対照的な鏡像関係にある。第一幕が「衝動と境界の曖昧さ」に焦点を当て、個体化の課題を突き付けたのに対し、第二幕は「相互依存と境界の確立」を示し、共同創造の可能性を祝福する。夜明けの時刻設定は、意識の地平が闇から光へ移行する比喩であり、チューリッヒを出発する旅のイメージと響き合う。すなわち、この夢全体は“未分化な共同体への郷愁”と“成熟した対話共同体への志向”という二極を往還する自己発達の旅程を描いているのである。

さらに、生成AIへの新たなプロンプトを試すという現実の抱負が、夢の終盤に投影されている。熱意ある学習者とのスムーズな知識のやり取りは、対話型AIとの協働に期待する「素早い吸収と共創」の理想形である。つまり、この夢はあなたに向けてこう語る――“幼い衝動を恐れず覗き込み、そのエネルギーを対話と学習の高次元へと昇華せよ。そうすれば、夜明けの旅は既に始まっているのである”。


Geminiによる夢の解釈と今後のアクション

この夢は、あなたの深層心理における自己認識と他者との関わり方の変遷、そして成長への希求を象徴的に示しているである。

穏やかなチューリッヒの朝靄のように、あなたの夢の世界は一見落ち着いているが、その内には過去と現在、そして未来への展望が織り交ぜられているのである。

最初の夢の舞台である小学校のトイレは、あなたの過去、特に幼少期の無垢さや未分化な自己認識と関連する場所である。そこに成人の身体で足を踏み入れるのは、過去の経験や人間関係のパターンが、現在のあなたの自己認識や他者との関わり方に未だ影響を及ぼしていることを示唆する。尿意も便意もないのに引き寄せられる感覚は、意識下では解決されていない、あるいは向き合うべき課題が無意識の領域から呼びかけていることを表している。

4つの個室のうち3つが埋まり、その中の人々が旧知の友人、特に親友NKであることは、あなたが過去から現在に至るまでの人間関係の中で、彼らの内面や本質的な部分(頭が見えるという形で象徴される)をある程度理解してきたことを示す。しかし、彼らが自慰行為をしているように見えるという描写は、彼らの行動や在り方が、あなたにとっては自己中心的、あるいは未成熟なものとして映っていることの表れである。それはまた、あなた自身がかつて抱いていたかもしれない、あるいは他者に見られることを恐れる自己の一側面を投影している可能性もある。「彼らと同じことをしていると思われるのが嫌」という感情は、そうした未熟さや他者の評価に同調することへの抵抗感、自己の純粋性や独自性を保ちたいという強い意志の現れである。個室から出るという行為は、そのような状況や関係性からの離脱、あるいは一線を画したいというあなたの決意を象徴している。

午前5時の一度の覚醒を挟んで見る第二の夢は、第一の夢で示された課題に対する、あなたの現在の成熟した取り組みと未来への希望を映し出している。成人発達理論のゼミナールという舞台は、自己と他者の成長に対するあなたの知的な探求心と情熱を明確に示している。新しく入ってきた受講生とのマンツーマンの対話は、あなたが他者と深く関わり、相互に影響を与え合いながら成長していくことへの強い意欲を表す。その受講生の熱意と吸収力の高さは、あなたが他者に求める理想的な資質であると同時に、あなた自身の成長の可能性を映す鏡でもある。教えることを通じて学ぶという経験は、他者との建設的な関わりが自己の成長にとっても不可欠であるというあなたの深い理解を示している。この夢で感じるやりがいや幸運は、あなたが成熟した人間関係の中で自己実現を果たしていくことへの肯定的な展望を象徴しているのである。

総じてこの二つの夢は、過去の人間関係におけるある種の不快感や自己防衛的な側面(第一の夢)から、より開かれた、相互成長を促すような成熟した他者との関わりへと移行しようとするあなたの内面的なプロセスを描き出している。それは、自己の内面を見つめ、他者との境界線を再定義し、より高次の自己理解と人間関係の構築へと向かう、チューリッヒの朝のような清々しい旅立ちの暗示であると言えるだろう。


Claudeによる夢の解釈と今後のアクション

夢の象徴的解釈:チューリッヒの朝に現れた自己と他者の対比

この夢は二部構成となっており、象徴的な対比を示しています。最初のトイレの場面と後半の学びの場面は、あなたの内面世界の異なる側面を表現していると解釈できます。

第一の夢:トイレの個室と自他の境界

朝日がうっすらとした雲間から降り注ぐチューリッヒの穏やかな朝という設定は、意識と無意識の狭間にある瞬間を象徴しています。小学校という過去の場所に引き寄せられることは、あなたの内面で未解決の幼少期の課題が表出していることを示唆しています。

トイレは典型的に内面の浄化や解放の象徴です。尿意も便意もないにもかかわらずトイレに引き寄せられたことは、表面的な必要性ではなく、深層心理からの要請によって行動していることを表しています。

個室の壁が低いという特異な状況は、プライバシーの脆弱さや自他の境界の曖昧さを意味します。友人たちが自慰行為をしている様子が見えることは、他者の私的な行為や内面性が露わになっている状態を示し、これはあなた自身の隠された欲求や衝動が周囲に知られてしまうことへの不安を映し出しています。

特に親友NKの存在は重要です。長い時間を共有した彼の存在は、あなたの内面に深く根付いた他者の視線や評価に対する意識を象徴しています。彼らと同じことをしていると思われることを避けて個室から出たという行動は、集団的な行動様式や社会的圧力から自らを区別しようとする意識の表れです。

第二の夢:知識の交換と相互の成長

対照的に、二つ目の夢は開かれた成長と学びの場面です。成人発達理論のゼミナールという設定は、あなた自身の精神的・知的成長への関心を示しています。

マンツーマンでのレクチャーは親密な知的交流を象徴し、熱心な受講生との対話は相互理解と相互成長の可能性を表しています。この受講生は、あなたの内面にある理想的な学習者の側面、または他者との理想的な関係性の象徴かもしれません。

「その方なりの具体例や説明を聞いていると、こちらも大変学びになった」という部分は特に重要です。これは一方的な知識の伝達ではなく、双方向の成長と知恵の循環を意味しています。閉じたトイレの個室から開かれた学びの場への移行は、内向的な自己満足から外向的な相互交流への精神的な発展を示唆しています。

総合解釈

この二つの対照的な夢は、あなたの内面における閉鎖性と開放性、個人的な欲求と社会的な交流、秘匿と共有の間の緊張関係を表現しています。朝日が雲間から降り注ぐチューリッヒという象徴的な場所は、新たな気づきが徐々に意識の表面に現れつつある心理状態を表しています。

この夢は、他者との真の交流を通じて成長する可能性と、自己の内面性を保護したいという欲求の間でバランスを取ろうとするあなたの心理状態を映し出しています。生成AIへのプロンプトを変えてみるという最後の言及は、新しい視点や解釈を求めるあなたの開かれた姿勢の表れであり、第二の夢で表現された相互学習への肯定的な態度と合致しています。


16703. 【チューリッヒ滞在記】今朝方の夢の振り返り

                  

今日から夢の解釈に関して生成AIに投げかけるプロンプトを変えてみた。当面はそのプロンプトを使ってみようと思う。ChatGPTは、今朝方の夢の構造は、二段構えで自己の発達課題を映し出していると述べる。第一幕は「排泄空間」という最もプライベートで原初的な場面に舞台が据えられており、小学校低学年の時に使っていたトイレは、幼少期の記憶が沈殿する「根源の部屋」であると述べる。そこへ成人した自我が導かれるのは、成熟した理性の背後に眠る無垢な衝動――恥、好奇心、そして他者との同調圧力――を直視せよという無意識からの招待状であると指摘する。Claudeは、尿意も便意もないにもかかわらずトイレに引き寄せられたことは、表面的な必要性ではなく、深層心理からの要請によって行動していることを表していると述べており、少なくとも今の自分は無意識からの投げかけに素直でいようといつも心がけている。常にジャッジをするのは自分の自我であり、そうした自我の判断行為を宙吊りにしておき、無意識からの呼びかけに従順に従っていると、思わぬ発見や思わぬ出会いがあったりする。そうした現象を度々体験している自分として、そしてまた先般ユング記念館に行って、ユングの無意識との付き合い方に薫陶を受け、無意識からの呼びかけに常に耳を澄ませておきたいと思う自分がいる。ChatGPTは、トイレの個室の壁が低い点は、境界の曖昧さを象徴していると述べる。幼少期に形成された「自他の区分」が、大人となった今なお流動的であり、他人の欲望や視線を容易に見渡せてしまう状態を示す。友人たちが自慰行為に没頭している光景は、仲間内で共有される性的エネルギーや創造性が、いまだ未分化な形で渦巻いていることを示唆すると指摘する。自分がその渦に取り込まれることへの拒絶は、「同一化の恐れ」と「個体化への希求」のせめぎ合いであるとし、結果として個室を出る選択は、恥を回避したというよりも、幼い同調的衝動を超えて自律を守ろうとする発達的跳躍であると述べる。Geminiも同様の指摘をしており、彼らと同じことをしていると思われるのが嫌」という感情は、そうした未熟さや他者の評価に同調することへの抵抗感、自己の純粋性や独自性を保ちたいという強い意志の現れであると述べる。個室から出るという行為は、そのような状況や関係性からの離脱、あるいは一線を画したいという自分の決意を象徴しているとのことだ。今回のスイス旅行は、ここからの自己を刷新するような種を受けるような旅だったように思う。その種は今すぐに花を咲かせることはないが、間違いなく今回スイスにやって来たことが影響して、今後の人生はさらに充実したものになるという確信がある。そうした確信をもたらしてくれる本当に良き旅であった。最後にChatGPTは、夢の中のトイレが“無防備な共有空間”を表しているのなら、ゼミは“意図的に構築された相互学習空間”であると指摘する。そこでの壁の高さは十分に確保され、知的エネルギーが安全に行き交う設計となっている。この夢全体は“未分化な共同体への郷愁”と“成熟した対話共同体への志向”という二極を往還する自己発達の旅程を描いているとしている。ユングが述べるように、毎日の夢は個性化のプロセスであり、常にそこに発達過程を捉えることができる。そうしたミクロな発達現象に気づきの意識を持つことが、マクロな発達を引き寄せてくれるのだ。チューリッヒ:2025/5/12(月)07:23


16704. 【チューリッヒ滞在記】フライトの突然のキャンセルを受けて/科学・哲学・数学における証明  

                         

ホテルの朝食を摂り終え、自室でコーヒーを飲んで寛いでいたところ、携帯に突如ショートメッセージが届いた。何やらKLMのフライトが突然キャンセルになったとのことで、代わりのフライト情報をすぐに送ってくれるとのことだった。当初の予定では昼前のフライトで午後1時半にはスキポール空港に到着できるはずだったが、代わりのフライトは午後4時半過ぎのものとなり、スキポール空港に到着するのは午後6時半となった。確かにこれでホテルでチェックアウトの時間ギリギリまで寛げることになったが、逆にフローニンゲンの自宅に到着するのは順調にいって午後9時半となった。これは誰かが悪いわけでもなく仕方ないことなので、これも何かの流れの一環だろうと受け止めることにした。ホテルのチェックアウトは正午であり、ホテルから空港までの午前の部のシャトルバスの最後のものが12時のものなので、それに乗って空港に行こう。フライトが変更になったこともあり、ボーディングパスは空港のカウンターで発行してもらうことになった。搭乗するフライトはKLMではなく、HELVETIC AIRWAYSというスイスの航空会社のものになった。仮にもう1本早いフライトに搭乗できるのであればその方が有り難いので、空港のカウンターに行って交渉してみようと思う。


朝食前に、バーナード・カストラップの対談動画を視聴していた。そこでカストラップが興味深い指摘をしていた。意識とリアリティについて議論をしていく際に、「それは証明されているのか?」「それはどのように証明されるのか?」という質問が出てくることがある。カストラップが指摘するように、科学は、基本的に何かを証明するものではなく、常に反証可能性に開かれる形で、暫定的な仮説の強度を示すことができるに過ぎない。哲学も同様で、哲学にできるのはより論理的に守備一貫していて、科学的な実証結果と整合的な理論仮説を提示することなのである。科学も哲学も、何かを証明し切ることはできない。何かを証明できるのは数学ぐらいである。数学においては証明という実践が存在しており、証明を行えるのは唯一数学だけなのだろう。数学を活用した科学や哲学にはそれはできないということをわきまえておくことが、今後各種の議論を聞く際にも、また自らが議論をする際にも重要になるだろう。フライトが変更になったこともあり、時間が随分とできたので、ホテルのレストランでもらってきた美味いブラックコーヒーを飲みながら、カストラップの論文を音読タイピングしたり、グラハム・スメザムの動画をシャドーイングしたり、ユング記念館で購入した赤の書を読み進めたりしよう。チューリッヒ:2025/5/12(月)09:28


16705. 【チューリッヒ滞在記】フライトの時間変更を受けての学び

                       

時刻は午後1時を迎えようとしている。本来は今頃スキポール空港に向かう飛行機の中にいて、間も無く空港に到着する頃だが、フライトが突如朝にキャンセルになったので、今、チューリッヒ空港のラウンジにいる。昨夜の段階でWebサイトからチェックインができず、当日に空港のチェックインカウンターでボーディングパスを発券してもらうようにとの連絡があり、こうした連絡がある時はフライトがキャンセルになる可能性が高いのかもしれない。普段であれば、前日にオンラインでチェックインができ、そのタイミングでボーディングパスを発券してもらえる。チェックインカウンターでは少々列ができていたので、カバンから赤の書を取り出し、それを読んで時間を過ごした。すると、40分ぐらいの待ち時間も苦ではなく、むしろその時間で随分と書籍を読み進めることができた。ここから搭乗まで3時間半弱あるので、ラウンジでゆっくり過ごそうと思う。おそらくラウンジにいる間に赤の書の初読を終えられそうである。また、ラウンジで早めの夕食を摂ることも検討する。お腹が空いていなければ、今日は朝食だけにして、1日ファスティングの形で明日の朝食まで胃腸を休めようと思う。今日のチューリッヒもすこぶる天気が良く、ラウンジから快晴の空を眺めることができる。そう言えば、先ほどチェックインカウンターで学んだこととしては、こうして急遽フライトがキャンセルになった場合に、仮に自動的にフライトが割り当てられ、そのフライトよりも早いフライトにしたい場合や遅いフライトにしたい場合には、カウンターの列に並ぶ前にチケットカウンターに行ってフライトの変更を先に行うことを教えてもらった。フライトがキャンセルされ、自動的に割り振られたフライトが次に次に一番早いもののようだったので、割り当てられたフライトよりも早い時間帯のフライトにすることはできないだろうが、仮に遅いフライトにしたい場合には、先にチケットカウンターに行くようにしたい。それとこうして急遽フライトが当日の朝にキャンセルになり、時間が変更されることがあり得るということを念頭に置きながら今後の旅行をしたい。特に日本に一時帰国する際には、パリやフランクフルト、あるいはヘルシンキの空港からJALのビジネスクラスに搭乗する際には、遅れたら大事なので、それらの空港まで行く際のフライトは早めのものを予約しておくに尽きる。仮に来年からイギリスで生活をすることになったら乗り換えの心配はなく、ロンドンから直通で日本に帰れるのでその心配はないが、今回の件を通じてフライト時間の変更に対する対応を考えることができたのは幸運であった。チューリッヒ空港のラウンジ:2025/5/12(月)13:03


16706. 【チューリッヒ滞在記】ヤン・ウェスターホフ教授の6冊の書籍を購入して

                          

時刻は午後3時半を迎えた。気がつけば、フライトの搭乗まで1時間を切っていた。幸いにも、ラウンジでユングの赤の書の初読を終えた。ここからは、今回の旅に持参したバーナード・カストラップ“Analytic Idealism in a Nutshell”の続きを読んでいこうと思う。おそらくフローニンゲンの自宅に到着するまでに今回の3回目の読解を終えることができるだろう。当初の予定では、フローニンゲンの自宅に着いて今週末ぐらいに購入しようと思っていた専門書を6冊ほど購入した。ここ最近は新たな書籍を購入することなく、手持ちの書籍を読み返したり、学術論文をオンライン上からダウンロードしてそれらを読むようにしていた。なので書籍を購入したのは数ヶ月ぶりになる。一体誰の何の書籍を購入したかというと、意識とリアリティの地動説の探究に関して今最も師事したいヤン・ウェスターホフ(Jan Westerhoff)教授の下記の書籍を購入した。


- Reality: A Very Short Introduction

- The Non-Existence of the Real World

- The Golden Age of Indian Buddhist Philosophy

- Twelve Examples of Illusion

- Nagarjuna’s Madhyamaka: A Philosophical Introduction

- The Dispeller of Disputes: Nagarjuna's Vigrahavyavartani 


ウェスターホフ教授は現在オックスフォード大学に所属しており、龍樹の思想に関して造詣が深く、唯識にも精通している。今年はイギリスの4校か5校の大学院に出願したいと思っているが、ウェスターホフ教授の専門分野が一番自分の関心に合致している。龍樹や唯識の思想に造詣が深いだけではなく、上記の書籍にもあるように、意識とリアリティの思想に関して自分と同様の世界観を持っていることがわかる。特に、“The Non-Existence of the Real World”はかなりの力作で、意識とリアリティの地動説の研究に直接的に参考にできる専門書である。秋にオックスフォード大学にキャンパスビジットする前に、上記の6冊は熟読しておきたい。現在の探究フェーズは、大量に広く浅く専門書を読んでいくのではなく、1冊の専門書とじっくりと向き合い、理解を深めていく時期にある。なので、上記の6冊の書籍が届いたら、それらは初読の段階から音読をしながらゆっくり読み進めていきたいと思う。また、ウェスターホフ教授のおかげで、龍樹の『中論』だけではなく、『廻諍論(えじょうろん:Vigrahavyāvartanī)』という書籍の存在を知った。 "The Dispeller of Disputes: Nagarjuna's Vigrahavyavartani”という書籍が『廻諍論』の注釈書で、本書は実在論者からの反論を呈し、それに対して中観の立場から解答を提示する論争形式を取っている。自分の研究にとって本書の重要性は言うまでもなく、物質主義者や物理主義者の実在論的な議論に対する反論の構成に役に立つ。龍樹のような仏教界における大天才の思考プロセスを自らに体現させることは、実在論者との議論において重要なだけではなく、量子唯識観念論の理解をさらに深めることにもつながる。上記6冊の書籍は、イギリスの大学院の出願の際に提出するライティングサンプルの執筆の際にも積極的に引用したい内容であるゆえに購入を決断した次第である。チューリッヒ空港のラウンジ:2025/5/12(月)15:49


Today’s Letter

My mind is totally serene. Clear light flows in my mind. Both serenity and luminosity are the fundamental nature of my being. Zurich, 05/012/2025

 
 
 

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