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【サイケデリック学探究記】11721-11726:2023年12月30日(土)



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タイトル一覧

11721. 今朝方の夢

11722. スイスの首都ベルンで合法化された物質/ケンタッキー州のサイケデリック研究の進展

11723. サイケデリック体験と記憶

11724. 時間に関するA理論とB理論

11725. 量子論から考えるサイケデリック体験中の意識

11726. 2023年最後の買い物を終えて/今年を締め括る明日のシロシビン・セッションに向けて


11721.今朝方の夢      


時刻は午前3時半を迎えた。もういよいよ年末という感じがしていて、オランダ恒例の年越しの祝い方である爆竹の音が日中に時折聞こえるようになった。おそらく明日の大晦日の夜は花火が打ち上げられ、爆竹の音も街中で聞こえるだろう。来年へ思いを馳せながら、久しぶりのオランダでの年越しを楽しもう。もしかしたらオランダでの年越しは、当面今年が最後になるかもしれないのだから。


年越しを目前にして、今朝方は2つほど記憶に残る夢を見ていた。それらについても早速振り返っておこう。


夢の中で私は、大学時代のサークルの尊敬する先輩から自分の取り組みに対して建設的なフィードバックをもらっていた。その先輩は学業もサークル活動も熱心に取り組んでいて、大学卒業後は名門の商社に入社した。そんな先輩から、自分の研究・実践活動についてパワーポイントを用いながら建設的にあれこれとフィードバックをもらっていた。最初こそ穏やかなフィードバックだったが、後半からはかなり厳しい指摘をされ、心に波が立つ瞬間があったが、最後まで先輩の話を聞くことにした。そこから私は、先輩のフィードバックに対してまた建設的な意見を述べていった。お互いに相手の意見を聞くという姿勢を最後まで持っていたので、その対話はうまくいき、結果的に私は今後の自分の研究と実践についてより良い方向性を見出すことができた。そのような場面があった。


次に覚えているのは、中学校の体育館で行われた全校集会の場で先輩と後輩に対してプレゼンをしている場面である。そこで私は、海の写真を用いながら、そこに見える景色について説明をし、先輩たちと後輩たちに質問を投げかけた。すると、まず最初に女性の先輩が挙手をしてくれて意見を述べた。先ほど昼食で食べたシューマイの話と絡めて、食べ物と景観の繋がりについて意見を述べてくれたのである。それに続く形で、同級生の親友(NK)も挙手をして意見を述べてくれた。彼の意見は意見と言うよりも面白い発見事項で、何やら最寄駅のある列車の運転手が運転席ではなく、変わった個室の小さな椅子に腰掛けて電車を運転しているとのことだった。その場にいた全員はそのことを知らず、その運転手の姿を想像してクスリと笑った。その次に、今度は後輩が挙手をしていたのでその後輩を指名した。その後輩はバスケ部の後輩でもあったので、よく知っていた。彼がまた面白いことを述べた。「もし自分が気絶をしたら、F先輩と加藤先輩に助けを求めたいと思います」と述べたのである。かなり突拍子もない意見だったので、これまた会場が笑いに包まれた。体育館の脇にいた先生たちも笑っていた。気絶をしたらなぜ自分に助けてもらいたいのか尋ねようと思ったが、その前に私は冗談で、「O君が気絶したら、何もせずちゃんと見守っていてあげるからね」と述べたら、その場にいた全員が爆笑した。体育館全体が笑いに包まれると、どこか幸せな気持ちになり、全校生徒もまたそのような気持ちになっていたようで何よりであった。フローニンゲン:2023/12/30(土)03:59


11722. スイスの首都ベルンで合法化された物質/

ケンタッキー州のサイケデリック研究の進展 


先ほど朝のアニマルフローの実践を終え、毎朝飲んでいるオーガニックのヘンプパウダーと小麦若葉パウダーを混ぜたカカオドリンクを作った。今それを飲みながらこの日記を書いている。


今朝方起床してみると、栽培しているシロシビン・マッシュルームが随分と大きくなっているものがあったので、2本ほどすでに傘が開いたものをオーブンの乾燥にかけた。今育てている品種は軸の部分が太く、乾燥の時間がかかるのだが、昨日日記で書き留めた「アイゾメヒカゲタケ」は軸が細いので、乾燥も容易とのことである。マッシュルームを乾燥させる専用の乾燥機も市販されているのだが、流石にそこまでの器具を揃えることは今のところ考えておらず、オーブンで代用しようと思っている。なのでオーブンでも乾燥させやすいアイゾメヒカゲタケを次回栽培してみたい。今日も完全乾燥に向けてじっくりとオーブンを活用する。その分電気を使うため、将来的にはより短時間で乾燥が終わると評判の専用の乾燥機を購入して、エコフレンドリーな乾燥を心がけたい。


先ほどサイケデリクス関係のニュースを見て驚いたことがある。サイケデリクスではないのだが、なんとコカインがスイスの首都ベルンで合法化されたのことである。確かにコカインはヘロインほどの依存性と心身への影響はないが、それでもサイケデリクス以上に依存性や心身への影響があることは確かであり、サイケデリクスよりも先にコカインを合法化した背景の理由が知りたいところである。それは多分に政治経済的な理由だろうか。正直なところ、ベルンの意思決定には少し疑問符がつく。


もう1つのニュースとしては、アメリカのケンタッキー州がサイケデリック研究プログラムの中にイボガインを加えたというものである。イボガインはイボーガ(イボガ)と呼ばれる植物に含まれるサイコアクティブな物質で、それは各種の中毒症状への効能や精神疾患への効能をもたらす働きがある。 先日ハーバード神学大学院に訪れたとき、そこでサイケデリック読書会を主導しているポールという男性と話をしたときに、アメリカで合法的に活用できるケタミンの次にイボガインに注目していると述べていたことを思い出した。自分がイボーガを摂取することはないかもしれないが、その研究成果については注目をしていきたいと思う。世界各国でサイケデリクスやドラッグについて色々と動きがある毎日である。フローニンゲン:2023/12/30(土)04:56


11723. サイケデリック体験と記憶


今日の読書は、ルートリッジ出版から出版された“The Routledge handbook of philosophy of memory”という書籍の初読から始まった。タイトルにあるように、この書籍は記憶に関するものである。本書には記憶に関する48本の学術論文が収められていて、サイケデリック体験と記憶との結びつきの観点から本書を読み進めていくことにした。サイケデリック体験において記憶は鍵を握る。それは治癒のコンテクストにおいてとりわけ重要であり、サイケデリクスが別名“psycholytics”と呼ばれるように、それは思考の鎧や価値観の鎧、さらには身体の鎧を解きほぐす働きがあり、それを通じて過去の抑圧された記憶が顕在意識に浮上してくる。仮にそれがトラウマ記憶であったとしても、顕在意識上でそれと向き合うことを通じて治癒が実現されていく。この時に記憶の種類とそれとの向き合い方が非常に重要になる。記憶について深く知らなければ、サイケデリクスを摂取したことによってもたらされる恩恵的な記憶の想起の効果が希薄化されてしまう。それを防ぐためにも記憶の性質を理解したいという思いで本書を紐解くことにした。


記憶に関する科学的な研究も面白いことは面白いが、その面白さは記憶に関する哲学的な研究に随分と劣る。記憶に関する三人称的な語りはとかく退屈なものになりがちで、記憶というのは三人称的な性質のみならず一人称的かつ二人称的な性質を持っているがゆえに、それらの側面についても言及している哲学的な考察の方に自分は関心がある。


記憶の存在論としては、脳科学者や神経科学者たちは記憶を脳にあるものだと考えている節が強く、やはりそれもまた彼らが立脚している意識に関するパラダイムの限界ゆえに生じていることなのだろう。サイケデリック哲学の中ですでに当たり前のように共有され始めている発想は、脳は意識を生まないというものである。脳はあくまでも意識の受信機なのであり、それは記憶に関しても同じだと自分は考えている。記憶は確かに脳の特定の部位に関係はするが、それは相関関係であり、脳が記憶を保存したり、生み出すという因果関係ではない。記憶が持つ物質的な性質は確かに脳や身体に大きく関係しているが、記憶もまた非物質的な性質を多分に持ち、それゆえに記憶もまた脳が生み出して保存するというよりも、意識が生み出して保存すると考えた方が合点がいく。またそもそも私たちがアクセス可能な集合記憶というものは、多分に個人の脳に格納されているとは考えられず、集合的な意識に格納されており、そこに向かって個人がアクセスしていく形で記憶を引き出すと考える方が妥当なように思える。ここでも脳は記憶を生み出したり、保存したりする働きを持っているというよりも、記憶を引き出す装置として働いていると考えた方が筋がいいだろう。こうした仮説を持って本書を読み進めることによって、また何かこの仮説をブラッシュアップすることができたらと思う。フローニンゲン:2023/12/30(土)05:51


11724. 時間に関するA理論とB理論


記憶と時間の結びつき。それはサイケデリック体験においても非常に重要なテーマとなる。私たちは想像の世界で自由自在にタイムトラベルができる。過去の記憶を想起して過去の世界に生きてみたり、未来を想像して未来の世界に生きることも可能である。そこには記憶と時間が密接に関わっている。


今読み進めているのは記憶の哲学に関する書籍だが、先日久しぶりにオックスフォード大学出版から出版されている時間の哲学に関する論文集を読み返していた。その時に改めて、時間に関するA理論とB理論について復習していたのを思い出す。


時間に関するA理論は別名「現在主義(presentism)」とでも訳せるだろうか。日本の哲学界でなんと翻訳されているのかは不明だが、端的にはそれは、現在の瞬間のみをリアルなものとみなす。言い換えると、出来事は全て現在において生じ、過去はかつてその瞬間において現在であった出来事の集合体に過ぎず、未来は来るべき現在における潜在的な出来事の集合体だと考える。また、A理論における時の流れは過去から未来に向かって流れていくというものではなく、未来から現在を通過して過去に時間が流れていくと考える。


一方のB理論は別名「永劫主義(eternalism)」とでも訳せるだろうか。B理論においては、過去、現在、未来の全てが等しく同時に存在していると考える。別の表現で言えば、過去、現在、未来の全てが等しくリアルであると考える。過去、現在、未来で生じた出来事は時空間におけるブロックを形成していると考えるのも特徴である。


仏教における時間論は興味深く、A理論とB理論の双方を含む流派もあれば、A理論により傾いた流派も存在している。B理論の発想は物理学とも相性が良く、宇宙の生成に関してB理論的な形で議論されているのをよく見かける。一方で、A理論を活用して宇宙の生成を捉えたらどのようなことが言えるだろうかということが気になる。時間が未来から現在を通過して過去に流れていくという発想を取って宇宙の創造を捉えてみると、随分と興味深い宇宙論が展開できるのではないかと思う。ビッグバンから現在にかけて宇宙が進化していると捉えるのではなく、未来の何かしらの宇宙現象から現在を通過して過去のビッグバンを捉えてみるという考え方などもできるのではないだろうか。そのようなことを考えながら、引き続き時間と記憶に関する哲学的な議論をサイケデリック体験と絡めて考察を深めていこうと思う。フローニンゲン:2023/12/30(土)06:33


11725. 量子論から考えるサイケデリック体験中の意識


時刻は午前10時を迎えた。ここ数日間は風が強かったが、今日は世界がとても穏やかである。幸いにも空は晴れていて、2023年最後の土曜日は清々しさがある。今朝方は午前3時半頃に起床し、そこから今にかけて読書が捗っていた。先ほどは、昨日受け取ったプリンストン大学出版から出版された“Philosophy of physics: Quantum theory”という書籍を読んでいた。サイケデリック哲学の研究を進めていくに際して、意識と量子の関係性を考えることはおそらく必須であり、量子論の思想的側面について特に学んでおく必要あると思って本書を購入した。


あえて意識を量子的なシステムだと仮定してみると、あるいは意識の1つの側面として量子的なシステムの性質があると仮定してみると、「重ね合わせ(superposition)」と呼ばれる性質はとても興味深く思う。これは量子的なシステムが複数の状態として同時に存在できる性質のことを指す。仮に意識がこの性質を持っていれば、ウィルバーが述べるような「酔った状態で素面の状態にはなれない」という表現について見直さなければならないように思う。確かに、マクロな意識状態を2つ同時に私たちは経験することができないかもしれないが、量子レベルで言えば複数の状態を取ることは可能なのかもしれない。マクロな意識状態とミクロな意識状態、あるいはクォンタムな意識状態と分類してみると、後者に関しては複数の状態を取ることが可能かもしれないということが見えてきて、そこに通称「クォンタムヒーリング」と呼ばれるような現象の核があるかもしれない。今後のシロシビン・セッションでは、量子次元で意識が複数の状態を取るかどうかの直接体験やさらに深い洞察が得られたらと思う。


量子力学の理論を比喩的でも良いので思索の補助線に活用してみると随分と面白い。例えば、量子系の振る舞いや性質を予測するのに使用される波動関数をサイケデリック体験に適用してみると、波動関数が位置付けられるヒルベルト空間内にサイケデリック体験中の意識状態を位置付けることができるだろう。そして、波動関数が時間の経過と共にどのように変化していくのかを記述するシュレディンガー方程式を用いれば、サイケデリック体験の時間経過に応じた意識状態に関する波動関数の変化を捉えることができる。また、「観測による崩壊」という現象もサイケデリック体験中において興味深く、自分がある超越的な知覚現象を観察すると、意識状態の波動関数が特定の状態に収束する現象というのは確かに見られる。さらに興味深いのは、目撃者の意識状態は自己を完全に客体化し、意識がメタ次元にあるような状態でもあるので、その時に観測による崩壊が生じるのか否か、生じたとした場合にはそれは目撃者の意識状態以下の場合における観測と同じなのかという問いを立てることができる。そして、非二元の意識状態になってくると、さらにこのあたりのテーマは研究対象として非常に面白くなってくる。引き続き量子論について哲学的に学びを深めていき、それをサイケデリック体験と意識の性質の研究に活かしていこう。フローニンゲン:2023/12/30(土)10:15


11726. 2023年最後の買い物を終えて/

今年を締め括る明日のシロシビン・セッションに向けて 

   

時刻は午後3時半を迎えた。つい先ほど2023年最後の買い物を終えて帰ってきた。今日は晴れていたので、スーパーまでジョギングをし、帰りはゆっくり歩いて来た。いつもこれが程よいアクティブレストになっていると感じる。明日はいよいよ大晦日なので、もう街中で爆竹の音が聞こえていた。本来爆竹は法律違反なのだが、警察も特に取り締まっておらず、野放しにしている。明日はきっともっと爆竹の音が聞こえ、睡眠中の夜中には花火が鳴り響くだろう。大晦日であっても生活リズムは変えず、明日もまた午後9時には就寝する。


こうして内省日記を綴ることは、自己観察に他ならず、そこでなされる観察という行為は量子的な存在に1つのローカルなリアリティを与えることに結実しているように思える。また、観察行為を必然的に伴う内省日記の執筆を通じて、波動関数として記述される自己の何らかの側面が1つの状態に収束していき、そこからまた新しい世界とアクションの創出運動に繋がっているように感じられる。内省と自己と量子論という組み合わせについては引き続き考察を深めていこう。


買い物に向かう前にふと、2023年を良い形で締め括るべく、来週末の日曜日に予定していた第23回のシロシビン・セッションを明日に行おうと思った。これまでシロシビンの耐性についてはおよそ2週間ぐらいだと思っていたが、改めて調べてみると、個人差はあるが人によっては数日から1週間ほどで耐性が消えることがあるとのことだった。前回のセッションは2週間空けたがそれほど深い体験はせず、逆にその前はわずか9日間のインターバルで深い体験が得られた。正直なところこの変動性の理由がまだよくわかっていない。自分の体調によって耐性度合いは変化するだろうし、服用量が少し違うだけでも体験の深さが変わることもあるだろう。まだどの変数が決定的に重要なのかが分かっておらず、それも含めて、前回のセッションから7日が経った明日に2023年最後のセッションを実施しようと思う。

明日のセッションのテーマは、マルチバース、パラレルワールド、さらには量子の世界などに焦点を当てたいと思う。意識というよりも物理宇宙側に焦点を当てる形でセッションに臨んでみたい。もちろんいつものように実際に体験が始まれば、そこでリアルタイムに生起する関心事項に身を任せていく。上記以外のテーマについても明日までに考えておこう。そして摂取の仕方については、ここ2回が八丁味噌を和えて美味な形で摂取したが、再びマサテコ族の伝統に則ってカカオパウダーを使用したい。オーガニックのカカオパウダーにヘンプパウダーと蜂蜜を少々加える形のドリンクに刻んだシロシビン・マッシュルームを加える。このドリンクは、小麦若葉を加えていない点だけが早朝のドリンクと異なる。これまでの体験上、やはりカカオパウダーを加えた方が体験に入る時間が短縮され、セッションのトータル時間も若干短縮できるように思う。最後にセッション中の音楽であるが、明日は必ず森の音楽をかけようと思う。森の虫や小鳥たちの鳴き声や小川のせせらぎなどの自然音の音楽を流し、それで体験がどのようになるかを試してみる。さて、2023年の総決算としての明日のセッションではどのような知覚体験が得られるだろうか。明日のセッションもしっかりと準備をし、汲み取れるものを最大限汲み取れるようにしたいと思う。フローニンゲン:2023/12/30(土)15:54

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