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【サイケデリック学・瑜伽行唯識学探究記】12330-12335:2024年3月18日(月)

⭐️成人発達理論・インテグラル理論・瑜伽行唯識学の観点から、リスナーの皆様と心の成長を一緒に実現していくことを目指したサイケデリック唯識ラジオの配信をしています。


⭐️心の成長について一緒に学び、心の成長の実現に向かって一緒に実践していくコミュニティ「オンライン加藤ゼミナール」も毎週土曜日に開講しております。

タイトル一覧

12330. 順調に進むシロシビン・マッシュルームの栽培からの考え事

12331. 今朝方の夢

12332. 『唯識三十頌』の読経行的音読実践の楽しみ

12333. 学説研究と実践の調和/日本の法相唯識教学の独自な発展過程の研究に向けて

12334. 恵まれた環境に感謝して

12335. 唯識学のテキストの基礎・標準・応用の分類/シャドーワークのための煩悩の分類


12330. 順調に進むシロシビン・マッシュルームの栽培からの考え事


時刻は間も無く午前5時を迎える。先ほど、シロシビン・マッシュルームの栽培キットから収穫を終え、オーブンでの乾燥を始めた。新栽培キットからの収穫は連日の如く続き、今日はかなりの収穫量があった。驚くことに、旧栽培キットからもまだ収穫が行えている状態で、今日も2本ほど収穫をした。1つの栽培キットからいったいどれだけのシロシビン・マッシュルームが収穫できるのだろうかと考えてしまうほどに多くの実りある収穫がもたらされている。それについては大いに喜ぶべきだろう。シロシビン・マッシュルームの栽培も販売も認められているカナダでは、完全乾燥させたシロシビン・マッシュルームがまるで筋力トレーニング用のプロテインのような包装の中に入れられる形で販売されていたりする。それはオンラインでも購入できる。その価格を見ると、間違いなく自分で栽培した方が費用を格段に抑えることができる。カナダで販売されるシロシビン・マッシュルームの多くはジャマイカから輸入されているらしく、ジャマイカではサイケデリックルネサンスとサイケデリックビジネスの流れを受けて、シロシビン・マッシュルームを大量生産できるような生産体制の強化を図っている事業者がいる。そんなニュースを先日目にした。カナダでも個人がシロシビン・マッシュルームを栽培することは十分可能であるが、カナダの事業者は自ら生産するのではなく、生産は温暖なジャマイカに任せ、ジャマイカから輸入されたマッシュルームをうまくプロモーションする形で販売している姿が見られる。


シロシビン・マッシュルームに関しては、昨日非常に興味深い記事を見かけた。北米のどこかの大学での研究成果として、天然のシロシビン・マッシュルームと精製抽出されたシロシビンとでは脳の可塑性を増大させる効果もセラピー的な効果にも違いがあるというものだった。どうやら統計的に有意な差が出たらしい。端的には、天然系に軍配が上がる。その研究の原典にあたる論文には目を通していないが、この結果には頷けるものがある。自分がなぜ自らシロシビン・マッシュルームを育て、天然系のシロシビン・マッシュルームとしてセッションを組み立てているのかの理由にもつながる。端的には、やはり「アントラージュ効果」というものがあるのだろう。これは何を意味するかというと、天然系のシロシビン・マッシュルームの場合、そこに含まれているのはシロシビンやシロシンだけではなく、他にも様々な物質が含まれている。中にはサイコアクティブな効果を持つものもあれば、そうではない物質も含まれている。それらが1つのダイナミックシステムを構成するかのように互いに影響を与え合う形で発揮される効果のことをアントラージュ効果と呼ぶ。それに対して実験室で精製抽出されたシロシビンは、物質がそれ単体しかないため、他の物質との相互作用によって生まれる複合的な効果を期待することはできない。人間の心が複雑なのと同じく、シロシビン・マッシュルームもまた複雑な存在なのである。自分がシロシビン・マッシュルームを自らの手で育て、それを摂取しているのはこのアントラージュ効果を期待してのことである。その他に重要なこととしては、自分が愛情を込めて大切に育てたものはその愛情に応えてくれるのではないかという思いもある。この点も馬鹿にすることはできず、植物や菌類とも人間は心を通わすことができ、思いや気は植物や菌類の振る舞いや発育に大きな影響を与える実験結果もあるぐらいなので、今後も自らの手で愛情込めて育てたシロシビン・マッシュルームをサイケデリック・セッションで活用できたらと思う。フローニンゲン:2024/3/18(月)05:08


12331. 今朝方の夢


天気予報を確認すると、今日は1日を通して曇りのようである。早朝5時の今の気温は7度と比較的高く、日中は11度まで気温が上がる。明日から4日間は今日と同じぐらいの気温であるが、今週の土曜日からはまた気温が下がり、最高気温は8度前後となり、最低気温は5度前後となるようだ。フローニンゲンが完全に春の様相を呈するのはやはりまだまだ先のようだ。例年5月中旬までは肌寒さが続くので、今年も例年通りだろうか。あるいは何か変化が見られるのだろうか。そのあたりを楽しみにしている。


今朝方はいくつか断片的な夢を見ていた。まず覚えているのは、自分の心が冒険心に満たされているような場面があったことである。具体的に情景は覚えていないが、とにかく自分は子供のような純粋な心で、目の前に現れる種々の景色を楽しみ、その景色から汲み取られる肯定的な感情の中にいた。唯識用語で言えば、景色の美しさが心に刻まれるという相分薫習と、美しい景色に対する自分なりの感情や意味づけによる見分薫習の2つがあった。その時の自分は、目の前に映る景色の美しさに対して自らが抱く感情や意味が心の奥に薫習されていることには気づいていなかったが、それに気づいていれば自証分薫習となり、自証分薫習もさらにメタ的な証自証分薫習も合わせて見分薫習に分類されるらしい。いずれにせよ、そのような場面があったことを覚えている。


その他には、人の言葉を話す可愛らしい小鳥と会話をしている場面があった。その時の自分の心はとても穏やかで、穏やかだからこそ小鳥と会話できたのだろうし、小鳥との会話によって心を穏やかにさせてもらっているという実感があった。何の話をしていたのかは定かではないが、会話の最初から最後まで静謐な幸福感に包まれる時間が流れていた。


それ以外には、小中学校時代のある友達(KM)と一緒に大型書店を散策している場面があった。自分には買いたい書籍と見たい書籍のコーナーがあり、まずはそのコーナーに向かった。その時に偶然友人の彼と出会ったのである。彼は科学書か何かを立ち読みしていて、彼の姿に気づいたので思わず声を掛けた。そこからはその場で少し立ち話をして、自分が関心を持っている分野について話をすると、彼も興味を示し、そこからは一緒に自分の目当ての本棚のコーナーに向かうことになった。どこにそのコーナーがあるのかは把握していたが、私はあえてすぐさまそこに向かわず、友人の彼と様々なコーナーを寄り道する形でそこに向かった。その過程でも色々と面白いジャンルや書籍に出会うことができ、寄り道することの効能を実感した次第である。すでに自分の中で定まっている目標に対して、あえて直線的に最短距離でそこに向かう必要はなく、大いに寄り道を楽しんで、ゆっくり目的地に向かうことが人生をより豊かにしてくれるのかもしれないと考えさせられる夢だった。フローニンゲン:2024/3/18(月)05:24


12332. 『唯識三十頌』の読経行的音読実践の楽しみ 

     

時刻は午前6時を迎え、小鳥たちが静かに鳴き声を上げ始めた。幾分断続的な鳴き声ではあるが、キッチン側の木々から彼らの鳴き声が染み渡るようにして聞こえてくる。


今日もまた脳を休め、集中力を高める実践としての瞑想実践を行う形で唯識思想に関する研究を進めていきたい。唯識思想の正式名称は「瑜伽行唯識学」なのであり、その名前が示すように、瑜伽行すなわち瞑想実践は核となる。その実践に従事しなければ、唯識学で述べられていることを体験を通じて理解することは難しいだろう。今週末に再び実施するシロシビン・セッションは、深い禅定状態に誘ってくれる優れた実践であり、そうした実践もまた唯識学の理解を助けてくれる。唯識思想は哲学・科学・宗教の三位一体のものであるから、それを思想と呼ぶには忍びない。ここからは唯識学という言葉を積極的に使っていきたいと思う。


今日の唯識学研究はいつものように、唯識学のテキストの音読から始める。昨日の段階で『成唯識論』の英訳書の全体感を掴む音読を終えたので、今日からは"Seven works of Vasubandhu: The Buddhist psychological doctor (2nd. ed.)”に掲載されている『唯識三十頌』の音読に従事したいと思う。もちろん『成唯識論』は非常に重要なテキストなのだが、唯識学のエッセンがコンパクトに詰まった『唯識三十頌』をより優先させて音読するべきであるという考えが昨日に芽生え、『成唯識論』については隅から隅まで音読をしていくのではなく、どのようなトピックが論じられているのかを大まかに確認するような形での音読をしていき、全10巻の音読をひとまず終えた。今から『唯識三十頌』の音読に取り掛かるが、ここではこのテキストの全文を覚えるという意識で音読を進めたい。もちろん肩肘を張る必要はなく、むしろそれをしてしまうと逆に覚えにくくなってしまうだろうから、重要なことは楽しむことである。そして感動することである。楽しさと感動の感情が自然と体験を記憶させる。記憶したいものを無理に覚えようとするのではなく、楽しく繰り返し行為に従事していたら、いつの間にか覚えてしまっていたという状態が理想である。ここからの朝と午後の読経行的音読実践は、そのような形で進めていければと思う。『唯識三十頌』の項目を暗記することができるようになれば、本当にいつでもどこでも自由自在に唯識学の教えを通じて自己観察ができ、豊かな利他行に従事できるようになるだろう。そうした近い将来の自分の姿を想像するだけでワクワクしてくる。このワクワク感もまた学習を加速させる意味で非常に重要な要素かと思う。他の実践と同様に、ここから日々の読経行的音読実践を楽しんで行っていこう。フローニンゲン:2024/3/18(月)06:16


12333. 学説研究と実践の調和/日本の法相唯識教学の独自な発展過程の研究に向けて


時刻は午前9時を迎えた。つい今し方、朝の瞑想実践を終えた。早朝から唯識学研究を進め、朝の研究においては一番集中力がある時間帯なので、そこでは難解な学術書を優先して読むようにしている。しばらく集中して読解を進めていき、少し休憩が必要だと思ったところで瞑想実践を取り入れるようにしている。


ここからは、学者としての学説研究と、実践者としての実践の調和をゆっくり実現させていくことを意識したい。最初は両者を差異化しながらそれぞれの学びを進めていき、徐々にそこでの学びを統合していく。そうすれば、学術研究と実践が即座に結びついたものになるだろう。どちらか一方の極ばかりに従事しないように気を付ける。読み進める書物の種類に注意を払っていく必要がある。得てして難解な専門書ばかりを読み進めることに偏ったり、実践に役に立つ平易な解説書ばかりを読み進めることに偏ったりしがちである。そうした偏りに注意深くなり、両者を横断した読書を心がけていく。


ここからの自らの唯識学研究は、サンスクリット語やチベット語ではなく、漢文に親しみ、日本の法相唯識教学の独自な発展過程を明らかにしていく研究に従事していきたい。とりわけ学僧たちの問答には関心があり、どのような対話が奈良時代から江戸時代にかけて行われていたのかを研究していきたいと思う。時代を超えて当時の日本の学僧たちの声に耳を傾け、対話を傾聴するという楽しみがある。サンスクリット語やチベット語での唯識学研究は欧米の学者がすでに盛んに行っていることであり、自分にしかできない研究としては法相唯識教学の独自な発展過程を漢文日本語文献を用いながら英語で研究していくことかと思う。とにかくこの研究に本格的に従事するために、今は兎にも角にも基礎体力を涵養していきたいと思う。毎日の探究活動はまさに基礎体力の醸成を目的にしている。フローニンゲン:2024/3/18(月)09:05


12334. 恵まれた環境に感謝して      


時刻は間も無く午前11時を迎える。ここまでの時間における唯識学研究はすこぶる順調に進展していた。2冊の専門書の初読を終え、3冊目の書籍に取り掛かることができているし、それだけではなく、5月中旬からゼミナールの方で開始する唯識学講座のPPTスライドも作成することができていた。そちらの講座の開講に向けて、課題図書の第8章に該当する部分のスライドを作成し、反転学習用の動画を作り終えた。明日は第9章に対してPPTスライドを作成し、講義動画を作っていこうと思う。このように唯識学の研究に関して様々な角度からそれに取り組むことができているのは喜ばしいことであり、単に専門書を読むだけでも、単に講義をするだけでもなく、読解と講義の両方が調和している点に喜びと楽しさを見出す。換言すれば、それはインプットとアウトプットの絶妙なバランスが取れていることであり、それが学習を加速させる。ここでこうして唯識学の研究過程について文章を執筆していることも、夢を題材にしたり、日常の何気ない事柄を題材にして唯識学の用語体系を活用して文章を綴ることもまた最良のアウトプット的実践かと思う。午後にジムに行く際にも、絶えず頭の中には唯識学がある状態にしておき、トレーニングに集中しながらも、インターバルでは一息つきながら唯識学と絡めて思索を深めたいと思う。


自分に与えられた恵まれた環境特性。それは唯識学に没頭できる状況と、法規制に則った形での2週間に1度のシロシビン・セッションを実施できる状況とが組み合わさった環境にあることである。この恵まれた環境を活かさないことは、自らに与えられた使命に反することであるようにすら思えてくる。意識探究における最良の実践と呼べるであろうサイケデリック実践が法規制に遵守する形で行えるオランダの地の利を活かし尽くすこと。とりわけここからの1年は集中的に隔週でのシロシビン・セッションに力を入れ、そこで2週間分の唯識学研究で学んだことを体験を通じて検証していく作業を行っていきたい。そもそもこうして毎日経済的にも時間的にも自由が確保される形で唯識学研究に没頭できていることが、どれだけ恵まれたことなのかを認識しなければなるまい。そしてそれに対して感謝をしなければなるまい。唯識学研究に何の心配もなく没頭して打ち込むことができることと、その学びを直接体験を通じて検証できる最良の実践としてのサイケデリック実践に従事できるこの環境には、感謝しても仕切れないほどである。この感謝の念を持ち続け、それを深め続けていけば、それが阿頼耶識に薫習されて、何らかの望ましい結果として現行してくるだろう。それに過度な期待を抱かず、執着せず、種々の縁によってもたらされるであろう未知なる果実を楽しみにしながら、まずはこの1年間、唯識学研究とシロシビン・セッションに全身全霊で励んでいこうと思う次第だ。フローニンゲン:2024/3/18(月)10:55


12335. 唯識学のテキストの基礎・標準・応用の分類/シャドーワークのための煩悩の分類         

時刻は午後5時を迎えた。夕方の穏やかな空が広がっていて、ほのかに夕日が輝いている。午後にジムに向けて自宅を出発した時には天から一直線に降り注ぐ雨に見舞われていた。幸いにも風はなく、煩わしい雨では決してなく、むしろ趣深い雨が降っていた。ジムから帰る頃には雨はすっかり上がり、横切ったノーダープラントソン公園には美しい花々の残存する雨粒が夕日に照らされる形で輝いていた。そこから自宅に戻ってくる最中も、ずっと小鳥たちの鳴き声が聞こえていた。朝夕の小鳥たちの鳴き声は、本当に心を穏やかなものにしてくれる。ただただそれに感謝である。


今日のジムでの自主トレーニングも充実した内容だった。今週末のシロシビン・セッションに向けて身体を調整してくかのようなトレーニングだった。シロシビン・セッションの質を左右する個人的属性は、間違いなく食事・運動・睡眠であろう。それらが整って初めて心も整い、心身ともに整った状態でセッションに望むことが望ましい。1年単位で学習と実践をあえて区切るのであれば、ここからのおよそ52週間において、隔週でのシロシビン・セッションは26回ほど行える計算になる。それを少ないとみなすのか多いとみなすのかは個人の感覚によるが、いずれにせよ自分にとっては毎回のセッションが最後のセッションであるかのように貴重なものとして真剣に向き合いたいと思う。そうした1回1回の真摯な取り組みが自分を成長させるのである。


それ以外にもここからの唯識学研究においては、手元の書籍を基礎・標準・応用と3分類し、3ヶ月単位を目処にして基礎から順に知識を身につけていこうと思った。そしてひとたび応用まで一巡したら、再び基礎に戻って知識の基盤をさらに確固なものにしていきたいと思う。現在手持ちの書籍の中でまだ何冊か未読のものがあるので、それらの初読が済んだら、その段階で一度全ての唯識学の研究書を難易度別に3分類し、3ヶ月を目安に集中的に基礎・標準・応用の順で読み進めていこうと思う。


最後に、5月中旬からの唯識学を扱ったゼミナールの講座に向けて、唯識学における煩悩の分類のPPTスライドは早めに作ってしまって、その講義動画も合わせて作成していこうと思った。唯識学における煩悩はシャドーと置き換えることもできるし、もっとわかりやすく言えば私たちのコンプレックスである。シャドーワークをせよと言ってもなかなかうまくそれができないのは、結局シャドーが何かわからないからであり、何を対象としてシャドーとみなせばいいか分からないからである場合が多いように見受けられる。そこでシャドーをコンプレックスという言葉で置き換え、唯識学の煩悩の分類を紹介することで、シャドーワークを行いやすくする手助けができるように思う。自分も唯識学の煩悩の分類のおかげで、自らのコンプレックスであるシャドーとより向き合いやすくなった。きっとこれは心の成長を実現したいと思う人にとってもとても意味のある分類なのではないかと思う。フローニンゲン:2024/3/18(月)17:21

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