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【サイケデリック学・意識哲学探究記】12253-12258:2024年3月5日(火)



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タイトル一覧

12253. 今朝方の夢

12254. 今日の唯識思想探究

12255. 実践思想体系としての唯識思想を学ぶ際に忘れたくないこと

12256. 仏教言語芸術作品としての『唯識三十頌』/潜在能力を引き出す利他心と宗教心

12257. 学術研究と瑜伽行の往復/唯識思想におけるエコロジー思想と倫理思想の研究に向けて

12258. 親友のメルヴィンから聞いた興味深い2つのエピソード


12253. 今朝方の夢


時刻は午前3時を迎えようとしている。今朝方も午前2時半前に起床し、今日もまた一日中唯識思想の研究に喜びの感情と共に打ち込めるだろう。今日は午後にかかりつけの美容師かつ親友のメルヴィンの店に行き、髪を切ってもらう。いつもは5週間に1回髪を切ってもらうのだが、今回はメルヴィンがオーストリアに旅行に出かけていたので6週間ぶりの散髪となる。わずか1週間違うだけでも髪の分量が多く感じ、煩わしく感じる。短髪の方が洗髪も乾燥も楽なので自分は短髪を好む。


今朝方の起床前に見ていた夢としては、日本のある有名な学者の方と尊敬するジャーナリストの方と3人でファミリーレストランで打ち合わせをしていた場面があったのを覚えている。私たち3人は、今度の収録に向けて色々とアイデア出しをしていた。その回は私がゲストとして呼ばれた形となるため、2人から事前にいくつかの質問を受け、それに答える形で当日の対談のコンテンツ案を固めていった。打ち合わせの中で、学者の先生が私にあるクイズを出した。それはアメリカの世界地図における位置付けに関するものだった。アメリカが政治的にどの地域に属するかではなく、純粋に地理的にどのような位置付けになるのかのクイズだった。その問題は普通に考えればそれほど難しくなく、アメリカは北半球に属するというのが答えだと思ったが、そんな簡単な問題をその先生が出題するかなと一瞬疑った。しかし特に引っ掛け問題でもなさそうだったので、そのように答えると、見事に正解だった。自分にとって簡単だと思った問題も、意外と世間の人は答えられないようで、それに驚いた。晴れて正解をした私に、先生はコメントを求めてきた。私が口を開いて回答をすると、先生はそれをメモし始め、今度の収録で発表でもするのかと思って気恥ずかしくなった。たいした問題ではなかったので、それに正解したことに対してコメントを求められたことに気恥ずかしさを感じたのである。二言(ふたこと)、三言(みこと)コメントをしたところで、そのコメントがどこかに掲載されるのは嫌だったので、私は照れ笑いを浮かべながらコメントするのをやめて、自分のコメントを忘れてもらうように先生にお願いした。先生は「そうですか」とだけ一言述べて、コメントをメモする手を止めた。そこからはまた3人で談笑しながら収録に向けた準備をしていった。そのような夢を見ていた。


今日の夢の世界は総じて落ち着いていたように思う。確かに見知らぬ若い日本人女性が出てきて、その女性と話をしている場面もあったように思うが、それについてはもう覚えていない。今日の目覚めもすこぶる良かったので、今日の探究活動も非常に捗るであろう。フローニンゲン:2024/3/5(火)03:00


12254. 今日の唯識思想探究      


時刻は午前3時を迎えた。辺りはまだ真っ暗だが、ここ最近は日の出が随分と早くなったことを感じる。小鳥たちも鳴き声を上げるのが早くなり、彼らと一緒にお互いに励まし合いながら、支えあいながらそれぞれの取り組みに従事しているような印象を受ける。


昨日、シロシビン・マッシュルームの旧栽培セットからまたしても2本ほど非常に立派なマッシュルームを収穫することができた。今もまだオーブンでの乾燥を続けている。新栽培キットの方も順調にたくさんのマッシュルームを生み出しており、後ほど収穫をしてそちらもオーブンで乾燥させていこうと思う。今週の日曜日にはまたシロシビン・セッションがあり、新栽培キットで収穫されたものを試してみる予定だ。これまで育ててきたものとは品種が違うため、同じシロシビンと言っても体験は若干異なりうる可能性があるのではないかと思う。シロシビンやシロシンの含有量が異なることによって、きっと体験の種類や質に幾分変化が見られるのではないかと仮説を立てており、それが本当にそうかを自らの体験を通じて検証してみる楽しさが今週末にはある。


それではこれから朝の呼吸法とアニマルフローの実践に取り掛かりたい。それらは心身を完全に目覚めさせ、1日の活動に弾みをつけてくれる。それが終わったらいつものように朝の創作活動に取り組み、言葉の世界を離れ、非言語的な世界に身を置く形で自分の内側から生まれるものを形にしていく。この実践もまた自分にとっては非常に大事なものであり、それはサイケデリック実践や唯識思想の探究とも深層的に結びつく。


今日の唯識思想探究は、『三性論』を実践者の目線で解説したわかりやすい英語文献の再読から始めていきたい。それを読み終えたら、来週に到着予定の30冊ほどの和書の唯識思想の研究書を初読することに打ち込むことを見越して、 手持ちの和書の唯識思想の研究書を再読していきたいと思う。今回が全ての書籍に対しての三読目であり、初読よりも再読の時の方が、そして再読よりも三読目の方が圧倒的に理解度が高まっている様子を見ると、まるでペンキを何度も塗るように、たくさんの同じ書物を何度も繰り返し読むことの効能を実感する。お互いは別々の書籍でも、ある書籍で書かれていたことが別の書籍の読解を手助けし、それを通じて自分の内側で知識のネットワークが大きく堅牢なものに育まれていっているのを実感する。知識体系もまたダイナミックネットワークなのであり、諸縁の因果の産物なのである。そんなことを思う。フローニンゲン:2024/3/5(火)03:13


12255. 実践思想体系としての唯識思想を学ぶ際に忘れたくないこと     

   

これからも持ち続けたいこと。そしてこれからも決して忘れたくないこと。それは唯識思想を学べることに対する感謝の気持ちである。こうして唯識思想を毎日学ばせてもらえることは本当に有り難いことなのであり、本当に尊いことなのだ。それへの感謝の気持ちは絶対に忘れてはならない。その気持ちを欠いた時、自分の探究は足踏みをし、自らの心の成長もそこで止まるであろう。


唯識思想に関する研究書は自分にとっての聖書のようなものなのである。毎日書籍を開く前には書見台の上に置いた書籍に対して手を合わせ、お辞儀をしてから書籍に手を触れるようにしている。それだけ敬意を払って探究を進めている自分がいる。それは自然と生まれた習慣であった。これがさらに習慣化されたら、おそらく唯識思想に関する書籍だけではなく、全ての書籍を読む前に手を合わせてお辞儀をし、感謝の念を捧げてから書籍を紐解くことになるかもしれない。著者とその書籍を作ることに関与した全ての人への感謝の念。そもそも書籍は紙でできていて、それは植物からもたらされたものなのだ。書物を通じて学ぶというのは、他の生命を通じて学ばせてもらうということなのだ。その点を決して忘れてはならない。


今日の唯識思想探究で意識すること。それは至ってシンプルである。言語学習と同じで、学んだ単語を即座に実践適用することである。「瑜伽行唯識学派」という名前にあるように、唯識思想は瑜伽行の実践者集団が生み出した実践思想体系なのである。それは悟りに至るため、自他を悩みや苦から解放させるための実践的な叡智の結晶体なのだ。それを学ぶ時には兎にも角にもその思想体系が持つ実践という志向性を忘れてはらない。確かに唯識思想は心に関して緻密な分析をしているが、それはあくまでも自他の救済と心の成長のためなのであり、その点を忘れて、学んだ事柄を自らの心を省みることなく単に字面だけ学んでもほとんど意味はないのである。お勉強のためのお勉強は、唯識思想に関しては特に無意味になる。今日これから触れる種々の言葉を自分の内省実践に活かし、日々の生活の中で誰かと関わる際にはそれらの言葉を思い出しながら人と関わり合いたいと思う。そうすれば、少しずつ自分自身と自分を取り巻く他者の成長が実現されていき、より一層幸福な人生を送れるに違いない。今日は幸いにも親友のメルヴィンと話をする機会があるので、唯識思想の名前を出すかどうかは別にして、この教えをもとにした対話をしてみたいと思う。フローニンゲン:2024/3/5(火)04:15


12256. 仏教言語芸術作品としての『唯識三十頌』/潜在能力を引き出す利他心と宗教心


時刻は間も無く午前6時を迎える。ここまでのところ、早朝の唯識思想研究は順調に進んでいる。取り掛かっていた英文書籍の再読がひと段落ついたので、ここからは和書に移ろう。そしてまたどこかのタイミングで英文書籍に戻ってきたいと思う。このように日英の言語を往復しながら唯識思想について学ぶと、どちらかの言語を通じてだけでは決して感得・体得できない学びが得られる。言語は異なるリアリティの道を開示する働きを持っているため、異なる言語で唯識思想を学ぶと理解がより多角的になり、深く豊かな理解が得られるのだ。それであればここからサンスクリット語、チベット語、中国語を通して唯識思想に触れていくと、今よりもさらに深く豊かな学びが得られるだろう。それを想像するだけで喜びが溢れてくる。


改めて世親(ヴァスバンドゥ)の『唯識三十頌』を眺めてみると、世親は偉大な仏教者だっただけではなく、本当に優れた詩人でもあったことに気づく。『唯識三十頌』のサンスクリット語の原典を見ればそれが一目瞭然である。彼の言葉の選び方、そして言葉の配置の仕方は見事であり、『唯識三十頌』は1つの仏教言語芸術作品だと思う。そのような観点で『唯識三十頌』を味わってみると、また違った楽しみと発見があるに違いない。世親のみならず、『唯識三十頌』を翻訳した玄奘もまた偉大な詩人としての才能を持っていたことが漢訳を通じてわかる。もちろん経典や論集には長いものもあるが、短いものもあり、とりわけ短いものは詩集のような形で読み解く楽しさがある。世親の『三性論』もまた非常に短い詩的作品として読むことができる。


世親にせよ玄奘にせよ、他の偉大な仏教者の仕事を眺めていると、利他心に溢れ、宗教心に駆られた使命感に基づく彼らの仕事が内包するエネルギーと力には本当に圧倒され、感服させられる。あれだけ膨大な仕事を残すことができたのは、彼らが利他心と宗教心の双方を深く持っていたからだと思う。決して自分のためだけを思ってあのような仕事ができるとは到底考えられないのだ。彼らは慈悲深い利他心と信心深い宗教心を持っていたためにあのような偉業がなし得たのである。利他心と宗教心は、私たちの中に眠っている途轍もない才能と力を引き出す。彼らの仕事を見ていると、そのようなことを思わずにはいられない。そこで自らの利他心と宗教心への内省の目が向かう。自分はどれほど利他心と宗教心を持っているだろうか。少なくとも今の自分は菩薩に向けた発起心がある。利他心と宗教心はまだまだ小さなものかもしれないが、それらは自分の中にすでに芽を出しており、ここからそれを自分の取り組みを通じて少しずつ育んでいけばいいのである。その過程の中で、きっと自分は少しずつではるが誰かの役に立ち、社会のためになる仕事を積み重ねていくことができるだろう。フローニンゲン:2024/3/5(火)06:07


12257. 学術研究と瑜伽行の往復/

唯識思想におけるエコロジー思想と倫理思想の研究に向けて 

 

気が付けば、時刻は午前10半を迎えていた。今朝もまた午前2時半に起床し、そこから今にかけての唯識思想の探究はすこぶる捗っている。この探究を支えているのは集中力を持続させるための実践を適宜行なっているからだろう。唯識思想の学理的な探究に並行して、休憩がてら2、3時間に1回、瑜伽行(ヨーガ行)を行っていることがその秘訣のように思える。そこでは軽く身体実践をし、そこからしばらく瞑想実践に入る。身体実践においてはヨガマットの上に横になって、脳の方向に血液を流すようなアーサナを行うようにしている。そこからしばらくシャバーサナのポーズで横になり、ある程度時間が経ったら身体を起こして少々瞑想実践を座った形でも行う。この横になった状態と座った状態での瞑想実践が脳を休め、集中力を回復させることにすこぶる役になっている。早朝から夕方の夕食準備の時間まで、書物を通じた探究とこの瑜伽行を行ったり来たりしているのが自分の毎日の探究活動の姿である。


早朝にふと、唯識思想が私たち人間を解放し、幸福にするだけではなく、自然環境を含めた他の生命の幸福にどのように資するのかという観点でも研究をしてみたいと思った。つまり、唯識思想とエコロジーの架橋をしてみたいと思ったのである。また、来たるポストヒューマン・トランスヒューマンの時代における唯識思想が果たす役割や意義についても考察を深めたい。そこでは特に唯識思想が持つ生命倫理観は重要な役割を果たしそうだと予感している。仏教のエコロジー思想と倫理思想から出発して、唯識思想におけるエコロジー思想と倫理思想を見出していきたい。そのような研究もどこかのタイミングで着手してみよう。フローニンゲン:2024/3/5(火)10:39


12258. 親友のメルヴィンから聞いた興味深い2つのエピソード


時刻は午後4時を迎えた。天気予報では少し小雨が降るようだったが、雨に見舞われることなく散髪と買い物から帰ってくることができた。今日も親友のメルヴィンとの対話は大いに盛り上がった。前回はVRゲームで話が大いに盛り上がったのだが、今日はまずメルヴィンの先日のオーストリア旅行の話を聞くことから始まった。メルヴィンは先日、数歳離れた年下の弟と一緒にフローニンゲンからバスに揺られてオーストリアの山に出かけ、そこで8日間ほどスノーボードを含めて山での生活を楽しんだそうだった。山で過ごしたことによって、メルヴィンのエネルギーが随分と高まっていることを感じたが、本人もその自覚があるらしかった。スノーボードをしている最中にフロー状態を体験した話が印象に残っていて、メルヴィンは何に対しても高い集中力を発揮できる才能を持っていることからスノーボードを通じてもフロー状態に入りやすいのだろう。


今日のメルヴィンとの話の中で特に印象に残っているのは、メルヴィンは幼少期の頃に地球で生きることに違和感を感じていたらしく、母親に「星に帰りたい」と何度も述べていたらしいことである。ひょっとしたらメルヴィンは本当に地球ではないどこかで生まれたか、地球外生命体の遺伝子を受け継いでいると思われるぐらいに霊的能力が高い。母親とのそのエピソードは初めて聞いたように思うので驚きもひとしおであったが、メルヴィンの霊的洞察力を見れば、そのようなことが幼少期にあったとしても不思議ではないかもしれないと思った。それともう1つとても印象に残っているのは、メルヴィンが18歳の時に経験した車との衝突事故である。彼はそこで霊的覚醒を果たした。車にぶつかる瞬間にそれまでの人生の記憶が走馬灯のように流れ、車とぶつかった瞬間に大きな光に包まれ、自分の潜在能力とそれを使って果たすべき使命が直感されたらしかった。「その事故では大怪我をしたの?」と尋ねたところ、「それが全く無傷だったんだ」とメルヴィンは述べ、その点も大いに驚かされた次第だ。事故を通じて得られたその体験は、メルヴィンのこれまでのサイケデリック体験を遥かに凌ぐものだったらしく、その事故を経て以降は、世界を見る眼が全くもって変わったらしい。物質的なものではなく、精神的なものを捉える眼が一気に開眼したらしかった。そこからもお互いの近況報告を交えた楽しく、そして洞察に溢れる会話を楽しんでいた。前回の時にも話にあったように、近々メルヴィンの家に行ってVRゲームを体験させてもらうことになり、それが今から楽しみである。この夏にオランダを離れることになったら、メルヴィンと過ごせる時間はもうあとわずかである。そんなことを思うと、メルヴィンとこれまで過ごしてきた時間に感謝の念が絶えず、これから数ヶ月の間に親友のメルヴィンと過ごす時間を本当に大切にしたいと思った。オランダでの8年の生活は、メルヴィンなしでは語ることができないし、彼は本当に大切な心の支えであった。フローニンゲン:2024/3/5(火)16:14

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