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【サイケデリック学・意識哲学探究記】12036-12040:2024年2月3日(土)



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タイトル一覧

12036. 次回のシロシビン・マッシュルームの栽培キットの検討/識としての物質世界

12037. 唯識思想に関する夢

12038. 今朝方の夢の続き

12039. 唯識思想の英文書籍の一括注文に向けて

12040. インド哲学の探究動機を高める香水を購入して


12036. 次回のシロシビン・マッシュルームの栽培キットの検討/識としての物質世界 


時刻は午前4時半を迎えた。今、暖房の音がしきりに聞こえてきて、部屋を一生懸命温めてくれている。その仕事ぶりに感謝である。先ほど栽培キットのシロシビン・マッシュルームの様子を確認し、5周目の栽培もまだもう少し収穫ができそうだと分かった。小さな頭を見せているものがいくつかあり、それらが無事に育ってくれれば、先日収穫したものと合わせて英雄の服用量ぐらいにはなりそうである。おそらく今回の栽培キットはその収穫で最後になりそうで、以降もポツポツと小さなマッシュルームが育ったら、それはその都度収穫してマイクロドーシングかミクロドーシングとして摂取してみようと思う。全ての収穫を終えたら、今度は別の品種を育ててみたい。近所のスマートショップに行き、そこで店長のラジェンドラと相談し、前回と同じぐらいの効力を持つ別の品種の栽培をして、前回の品種との比較を行ってみたいと思う。今のところ、今回のシビレタケ属に属するものではなく、「アイゾメヒカゲタケ」の栽培を検討している。こうした栽培経験と異なる品種を摂取することは学びの体験となり、サイケデリクス研究において非常に重要になる。  

  

昨日の考え事をふと思い出す。物質も心も、物理現象も心的現象も意識の中の出来事や現象であるという唯識思想をさらに推し進め、全ての出来事も現象も、その根幹は意識であり、意識によって成り立っているという考えを自分は採用し始めていることについて考えていた。素粒子に関する標準理論が素粒子は大きさを持たないことを前提に置いているように、物質も突き詰めれば大きさを持たない意識体なのではないかと思えてくる。表観すれば物質の根元は粒子として知覚されるが、裏観すればそれは確率の波という非物質的な意識体として知覚される。意識の根幹はもちろん意識体であり、物質ですらもがその根幹は意識体なのではないかという考えが、自身のサイケデリクス体験と量子物理学の議論を通じてますます確証高いものになっている。物質もまた物質ではないものから成り立っている可能性があるということ。物質がなんと非物質である意識体から成り立っている前提で量子物理学の一部の理論における議論が展開されているのは大変興味深い。そうなってくると、ますます唯識論が述べていることが真理であることが見えてくる。唯識の勉強をどこまでも深く行っていくこと。それに今、自分の意欲が燃え上がっている。フローニンゲン:2024/2/2(金)04:37


12037. 唯識思想に関する夢 


今朝方もまた今の自分の関心を色濃く映し出す夢を見ていた。その夢の内容に加えて、夢から考えさせられたことや学んだことを書き留めておきたい。


夢の中で私は、大乗仏教の唯識派を開いたマイトレーヤと唯識派を発展させ、それを完成させたと言われるヴァスバンドゥの思想を一人研究しながらニヤニヤと笑みを浮かべていた。そのあまりの思想の深さに思わず笑みがこぼれ、同時に今の自分でも理解できる箇所がいくつもあり、それらがことごとく自分のサイケデリック体験を記述するものだったので驚き、それによって笑みがこぼれていた。とにかく溢れんばかりの知的興奮が自分の内側に生じていた場面があった。


この夢が示すように、今の自分は寝ても覚めても唯識について考え、唯識について学んでいる。この思想はそれだけの価値がある。また、それだけの奥深さがあり、唯識の思想を深く習得し、それを実践適用するのは一生涯かけて行うに値するとも思っている。今のところ、英語文献で手に入るものは全て入手しようと思っている。幸か不幸か、唯識に関する英文書籍はそれほど多くなく、数は少ないながらもそれらは全て生粋の学術書なので読み応えがある。まずは唯識に関する英語翻訳の全ての書籍を読み込んでいき、そこから派生的に唯識に関する英語論文を読み進めていく。そしてサンスクリット語を学びながら、唯識思想に関するサンスクリット語の原典となる経典を読み進めていくことをこれから行っていきたいと思う。サンスクリット語の原典を読むのはもう少し後になるだろうが、必ずそこに到達し、そこからさらに深く唯識思想の世界に入っていきたいと思う。


昨夜、唯識思想に関して購入するべき文献をリストアップしていたときに、マイトレーヤ、アサンガ、バスヴァンドゥが残した経典の英語翻訳だけではなく、唯識思想と出会って人生を大きく変えた三蔵法師こと玄奘の『成唯識論』の英語翻訳も購入しようと思った。玄奘は唯識思想の深さに打たれ、当時中国に存在していた翻訳に疑問を持ち、実際にインドに行って原典を読みたいと思って旅に出た。その旅の過程が記述されたのがかの有名な『西遊記』である。自分も玄奘と同じく、まるで雷に打たれたかのように唯識思想と深層的な出会いを果たした。玄奘が残した『成唯識論』は、バスヴァンドゥが完成したと言われる唯識思想に関する経典の注釈書を残した10人の秀才的な僧の書物をまとめたものである。仏教の教義研究の特徴は、注釈書が膨大にあるという点であり、注釈書の執筆を通じて思想がどんどんと豊かに発展していったという歴史がある。『成唯識論』はまさに、ヴァスバンドゥが残した経典の注釈書の注釈書ということになるだろうか。しかしその分、分量は多く、非常に読み応えのある内容と聞いているので、今からそれを入手して読み進めていくことが楽しみで仕方ない。唯識思想に関する書籍の一括購入は明日の午後に予定している。フローニンゲン:2024/2/2(金)04:53


12038. 今朝方の夢の続き


つい先ほど今朝方の夢に振り返っていたが、その夢が唯識に関するものだっただけではなく、実は次に見ていた夢もまた唯識に関するものだった。


夢の中で私は、サンフランシスコの街中をランニングしていた。その日はサンフランシスコの街を上げてのフェスティバルが行われていて、人でごった返していた。サンフランシスコのメインロードは交通規制がなされており、その分走りやすかった。サンフランシスコの街並みを眺めながらランニングをしばらく楽しんだ後、運動してお腹が減ってきたので蕎麦屋に行くことにした。蕎麦屋に到着すると、そこで自分と同い年ぐらいの日本人の男女と相席となり、話をしながら蕎麦を食べた。そこで話題に挙がっていたのがインド哲学であり、中でも唯識思想について熱く語り合っていた。男性の方はあまりインド哲学に詳しくないようで少しぽかんとしていたが、女性の方がインド哲学全般に大変詳しかったので、2人で盛り上がっていたと述べるのが正確かもしれない。いざ蕎麦を食べ終えてお会計をしようと思ったときに、小中学校時代の親友(HS)と出会った。彼と偶然店の中で会ったので、少し立ち話をすることにした。どうやら彼はその蕎麦屋で働いているらしく、実は私は覚えていないだけで一昨日もその店に来ていたようだった。そしてその時のお会計が済んでおらず、彼にツケにしてもらっていたので、一昨日分と合わせて支払いをしようと思った。ところがランニングに出かける際に財布を持ってくるのは嵩張って嫌だったので、クレジットカードではなく、デビットカードだけをポケットにしまっていることを思い出し、スーパー以外での買い物は基本的にクレッジカードで行いたかったので店の支払いをどうするべきか悩んだ。スーパーではクレジットカードを受け付けていないところが多いのでデビットカードでの支払いとし、それ以外の場所ではクレッジカードを使うことがオランダ時代からの習慣になっており、蕎麦屋での支払いはクレジットカードで行いたかったのだ。ここでまたツケにしてもらうのも悪い気がしたので、自宅は近くということもあって、クレジットカードを取りに行って支払いを済ませようと思った。そのような夢を見ていた。


この夢でもまたインド哲学が登場し、唯識思想について熱く語っている自分がいたことが印象的である。幸いにもインド哲学について話をする対話相手がその夢の中にはいて、現実世界においても唯識思想を含めたインド哲学に関して話ができる対話相手が欲しいところである。そのような思いを持っていると、最近インド哲学に詳しい人たちとの出会いがあり、彼らと対話をすることがこれからの楽しみの1つになるだろうと思ったし、そうした人たちを大切にしたいと思った。フローニンゲン:2024/2/2(金)05:12


12039. 唯識思想の英文書籍の一括注文に向けて      

 

時刻は午前8時にゆっくりと近づいてきており、最近は少し日の出の時間が早くなり、今うっすらと空が明るくなり始めている。そんな中、明日の書籍の一括注文に向けて購入するべき文献を調査し、吟味していた。明日は、唯識に関する英文書籍を一括購入しようと思っている。とにかく今の自分の関心は意識哲学にあり、東洋の意識哲学の中でも唯識思想に最も注目している。現時点ではおよそ20冊ぐらいの専門書の購入で収まるのではないかと思っており、もちろん唯識についてこれから理解をさらに深めていくためにはサンスクリット語の原典を自ら読み解いていく必要があるだろうが、とりあえずこれまで購入した書籍と新たに購入する20冊ぐらいの専門書で随分と唯識については知れるだろうと思う。明日購入しようとしている書籍は、弥勒(マイトレーヤ)、無著(アサンガ)、世親(ヴァスバンドゥ)、玄奘の4人が残したものである。彼らが執筆した全経典・注釈書を購入すればもっと数が膨らむが、とにかく今は意識の研究に焦点を当て、唯識に関する記述があるものに限定して書籍を購入していくことにした。ここからしばらくは寝ても覚めても唯識に関する書物を読んでいくことに意欲が旺盛であり、それを想像するだけで喜びと至福さが内側から溢れ返ってくる。まずは英語翻訳を徹底的に読み込んでいき、そこで得られた知識はサンスクリット語の原典の読解を助けてくれるだろう。


先ほど改めて、ヴァスバンドゥの考えのいくつかに対して考えを巡らせていた。まず、私たちが考えること、経験すること、認識することの全てが意識の内側で生じ、意識の外側で生じるものは何もないというのは完全に同意である。この主張の条件設定が重要であり、私たちが知覚し、認識するものは全て意識の内側にあり、外側にはないということは理解しやすいのではないかと思う。一方、ヴァスバンドゥは外的な対象は存在しないと述べており、それはこの条件設定と照らし合わせれば理解が可能だろうが、これを物質は存在しないと理解しないようにすることが注意かと思う。ヴァスバンドゥの存在論について、唯識思想の存在論についてはこれから学ばなければいけないが、物質の存在を否定してしまうのは素朴な観念主義であり、唯識の存在論においては物質の存在を認めながらも、それは空であり、同時にそれを認識するのは私たちの意識であり、ゆえに物質もまた私たちの意識の内側に存在すると発想するのではないかと思う。最後に、業は集合的であり、意識は間主観的であるという何気ないヴァスバンドゥの言葉は注目に値することを書き留めて置きたい。それが意味することはすでにこれまでのサイケデリック体験から直接体験を積んでおり、この言葉の意味をさらに肉付けするような説明をこれから施していきたいと思う。フローニンゲン:2024/2/2(金)07:59


12040. インド哲学の探究動機を高める香水を購入して   


つい先ほど、1時間半ほどの散歩をしながら買い物から帰ってきた。今日は曇りがちな日であったが、街の中心部は土曜日ということもあって非常に賑わっていた。午前中のゼミナールを終えて、仮眠を取ってから、まずは電動歯ブラシのヘッドの部分の交換部品を買いに街の中心部の電化製品店に立ち寄った。その交換部品がどこにあるのかは把握済みだったので、必要なものを速やかにカゴに入れ、そこからせっかくなので、親友のメルヴィンに教えてもらったプレイステーション5VR2を見てみた。VRヘッドセットと合わせ購入するとある程度の値段がするが、今後VR世界を探究する必要性に迫られることがきっとあるであろうから、最先端のゲームの世界を垣間見ることに加えてVR世界を探究する際に購入を検討したいと思う。本体とヘッドセットを合わせると15万円ぐらいの価格になり、それは良い投資である。今月は15万円を唯識に関する英文専門書の購入に充てることにした。明日に購入を予定しているのは、それなりの値段がする生粋の学術書であるから、25冊ぐらい購入すればプレイステーション5VR2とVRヘッドセットを合わせたぐらいの金額になるかと思う。しかしそれは研究上必要な書籍なので、明日の午後に時間を取って、唯識に関して出版されている英文の専門書に関しては入手できる限り全て購入したいと思う。それら全てを旺盛に読み進めていくことにとても意欲的である。


電動歯ブラシの交換部品を購入した後は、香水がもう切れかかっていたので、新しく香水を買いに行った。香水や部屋の芳香剤に関してはRitualsという2000年にアムステルダムで生まれた化粧品専門ブランドでこの8年間購入するようにしている。このブランドは世界36か国に店舗を展開しており、その東洋的な雰囲気が気に入っていて、東洋的な精神が反映された製品が魅力的である。香水売り場に到着して、気分を変えるためにこれまで使っていた香水とは違う香りのものを購入したいと思った。そこで思わず手に取ったのが、「Maharaja(マハラジャ)」という名前の香水だった。早速試供品の香りを嗅いでみると、そのエキゾチックな香りに惹かれ、すぐさま購入を決断した。そもそもこの香水になぜ惹かれたのかは言うまでもなく、インド哲学に強烈な関心を持っている自分がいたからである。マハラジャとは、大王や皇帝を意味するサンスクリット語の言葉である。まずはそのサンスクリット語の名前に惹かれ、そしてどこかインドを思わせるスパイシーな香りに魅了されたのでそれを購入することにした。新たに購入した香水を使うたびに、インドへの思いを馳せ、インド哲学を学習することの動機が高まるだろう。良い買い物をして満足する形で帰ってきた自分がいた。フローニンゲン:2024/2/2(金)16:08

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