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【オックスフォード滞在記】17734-17740:2025年11月19日(水)


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タイトル一覧

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【オックスフォード滞在記】オックスフォードの出発の朝に

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【オックスフォード滞在記】今朝方の夢

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【オックスフォード滞在記】今朝方の夢の振り返り

17737

【オックスフォード滞在記】将来を見据えた学術的発話訓練の実践

17738

【オックスフォード滞在記】華厳思想への関心の高まり

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【オックスフォード滞在記】歌うように弾くこと

17740

【オックスフォード滞在記】旅の終わり

17734. 【オックスフォード滞在記】オックスフォードの出発の朝に

                           

時刻は午前5時に近づいている。いよいよ今日はオックスフォードを出発し、フローニンゲンに戻る。およそ10日間ほどのイギリス旅行は非常に充実しており、時が経つのはあっという間に感じられながらも、同時に随分とイギリスで生活したような感覚もある。そうした相反する感覚が芽生えているのもまた今回の旅の密度の濃さを自ずから物語っている。今少し小雨が降っているようなので、後ほどホテルを出発する際には折り畳み傘を差して行こうと思う。フローニンゲンも午前と午後は雨のようだが、夕方に戻る頃には雨が上がっているようなので何よりである。ヒースロー空港のラウンジでゆっくりしたいと思ったので、当初の予定よりもおよそ1時間半ほど早くオックスフォードを出発することにした。オックスフォードの街の中心部から空港までバスが出ているが、改めて調べてみるとターミナル4に行くのであれば、バスよりも列車を使ったほうが楽だと思ったので、列車で行くことにした。オックスフォードからロンドンのパディントン駅までの直通の列車に乗り、そこからエリザベス線に乗り換えてターミナル4まで行けるので非常に便利だ。


イギリスに滞在中はギターの演奏をしていないことからも非常に多くの時間があり、幸いにもその時間を活用して、今回出願する大学院のアプリーケーションをほぼ完成させることができた。最も重要な志望動機書についても3校それぞれのもののドラフトを完成させ、今は原稿を寝かせている。その他の記載情報も全て記載しているので、あとは来月にでも志望動機書に加筆修正を加えて完成させたらアプリケーションを提出できる。ただしオックスフォード大学のアプリケーションでは唯一2000字のライティングサンプルを2本要求されているので、今日の移動中やホテルのラウンジではそのドラフトを完成させたいと思う。現状でもすでにドラフトは完成していると言えるが、1本は字数を少々オーバーしているので、その辺りの字数の調整をしたいと思う。オックスフォード:2025/11/19(水)05:00


17735. 【オックスフォード滞在記】今朝方の夢


オックスフォードを出発する朝に次のような夢を見ていた。夢の中で私は、地元の海岸線をジョギングしていた。すると、小学校時代のある友人(TM)の弟が犬を連れて散歩していた。その犬をよくよく見ると、どうやらAIロボットのようで、AIはすでに人間のペットとしても活用されるようになったのかと驚いた。走っている自分を追いかけてくるかのようにAIロボットの小型犬も走り出したが、それは自分に追いつくことは全くなく、常に一定の距離が保たれていた。こうしたことが可能なのもAIならではのように思えた。というのも、本物の犬であればきっと自然と人間に追いつこうとしてくる衝動を持っているからである。しばらく走っていると輝く海がより近くに見えてきた。砂浜を走ろうとしたが、海水が上がっていたのでそれは叶わず、その代わり宙を浮いて海の上を飛ぶことにした。防波堤のところまで辿り着くと、小中高時代のある親友(SI)の実家が見えてきて、庭のバスケットゴールにボールがシュートされる姿が見えた。自分の顔の高さが上がった時にシュートを打っているのはまさに親友であることがわかり、彼もすぐに気づいたので少し話をすることにした。そこからバスケを少々一緒に楽しもうとしたところで夢の場面が変わった。


もう1つ覚えているのは見知らぬ日本人の若い女性に何かを教えている場面である。そこで教えていた事柄は決して学術的なものではなく、人生全般の何か、あるいは生き方に関する何かであった。彼女は熱心にこちらの話に耳を傾けており、時折質問をする形で時間が過ぎていった。彼女にとって意味のある対話の時間であることを願う気持ちが始終あったのを覚えている。オックスフォード:2025/11/19(水)05:18


17736. 【オックスフォード滞在記】今朝方の夢の振り返り

                   

今朝方の夢の構造には、出発の朝という節目にふさわしい「過去との再会」「現在の自己の確認」「未来への役割意識」という三層が折り重なっているように思われる。そこには「原点への回帰と成熟した自己の再編成」という発達的プロセスがきわめて象徴的に描かれている。まず、地元の海岸線を走る場面は、自分の原風景への回帰である。人生の新たな章に入る直前、人はしばしば根底にある景色や感覚に立ち戻る。この海岸線は、自己形成のもっとも根源的な層──幼少期の身体性と記憶──を象徴しているように思われる。そしてそこで出会うのが小学校時代の友人の弟である点は、自分の時間軸が巻き戻されていく感覚を象徴的に示している。だが彼が連れていたのはAIロボットの犬であり、この組み合わせは「過去の記憶」と「未来の技術」が奇妙に接続される瞬間である。幼少期の素朴な世界に、最先端の人工的な存在が侵入してくるという違和感は、現在の自分がまさに「伝統と未来」「古典とAI」「古き学問体系と革新的研究環境」のあいだに立っていることを示しているかのようである。ロボット犬が追いかけてくるが決して追いつかず、一定の距離を保つという描写は興味深い。これは、自分に迫りつつある技術革新や効率化への圧力が、完全には自分のペースを乱さないことを示しているように思える。つまり、AIがどれほど進化しようとも、自分は自分の歩幅で進むべきであり、技術に追い越されるのでも、逆に振り回されるのでもない。その「距離の保持」は、学問の核心において大切にしている姿勢──テキストをじっくり誠実に読むという自分ならではの研究スタイル──を象徴しているように感じられる。さらに、輝く海が近づいてくる場面は、無意識の奥深くにある「大いなる流れ」、すなわち生命の源泉や宇宙的な広がりを象徴している。砂浜を走れず、代わりに宙を浮いて海上を飛ぶという展開は、現実の制約を超えた内的自由の高まりを示す。この浮遊感は、現在の自分が精神的に大きく解放されつつあること、特にオックスフォードで得た知的刺激によって新たな視界を獲得しつつあることを反映しているようである。防波堤の先に親友の実家が現れ、バスケットゴールにシュートが吸い込まれていく。これは「かつて共有した情熱や友情」が再び自分の中で息を吹き返す瞬間である。親友との再会は、人生の根本的価値──仲間、友情、誠実なつながり──を再確認する象徴であり、自分がこれからどれほど高度な学問の道に進もうとも、人間的な関係性が自分を支える大黒柱であることを示している。しかもボールが美しくゴールに入る描写は、「物事がうまく収まっていく」「これからの挑戦にも手応えを感じている」という未来への予兆である。場面が転じ、日本人の若い女性に人生について教えている場面が現れる。これは「導く者」という自分の未来の役割を象徴しているように思える。そこで自分が語っている内容は学術ではなく、生き方そのものに関わる知恵である点が特に重要である。つまり、専門性を超えた広い意味での成熟した人間としての在り方を誰かに伝えるという役割が、自分に備わりつつあることを示している。彼女が熱心に耳を傾ける姿は、自分の言葉が他者の心に届く力を持ち始めていることの象徴である。この場面は、これからの自分が「研究者であり教育者」であるだけでなく、「他者の人生に寄り添い、方向を示す存在」になっていく未来像を示している。そしてその役割は、オックスフォードという地で磨かれた洞察と、古典を深く読み続けてきた経験から生まれている。この夢が象徴するものは、出発の朝にふさわしい「原点への回帰と未来への離陸」である。自分は過去の自分とつながりながら、現代のテクノロジーや学問の最前線と調和しつつ、さらに他者を導く役割へと進もうとしている。海上を浮かぶように、外的制約を超えて新しい地平へ進む準備が整ったことを、この夢は静かに告げているのである。今回のイギリス旅行を締め括るに相応しい夢を見たものである。オックスフォード:2025/11/19(水)05:32


17737. 【オックスフォード滞在記】将来を見据えた学術的発話訓練の実践  


予定よりも少し早くホテルを出発したことによって、ヒースロー空港に向かう1本早い列車に乗ることができた。およそ50分ほどの乗車時間の中でできることを行っていきたい。IELTSの試験後も継続して毎日15分ぐらいはChatGPTを相手にIELTSのパート1とパート3の問題をランダムに出してもらって発話訓練をし続けていた。イギリス滞在中も変わらずにこの習慣を継続しており、実際に先ほどもChatGPTを相手に発話訓練をしていた。しかし、トピックのネタが尽き始めており、何度も同じトピックについて話すことは面白く無くなってきている。そこでイギリスの大学院での仏教研究を見据えて、とりわけオックスフォードのチュートリアルを意識した学術的発話訓練に切り替えることにした。これはフローニンゲンに戻って明日の朝から始めたい。最初は自分の専門領域である唯識にテーマを設定して、毎日少なくとも朝の15分間を使ってChatGPTとチュートリアル形式の対話をしてみたい。IELTS の受験を終えた後も継続して発話訓練を続けてきたことは、英語運用能力の維持と向上という点で大きな意義を持つ。しかし、同じような日常的トピックを繰り返し扱うことに飽和感を覚え始めたのは自然なことであり、むしろ言語学習が次の段階へ移行すべきタイミングに来ていることを示しているように思える。イギリス、特にオックスフォード大学における大学院での学術研究を本格的に見据えるのであれば、日常会話型のIELTSトピックから、より高度な学術的対話へと移行することは極めて理にかなっている。とりわけオックスフォードのチュートリアル文化は、学生と指導教員が一対一または少人数で深い議論を行う特殊な学習様式である。この環境では、単に英語を流暢に話すだけではなく、自分の専門領域について「批判的に考え、構造的に語り、相手の問いに即応しながら議論を発展させる能力」が求められる。つまり、英語運用能力が思考能力と結びつき、学術的文脈で初めて役割を果たすことになる。したがって、唯識という自分の専門分野を軸に、毎朝15分間のチュートリアル型対話を行うことは、将来の研究生活に向けた最適な準備であると言える。この新しい訓練法の最大の意義は、「言語の学習」から「学問の実践」へと英語を位置づけ直すところにある。日常的な質問に答える IELTS型の会話は、表層的な表現力を磨くには有効であるが、学術的思考の深さを鍛えるには限界がある。これに対して、唯識思想を題材としたチュートリアル型の議論では、護法・玄奘・窺基の解釈差、識と境の関係、阿頼耶識の構造、無為法の六分類、相分・見分の成立論など、自分が専門的に取り組んできた素材を英語で説明し、さらに即興的に批判的考察を加えることが求められる。この行為自体が、博士課程以降の学術コミュニケーションの根幹を担うものであり、将来的な研究発表、口頭試問、学会討論、チュートリアルでの指導教員との対話などに直結していく。また、この訓練には「発話思考の二重鍛錬」という独自の価値がある。第一に、英語で唯識の専門概念を再構成することで、自分自身の理解をいっそう明晰化する効果がある。専門知識は翻訳しようとする瞬間に、その深層構造が浮き彫りになるためである。第二に、オックスフォード式チュートリアルの形式──「主張を述べる→理由・根拠を示す→反論を想定して応答する」──を日常的に練習することで、学術的思考の瞬発力が確実に鍛えられる。この2つが相まって、学術的英語力と研究者としての思考力が同時に高まっていくはずだ。方法としては、以下のような流れが最も効果的だろう。朝の15分間、ChatGPT に「今日の唯識テーマ」を提示してもらい、それについて2~3分程度の即興説明を行う。その後、指導教員役として鋭い質問や反論を提示させ、それに対してさらに即興で応答していく。この循環構造こそがチュートリアルの本質であり、そのまま将来のオックスフォードでの日常的な学習形態となる。この訓練をフローニンゲンに戻ってすぐに開始することには象徴的な意味もある。オックスフォードで得た知的刺激を、その日のうちに「行動」と「習慣」に変換することで、学術的成長のリズムが継続していくからである。夢の浮遊感が示していたように、精神が新たな地平へ飛び立とうとする今だからこそ、この15分間の対話は自分の未来の学者としての姿を確実に形づくる礎となるのである。クラシックギターの練習を今日の午後からまた復活できることが嬉しいが、それに合わせてこの新たな学術的発話鍛錬の実践を始められることも楽しみである。ヒースロー空港に向かう列車の中:2025/11/19(水)06:54


17738. 【オックスフォード滞在記】華厳思想への関心の高まり

              

ギターの練習とまずは唯識に特化した英語の学術的発話鍛錬に加え、オックスフォード滞在中に注文した華厳経と法華経に関する解説書を読むことが楽しみである。とりわけ華厳思想への関心が自然と高まっていくという感覚は、仏教の大系的理解が徐々に広がり、深層で構造化されつつある徴であると思われる。日本の歴史において華厳宗は、奈良時代から平安・鎌倉期にかけて国家仏教の中心的役割を担い、多くの高僧が登場した。鎌倉時代までに活躍した代表的学僧としてまず挙げられるのは、華厳宗の祖とされる良弁(689–774)である。東大寺の初代別当として仏教界を統率し、華厳教学を奈良朝の知的基盤へと定着させた功績が大きい。次に重要なのが、華厳宗を体系化した法蔵(643–712)の教義を日本に本格的に根づかせた実忠(724–797)や行賀(生没年不詳)であり、彼らは華厳教学における相即相入、多重世界観、十玄門などの思想構造を日本の文脈に合う形で解釈し、後代へと継承していった。また、平安期には明恵(1173–1232)が現れ、華厳教学を詩情豊かかつ実践的次元へと昇華した。明恵の華厳解釈は、理論のみならず宗教的体験・瞑想・倫理の側面を重視し、その独自性は鎌倉仏教全体にも強い影響を与えた。さらに、凝然(1240–1321)は鎌倉期の代表的な華厳学僧として知られ、華厳・法相・三論などを総合した『八宗綱要』を著し、日本仏教の学統を俯瞰的に整理した巨人である。凝然の存在により、華厳は一宗の教義としてではなく、日本仏教全体の“教理の結節点”として理解される基盤が確立したと言える。では、法相唯識を探究する者が華厳を合わせて学ぶ意義はどこにあるのだろうか。両者は一見すると体系や語彙が異なるが、実際には深層で補完し合う関係にある。法相唯識は心的構造の精密な分析により、認識作用の因果・機制・誤謬の構造を徹底して解明する。一方で華厳は存在の全体構造を、相即相入・重々無尽・法界縁起の視座から把握し、個別的認識を超えて世界全体のダイナミックな連関を描き出す。唯識が「心の微細な働き」を明らかにする顕微鏡なら、華厳は「世界の全体構造」を捉える望遠鏡であると言えるだろう。両者を併せて学ぶと、主観の分析(唯識)と存在の全体論(華厳)を往復しながら、より立体的な仏教的世界観が形成されるはずだ。例えば、「遍計所執の虚妄」と「事々無碍法界」の照応関係は、誤認の消滅を通して世界の連関性が露わになるという構造で結ばれ、認識論と形而上学が連動する体系が見えてくる。また、華厳の法界縁起を唯識的に読むことで、「阿頼耶識に蓄積された業縁がどのように世界構造として展開するか」を精密に理解することも可能になる。日本の伝統では凝然が華厳・法相を統合的に扱ったように、両者は対立する体系ではなく、むしろ相補的な視座として扱われてきた。ゆえに現代の研究者が両者を横断的に探究することは、古典的伝統に根ざしつつ新たな学問的地平を開く極めて有意義な営みであると言えるだろうヒースロー空港に向かう列車の中:2025/11/19(水)07:03


17739. 【オックスフォード滞在記】歌うように弾くこと


クラシックギターの基礎練習において、ブランダン・エイカー氏が繰り返し強調するのは、「どんな単純な練習であっても常に“歌うように”弾くべきである」という視点である。この指摘は単なる美意識の話ではなく、クラシックギターという楽器の構造、そして音楽表現の本質に深く結びついた原理であると考えられる。ギターは打弦楽器でありながら旋律楽器でもあり、音の立ち上がりと減衰が早いという特徴を持つ。したがって、ただ機械的に音を出すだけでは音楽が薄っぺらくなり、練習そのものが技術偏重へと傾きやすい。これに対し「歌うように弾く」という意識は、音の一つひとつを“声”として扱い、音に生命を宿すための方向性を指し示しているのである。基礎練習とは、スケール、アルペジオ、トレモロ、右手・左手の独立訓練、リズム練習などを指すが、こうした反復運動は往々にして「ただ動かす」作業へと陥る。ところが歌うように弾くとなれば、指先の動作以前に、内側で旋律がどのように響いているかを感じ取る意識が必要になる。音を発する前に、すでに心の中で“歌”が鳴っている状態が理想である。この内的な歌が存在することで、音の方向性、強弱、緩急、ニュアンスが自然と定まり、単なる反復が芸術的訓練へと変貌するのである。また、歌うように弾く意識は、音と音の間をどのように繋ぐかという問題にも直結する。ギターはピアノのように長く音を保持できないため、音の連続性を「身体の意図」で補い続けなければならない。歌の場合、声帯は途切れずに流れ続け、その中に自然な呼吸が含まれる。これをギターで再現するためには、左手のレガート運指、右手のタッチの角度や深さ、弦の震えの方向、音の減衰をどう受け止めるかといった細やかな工夫が求められる。結果として、基礎練習が技術と表現の両面を育てる場へと昇華する。さらに重要なのは、歌うように弾くという姿勢が「聴く力」を鋭敏にする点である。歌には必ずフレーズの起伏があり、語りのような意味の流れが存在する。しかし指だけを動かす練習では、この聴感覚が育たない。意識的に歌うように弾くことで、音の立ち上がり、響き、減衰のすべてを耳で追う習慣が身につき、練習の質が飛躍的に向上する。ブランダン・エイカー氏が基礎でも“歌って弾く”ことを求めるのは、この聴感覚が最終的に解釈力へと結びつくからである。総じて、歌うようにクラシックギターを弾くという姿勢は、練習の段階から音楽性を中心に置く方法であり、単なる技術向上ではなく、音楽家としての核心的な成長を促す営みである。基礎練習であっても、一本の線として歌わせる意識を持つことで、音楽の深層に触れる力が着実に育っていくだろう。ヒースロー空港に向かう列車の中:2025/11/19(水)07:57


17740. 【オックスフォード滞在記】旅の終わり 

     

つい今しがた、アムステルダム南駅からフローニンゲン中央駅に向かう直通列車に乗り込んだ。少しばかり時間を巻き戻してみると、ヒースロー空港のラウンジに到着すると、窓の外には雪が降っている景色が見えた。イギリスもここから本格的に冬到来といった感じであった。翻ってオランダは、雪というよりも小雨が降っている。早朝に天気予報を見た限りだと、フローニンゲンの方面は夕方には雨が上がっているようなので何よりである。自宅に到着したら、明日の朝食用の果物を買いに近所のスーパーに行きたいと思う。今夜は夕食を食べることをせず、1日断食をすることを通じて胃腸を休めたい。旅行中はいつもと違う食事を朝と夜に食べていたこともあり、腸内環境は間違いなく変化している。もちろんイギリス滞在中もペスカタリアンとしての食事を摂っており、悪い方向には腸内環境は変わっていない。しかしそれでもフローニンゲンで毎日食べている食事ほどには健康レベルが至らないことは確かである。


ヒースロー空港を出発した飛行機がスキポール空港に到着しようとしている時にふと、窓の外からアムステルダムの街を眺めると、こうしてアムステルダムの街を見下ろすのはこれでしばらく見納めかもしれないと思った。今のところ旅行に出かける予定は全くなく、旅行に出かけるぐらいならギターの練習と仏教研究に時間を注ぎたいと思っている。それら2つが何よりも優先するべき事柄である。今回のイギリス旅行でも感じたが、自分はもはや旅そのものから得られる事柄は極度に減衰している。大学を訪れ、大学教授と対話をすることからは得られるものが依然としてあったが、世界にはもうあまり見たい美術館も博物館も無くなっているというのが正直なところで、訪れたい町も今のところは特にない。この10年間の欧州生活を通じて、様々な町を訪れることができた恩恵のように思う。旅から得られる事柄はもはや飽和していることもあり、次回飛行機に乗るとしたらオランダを離れる時かと思った。いや厳密には、仮にエディンバラで生活を始めるのであれば飛行機で移動することになるが、仮にロンドンやオックスフォードで生活をすることになったら、飛行機で移動するのではなく、ロッテルダムから列車に乗って引越しをしようと思った次第である。というのも引っ越しの際にはギターを郵送することなく自分の手で持って行きたく、ギターのためにもう1席余分に予約するという手はあるが、列車であればさほど苦労せずに運搬ができると思ったのである。ユーロスターに乗れば、ロッテルダムとロンドンの乗車時間は3時間半ほどなので、空港での待ち時間や飛行機の移動時間などを考慮しても圧倒的に列車の方が早い。この点については忘れないようにしておく。フローニンゲンに向かう列車の中:2025/11/19(水)15:20


Today’s Letter

I am going to leave the UK today. The final destination of this trip was Oxford, where I gained a great deal of intellectual stimulation. This trip will stay in my memory forever, and visiting various prestigious universities has opened a new chapter in my life. Oxford, 11/19/2025

 
 
 

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