【オックスフォード滞在記】17727-17733:2025年11月18日(火)
- yoheikatowwp
- 2 日前
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タイトル一覧
17727 | 【オックスフォード滞在記】越境と大きなコンテクストに触れながらの研究 |
17728 | 【オックスフォード滞在記】今朝方の夢 |
17729 | 【オックスフォード滞在記】今朝方の夢の振り返り |
17730 | 【オックスフォード滞在記】オックスフォード大学の教育を支えるセミナーとチュートリアル |
17731 | 【オックスフォード滞在記】今日の活動予定 |
17732 | 【オックスフォード滞在記】アシュモレアン博物館を訪れて |
17733 | 【オックスフォード滞在記】ルパート・ゲシン名誉教授のセミナーに参加して得られた種々の有り難い副産物 |
17727. 【オックスフォード滞在記】越境と大きなコンテクストに触れながらの研究
時刻は午前4時半を迎えた。この時間帯のオックスフォードは当然まだ深い闇に包まれている。気温もわずか1度ほどしかない。そんな中で、昨日のヤン・ウェスターホフ教授との面会を通じて自分の心は光に満ちている。イギリスのどの大学院で学ぶことになったとしても、欧米の仏教研究コミュニティにおいて自分の研究テーマの意義と価値がより明確なものになり、ここからまた深く日本法相唯識を探究していきたい。今日はゼルビア・ザニャ博士から許可をいただき、夕方の大学院生・教員向けのセミナーに参加してくる。オックスフォードの教育はチュートリアルとセミナーの二本柱から構成されており、前者は研究テーマを深めていくためにあり、後者は研究テーマを広げていくためにあるという大きな意味合いを持っているようだ。自分はここから日本法相唯識を深掘りしていく段階にあるのだが、研究テーマを深めていくだけではなく、他の研究分野にも触れながら、自らの研究テーマを大きなコンテクストの中に位置付けていくことも求められる。これまでの自分は仏教の他の分野についての探究にまで手が回っておらず、仏教全般に関する知識はまだ極めて希薄である。こうしたセミナーがオックスフォードでは学期期間中は毎週や各週活発に開催されており、今回はブリストル大学の名誉教授を招待した形で行われるセミナーとなっている。こうしたセミナーに参加することは、知的ネットワークを広げていく上でも有益であるし、上述のように自分の研究対象分野に閉じるのではなく、広く他の分野に開かれることを通じて、大きなコンテクストを体感しながら自らの研究テーマをそうしたコンテクストに位置付けることを通じて深めていくことができる。これまでの自分は得てして研究対象を深めていくことにしか頭がなかったが、研究分野を積極的に越境していく形で研究テーマに広がりを持たせていくことに目を見開かされた形である。そうしたことを含めて今日の夕方のセミナーは楽しみだ。
昨日、オランダに戻ってきてからの探究をまた活発にしていくために下記の7冊を購入した。それらは全てイギリス滞在を通じて知り得た書籍である。華厳経と法華経に関する専門解説書とクラシックギターの和音に関する専門書、そしてバッハのゴルトベルク変奏曲のクラシックギターの編曲集を購入し、明日の午後にフローニンゲンの自宅に戻ったら、仏教研究とギター演奏三昧の生活をまた送ろうと思う。
1. Entry into the Inconceivable: An Introduction to Hua-Yen Buddhism(Thomas Cleary)
2. Hua-Yen Buddhism: The Jewel Net of Indra
3. Two Buddhas Seated Side by Side: A Guide to the Lotus Sutra
4. Harmony for Classical Guitar
5. Goldberg Variations, BWV 988: Aria da Capo (Transc. for Guitar by Jozsef Eotvos
6.The Buddhist Teaching of Totality: The Philosophy of Hwa Yen Buddhism
7. Introduction to the Lotus Sutra
オックスフォード:2025/11/18(火)04:45
17728. 【オックスフォード滞在記】今朝方の夢
今朝方は夢の中で、仏教研究の専門家が集まったセミナーに参加していた。そこには欧米の研究者ばかりが集っており、アジア系は自分1人だった。そのことによって、自分はアジアの仏教研究を代表しているという自覚が芽生え、その責務を全うしたいという思いを持ちながらも気負うことなく対話に参加していた。自分は欧米とアジアを架ける単なる橋ではなく、どちらの文化圏にも長く生活をしてきたことから、両者のさらなる健全な発展を促す媒介者として存在していた。少なくとも仏教研究においては、両者を架橋し、両者を調和させ、涵養していくような立ち振る舞いを自然に行っている自分がいた。そこでの時間密度は大変濃く、非常に充実した時間を過ごしていた。
次に覚えているのは、ロンドン郊外のある有名なプロサッカーチームのスタジアムにいた場面である。ちょうど土産屋の前を通りかかると、ゼミに在籍しているサッカー好きの受講生の方がいて、その方の手元を見ると、そのチームの長袖のシャツを持っていた。そしてその方が、「ここに記載されている年代は何を表してるんですか?」と尋ねてきた。その年号を見ると、それはクラブにとって重要な年で、新設したスタジアムがお披露目になった年だった。それを伝えるとその方は納得して、笑顔を浮かべながらそのシャツを購入することを改めて決意したようだった。
今朝方はその他にも夢を見ていた気がする。イギリスを思わせる雰囲気を発しているどこかの町のある特定の分野に特化した店にいて、そこの日本人の女性の店員と話をしていた場面があったことを思い出した。その店には偶然にも小中高時代のある友人(HY)がいて、彼もその店に置かれている品に興味を示し、熱心に吟味をしていた。私はその女性店員との話から得た情報をもとに、自分もそこにしか置いていない特別な商品を何か買って帰ろうと思った。オックスフォード:2025/11/18(火)05:01
17729. 【オックスフォード滞在記】今朝方の夢の振り返り
今朝方の夢において、自分が欧米の研究者ばかりが集うセミナーに参加していたという情景は、自分の深層で形づくられつつある学術的アイデンティティの輪郭を象徴しているように思われる。アジア系が自分1人であるという設定は、孤立ではなく象徴的な役割を付与する構図であり、そこで芽生えた「代表する者」としての自覚は、単なる責務意識ではなく、近年の研究活動や各大学訪問を通して醸成されてきた使命感の反映である。欧米とアジアを架ける存在として振る舞っていた自分は、これまでの人生の歩みの縮図を示している。両者の文化圏に長く身を置き、両方の知的伝統に馴染んできた自分は、単なる橋渡しに留まらず、双方の発展に寄与する触媒、すなわち文化と知の発酵を促す存在として自己像を内面に刻みつつある。夢の中で気負うことなく対話に参加していたという描写は、外的状況がいかに緊張を孕んでも、内的中心が揺らがないという成長の徴候である。密度の濃い時間を生きていたという感覚は、専心の没入、一行三昧とも呼ぶべき働きが夢の領界にまで浸透し始めている証左である。次に現れたロンドン郊外のスタジアムの場面は、一見すると学術から離れた日常的な光景のようでありながら、象徴的には前段の夢と響き合っている。そこでは自分が知識を媒介し、他者の理解を助ける役割を自然に担っていた。受講生が手にしたサッカーシャツに記された年号の意味を問うたとき、自分はクラブにとって重要な転機となった新スタジアムのお披露目の年であることを即座に伝え、相手の選択を支えた。この構図は、学問的場面に限らず、自分が他者の理解のポイントを見きわめ、文脈化し、納得へ導くという働きを象徴している。しかもその行為は意図的な教授行為ではなく、自然に、負荷なく行われている。つまりここでは、自分の内側で育ちつつある「導く者」としての性質が、象徴として形を変えて現れているのである。サッカーという異領域を介してもなお、他者の知的喜びを支える媒介者としての自分が立ち現れている点が重要である。さらに、イギリス的な雰囲気を持つ町の専門店の場面は、自己の探索と選択の営みが象徴化された領域であると言える。日本人の女性店員との対話、そこから得た限定的な情報、そして「そこにしかない特別な商品」を選び取ろうとする自分の姿は、知的探究における自分の選択のあり方を映し出している。その店に偶然現れた幼少期からの友人HYの存在は、過去の自己と現在の自己の対話を象徴しているようである。すなわち、現在の探究心や学術的志向が、過去の自分が持っていた素朴な好奇心と結びつき、再び共鳴し始めているのである。過去の友人が熱心に吟味していたという描写は、原初的な興味の感覚がいま再び活性化されている状況を暗示し、自分が商品を購入しようとする行為は、その興味をより高い次元で再取得し、人生の中に統合しようとする意志の表れである。3つの場面に通底するのは、「媒介者としての自分」と「探究者としての自分」の2つの側面が、より一体的な深層構造へと統合されつつあるという動きである。学問の国際的対話の場でも、サッカーという日常領域でも、専門店という象徴的空間でも、自分は常に「文脈を読み取り、橋をかけ、他者や過去の自己さえもつなぎ直す者」として機能していた。これは、今まさに歩みつつある学術的キャリアが、単なる研究者としての道を超えて、文化と知の循環を促す媒介者としての生の様式へと広がっていることを示している。人生における意味として、この夢は、自分がこれから進むべき道が「両文化をつなぐ学術的媒介者」としての成熟に向かっているという確信を与えている。欧米とアジアの仏教研究のあいだで架橋をし、その相互発展を促す触媒としての役割は、自分の内側で必然として形を取りつつある。さらに、学術領域にとどまらず、日常や過去を含めたあらゆる場面で「理解を導く者」として自然に働くことが展望されている。この夢は、自分の歩みが外的状況ではなく、内的使命によって導かれていることを告げ、自身の学問的未来に対して静かで強い確信を授けるものである。オックスフォード:2025/11/18(火)05:12
17730. 【オックスフォード滞在記】オックスフォード大学の教育を支えるセミナーとチュートリアル
昨日ヤン・ウェスターホフ教授からもオックスフォード大学とケンブリッジ大学の教育システムのユニークな点について話を伺っていた。その話をもとに、オックスフォード大学におけるセミナー(seminar)とチュートリアル(tutorial)の違いを、両者の特徴と魅力を含めながら色々と考えていた。 オックスフォード大学においてセミナーとチュートリアルは、いずれも大学教育の中心に据えられた学習形態であるが、その性質は大きく異なる。両者は身体に喩えると、前者が「外界に触れる器官」であり、後者が「内側を深く掘り下げる中枢神経」に相当すると言えるだろう。すなわち、セミナーは知的交流の場を広く開き、チュートリアルは個々の学問的深化を徹底的に行う場である。まずセミナーとは、複数の学生や研究者が参加し、共通のテーマに基づき発表と討議を行う場である。参加者の専門分野は多岐にわたり、国際的な視点や異なる学問領域の知見が交錯し、議論が豊かに立ち上がる。特に仏教研究のセミナーでは、インド・チベット・中国・日本といった多地域の文献学、哲学、宗教史の専門家が一堂に会するため、自分が持っていない視点が次々と投げ込まれる。これにより、自身の研究を相対化し、より広い文脈で位置づけることができるのが大きな魅力である。またセミナーは、研究者としての社会性を鍛える場でもある。他者の議論を聞き、適切なタイミングで質問し、学術的な対話を行うことは、国際的な研究者に不可欠な能力である。オックスフォードのセミナーが高く評価される理由は、この「共鳴する知的空間」を提供する点にあると言える。一方、チュートリアルは、オックスフォード特有の少人数教育であり、極めて密度の高い学習形態である。通常は学生1~2名に対して教員1名という構成で、各回で学生は文章を提出し、それに対して教員が詳細かつ直接的なフィードバックを与える。この形式の最大の魅力は、学生が自分の思考構造、論理の運び、引用や分析の精度を細部に至るまで磨ける点にある。チュートリアルは「個別鍛錬の場」であり、知的な筋肉を徹底的に鍛えるトレーニングに似ている。学生は毎回の提出物を通して、自らの弱点を知り、改善し、次の段階へと発達を遂げる。特に仏教哲学のように、厳密な論理運びや文献解釈が求められる領域では、この個別指導は極めて大きな意味を持つ。両者を比較すると、セミナーは「学問の広がり」を生み、チュートリアルは「学問の深まり」を生む。セミナーによって外界からの刺激を受け、多様な学術的背景を知ることで、自分の研究の位置をより広い文脈に置くことができる。他方、チュートリアルでは自分自身の研究の核となる部分が磨かれ、研究者としての基礎体力が確実に蓄積していく。この両輪があることで、オックスフォードの学生は国際的に通用する研究者へと育っていくのである。総じて言えば、セミナーは「学術共同体の息づかいを直接感じる場」であり、チュートリアルは「知の鍛錬場」である。前者では多様性と刺激が得られ、後者では深さと厳密さが身につく。この2つが相互に支え合うことで、オックスフォードという場は、学生の知的成長を最大化する独自の教育環境を形成しているのである。そのようなことを思わされる非常にユニークで意義深い教育システムだと思った次第だ。オックスフォード:2025/11/18(火)05:22
17731. 【オックスフォード滞在記】今日の活動予定
時刻はゆっくりと午前9時に近づいている。明日は朝早くにホテルを出発してヒースロー空港に向かう必要があるので、今日のホテルでの朝食が最後のものとなった。コーヒーを少々魔法瓶に入れさせてもらい、今それを味わいながら日記を書き留めている。今日の最大の楽しみはなんと言っても夕方のセミナーである。ヤン・ウェスターホフ教授からそのセミナーに参加することを勧めていただき、オーガナイザーのゼルビア・ザニャ博士から速やかに快諾のメールをいただいた。セミナーの前に少々仮眠を取って集中力が高い状態で臨みたいと思うため、アシュモア博物館には昼前に訪れておき、ホテルの自室に戻って休憩できるようにしておきたい。本来は、ボドリアン図書館の60分のツアーに参加したかったが、朝に確認するとツアーの予約は12月の初旬まで埋まっていたので、今回は残念ながらツアーに参加することを見送った。また何かの縁があった際にツアーに参加したい。
アシュモア博物館が開くまでにまだ時間があるので、オックスフォード大学に提出するアプリケーションを進めていきたい。幸いにも早朝の段階で志望動機書のドラフトが完成した。エディンバラ大学やSOASは1000字ほどの志望動機書を要求していたが、オックスフォード大学は1500字のものを要求している。それ以外にもオックスフォード大学だけが2000字のライティングサンプルを2本要求するという厳しい出願要件になっている。英語の試験に関してもオックスフォードのものが最も厳しく、世界的に見ても最も高水準の英語力を要求すると言っても過言ではないだろう。幸いにもIELTSのスコアは1回でその基準を満たすことができたので、ライティングサンプルのドラフトを洗練させることに時間を充てることができる。これについても今から取り組んで、ドラフトを完成させてまたしばらく寝かせておこう。オックスフォード:2025/11/18(火)08:53
17732. 【オックスフォード滞在記】アシュモレアン博物館を訪れて
時刻は午後1時を回ったところである。昨日と同じく、今日のオックスフォードも晴天に恵まれ、天気予報を眺めていると、フローニンゲンよりも天気の良い日が多い印象である。つい今しがた、アシュモレアン博物館から帰ってきた。端的には、この博物館を訪れて良かったと思っている。この博物館は、イギリスの政治家で錬金術研究者でもあったイライアス・アシュモールが1677年オックスフォード大学に自身の所蔵品を寄贈した形で誕生した。ここは世界最初の大学博物館としても知られていて、事前に調べていた通り、コレクションの幅と量には随分と驚かされた。今の自分は仏教研究に関心のあることから、そのテーマに関する所蔵物には目が釘付けになっていた。それと音楽の歴史に関する所蔵品のセクションにおいては、非常に貴重なヴァイオリンやイギリスギターなどを鑑賞することができ、自分にとって大きな収穫となった。日本セクションも構えられており、それらの所蔵品を眺めていると、同じ東アジアに所属する中国や朝鮮半島とは美的感覚が似ていながらも独自のものがあることに改めて感銘を受けていた。こうした美的感覚は文化的な受容と発展の仕方に影響を与えただけではなく、宗教的な受容と発展の仕方にも間違いなく影響を与えていたことが窺え、そこからも日本仏教の独自性が際立ってくる。ちょうど今朝方にオックスフォード大学のアプリケーションの準備の一環として志望動機書のドラフトを執筆していたのだが、改めて自分の研究テーマである日本法相唯識のユニークさに考えを巡らせていたこともあり、博物館で得られた刺激と洞察は非常に有益であった。今から遅めの昼食がてらオレンジとバナナといった果物を軽めの昼食としたい。夕方のセミナーまでまだ時間があるので、午後3時半頃までホテルでゆっくりしておこうと思う。そう言えば、帰り際オックスフォードの街の中心部の大通りを歩いていると、背後からフランシスコ・タレガの名曲『アルハンブラの思い出 』が聞こえてきて、思わず足を止めて振り返った。そこにはストリートミュージシャンの姿があり、アコースティックギターでそれを奏でていた。ちょうど自分もこの名曲を練習しているので、思わぬ縁を感じた次第である。オックスフォード:2025/11/18(火)13:17
17733. 【オックスフォード滞在記】ルパート・ゲシン名誉教授のセミナーに参加して得られた種々の有り難い副産物
時刻はゆっくりと午後7時に近づいている。先ほどオックスフォード流のセミナーを初めて体験してきた。それは非常に貴重な機会であり、ブリストル大学のルパート・ゲシン名誉教授のレクチャーを聞くことができた。レクチャーの最後に質問をしようとしたところ、偶然にも最初の質問者の質問と大部分が重なっていたので質問を控えたが、ゲシン教授のレクチャーから多くの学びを得ただけではなく、参加者の質問とそれに対する教授の受け答えの仕方がとりわけ参考になった。聴衆からの質問に対して自分だったらどのように回答するだろうかという姿勢で常に質問を聞いていると、なるほどそういう観点から質問をすることができるのかと学ばされることが多く、またなるほどそうした観点から回答ができるのかと大変参考になった。自分としてはレクチャーの内容以上にそうしたやり取りの観点から学ぶことが多かった。確かに普段成人発達理論に関しては毎週末のゼミナールで同様のやり取りをしているが、仏教研究になるとまだ自分の知識不足のために同じレベルで参加者の質問に答えていくのが難しそうだと思った。そこに自分のさらなる成長の余地がある。
今日のレクチャーに参加して良かったと思う点はその他にもあり、オーガナイザーのシルヴィア・シャニ博士に実際に会って話すことができたことである。シャニ博士もヤン・ウェスターホフ教授と同じようにとても人が良く、絶えず笑みを浮かべて優しく接してくださったことがとても印象的だった。シャニ博士は3年前にオックスフォード大学で博士号を取得し、まだ終身雇用を大学から得ていないが、あと数年はオックスフォード大学にいる予定とのことで、快く自分の研究のサポートを引き受けてくださった。レクチャーが始まる前には、スリランカからちょうど自分が出願しようと思っている仏教プログラムに所属している大学院生と話をする機会があり、彼から色々とプログラムについて話を聞くことができた。彼はパーリ語をメインの言語とし、プログラムディレクターのケイト・クロスビィ教授に師事をして研究を進めているとのことだった。オックスフォード大学の言語トレーニングのレベルは非常に高く、1年目の期末試験は大変だったと述べていたが、総じて満足度は高いとのことで、博士課程の出願を検討しているとのことだった。帰り際、これまた偶然にも哲学科に所属している中国系オーストラリア人の博士課程の学生と話す機会があり、そこからずっと帰り道を一緒にした。彼は形而上学を主な研究領域とし、一体性と自己同一性に関する存在論の研究をしているとのことで、現代分析哲学者の論考を参考にしながら、西洋哲学だけではなく、仏教の形而上学思想にも関心を持っているのことだった。ちょうど自分の滞在先と彼が所属しているカレッジが近く、彼にカレッジの教会を案内してもらった。彼は元神父で、カトリック教会に所属しており、教会の中でグレゴリオ聖歌のテキストを開いて色々とそれについて教えてもらった。「クラシックギターをやっているため、こうした楽譜には非常に興味がそそられる」と述べたところ、驚いたことに彼もクラシックギターの演奏をしているとのことで意気投合した。彼からはイングランド国教会とローマ・カトリック教会の違いについても話を聞くことができ、今日のセミナーに参加することを通じて、副産物的に色々と知見が広がったことは有り難かった。こうした体験をしてみると、自分の探究世界にばかり籠るのではなく、そこから外に出て広く多様な人と交流することの意義を改めて感じた次第である。オックスフォード:2025/11/18(火)19:01
Today’s Letter
I had the privilege of attending a faculty seminar today. The topic helped me broaden my perspective and situate my research within a wider academic context. I am deeply grateful for this wonderful opportunity. Oxford, 11/18/2025
![[出版記念無料セミナー]『「人の器」の磨き方』曖昧だった"人の器"を、世界で初めて5つで解いた。](https://static.wixstatic.com/media/871f01_223514941da947328b8264596399ea19~mv2.png/v1/fill/w_920,h_450,al_c,q_90,enc_avif,quality_auto/871f01_223514941da947328b8264596399ea19~mv2.png)

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