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9864-9871: フローニンゲンからの便り 2023年2月7日(火)



No.4460 霊的な蝶_A Spiritual Butterfly


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本日の2曲


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タイトル一覧

9864. クリティカル・メタヒューマニズムの考えを持って

9865. 今朝方の夢

9866. 今朝方の夢の続き

9867. 脳の活性化を通じた学習と実践

9868. トランスヒューマニズムやポストヒューマニズムに関するシステマティックレビューの実施に向けて

9869. 「留学」の意味の変化/気分に応じて色が変わる不思議な指輪

9870. メルヴィンからの3つの学び

9871. 書籍のタイトルと発売日が無事に決まって/知覚されたビジョン


9864. クリティカル・メタヒューマニズムの考えを持って


時刻は午前6時半を迎えた。今の気温はマイナス2度と低い。室内でも寒さが感じられ、今は湯たんぽのお世話になっている。今日は日中は4度まで気温が上がるようだが、昼過ぎまではマイナスの世界である。今夜もまたマイナス2度まで冷え込む。救いなのは天気が良いことであり、ここ最近は晴天の日が続いて嬉しく思う。ちょうど今日は午後に親友のメルヴィンの店に行って髪を切ってもらうことになっており、メルヴィンの店までの散歩はとても気持ちいだろう。その時間帯にも寒さは残っているだろうが、太陽の光によって気持ち良さが勝るはずである。髪の毛を切ってもらったら、街の中央市場を覗いてみて、魚売り場で何か新鮮な刺身でも購入しようかと思う。マグロが食べたい気分であるから、マグロの刺身を購入して帰ってこようかと思う。筋力トレーニングをした翌日の今日も筋肉の合成が続いているため、良質なタンパク質を摂取したく、それでいくとマグロは非常に優秀なタンパク質源となる。筋力トレーニングをうまく進めていくための食事として、マグロを取り入れることは今後も考えていきたい。ジムのトレーニングの日の翌日は街の中央市場がやっている日なのでその日に市場まで買い物に行くことも今後検討する。それ以外にも、以前食べていたオートミールも筋力トレーニングとは相性の良い食材らしく、摂取することをまた検討したいと思う。


昨日、トランスヒューマニズムの翻訳書ではなく、分かりやすく新書か何かの一般書を執筆したいという考えが芽生えた。以前はゾルタン·イストヴァンかナターシャ·モアーのわかりやすい書籍を翻訳することも検討していたが、翻訳ではなく、自分の視点から見たトランスヒューマニズムを自分の言葉で説明する一般書の執筆に向けて準備を進めていこうと思った。そのような考えが芽生えた後、夜に“Posthuman Studies Reader”という書籍の音読を始めた。これは良著であり、ポストヒューマニズム、トランスヒューマニズム、メタヒューマニズムのそれぞれについて体系的な解説が加えられている。本文の言葉を借りれば、自分はポストヒューマニズムやトランスヒューマニズムをメタ的に捉えている点でメタヒューマニズムの考え方を持っており、またそれらの双方に対して建設的な批判の目を持っているという点で、クリティカル·トランスヒューマニズムおよびクリティカル·ポストヒューマニズムの考えを持っていることがわかる。引き続きそれぞれの立場に対して建設的な批判の眼差しを投げかけていき、同時にメタヒューマニズムに対してすら建設的な批判を投げかけていこう。そうすれば、クリティカル·メタヒューマニズムを体現していくことができるだろう。


その他に考えていたこととして、トランスヒューマニズムに関する倫理を探究することは、テクノロジーに関する倫理を探究することでもあることを思った。そしてその逆もまた然りである。ここからはテクノロジーにまつわる倫理に関する理解の基礎をしっかりと構築していく。必要な書籍はもう随分と揃っている。後はそれらを繰り返し読み込んでいくだけである。フローニンゲン:2023/2/7(火)06:51


9865. 今朝方の夢


気がつけばいつの間にか午前7時を迎えていた。以前として暖房が自動で入っており、そして以前として辺りは暗い。しかし最近は日の出も早くなって来たので、空がダークブルーに変わり始めるのももう少しだろう。


今朝方の夢について振り返っている。夢の中で私は、学校の中の裁判所にいた。学校の中に裁判できる場所があることを驚いたが、よくよく考えてみれば学校にも規則があり、それを破った場合に裁判のようなものが開催されるのもそれほどおかしくはないと思った。裁判が行われる部屋には、学校の規則を破った生徒がずらりと並んでいて、男女の割合もわりかし均等であった。どういうわけか自分も規則を破った者たちの列に並んでいた。しばらくすると、扉が開き、女子の先輩たちの検事が数人法廷に入って来た。彼女たちは緑がかった軍服を着ていた。彼女たちが法廷に入ってくると、法廷を仕切る中年の男性が声を張り上げて、裁判の開始を告げた。辺りを見れど、そこには裁判官も弁護士もおらず、これは被告側に不利な裁判なのではないかと思った。端的には生徒は自己弁護しなければならず、検事の先輩と戦うのは至難の技かと思った。しかしもうやるしかないような状況に生徒は追い込まれていて、これからどのように裁判が進められるのかに注目しようと思った。すると意外なことに、検事と主張とぶつけ合ったり、自己弁護する必要はなく、とても穏やかな形で裁判が進行していった。というよりも、これが裁判なのだろうかと思われる形で、もうすでに刑罰が決まっているようだった。そして不思議なことに、被告には刑罰は告げられず、裁判は終わりを迎えようとしていた。そこで冒頭に声を張り上げた中年男性が、私の名前を読んだ。最初ファーストネームで呼ばれたので自分のことか分からず、ラストネームも呼ばれた時に初めて自分が指名されたのだとわかった。何の指名を受けたかというと、裁判を終えるにあたって、今日の裁判の総括的なスピーチをせよということだった。それは途轍もない無茶振りのように感じたが、やるしかないと思って前に出て行った。まず最初に、それは誰に向けてのスピーチかをその中年男性に確認したところ、彼は笑いながら、ここにいる全員に向けてだと述べた。私は被告側の方を向き、検事の女性の先輩たちを背にしてスピーチを始めた。こういう場面においてもユーモアの精神を忘れずにスピーチを始めたところ、被告側の生徒も、検事の女性の先輩たちも、そして軍服姿の司会役の中年男性も自分のスピーチに満足しているようで、ユーモアを利かせた発言には大いにウケていた。無事にスピーチを終えた後、私は1人で勝手に法廷を抜け出し、トイレに駆け込んだ。突然便意を催しだのである。幸にも個室が空いていて、そこに駆け込んで中に入ると、トイレットペーパーもちゃんとあり、個室の中がまるで小さな子供部屋のようだったが、それを気にせずにいざ排便をしようと思ったところで夢の場面が変わった。フローニンゲン:2023/2/7(火)07:23


9866. 今朝方の夢の続き


時刻は午前8時を迎えた。辺りはもうすっかり明るくなり、今朝もまた美しい朝空が広がっている。この時間帯の空は最も澄み渡っているように見える。ほんのりと朝焼けが空に残っていて、それがまた何とも言えない美しさを放っている。辺りが明るくなったおかげで、車庫の上がうっすらと白くなっていることに気づいた。雪とまでは言えないが、どうやら霜が昨夜降りていたらしい。今もまだ気温がマイナスなので、引き続き車庫の上は白いままだろう。こうした景色もまた心に響くものがある。


鳩の鳴き声を聞きながら、今朝方の夢の続きを振り返っている。夢の中で私は、見慣れない学校の食堂にいた。そこは現代的な学校で、設備がとてもハイテクだった。それは食堂に関しても言えることであって、食堂の内装はとても綺麗で、最先端のテクノロジーを活用して運営されていた。食事を出すのは人型のアンドロイドで、見た目も人間であり、心を持っているかのような仕草や振る舞いにもう生徒は慣れているようだった。昼食をアンドロイドから受け取って席に着くと、小中学校時代の友人(HY)が隣に座り、彼と話をしながら食事をし始めた。その時に、実は自分が原因不明かつ病名不明の病気を発症したことを彼に伝え、左腕を見せた。左腕に赤い斑点のようなものが所々にあり、斑点の下で微生物が動いているのを彼に見せたところ、彼はとても驚いていた。別に痛みも痒みもないのだが、これから病院に行って検査してもらう予定だということを彼に伝えた。食事を終え、母に学校まで車で迎えに来てもらって、病院に向かった。病院では速やかに検査を受けることができたが、やはり医者も見たことのない症状のようだった。それを病気として認めていいのかさえ分からないようなものとのことだった。1つこの症状を発症して以降に特徴的だったのは、何かに没頭する力がより増したことだった。自分の場合は、学術探究に費やす熱量が増し、それをもたらしていたのが左腕の赤い斑点の下に隠れている微生物たちだった。不思議と体の他の箇所にはそれらは生息しておらず、左腕だけにそれらが生息してた。医者でもわからない存在なのだから治癒の施しようがなく、それでいて自分の中では微生物の恩恵を受けて学術研究が進んでいることもあり、彼らとうまく付き合っていこうと考えた。そう考えると、気持ちも落ち着き、何とでもなるような気がした。家に帰ると、家の前の公園に薄汚い格好をした浮浪者のような中年男性がいた。彼は目を悪くしているようでサングラスをかけていたが、彼は私の存在に気づき、こちらにゆっくりと歩み寄って来て私に話しかけた。どうやら彼は直感的に私の左腕のことを感じたようで、お互いに病気と向き合っていこうという話になった。私たちは「病気」という言葉を使ったが、彼は自分の目の病気を病気と思っておらず、1つの個性として捉えているようで、それは私も同じだった。自分の左腕にいる微生物たちは別に病気でもなんでもなく、自分の個性の一部なのだと思った。その男性とはお互いに励まし合い、笑顔で別れた。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2023/2/7(火)08:27


9867. 脳の活性化を通じた学習と実践


学習や実践において、自分をモニターする際に、自分の脳がどれだけ活性化されているかに注意深くなることの大切さについて考えていた。学習や実践をついつい惰性で行ってしまうことは誰しもあるかと思うが、その状態だと学習や実践が真に自分の成長に結びついていかない。今後テクノロジーの発達がさらに進めば、ポータブルな脳波の測定機械を日常で手軽に利用できるようになるかもしれないが、現状はそれは難しいので、脳が活性化されているかは主観的に判断していけばいい。その時のポイントは、喜びや楽しさの感情があるかどうかである。退屈さや苦痛というのは往々にして脳が不活性の時に生み出される。あるいは喜びや楽しさが感じられず無感情というのもまた脳が活性していない1つのシグナルになり得る。自分の学習と引きつけてみれば、学術書を音読することそのものが喜びや楽しさを生み出す。音のリズムに乗ることは歌って踊っているかのような感じであり、それは脳を大いに刺激している。また、書かれている文章の内容が理解できるとそれもまた喜びや楽しさにつながる。そうした意味で学術書の音読は自分にとって、とても良い脳の活性剤になっているように思う。その他の実践に関して言えば、ジークンドーの稽古、箏の稽古、筋力トレーニングにおいても、同様に脳を活性化させた形で実践に取り組むようにより意識していきたいと思う。とりわけジークンドーにおいては、実際にその技をいざ現実世界で活用する瞬間が来た場合に、その技を本当に発揮できるようにするために、絶えず現実世界のコンテクストを想定しながら鍛錬をすることは重要だろう。もちろん、自分がどのようなコンテクストに置かれるかはわからないし、コンテクストは絶えず動的に動いているものだから、それを想定するのは難しいが、逆に言えば、そうした多種多様かつ千変万化するコンテクストを想定しながらトレーニングをすることが脳の活性化につながるのだと思う。間違ってもコンテクストを骨抜きにしたトレーニングを何も考えずに繰り返すことだけは避けたいものである。箏や筋力トレーニングにおいては、創意工夫の精神を発揮て1つ1つの取り組みを前に進めていくことが脳の活性化につながるだろう。改めて日々の学習や実践においてどれだけ脳を活性化させることができるかに自覚的になっていこうと思った次第だ。フローニンゲン:2023/2/7(火)08:41


9868. トランスヒューマニズムやポストヒューマニズムに関するシステマティック

レビューの実施に向けて


現在、トランスヒューマニズムやポストヒューマニズムに関する文献を手当たり次第に読んでいる。文献の中でも書籍になっているものしかまだ読んでいないので、それを論文にまで広げるともっと広大な文献空間が広がっているように思う。そこでふと、トランスヒューマニズムやポストヒューマニズムに関する既存の文献空間において、どのような問題意識が取り上げられ、どのような観点でそれらを扱っているのかを網羅的に整理しておきたいと思った。相当な数の文献と多岐にわたる議論がなされていることを踏まえて、そこで一度交通整理をする必要性を感じたのである。そこで威力を発揮するのはシステマティックレビューであり、この実施方法はフローニンゲン大学の2年目の実証的教育学のプログラムで学んだ。そこでの学びは非常に大きく、自分一人でシステマティックレビューを行えるような力を獲得することができたように思う。トランスヒューマニズムやポストヒューマニズムと言っても本当に分野が多岐にわたるので、まずはそれらを宗教の観点から扱っている文献に対してシステマティックレビューを行ってみたいと思う。直感的に、キリスト教からのアプローチが最も多く、次に仏教が来て、神道はほぼほぼ皆無と言ってもいいのではないかと思う。また問題意識としては倫理に関するものが多いだろうし、霊性の性質に関するものも多いのではないかと思う。実際にどの宗教からのアプローチが多いのかという分布を把握することにもシステマティックレビューは役に立つし、どのようなリサーチクエスチョンでどのような結論が出ているのかを網羅的に把握していくことにもシステマティックレビューは役に立つ。これはこの分野の研究者たちに研究上の見取り図を提供する意味でも有益だろう。またシステマティックレビューを過去に実施した経験からすると、その分野に関して自分自身の見晴らしがすっきりし、その分野に関する網羅的な知識が得られるのも利点としてある。システマティックレビューをすることは色々な意味で有意義である。自らシステマティックレビューを実施し、研究上の盲点を明らかにすれば、それを自分の研究テーマにして研究を進めることもできる。仮にこの秋から神学大学院に進学することができたら、まずは上記に関するシステマティックレビューをしてみたい。そしてその成果を査読付き論文として形にしたい。そのために、以前に受講したフローニンゲン大学のシステマティックレビューのコースの資料を引っ張り出してきて、実際に論文を執筆する際には、そのコースの最終課題で執筆したシステマティックレビューを参考にしたいと思う。あの時の学びが今後の自分の研究と思わぬ形でつながっていることを嬉しく思う。システマティックレビューは、メタ的に捉える個性のある自分にとって親しみやすいものであり、同時にそれを行うことは1つの自分の役目なのだろう。フローニンゲン:2023/2/7(火)09:42


9869. 「留学」の意味の変化/気分に応じて色が変わる不思議な指輪


時刻は午後4時を迎えようとしている。今、穏やかで鮮やかな夕日が地上に降り注いでいる。今日のフローニンゲンの天気はすこぶるよく、午後に親友かつかかりつけの美容師のメルヴィンの店に行くまでの道中の散歩はとても気持ち良かった。店に向かう前に自宅でいつものように少し仮眠をしているときに、仮にこの秋から再び大学院に所属することになったら、それをなんと呼ぶのかについて考えていた。一般的に言えばそれは「留学」と形容されるものなのだろうが、もはや自分にとっては海外に学びに行くという感覚ではなく、世界はひと繋がりであり、「留学」という言葉は単に今いる場所とは違う場所に留まって学ぶという意味に過ぎない。言葉としては同じだが、言葉が意味するものはもう一般的なものとは随分とかけ離れている。オランダで学ぼうがアメリカで学ぼうが、自分にとってはどちらも重要な学びであることに変わりはないが、世間一般で思われているような大袈裟な意味での留学という意味はない。世界全体が自己の魂にとっての学び舎なのだから。


メルヴィンの店に到着すると、メルヴィンは店の外でギターを弾いていた。晴れた日はこのようにギターの演奏をするか本を読んでいることが多いメルヴィン。彼の人生を謳歌する姿に共感する。メルヴィンと挨拶を交わした時に、メルヴィンが左手の薬指に指輪をつけていて、少し前に付き合い始めた幼馴染みのジュディスと婚約したのかと思った。彼女との関係は良好とのことだが、婚約したわけではないようだった。それではその指輪は何かと尋ねると、何やら気分によって色が変わる不思議な指輪とのことだった。試しに自分にもはめさせてもらうと、驚いたことに色が徐々に変わり、メルヴィンから受け取った時のグリーンからブラウンに変わった。そのことを告げるとメルヴィンは指輪の説明書をウェブサイト経由で読み上げてくれ、ブラウンは愛情を表すとのことだった。ちなみにメルヴィンから受け取った時のグリーンは落ち着きを意味するらしかった。どこで購入したのかを尋ねると、街の中心部のヤントラというスピリチュアルショップで購入できるとのことだった。しかもわずか4ユーロで購入できるとのことであり、サイズももう少し小さいものがあるとのことだったので、今度ヤントラを覗いてみようと思う。それにしても一体どのようなメカニズムで指輪の色が変わるのか不思議であった。メルヴィンに尋ねてもそれは謎とのことであり、一体どのようなカラクリが背後にあるのだろうか。単に体温による変化を受けて色が変わるだけなのか、本当に気分の性質に応じて色が変わるのか。4ユーロという価格の安さを考えると、前者からそれ以下のカラクリしかなさそうだが、本当に気分に応じて色が変化する仕組みを持っているのならすごい指輪である。フローニンゲン:2023/2/7(火)16:05


9870. メルヴィンからの3つの学び


メルヴィンの店を出発した後に、マルティニ教会前の中央市場に立ち寄った。筋力トレーニングに相性の良い食材としてマグロに注目し、新鮮なマグロを100gほど購入した。一昔前にその魚介類の出店でマグロを何度か購入したことがあり、今日は久しぶりにマグロの刺身を味わおうと思う。卸を挟まないにもかかわらずなかなかの値段がしたが、それくらいの金額を支払うのが妥当な質のマグロかと思う。


今日はメルヴィンから3つのことを学ばせられた。1つには、メルヴィンがこの間店の外でギターを演奏していたときに、小さな男の子が近寄ってきて、「あなたはギターを弾いているの?それともギタリストなの?」と尋ねられたそうだ。英語で言えば、“Are you playing the guitar?”と“Are you a guitarist?”という質問形式になり、これはなかなか奥深い問いだと思った。これは何もギターの演奏だけではなく、メルヴィンからの投げかけの例にあったように、「ヨウヘイは哲学をしているの?それとも哲学者なの?」という問いになる。もちろん回答が両者を含んでいる場合もあるが、片方の場合もあり、同時にいつからギタリストや哲学者と自分が名乗るのかというタイミングや条件に着目してみるとかなり深い問いかと思った。それは多分に哲学的·実存的·霊的な問いだと思った。単にキャリア上の問いとは括れないものである。後ほど箏の演奏をするが、箏の演奏を毎日しているのか、それとも箏の奏者として日々演奏をしているのか。毎日作曲をしているが、作曲を毎日しているのか、それとも作曲者として日々作曲をしているのか。自分の学習や実践の1つ1つに対してこの問いを当てはめてみると、色々と内省が進みそうである。またそれが自己のアイデンティティ形成につながってくるかと思う。


2つ目に面白いと思った話として、自分のように自由に様々な国に旅行に行ったり、学びに行ったり、仕事に行ったりするような日本人が少数であることの話から、日本人がどこか西洋に引け目を感じているような事柄がオランダ人にもあるのか尋ねてみたところ、オランダ人はスカンディナビア諸国を尊敬する傾向にあるとのことだった。特にEUに所属していないノルウェーへの尊敬は高いらしく、自国でなんでもまかない、社会保障も教育も充実している点に敬意を評しているようだ。自分もこれまでの旅行やオランダやアメリカでの生活から、オランダよりも社会的に裕福な国は確かに北欧諸国ぐらいしかないように思える。


3つ目に興味深く思ったのが、メルヴィンはこの1ヶ月でフリースタイルラップで進化を遂げたことだった。この間のフローニンゲンのミュージックフェスティバルでは、人前でフリースタイルラップを披露したらしく、そこでのパフォーマンスを見たあるバンドがメルヴィンにバンドへの参加に声をかけたそうだ。以前からメルヴィンが述べていたように、美容師としての仕事だけではなく、創造的な仕事にも挑戦してみたいと言っていたことが本当に実現するように感じられ、とても嬉しく思った。メルヴィンのラップのトレーニングとして興味深いと思ったのは、最近は150BPMぐらいの早い速度で練習をしているらしく、そこからより遅い速度に戻すと、全てがスローモーションのように感じられ、ラップが自由自在に行えるとのことだった。これは自分も普段学術書の音読の際にやっていることだと思った。可能な限り早く音読をすることを続けていくと、フロー状態に入り、脳が活性化される。これは音読だけではなく、箏の演奏にも適用したいと思う。最初のうちはとにかく正確性を高めることを意識しながら、その曲に慣れてきたらできるだけ早く演奏してみることを習慣づけてみたいと思う。速度を早めることは、筋力トレーニングで言えば負荷量を高めることに他ならず、これは実践上の工夫として非常に重要なことかと思う。フローニンゲン:2023/2/7(火)16:37


9871. 書籍のタイトルと発売日が無事に決まって/知覚されたビジョン


時刻は午後7時半を迎えようとしている。今日もまた充実感で詰まった1日を過ごすことができていた。まずはそのことに感謝の念を持つ。その感謝の念は、明日の充実感へバトンを渡すだろう。そしてこのバトンは未来永劫受け継がれていく。それが自分の人生の中で完結することはなく、他の人の人生にそのバトンが渡ることを祈る。こうした祈りの感情が夜のこの時間帯に自ずから生まれた。


今日は嬉しい知らせとして、書籍のタイトルと発売日が無事に決まった。このことについてはすでに午後にメルヴィンにも伝えていて、メルヴィンも自分ごとのように祝ってくれていた。まだ再校ができていない状況だが、残すところは再校のレビューと三校のレビューだけである。書籍のタイトルは『成人発達理論から考える成長疲労社会への処方箋』であり、サブタイトルは『新自由主義的社会における「人生を豊かにする」実践的成長論』に正式決定したそうである。著者としてタイトルには口出しはできないが、今回もまた素晴らしいタイトルをつけてもらったことに感謝したい。このタイトル·サブタイトルには、自分が書籍に込めたメッセージが凝縮されている。そして肝心の発売時期であるが、4月17日頃を目処にしているとのことだった。書籍が書店に並ぶまで後少しである。


今日は午前中にふとあるビジョンが知覚された。それは自分が欧米のどこかの大学や大学院でトランスヒューマニズムと宗教の講座やトランスヒューマニズムと倫理の講座を受け持っている明瞭なイメージとして知覚された。このビジョンには随分とリアリティがある。今の自分の関心を突き詰めていけばそのような日がやってくるだろうし、すでに講座で取り上げたいと思う課題図書の候補も見つかっている。今からそれらについて何度も繰り返し読解を試みていけば、いつか本当にそれらの講座を担当できる力がついているだろうし、声が掛かるかもしれない。


テクノロジーと宗教との関係についての探究に並行して、注目する宗教における倫理思想を探究していく。まずは仏教や神道から始め、その後にキリスト教やイスラム教などの他の宗教の倫理思想とテクノロジー思想を見ていく。それが自分にとって進みやすい道である。その探究を進めていく過程の中でそれらに関する論文を執筆するのもありであるし、宗教とトランスヒューマニズムを直接的に結びつけて論文を執筆していくのもありだ。執筆した論文をもとにそれをわかりやすく噛み砕いて日本語で一般書を執筆していく。そのような流れを今のところ理想的にしている。フローニンゲン:2023/2/7(火)19:35


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.2176, I’m a Meta-Human

I’m a meta-human.

I’m a critical trans- and post-human.

I’m always closely examining the future nature of humans.

Groningen; 06:31, 2/7/2023


No.2177, The Rising Sun

The rising sun is calm.

It is relaxing at this moment.

So am I.

Groningen; 08:01, 2/7/2023


No.2178, A Dance of Spiritual Energy

I always see a dance of spiritual energy in the world.

It is very palpable.

It gives me tremendous vitality and energizes my soul.

Groningen; 13:05, 2/7/2023

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