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9859-9863: フローニンゲンからの便り 2023年2月6日(月)



No.4459 神聖な薬草_A Sacred Herb


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本日の2曲


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タイトル一覧

9859. 新たな週を迎えての予感

9860. 今朝方の夢

9861. 音との超越的な一致/時を超えた存在に向かって

9862. ゼミナールで取り扱うテキストについて/公共政策への関心の芽生え

9863. 共同学習の場に恵まれて


9859. 新たな週を迎えての予感


時刻は午前7時半を迎えた。今、空が少しずつダークブルーに変わっていて、夜明けを予感させる。今日からはまた新たな週を迎え、今週もまた充実感と幸福感に満ちた週になってくれればと思う。きっと大丈夫であろう。その証拠として、小鳥たちが鳴き声を上げてくれている。彼らの声がそれを後押ししてくれるはずだ。昨日オーナーのフレディさんと立ち話をしていたように、小鳥たちの鳴き声が朝に聞こえて来るというのは春が近いことを告げている。もちろんフローニンゲンは5月半ばまで寒さが残っているのだが、それでも季節は着実に進行している。その流れに沿って日々を充実感と幸福感と共に歩みた。それら2つは自分にとっての友である。


今日の最高気温は8度と比較的高いが、最低気温はマイナス2度になる。今日から3日間は最低気温がマイナスになるようなので覚悟しておこう。気温は低くても今週は天気が良い日が続くようなので何よりである。このあたりにもぐずついた天気が続きがちな真冬はもう脱していることがわかる。


さて今日もまた、ゼミナールの教材の作成の一環として音声ファイルを作成していこうと思う。次の次のトピックの際に取り上げる『日本教の社会学』という書籍のいよいよ最終章に関する音声ファイルを本日中に作っておきたい。それが済んだら一旦和書から離れ、再びトランスヒューマニズムに関する洋書を読み進めていく。それをしばらく行ったら再びゼミナールの音声教材の作成に取り掛かる。その時にはテーマを新たに日本国憲法について取り上げる。小室直樹氏の『日本人のための憲法言論』を課題図書にする予定で、その書籍についていつものように各章に対して音声ファイルを作成していこうと思う。


今週中に編集者の方から再校が届くであろうから、届き次第すぐにレビューを始め、書籍の完成に向けて仕事を進めたい。再校のレビューにおいてはそれほど手直しの箇所は見つからないだろう。いよいよ出版も間近である。6年ぶりの単著の出版はどこか自分にとっても感慨深いものがある。この6年間の歩みが書籍の形になったことを嬉しく思う。それ以外にも今週は、ひょっとしたら神学大学院からオンライン面接に関する連絡が届くかもしれない。その連絡を受けたら面接に向けて色々と準備をしたいと思う。想定質問をいくつも考えていき、それについての回答を準備したり、こちらから質問する時間もあるようなのでこちらからの質問も練っておきたいと思う。今週は色々と動きのある週になりそうだ。フローニンゲン:2023/2/6(月)07:50


9860. 今朝方の夢


時刻は午前8時を迎えた。この時間帯になるともう外は随分と明るい。日の出の時間も早くなったものだ。


朝の静けさに包まれながら、今朝方の夢について振り返っている。今朝方は大きく分けると2つの夢を見ていた。夢の中で私は、実際に通っていた中学校の門にいて、今から自宅に帰ろうと思っていた。すると突然、上空に何やら怪しげな雲が現れ、それは昔見ていたアニメの敵キャラクターに姿を変えた。空に不気味に浮かぶそのキャラクターは、私に危害を加える様子はなかったが、それも時間の問題かと思った。すると、空に同じアニメの主人公たちが現れた。敵キャラクターも主人公たちもどういうわけか全員風船の姿をしていて、これから風船同士の彼らが戦うようだった。主人公たちは巨大なキャラクターを風船として召喚した。それは魔神のようであり、その魔神は別の魔神を喰うことでさらに巨大化し、存在感を強めた。地上からその様子を見ていた私は、その魔神が登場したことによって、主人公たちはいとも簡単に勝利するだろうと確信した。その確信が芽生えた時に夢の場面が変わった。


次の夢の場面では、小中高時代の親友(SI)と一緒に彼の母親が運転する車の中で話をしていた。彼のお母さんがふと、近くに歴史的な記念碑があり、それを見に行こうと述べた。そこには不思議なパワーが流れているらしく、記念を拝むと効能があるようだったので3人で行ってみることにした。しかしながらその場所がなかなかわからず、結局その記念碑を見ることはできずに市の図書館の駐車場に行き着いた。せっかくなので図書館で何か本でも読もうということになり、そこで友人のお母さんとは別れ、親友の彼と一緒に図書館の中に入った。図書館に入ると、ある本棚で足を止めた。そこに置いてあったハイデガーの技術論に関する古典的名著が輝いて見えたのである。私はその書籍に近寄って背表紙を眺めたが、手に取ることはせず、その場を後にした。すると親友が自由研究のために植物学関係の書籍を探していたので、その手伝いをすることにした。なかなか良い書籍を見つけることができなかったが、書籍を探すプロセスの中で、分野は違うが思わぬ良著を見つけることがお互いにできたことは収穫であった。すると気がつけば私は森の小道を歩いていた。私の近くには小中学校時代の友人が3人(AF & TK & MS)いて、彼らとこの間の日本の選挙について話をしていた。突飛な候補者が当選したことについて色々と意見交換をする中で、ここ最近は以前にもましておかしな候補者や政党が増えて来ているなという話になった。この現象について意見交換をした後に、ポピュリズムの流れに乗って当選したある政治家の人気の低迷について話題となり、森の小道を歩きながらその話題で盛り上がった。フローニンゲン:2023/2/6(月)08:20


9861. 音との超越的な一致/時を超えた存在に向かって


小鳥の鳴き声が聞こえ始めた。辺りに波紋のように広がっていく彼らの鳴き声は実に美しい。音の恵みがここにある。意識は音に溶け出して、意識は音となる。音との超越的な一致(transcendental identification)が実現されている。それを通じて存在は音になる。音はどこまでも響き渡っていき、世界に共鳴をもたらす。


先ほど、自分の関心のベクトルの時制についてふと考えていた。仮に過去·現在·未来という時間区分を設けるのであれば、自分の関心としてまずは神道を通じて日本の歴史に関心があるという点において、関心のベクトルの時制は過去を向いている。一方で、最先端の科学とテクノロジーを横断したトランスヒューマニズムというのは未来学的な要素もあり、多分に未来に向かったベクトルとして自分の関心がある。それら両極の時制の上に今の自分はいる。そうそれは現在の自分であり、その自分は過去と未来にベクトルを向けながら、同時代の問題について強い関心を示している。3つのベクトルの和を取ると、どのようなベクトルが生まれるだろうか。あるいはそれらを掛け合わせるとどのようなベクトルが立ち現れるだろうか。昔習った数学のベクトル、そして高校生にベクトルを教えていたときの記憶が蘇ってくる。記憶を想起するというのは過去にベクトルを向けることだが、その記憶は今この瞬間に立ち上がるという点において現在のベクトルの産物であるとみることもできる。自分は果たしてどのような時間感覚を通じて生きているのだろうか。今一度自分の時間感覚を深く見つめたい気分である。時を超える存在。それもまたトランスヒューマン、あるいはポストヒューマンと言えるだろう。時を超えていくこと。時を含みながら超越する道を人知れず探ってみよう。 フローニンゲン:2023/2/6(月)09:21


9862. ゼミナールで取り扱うテキストについて/公共政策への関心の芽生え


午前中に山本七平氏の日本教に関する書籍を読み進めながら、今後山本氏の他の書籍、とりわけ空気の研究や常識の研究、そして日本人とはなんぞやに関する書籍を日本から取り寄せて読んでいきたいと思った。その中にゼミナールで取り上げたいと思う本があればぜひゼミナールで取り上げたいと思う。現在行っている各種の特別講座では、テキストを洋書にすることが多いが、ゼミナールでは引き続き意図的に和書を扱っていこうと思う。この流れは仮にアメリカに行って神学大学院に行ってもしばらくは変えることをしないようにしたいと思う。自分自身がまだまだ日本や日本人についての理解が浅いという自覚があり、欧米の大学院での研究と並行して、日本や日本人についての理解を深めるための良書を読み続けていきたいという思いがある。その思いが十分に満たされるまでは和書を取り上げる形でゼミナールを運営していきたいと思う。そこに留学での学びを絡めることができたらなお良しである。


そこから考えがまた別の項目に移っていった。突如として公共政策への関心が芽生えたのである。現在の関心事項であるトランスヒューマニズムの思想運動を社会に根付かせていくためには、結局のところ政策として実装していく必要性がどこかで出てくることに思いが至り、公共政策に関する考え方とその方法について体系的に学びたいという思いが出て来た。大学院に進学するよりも先に、まずはオックスフォード大学出版のハンドブックシリーズを含めて何冊か公共政策に関する書籍を読んでみようと思う。和書でも何か入門書として良さそうなものがあればそれを取り入れてみたい。まずは公共政策とは何かについて概略が分かる動画を見たり、その全体像が見通せるような動画を視聴してみようと思う。ここからまた新しい道が開かれていく予感する。フローニンゲン:2023/2/6(月)11:45


9863. 共同学習の場に恵まれて


時刻は午後5時を迎えた。今、夕方の穏やかな世界が目の前に広がっている。今日は天気がすこぶる良く、ジムの行き帰りの散歩はとても気持ち良かった。やはり太陽の光を浴びると心が落ち着く。そして活力が湧いてくる。太陽から得られるエネルギーに感謝の念を持ちながら、ジムの行き帰りの散歩を楽しんでいた。


今日はジムでいつものようにまずはジークンドーの稽古をした。欧米にいるとなかなか難しいが、今後どこかのタイミングで日本の古神道ゆかりの武術を学んでみたいという思いが強くなる。ジークンドーは実に合理的なメカニズムで技が組み立てられており、欧米の合理的精神の具現化のような武術であるが、一方で神秘的かつ呪術的な武術にも関心がある。日本の古神道ゆかりの武術にはそうしたものがあるであろうから、いつかどこかのタイミングでそうした武術と縁ができたら幸いである。


今日は月曜日であったが、午後3時前にジムに到着すると、いつもより人がいた。通常はその時間帯は空いているのだが、今日は盛況であった。ジムでのトレーニングの良さは、他の人と同じ空間と雰囲気を共有して実践を進められることであり、自分にとってはジムでのトレーニングは共同実践のような側面を持つ。確かに1人で筋力トレーニングをしているのだが、それでも場の雰囲気と力に後押しされて実践が進む。また、観察学習とでも形容できるような形で、他の人の身体の動かし方を見て自分のトレーニングの参考にしたりもしている。さらに言えば、自分が一息ついているときに他の人のトレーニングを眺めていると、それだけでミラーニューロンの発火のような現象が起こるのではないかと思う。そうなってくるとますますジムでのトレーニングの効能を実感する。きっとこうしたことは毎週末のゼミナールの場でも起こっているのではないかと思う。ゼミの場での他の人の語りを聞くことだけでもミラーニューロンが発火され、新たなシナプス経路が形成されるのではないかと思う。今自分はそうした意味で本当に恵まれた学習·実践環境にいることを実感する。そこでの学びと経験を、今後も広く多くの人に共有し続ける試みに従事したい。それがわずかばりの公共的還元実践であり、社会への恩返しとなる。フローニンゲン:2023/2/6(月)17:22


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.2173, My Best Friends and Supporters

I walk with a feeling of bliss and fulfillment every day.

They’re my best friends and supporters.

Groningen; 07:41, 2/6/2023


No.2174, A Legendary Moment

Every moment is legendary.

It is radiating all the time.

We should bathe in it.

Groningen; 08:58, 2/6/2023


No.2175, An Ear of Rice

An ear of rice is ripened.

It’s time to pick it up.

It can be a seed for the future generation.

Groningen; 13:15, 2/6/2023

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