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9840-9844: フローニンゲンからの便り 2023年2月2日(木)



No.4439 恍惚感_Ecstasy


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.2164, Silence for Our Souls

Silence is a treasure for our souls.

It often comes from isolation and loneliness.

Groningen; 09:40, 2/2/2023


No.2165, An Afternoon Gem

A moment is a gem.

The afternoon is full of gems now.

Groningen; 13:05, 2/2/2023


No.2166, Unaccomplished Humanity

Humanity is still unaccomplished fully.

Human beings are desperately immature.

Transhumanism may seek to make humanity accomplished fully before going beyond humanity.

Groningen; 20:09, 2/2/2023


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本日の2曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

9840. 賃貸契約の更新を無事にして/日曜日の過ごし方

9841. 今朝方の夢

9842. 琳琅満目の世界を生きて/今朝方の夢の続き

9843. 今日のパーソナルトレーニングを振り返って

9844. 未完のヒューマニティー/トランスヒューマニズム時代の身体実践の方法と意義や価値について


9840. 賃貸契約の更新を無事にして/日曜日の過ごし方


時刻は午前8時を迎えようとしている。今、空がダークブルーに染められていて、夜明けの到来が近いことを告げている。ここ最近は寒さが落ち着いていて、今朝方の様子だと湯たんぽを使う必要はなさそうだ。昨夜も湯たんぽを使わずして就寝することができ、気温が少し温かくなっていることを嬉しく思う。とは言え来週からはまた最低気温がマイナスになる日が続くようなので、その時の寒さを覚悟しておこうと思う。


昨日はオーナーの家を訪れ、2時間ほどの談笑を楽しんだ。昨日は久しぶりにアルコールを摂取した。飲ませてもらった2杯のベルギービールはとても美味しかった。昨日オーナーの家を訪れたのは家の契約に関する話が最重要な話題であったが、それが話されたのは最後の方であった。結論から述べると、無事に家の契約の延長ができ、仮にこの夏からアメリカに行くことになれば、7月末まで今の家にいられることになった。オランダの賃貸契約は少し変わっていて、基本的には最初に2年間の賃貸契約を結び、その後は借主が永遠に賃貸できる権利を獲得することができるという内容になっている。今の家は元々フレディさんのお母さんのために作られたもので、フレディさんのお母さんが仮にこの家に住みたいと言った場合に、永遠に賃貸できる権利を借主に与えてしまうと不都合になるため、基本的に以前の借主のように2年経ったら出ていくか、以前の契約を破棄して、再び新しく2年の契約を結ぶかをしなければならないところを、今回はオーナーとの信頼関係のおかげで特例的に数ヶ月契約を延ばすということをしてもらった。仮にアメリカに行くことにならなくても引き続きこの家に住むことができるようにもしてもらえ、ただしその場合には、フレディさんのお母さんがこの家に住みたいと述べたら、家を譲るという契約内容になった。昨日もフレディさんとペイトラさんと話をしていたが、この家は自分にとって憩いの場であり、フローニンゲンという街の中にありながらも居住空間が隔離されているので、とても静かで1人の時間をゆっくり過ごすことができる場である。こうした居住空間がなければ、この2年間の探究の進捗はなかったであろうと思われる。ゆえに、本当にこの家には感謝をしている。


オーナーとの談笑を楽しんだ後に家に戻ってきたときにふと、何か閃くようにして、日曜日の過ごし方について実験的に新しい試みをしてみようかと思った。端的には書物からのファスティングをするというものだ。日曜日は24時間の食事に関するファスティングをしているが、それに合わせて書物からも離れるということをやってみようかと思ったのである。思い返せばオランダでの7年間において、書物を読まない日はほとんどないような形で土日関係なく探究を続けてきたこともあり、その生活スタイルに慣れてしまっているが、日曜日は箏の稽古により時間を充てたり、ゆっくり等倍速で映画鑑賞をするなどしてゆったりと過ごすのも良いのではないかと思った。1日ぐらいその他の日とは違う形でその日を味わうというのも何か今の自分にとっては大切なことのように思えるし、心にゆとりがさらにもたらされるのではないかと思う。フローニンゲン:2023/2/2(木)08:05


9841. 今朝方の夢


時刻は午前8時を迎え、ライトブルーの空が広がり始めた。今は雨は降っていないが、どうやら今日は午後から小雨が降るらしく、先日購入した新しい折り畳み傘が活躍するかもしれない。今日は午後からジムに行き、パーソナルトレーニングを受ける。今日のトレーニングもとても楽しみだ。エリーザはどんなメニューを提供してくれるだろうか。こちらからの要望としては、前回と同様に大胸筋を主に鍛えながら、大臀筋を鍛えることを今日はしてみたいと伝えてたいと思う。


昨日のオーナーとの談笑を受けて自宅に戻り、少し遅い夕食を食べて少し休憩てしから入浴をして就寝した。就寝中に見ていた夢についていつものように振り返りたい。夢の中で私は、見慣れない島にいた。そこはリゾートアイランドのようで、多くの観光客が楽しげに過ごしていた。私はふらりと波止場のほうに行ってぼんやりと海を眺めて過ごそうと思った。波止場に到着して、しばらく穏やかな海を眺めていると、突然その場に次元の変化が起こった。いやそれは時空間の歪みによるタイムスリップ現象と述べた方が正確かもしれない。突然その場が数十年前の戦争時代に変わり、海にアメリカ軍とイギリス軍の兵隊たちが現れた。どういうわけか、彼らは波止場にある木でできた足場の下の海に隠れていた。すると、どこの国の軍かわからないが、半透明人間が数人現れ、海の下に隠れているアメリカ軍とイギリス軍の兵隊たちを次々と銃殺していった。その光景はとても残酷であり、殺された兵隊たちはとても若く、しかもそこには女性も半分ぐらいいたのでとても心が痛んだ。一体なぜそのような残虐なことをするのか自分には理解ができなかったが、戦争とは合理が通用せず、極めて残虐なことなのだと改めて思った。残酷だったのはそれだけではなく、沖合の方を見ると、何隻もの軍艦が現れ、そこから人食いザメが解き放たれたのである。お腹を空かせたサメは猛烈な勢いで沿岸にやってきて、海に取り残されている若い兵隊たちを次から次へと喰い殺していった。その光景は見るに耐え難く、私は波止場を離れ、両親のいる家に向かって2人の安否を確かめに行った。家に到着すると、家の中は暗く、1階のリビングの窓のカーテンが閉められていて、その上からテープで固定し、外から何も見えないようになっていた。それは父が行ったようで、戦争事態における自衛の1つの手段のようだった。両親は無事で、お互いに違う部屋からひょっこり顔を覗かせたときにはこちらも安堵した。外は大変な事態になってしまった思った私は、これからどうやって生きていくかを3人で話し合おうと思った。その前に2階の自分の部屋に行こうと思って部屋に入ると、なんと窓ガラスと窓枠が取り外されていて、どうしたものかと思った。すると父がやってきて、何やら窓ガラスを拭こうと思ったら割れてしまい、窓枠も外れてしまったとのことだった。戦争中の今、1階はあのように外から内側が見られないようになっている一方で、自分の部屋が外から丸見えであることをどうしたものかと思った。また仮に雨が降ったら、部屋が水浸しになってしまうのではないかと懸念した。まだ時間も時間だったので、開いている店に行き、窓ガラスと窓枠を父と購入しに行こうと思った。そう思って出かけようとしたのだが、その前にトイレに行こうと思って2階のトイレに入ると、トイレが見たこともない古風な形式になっていて、どうやって用を足していいのか迷った。仕組みがわからないまま用を足した後、母に改めてトイレの使い方について尋ねると、どうやら自分の使い方は間違っていたらしく、慌ててトイレに戻って掃除しようと思って扉を開けたら、トイレは元の綺麗なままだった。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2023/2/2(木)08:31


9842. 琳琅満目の世界を生きて/今朝方の夢の続き


早朝起床して2階の書斎に向かっている最中に、小鳥たちの鳴き声が聞こえてきた。それは今も聞こえている。なんと清澄で愛らしい鳴き声だろうか。それは自分の脳髄に浸透し、心の奥深くにスッと入っていくような鳴き声である。それは霊的な何かを刺激する鳴き声でもある。先日、批判的実在論の講座の受講生の方が「琳琅満目(りんろうまんもく)」という言葉を使っていた。その意味を知らなかったので調べてみたところ、美しいものが目の前に満ち溢れているという意味であることを知り、とても素敵な言葉だと思った。日本語にはまだまだ自分の知らない珠玉の言葉が存在していると思わされた次第だ。未知なものがたくさん存在しているということもまた自分にとっては琳琅満目である。未知なものは美しいのである。未知なものが既知なものに変わる瞬間に光が差す。その光もまた美しい。そして既知になったものが輝きだす様もまた美しいのである。


先ほど今朝方の夢について振り返っていたが、もう少し思い出したことがある。夢の中で私は、見慣れない部屋にいて、どうやらそこは実家の1室であることに気づいた。遠くには母がいて、近くには2人の若くて綺麗な中国人の女性がいた。彼女たちは中国語の講師をしているらしく、それでいて私たちは知人関係のようだった。2人は日本語も流暢で、その場では日本語で話をしていた。彼女たちの仕事の話を聞いていると、自分も中国語を勉強してみたいと思い、2人が提供しているコースについて説明してもらうことにした。すると片方の女性がパンフレットを取り出し、そこに彼女たちが提供している中国語のコースが綺麗にまとまっていた。どのような目的でどれくらいの期間をかけて学習するかによってコースの内容と金額が異なっているようであり、もし自分が受講するのであればどのコースがいいだろうかと考えた。最長のものでは7年間のコースがあり、金額も高く、一体これはどのような人が受講するのだろうかと思った。結局自分ではどのコースが最適なのかわからなかったので、TOEFLの105点ぐらいのスコアの中国語を習得するにはどのコースがいいかと尋ねてみた。すると、各種外国語試験との対応表を見せてくれたが、そこにはTOEFLは比較項目として挙がっておらず、そのため2人の感覚としてどのコースがTOEFL105点ぐらいの中国語かを判断してもらった。2人とのやり取りを遠くで母が微笑ましく眺めていて、気づいたときには母はどこかに消えていた。母がいなくなったことを受けて、2人とは話題を変えて引き続き楽しく会話をしていた。


それ以外にも、同じく中国語関係の夢を見ていた。今度は東大卒の知人が中国語の講師として仕事をしていて、彼と話をしていた場面があった。その時の彼の年齢はまだ若く、大学を卒業して数年しか経っていないような年齢だった。なのでビジネスをどのように軌道に乗せたらいいのかのノウハウがなく、その点についてこちらからアイデアを提供した。彼は一般人を対象にして中国語のサービスを提供しているようであり、それだと大きな売り上げにつながらない。彼の大学時代の先輩たちの大半は大手の企業に勤めているし、彼の中国語の講師としてのサービスはピカイチだったので、大企業だけに絞ってサービス展開をし、1億円で年契約を結ぶことを勧めた。そうすれば、仮に1社としか契約できなかったとしてもそれだけで年収が1億円になるので、その路線で活動することを勧めた。私の感覚として、彼であれば3社ぐらいは契約できるだろうし、3社と契約したとしても、それぞれの会社にサービス提供をするのは週に1日だけなので、週に3日に働いて3億円の年収であれば御の字ではないかと思った。フローニンゲン:2023/2/2(木)08:55


9843. 今日のパーソナルトレーニングを振り返って


時刻は午後5時半を迎えた。今、小雨が降っている。先ほど自宅に戻ってきて、今ひと休憩をしている。この日記を書き終えたら夕食を作り始めようと思う。今日のジムでのトレーニングは大変充実していた。結局、2時間半ほどジムで時間を過ごしていた。いつものようにサンドバックのある部屋でジークンドーのトレーニングをしようと思ったら、そこには先客がいたのでダンススタジオに移動し、そこでジークンドーの鍛錬を行った。今日は接触法の動きにステップを加えていき、絶えず足を動かしながら接触法を繰り出すことを行なっていった。今後はこの動きを通じて21個の接触法の練習をしていこうと思う。ジークンドーの鍛錬は筋力トレーニングに向けた良いウォーミングアップになっていて、そこからエリーザに指導してもらいながらパーソナルトレーニングを行った。今日の要望としては、前回と同じく大胸筋を主に鍛えていき、同時に大臀筋を鍛えたいという旨を伝えた。エリーザはいつも事前に幾つかのメニューを用意してくれていて、自分も要望を出すので、お互いに事前に考えていたことを織り交ぜながら良いトレーニングが毎回実現されている。月曜日にも大胸筋を鍛えていて、今日はどれくらいトレーニングができるか気になっていたが、大胸筋と大臀筋を行ったり来たりするメニューのおかげでいずれのエクササイズも最後までやり通すことができた。大胸筋のエクササイズは方法についてだいぶ習熟し、エリーザから直されることはもうなくなった。一方の大臀筋のエクササイズは今日が始めたのものばかりだったので、やり方について色々と細かいことを教わった。重りを持ってスクワットをする際に、膝の開く角度や膝の曲げる角度、さらには重心の位置をどこに置くかを教わった。腰をかがめた際には膝を少し開くようにするのがコツであり、重心はかかとに持ってくることが大切になる。最初のうちは重心を前に持ってきてしまっていて、それだとあまり大臀筋やハムストリングに効かすことができない。かかとへ重心を持ってくることは次回の自主トレーニングでも意識したい。ハムストリングを重点的に鍛えるエクササイズもダンベルを用いて行った。これがメカニズムとしては一番複雑であったが、エリーザの指導の元に3セット行う頃にはコツを掴んだ。自分でもきちんとハムストリングに効かせられているという実感があり、この感覚を忘れないようにしたい。いつも1時間のパーソナルトレーニングの中でセット間の休憩の際には雑談をするのだが、エリーザは近所の別のジムでも働き始めたらしく、そこではノルウェー人の女性のパーソナルトレーニングをしているとのことだった。そして今度ロッテルダムで何やらコンテストに参加するとのことだった。何のコンテストか聞いてみたところ、ランニングをした後にフィジカルエクササイズを行い、その後ランニングを行い、再びフィジカルエクササイズを行うということを繰り返すハードなコンテストのようだった。1000人以上参加する大きな大会らしく、オランダだけではなく、ヨーロッパ中から人が参加するコンテストとのことだった。エリーザはそのコンテストに向けて、もっぱら身体を色々な角度から鍛えているらしい。週に5回ジムでトレーニングをしているようで、それはもう中毒的と笑いながら述べていた。フローニンゲン:2023/2/2(木)17:54


9844. 未完のヒューマニティー/トランスヒューマニズム時代の身体実践の方法と意義や

価値について


ジムでのトレーニングを終えた後の夕食はいつも美味い。体を鍛えて消費したエネルギーが十分に補われ、そして筋肉の肥大に栄養が活用されていくのが分かるかのような感覚にある。


夕食を食べながら、未完のヒューマニティーについて考えていた。現代は依然としてヒューマニティーは完遂されておらず、人間は人間としてあまりに不完全すぎる。人間がより人間らしくなる方向でのテクノロジーの活用か、人間を超えていく方向でのテクノロジーの活用か、さもなければ人間は堕落の道へ転がり落ちるだろう。トランスヒューマニズムというのは何も人間を超えていくという意味だけではなく、今の不健全な人間の状態を超えていくという方向でその思想運動がより展開していくかもしれない。


ジムからの帰り道、トランスヒューマニズム時代の身体実践の方法と意義や価値について問い直していた。今の自分が日々楽しんでいる実践にはジークンドーや箏の演奏、さらには筋力トレーニングがある。それらは全て身体を伴うものであり、身体を通じて喜びが溢れてくる。さて、それらの実践はトランスヒューマニズム時代にはどのような方法で行われるようになるのだろうか。そしてその意義や価値はどのようなものになるのだろうか。今までと同じでは決してないだろう。方法も変われば、意義や価値も変わるはずである。今のところ自分は、ウィーク·トランスヒューマニストの立場を取っていて、無鉄砲に技術を活用して人間を超えていくようなストロング·トランヒューマニストの立場を取ってはいない。今のところはその路線を踏襲していき、マインドアップロードを活用したポストヒューマンへの道は、身体的な実践を楽しみに尽くした最終段階で選ぶものになるだろうか。いや、身体的な実践を楽しみ尽くす日はやってきそうにないため、ポストヒューマンの道は自分にとっていつ開かれるのだろうか。ひょっとしたらポストヒューマンではなくトランスヒューマン として身体を持って永遠に生きることを選び続けるかもしれない。いずれにせよ自分の生の在り方が問われる。もちろんマインドアップロードが可能になる頃には、存在全てがコンピューター上だけにあったとしても身体感覚は感じられるようになっているだろう。そこには五感も当然あるはずだし、五感以上の感覚も働かせていられるだろう。トランスヒューマニズムやポストヒューマニズムについて考えることは思考を柔軟なものにし、既存の価値観や物の見方の枠組みから自分を外に連れ出してくれる。引き続き様々な角度から未来の人間と社会の在り方について考えを深めていこう。フローニンゲン:2023/2/2(木)19:31

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