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9802-9806: フローニンゲンからの便り 2023年1月25日(水)



No.4420 宇宙の基盤から_From the Foundation of the Universe


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.2148, A Voice of the Morning Earth

A voice of the mooning earth is floating in the air.

Only those who can listen to it can be empowered.

Groningen; 09:03, 1/25/2023


No.2149, A Heavenly Bell

The world rings a heavenly bell.

It brings energy to us, all beings.

Groningen; 14:03, 1/25/2023


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(3つ)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の2曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

9802. トランスヒューマニズムに関する研究の覚書

9803. 今朝方の夢

9804. 出版書籍の初校の完成間近を迎えて

9805. オンラインミーティングを終えて/今朝方の夢の続き

9806. およそ6年振りの新鮮な体験


9802. トランスヒューマニズムに関する研究の覚書


時刻は午前7時半を迎えようとしている。今の気温はマイナス1度で、しばらくこの気温が続き、日中ではなく午後5時頃に今日の最高気温である1度に達する。今日は結構気温が低めである。日本はちょうど大寒波に見舞われているらしく、フローニンゲン以上に寒い地域が続出しているようだ。フローニンゲンの今日もそれなりの寒さだが、夕方あたりに近所のコピー屋に行き、書籍を受け取りに行こうと思う。昨日イギリスのアマゾンから10kgほどの数冊の書籍が指定先のコピー屋に届けられたとの連絡があったので、それを受け取りに行く。それらの書籍はこの間注文したトランスヒューマニズムに関するものだ。これで大半の書籍が届いたが、それでもあと数冊ぐらいはまだ届いておらず、2月を迎えてから届く本もある。気長に本の到着を待とう。その間にも手持ちの書籍を読み進めていくことによって探究を進めていく。


昨夜考えていたことを書き留めておく。トランスヒューマニストの大多数は無神論者であるが、彼らのスピリチュアリティーはどのようなものなのかに関心がある。彼らが体現している「トランスヒューマニスティック·スピリチュアリティー」と呼べるものの特徴はどのようなものなのだろうか。色々と調査と考察を進めていこうと思う。ゾルタン·イストヴァンはどうやら、地球外生命体や宇宙の神秘に関心があるようで、彼はそうした関心事項を自身のスピリチュアリティーの特徴だと述べていた。科学とテクノロジー、そして合理性を追求しようとする彼らしいスピリチュアリティー観と言えばそれまでだが、やはり内面にはあまり意識が向かっていないようだ。彼のスピリチュアリティーはどこまでいっても客観的に捉えられるもので、内面宇宙ではなく外面宇宙の方に焦点が当たっていることがわかる。


今朝方顔を洗っているときに、世界の様々な宗教の観点からトランスヒューマニズムを検証していく際に、遺伝子工学やクローン技術などの個別具体的な技術に焦点を当てて、それらに対して宗教の倫理観を照らし合わせてみる研究の方法に加え、テクノロジー全般について宗教側はどのように応対するのかの研究を進めてみようと思った。前者のテーマについて研究する際には、トランスヒューマニズムと倫理学のテキストが主な文献になるだろう。一方後者のテーマについて研究する際には、テクノロジー哲学のテキストが主な文献になるだろう。調べるべき文献の相違から、それらの両方の研究を進めていく可能性を残しておきたい。当然ながら前者のテーマにもテクノロジーが密接に関係しているので、前者のテーマの研究においてもテクノロジー哲学の文献を参照することになるだろうが、読むべき文献は若干異なってきそうである。少しずつ研究テーマの輪郭を明らかにしていき、より個別具体的な研究テーマを設定して、来たるべきときに論文の執筆をすぐさま始められるようにしておきたい。フローニンゲン:2023/1/25(水)07:34


9803. 今朝方の夢


時刻は午前8時を迎え、ようやく空がダークブルーに変わり始めた。ここからもう少し時間をかけて夜明けを迎える。


まだ今朝方の夢について振り返っていなかったので、夢について振り返っておきたい。夢の中で私は、実際に自分が通っていた中学校の教室にいて、席に座って授業を受けていた。教室はとても静かで、生徒は大人しく座って授業を真面目に聞いていた。誰も何も話をすることもなく、黙々と先生の授業に耳を傾けたり、板書をノートに取っていたりしていた。すると、先生が生徒の名前を呼び始め、課題にしていた発表をそれぞれの生徒に促した。どういうわけか私の課題は、『越天楽今様』を歌付きで箏で演奏するというもので、その曲の演奏難易度は別に高くないので大丈夫かと思った。しかし、いざ自分の発表の番が近づいてきたときに、探せども『越天楽今様』の楽譜がなくて焦った。暗譜するほどには弾き込んでおらず、発表の際には必ず楽譜が必要だったので、それがないと大変困ると思った。どこにしまったか忘れてしまったので、とりあえず手当たり次第、机の中に入っているクリアファイルの中を確認していった。


すると、そんな様子を見ていた隣の女子生徒が私に微笑みかけてきた。そして彼女は声を発した。教室がいかんせん静かまりかえっていたので、彼女の声は目立ったが、幸いにも先生も生徒も聞いていないふりをしているようだった。私は彼女の右腕を咄嗟に掴んで、あまり声を出さない方がいいと彼女に小さな声で伝えた。すると彼女はどこか寂しげな表情を浮かべ、また前を向いて授業を聞き始めた。結局まだ楽譜が見つかっていなかったので、引き続き楽譜を探すことにしながらも、彼女の寂しげな表情が気がかりで、自分は別に彼女を責めるつもりだったのではなく、話をするのなら授業が終わってからにしようという思いがあった。それをちゃんと伝えておいたほうがいいかなと思ったので、再び彼女の方を向いて、また小声でそのことを伝えた。すると彼女はパッと明るい表情を浮かべ、授業中にもかかわらず私の方に体を寄せてきて、頬にキスをし始めた。それも1度ではなく、何度も頬にキスをし始めて体にまとわりついてきたので、さすがに授業中にそれはまずいだろうと思った。しかし不思議なことに、先生は黙って黒板に板書を続けていて、周りの生徒もきっと気づいているはずなのだが、何も言ってこなかった。後ろに座っている友人は確実にその光景を目撃しているはずだが、気づかぬふりをして授業を受けていた。みんな一体どうしたのだろうと思いながら、まとわりつく彼女をどうしようかと考えた。また邪険に振り払ったりすると彼女の機嫌を損ねると思ったので、また優しく彼女の腕を振り解いて、優しい言葉をかけると、彼女はまた自分の席の方にちゃんと着席した。彼女に結構キスをされてしまったので、顔を洗いに行こうと思った。授業中ではあったが、さっと教室の後ろの扉から廊下に出て、近くのトイレに入った。せっかくなので用を足していこうと思ったが、ふと個室を見ると、そこに洗濯物が干してあって驚いた。しかもその中には自分のタオルと下着が干してあって、もう乾いているようだったので、変な匂いがつく前に取り込んでおこうと思った。


用を足し終えると、トイレの外に人影が見えた。見ると、前職時代の同僚の女性で、旦那さんと一緒に学校を突然訪れたとのことだった。少しだけ言葉を交わした後、まだ授業が続けられていたので教室に戻ると、もう授業が終わりを迎えていて、生徒の発表の大半は次週に持ち越しとなったようだったのでほっとした。しかし、黒板の板書の多くはまだノートに取っていなかったので、急いでノートに書き留めておこうと思った。もしそれが無理そうだったら、スマホで写真を撮影するか、しっかりしたある女性友達にお願いしてノートを借りようと思った。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2023/1/25(水)08:19


9804. 出版書籍の初校の完成間近を迎えて


時刻は午前9時半を迎えた。洗濯機が止まったようなので、この日記を書き終えたら洗濯物を干そおうと思う。あと30分ほどで、協働者の方たちとのオンラインミーティングがある。


先ほどメールを確認したところ、編集者の方から連絡があり、東京にも大寒波がやって来ているとのことだった。水道管の破裂への注意が呼びかけられているとのことであり、歴史的な寒波を実感させる。ここからも異常気象の様子が窺え、地球は本当におかしくなっていることが実感として感じられる。地球の生態系を守るということもまたトランスヒューマニズムにおける重要な課題である。


さて、編集者の方からの連絡を受けて、今月末までに初校が完成すると聞いてとても嬉しく思った。ワードで送った原稿に対して年末にかなり細かく色々とコメントを頂いていて、それらを反映した修正を年末年始の旅行中に行った。その成果が実り、本文そのものを大きく変えるような変更がもはやない段階に来たことに安堵する。前回の修正の際に終章を新たに追加したことに伴い、おそらくそこに何らかの再度修正のコメントがあると思われるので、すでに縦組みになった原稿を後ほど確認しておきたい。先ほど最初からざっと原稿を確認していったところ、終章までは何も新たなコメントがなかったので、編集者の方が述べていたグリーンのマーカーを引いた要確認事項はやはり新たに追加した終章のどこかにあるのではないかと思う。その修正は初校を戻すときでいいと言われたので、先回りしてその修正箇所に対するアイデアを練っておこうと思う。縦組みの原稿に加えて、実際の書籍のレイアウトの例をPDFで送っていただき、それを見たときにようやく書籍の形になってきたことを実感し、とても嬉しくなった。書籍を執筆するのは毎回産みの苦しみがあるが、いざこうして形になってくる様を見ると、その苦しみも簡単に吹き飛んでしまうぐらいの喜びがある。これは何にも代えがたい喜びであり、それは何かを創造することの根幹にある喜びなのだろう。初校が完成すれば、あとはグリーンのマーカーで引かれた箇所の修正と誤字脱字の確認をする作業だけとなり、いよいよ3月末の出版が目の前に迫って来たことを実感する。フローニンゲン:2023/1/25(水)09:37


9805. オンラインミーティングを終えて/今朝方の夢の続き


時刻は午前11時を迎えた。つい今し方、協働者の方々との毎月の定例ミーティングを終えた。今ご一緒させていただいているベンチャーキャピタルさんとの協働は、遡ってみると4年半前から始まった。今でもこうして関係が続いている背後には、やはりお互いが絶えず変容の歩みを歩んでいることがあるだろうか。毎月1回のミーティングで取り上げるトピックは常に新鮮に感じられるし、その場で取り上げられる話題も多岐に富む。また、こちらに投げかけてもらえる問いも常に自分にとって学びになるものばかりであり、そうしたところにも相互発達的な関係性が築けていることを実感する。逆に言えば、自分はそうした関係性が築けない人や組織とは協働がうまくできないのだと思う。そのようなことを考えていた。


この時間帯になって、今朝方の夢の続きを思い出した。夢の中で私は、マリオカート のゲームをしていた。それは最新版のマリオカートで、自分が昔やっていた頃のものよりもグラフィックが綺麗で、まるで自分が本当にカートに乗って走っているような感覚さえあった。すると突然、自分が本当にゲームの中に入り、自分がカートを操縦することになった。水の中をカートで走り抜けたり、ジェットスキーのような乗り物によってコースを走り回ることはとても爽快で、その爽快さに浸っていた。あまりの気持ち良さに我を忘れてしまいそうになると、そこでハッと我に返った。するとゲームの外の世界にいて、自分は何をしていたのだろうと冷静になった。そこで夢から覚めた。今日も色々な夢を見ていた。それぞれの夢が示唆することは多岐に渡る。それら1つ1つに改めて思いを巡らせながら、今日は少し早いが正午前に少し仮眠を取っておこうと思う。というのも、正午からヨガ教師の知人の勉強会に参加することになっているからだ。その勉強会でもまた先ほどの協働者の方たちとのミーティングのように、発見と気づきに満ちた時間を過ごせるだろう。それに今からもう感謝している。フローニンゲン:2023/1/25(水)11:26


9806. およそ6年振りの新鮮な体験


時刻は午後3時を迎えた。今、トランスヒューマニズムの先駆け的存在であるレイ·カーツワイルの古典“Singularity is Near (2005)”を読み進めている。こちらは600ページを越す大著だが、非常に楽しく文章を読み進めている。今から20近く前に出版されたこの書籍から色々と学ばされることがあり、今色々と考えを整理している。この書籍を読み進める前には近所のコピー屋に行って、イギリスのアマゾンから届けられた書籍を受け取った。段ボール一杯に入った書籍を抱えながら自宅に戻り、夕食後に開封するのが今から楽しみである。それらの大半は、倫理の観点からトランスヒューマニズムについて論じた学術書であり、それはこれからの自分の研究に大いにつながってくる内容である。


今日は昼から、知人でもあるヨガ教師の壺井佳代子さんの勉強会に参加させていただいた。振り返ってみると、誰かのプレゼンテーションを聞く形で勉強する機会というのはここ数年ほとんどなかったことに気づき、最後はフローニンゲン大学に在籍していた時の授業だったのではないかと思った。なので他の人から学びを得るというのは実に6年振りのことだったと気付かされたのである。もちろん、他者から学ぶというのは日常的に行っていることだが、セミナー形式で他者から学ぶというのは本当に過去6年の中で1度もないことだったので、とても新鮮だった。また日本人からセミナー形式で学んだというのは、これまた知人の鈴木規夫さんに今から8年前に勉強会に声を掛けてもらった以来のことだったので、日本人からの学びで言えばおよそ8年振りのことかつこの8年で2回目のことになる。今日の体験を通じて、参加者の立場、学習者の立場というのを身をもって知ることができたのは大きな収穫であった。それ以上に、今日の勉強会の場での雰囲気ややり取りを通じて、改めて誰からか学ぶのもいいものだと思った次第だ。自分の学習上の盲点や発想の盲点に気づく瞬間が何度かあったし、純粋に同じ参加者という目線で他の人の発言を聞いてみると、いつもファシリテーション側で意見を聞いている時は少し違った感覚があった。ファシリテーション中はどうしてもその発言をゆっくり反芻したり、味わったりする余裕はないことが多いが、場を回さなくていいという点から、参加者の時には他者の発言をゆっくり反芻したり、味わったりすることができる。


勉強会の中身に関して言えば、壺井さんが紹介してくださったヨガの三大聖典のうち、バガバッド·ギーターとヨーガ·スートラはすでに読んでいてオランダの自宅にもあるが、3冊目のヨーガ·ヴァーシシュタはまだ読んだことがなかったので、良い英訳のものを読んでみようと思う。もし仮にこの秋から神学大学院に進学したら、ヨーガの聖典読解のコースを履修してみたいと思っていたので、その探究熱がまた灯った気がする。その他にもまだまだ考えさせられたことはあるが、それは文章にするよりも話し言葉として音声ファイルの形にし、それはゼミナールの皆さんにシェアしようと思う。フローニンゲン:2023/1/25(水)15:18

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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