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9729-9733: フローニンゲンからの便り 2023年1月10日(火)



No.4367 精霊の音_A Sound of a Spirit


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.2117, Morning Meditation

The state of this morning is meditative.

It encourages me to enter the meditative state of consciousness.

Groningen; 09:30, 1/10/2023


No.2118, The End of the Day

I just pray for the world at the end of the day.

I don’t know how much my prayer can contribute to the world.

But I’ll continue to pray for the world every day.

Groningen; 21:25, 1/10/2023


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本日の2曲


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タイトル一覧

9729. 朝の考え事と今日の活動内容

9730. 今朝方の夢

9731. ヒューマニズム、トランスヒューマニズム、ポストヒューマニズム、メタヒューマニズムの違い

9732. メルヴィンとの対話に触発されて

9733. 言葉と存在/今朝方の夢の続き


9729. 朝の考え事と今日の活動内容


時刻は午前8時を迎えた。今、空がダークブルーに変わり始め、夜明けに向かって動き出しているのがわかる。マヨルカの気候が暖かく、フローニンゲンとの気温差から、昨日までは少し喉が痛かったり、鼻水が出ていたが、それも治まった。人間の身体というのはつくづくよくできていているものである。環境に適応する力は素晴らしいがその一方で、やはり肉体には限界があることをつくづく思う。機能的により優れた身体があれば、気温差によって喉が痛くなったり、鼻水が出たりしなかったはずなので、そこには身体の限界が現れているように思う。トランスヒューマニストはそうした肉体の限界に注目し、それを科学とテクノロジーの力を使って乗り越えようとする。自分もますますそうした発想に傾いているのだろうか。


庭の木々はすっかり裸となったが、明けゆく空を背景にしながら、その凛とした佇まいが見える。今日は風が穏やかで、木々の枝は揺れていない。今日の最高気温は7度、最低気温は6度とのことである。天気予報を見ると、夕方から小雨が降り始めるようなので、今日の外出の際には折り畳みの傘を持っていこうと思う。今日は午後にかかりつけの美容師のメルヴィンの店に行き、髪を切ってもらう。メルヴィンと会うのは前回自宅に呼んでもらった時以来になるだろうか。それほど昔ではないはずなのだが、なぜか遠くの出来事のように感じる。いずれにせよ、年末年始の過ごし方やその時に何を考え、何か面白い気づきや発見がなかったかを尋ねてみたいと思う。新年最初の発見事項などで話が盛り上がるかもしれない。


今日はそれ以外にも、批判的実在論の講座の初回のクラスがある。この講座の開講は自分でも楽しみにしていたものであり、日本ではほとんど知られていないが重要な理論体系である批判的実在論を参加者の皆さんと一緒に理解を深めていくことは楽しみである。和やかな形で、それでいて実りの多い対話をクラスの中でできたらと思う。クラスが始まる前に、改めてテキストの該当箇所を読み返したり、参加者の方の投稿文章を読んだりして準備をしようと思う。フローニンゲン:2023/1/10(火)08:12


9730. 今朝方の夢


先ほどよりも空が明るくなってきた。変化というのは目に見えないところで着実に起こっていて、その累積が自分にハッとさせるような光景を見させてくれることはよくあることである。何気なく窓の外を眺めていると、自然がもたらす変化の景色に目を奪われることがよくある。


今朝方はいくつか夢を見ていたので、それについて振り返っておきたい。夢の中で私は、前職時代の上司と一緒に旅館に宿泊していた。その方はすでに奥さんと2人の娘がいて、旅館の部屋では家族の話をしていた。その上司の方は年齢は一回り上だが、大学の先輩でもあったので、とても親近感があった。実際にその方が優しかったこともあり、とても話しやすかった。しばらく部屋で話をしていると、その方がイギリスに留学して、イギリスの税制と日本の税制を比較する研究に従事したいと述べた。それは会社を辞めてというよりも、休職の形でとのことだった。それを以前同じ部署のボスと他の部署のボスとの飲み会の席で打ち明けたところ、同じ部署のボスからは好意的に受け止められたが、他の部署のボスからは留学などして何になると言われたらしい。そこは酒の席でもあり、他の部署のボスは若干上司を茶化しながらそのようなことを述べたらしいが、上司はその点が気になって留学に踏み切るか、それとも今までと同じように会社で仕事をしていくか悩んでいるそうだった。もし会社に残れば昇進が約束されていて、そうなるとシニアマネージャーというパートナーの1つ前の役職まで辿り着くことになる。キャリアを優先させるか、それとも学術研究を優先させるかの悩みを上司は抱えているようだったが、休職の形で結局会社にまた戻って来れるのであれば、それほど大きな悩みではないのではないかと思う自分がいた。引き続き上司の悩みを聞いていると、上司は突然立ち上がり、カバンから金属探知機を取り出して天井を突き始めた。すると、天井で何かが小さく爆発する音が聞こえた。


私:「今の音はなんですか?」


上司:「どうやら盗聴器が仕掛けられていたらしい」


そんなやり取りを上司として、まさか自分たちが宿泊する部屋の天井に盗聴器が仕掛けられているとは思いもよらなかったことなので驚いた。一応そこは上司の部屋で、もしかしたら自分の部屋にも盗聴器が取り付けられているのではないかと心配になった。上司はそこからも天井をくまなく調べていき、結局見つかったのはそれ1つだったが、それには隠しカメラも搭載されていて、尚更不気味に思えた。いったい誰が何の目的でそのようなものを仕掛けたのか。それについては謎だったが、上司は心当たりがあるようだった。フローニンゲン:2023/1/10(火)08:27

9731. ヒューマニズム、トランスヒューマニズム、ポストヒューマニズム、 メタヒューマニズムの違い


昨日から、トランスヒューマニズムに関する4時間ほどのドキュメンタリーを見始めたのだが、その中でヒューマニズム、トランスヒューマニズム、ポストヒューマニズム、メタヒューマニズムの違いについてそれぞれ説明されていてわかりやすかった。現代は依然としてヒューマニズムの時代であり、そこでは生物学的なアプローチを採用して人間の病気を治すことを通じて人間の幸福の実現に向かう傾向がある。その次のフェーズとしてトランスヒューマニズムがあり、そこではナノテクノロジーやサイバネティクスの知識と技術を活用する形で人間の幸福の実現に向かっていく。位置付けとしては、その次に来るのがポストヒューマニズムである。トランスヒューマニズムとポストヒューマニズムの違いはなかなか難しく、見る角度によってその差異の定義が変わり、以前の日記の中で書き留めていたのは、トランスヒューマニズムは思想運動として政治とのつながりがある一方で、ポストヒューマニズムはそうした政治活動とはあまり縁がなく、どちらかというと哲学の学問領域の中でヒューマニズムとの対比で議論される時に登場するということを述べていたように思う。今見ているドキュメンタリーの中では、技術的なフェーズで区切りられていて、その分類の仕方も確かに一理あると思った次第である。ポストヒューマニズムにおいては神経テクノロジーを活用し、例えばマインドアップロードなどを実現する形で、完全に肉体を超えていく存在としての新たな人間像を描いている。トランスヒューマニズムはナノテクノロジーやサイバネティクスを使って、遺伝子や微細な細胞に関与したり、機械を身体に埋め込んだりといったように、依然として身体性がそこに残っていて、肉体を持った人間とテクノロジーの融合的存在が想定されるが、ポストヒューマニズムになってくると、文字通り「人間の後(post-human)」の存在を想定するため、肉体を超えた形での人間の在り方を模索する。この定義に基づく形でポストヒューマンの世界を描いている映画として、『マトリックス』や『トランセンデンス』などを挙げることができるだろう。最後のメタヒューマニズムは、そこにはもはや人類と他の種との区別は意味をなさず、全てがAI的存在になり、巨大な1つのAI、あるいは無数のAIが集合的に生み出す巨大なAIによってリアリティを絶えず新たなものに創造し続けているような世界として捉えられている。今夜も引き続きこのドキュメンタリーを視聴し、また何か発見や気づきがあったら文章の形にしておこうと思う。フローニンゲン:2023/1/10(火)09:20


9732. メルヴィンとの対話に触発されて


時刻は午後4時を迎えた。先ほど、親友かつかかりつけの美容師のメルヴィンの店に行き、髪を切ってもらった。今回は新年最初の散髪ということで、お互いにどのように年末年始を過ごしていたのかの話から話題を始めた。年末年始はメルヴィンは自分家族やアムステルダムにいる彼女の家族と会って有意義な時間を過ごしていたらしく、そうした社交的な時間の過ごし方に加えて、1人静かに内省する時間も設けていたようである。そこで彼自身の今後の人生の歩み方に関して、仕事におけるこれからの活動や創造的活動に従事する人間としてのこれからの活動に関して新しいビジョンを得たようであった。


散髪台にいくまでにいつも15分ぐらいソファーで対面になって話をするのだが、そこでメルヴィンはメキシコ旅行の際に読んでいた書籍から興味深い一節を引用してくれた。そもそもその話になる前に、私の方から年末にかけてトランスヒューマニズムについて関心を持ったことをシェアし、それに対してメルヴィンがコメントをしてくれたのである。秋のメキシコ旅行の際にメルヴィンが出会った書籍の中に、「神は人間に本来は不死を与えた。しかし、人間はそれを忘れてしまった」という記述があったということを教えてくれたのである。言い換えると、神は人間を不死にデザインしたはずなのだが、人間側がその叡智や技術を忘れてしまっただけなのだということである。また聖書にはそもそも、800歳ぐらいまで生きたとされるアブラハムが登場し、不死や長寿というものがキリスト教の中には本来存在していた考え方あるいは現象としてあったことが大変興味深く思った。このあたりは引き続き各宗教がどのような不老不死に対する考え方を持っていたのか、長寿に対してどのような考え方を持っていたのかを探究したいし、それに合わせて、それらを実現する叡智や技法についても探究をしたい。


そのような話をした後に、メルヴィンのラップの話を聞いた。年末年始にかけてブレイクスルーがあったらしく、今日の午前中の批判的実在論と絡めれば、メルヴィンは創造と集合的な記憶を司るアカシックレコードの領域とつながりながらラップの言葉を下ろす巫女的な媒介者としての在り方が徐々に体現されてきているそうであり、それは自己を超えた「実在世界」とのつながりを意味しているし、自己の存在の規定と一致した在り方を示しているように思う。実際に今日も3曲ほどラップを披露してもらったが、確かに以前と様子が異なっていることがわかった。もちろん今日は自分という人前でラップを披露する形になったので、自我から批判的マインドが立ち現れたということをメルヴィンは話してくれ、そうしたマインドが現れるとフローの状態には入れず、霊的な力がラップに体現されないとのことだった。その他にも、自分が神学大学院への出願を終えた話をしたりして、今日も多様な話題で盛り上がった。フローニンゲン:2023/1/10(火)16:28


9733. 言葉と存在/今朝方の夢の続き


時刻は午後7時半を迎えようとしている。今、ポツポツと雨音が聞こえる。雨音に趣深さを感じながら、今日を振り返る日記を書いている。すると、言葉というのはつくづく自分にとって恋人のような存在であり、無数の言葉はそれぞれに愛しさを持っていることがわかる。言葉は言葉として存在しているだけではなく、言葉の意味内容に紐づく独自の対象物として存在していることをしみじみと実感する。例えば、一般名詞としてのペンを考えてみた時には、その言葉が指し示す存在がある一方で、そのペンにひとたび固有の意味を見いだしたら、一般名詞が指し示す対象物としての存在だけではなく、その固有の意味に紐づいた固有の対象物的存在が立ち現れる。それが言葉の世界創造力であり、それが言葉の言霊的力や呪術的力の根元にある。


つまるところ、言葉と存在が共出現(co-emergence)し、言葉と存在は同時にこの世界に立ち現れる(co-arising)するのだ。さらには、意味と存在にも同様の共出現と共生起が起こり、それは言葉のみならず、言葉によって紡ぎ出される問いや意見にも当てはまることである。また、問いや意見にもそれ火づいた対象物としての存在があることを忘れてはならない。それが今日の批判的実在論のクラスで考えさせられた存在論の1つの大きな意義である。


そのようなことを考えていると、今朝方の夢でまだ振り返っていないものを思い出した。夜のこんな時間に思い出された夢も大切な存在として向き合いたい。夢の中で私は、ある男性が知人の女性へ愛を伝えるメッセージを不気味なイラストが入ったTシャツの上に記載し、無数のTシャツを使って人型にしたものを巨大な箱に入れてその知人の女性に送ってきた場面に遭遇した。知人の女性は4mぐらいになる箱を開け、その人型の物体を立ち上げると、奇妙なイラストが入った無数のTシャツにぎょっとし、そこに愛を伝える異なるメッセージがそれぞれのTシャツに入っていることに驚いていた。私もそれには仰天し、一体送り主の男性は何を考えているのだろうかと幾分きみ悪く思いながら知人の女性とその話をしていた。


それ以外にも、外国人の見知らぬ男性が手術室で麻酔なしで人体解剖され、次々と機械の部品を組み込まれていく場面を目撃していた。その手術をその男性が望んでいたのかはわからなったが、その男性は人間を超えて、サイボーグになっていく過程をつぶさに眺めていた。この夢の場面はまさにトランスヒューマンに関するもので、今の自分の関心が色濃く反映されたものかと思う。フローニンゲン:2023/1/10(火)19:34

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