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9712-9716: フローニンゲンからの便り 2023年1月7日(土)



No.4359 マヨルカの神々_Gods of Majorca


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.2109, The Kami of Dance

The manifestation of the Kami of dance is deeply appreciated.

It is the essence of the dynamics of the world.

Groningen; 06:37, 1/7/2023


No.2110, A New Year’s Resolution

The world encourages me to make a New Year’s Resolution.

It could change during the year, but it would be accomplished somehow.

I wish this society would be better.

Groningen; 12:49, 1/7/2023


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(3つ)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の2曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

9712. 今朝方の夢

9713. バッハの“English Suite No.4 Menuet I”を数字譜に起こして

9714. 般若心経や越天楽今様を数字譜にしてみる

9715. 般若心経の演奏の難しさ

9716. 今日のオンラインゼミナールのクラスを振り返って


9712. 今朝方の夢


時刻は午前5時半に近づいている。1月を迎えたが、フローニンゲンの気温は引き続き穏やかで、今日の最高気温は12度、最低気温は7度と暖かい。明日からは少し気温が下がるが、それでもマイナスの世界とは程遠く、今回の冬は寒くなると思っていたが、今のところは寒さが厳しくない。ここからの気候の変化をまた楽しもう。


今朝方の夢をいつものように振り返っている。そう言えばまだ、ChatGPTが自分の夢についてどのような反応をするのか見ておらず、下記に夢を書き出した後、その文章をChatGPTに投げかけてみようと思う。


夢の中で私は、自分の子供を授かった。笑顔が素敵で元気な男の子を授かったことをとても嬉しく思った私は、いつも彼と過ごしていた。太陽の暖かい晴れた日の朝に、息子と散歩に出かけた。まだ言葉を話せるような年齢ではなかったが、私の手を握りってよちよち歩きで歩く姿もまたとても可愛らしかった。小川のほとりにやってきたときに、私は太陽を見上げた。その眩しさに目を瞑ったところ、突然両親との思い出が脳裏に浮かんできて、両親もまた自分に対してとても優しく愛情を持って接してくれていたことが深く理解され、感謝の気持ちと共に涙が溢れてきた。両親への深い感謝の気持ちをもたらしてくれたのは息子の存在であることを思ったとき、息子の愛おしさがさらに増し、息子が存在してくれていることそのものにも深い感謝の念を持ち、そこでまた涙が流れてきた。そのような夢の場面があった。


それ以外には、自分の過去の書籍を批判するある研究者の方が、自分の講座に参加しに来た場面があった。その男性は匿名で自分の書籍の書評をAmazonに載せていて、揚げ足を取るようなコメントに加えて、書籍に対して低評価を付けていた。それにもかかわらず、どういうわけか自分の講座にやって来たので、彼への対応をどうしようかと考えていた。そもそも匿名のコメントと彼をどのように結びつけたかというと、「文は人なり」と言われるように、文章を読めばそれが誰だか一目瞭然でわかってしまうものなのだ。どんなにごまかそうとしても、どんなに別人を装おうとしても、文章が長くなってくると、必ずどこかでボロが出るのである。そのような夢を見ていた。さて、この夢についてChatGPTはどのような反応をしてくれるのだろうか。


ChatGPT:夢にみる場面は、人それぞれですが、その夢にみる場面が意味するものを考えてみるのも面白いですね。そのように、私はあなたの夢を解釈することはできませんが、あなた自身が夢にみる場面を考えて、それがあなたにとってどのような意味を持つのかを考えることで、夢にみる場面をより深く理解することができるかもしれません。フローニンゲン:2023/1/7(土)05:33


9713. バッハの“English Suite No.4 Menuet I”を数字譜に起こして


先ほど朝の作曲実践をしているときにふと、バッハの“English Suite No.4 Menuet I”の楽譜を見て、これなら箏でも演奏できると思って、早速数字譜にした。ぜひ後ほど演奏してみようと思う。実は昨日、バッハのゴルトベルク変奏曲の中で箏で演奏しやすいものはないかと調べてみたが、どれも難しそうだったので数字譜にするのは一旦保留にしていた。ところが今朝は、バッハのイギリス組曲やフランス組曲の中で箏で演奏できそうなものが多く見つかって嬉しく思った。コラールに加えて、少しずつそれらの曲も数字譜に起こして練習してみようと思う。


今はもっぱらバッハの曲を箏で演奏しようとしているのだが、その姿はどこか敬愛する森有正先生に重なる。学術研究に並行して、晩年バッハの曲と向き合ってオルガン演奏を行い続けていた森有正先生と自分が重なる側面が多分にある。自分もバッハの音楽の中に何か重要なものを見出し、神聖なものを感じているのだろう。ここからしばらくはバッハに専心し、特にコラールを自分なりにアレンジして演奏していくことに注力したい。


バッハの音楽は魂を浄化してくれる感覚がある。バッハの曲を箏で演奏していくことを通じて、バッハが自身の音楽に込めたキリスト教的な世界観を体験的に理解していく道を歩んでいきたい。音楽もまた宗教を理解する道なのである。そうなってくると、神道や仏教を感じさせてくれるような曲も箏で演奏したいと思う。フローニンゲン:2023/1/7(土)07:12


9714. 般若心経や越天楽今様を数字譜にしてみる


神道の世界観を喚起させてくれる楽曲を探していると、般若心経の楽譜を見つけることができた。般若心経の楽譜があるのであれば、神道的な祝詞の楽曲もあって良さそうであり、なければ自分で作ろうと思う。なるほど、そうしたアイデアがあったのだ。神道における力強い祝詞や神道の歌を楽譜に落とし込み、それを先生に見てもらおうと思う。神道の音楽や仏教の音楽を箏で演奏することができたらなんと素敵なことだろうか。これは神学大学院に進学したら、友人や教授たちにもぜひ披露したい。


さて、般若心経の楽譜を見て驚いたのは、リズムが特徴的であるということだ。厳密には拍子が特徴的で、グルジェフの作ったピアノ曲的に、拍子が目まぐるしく変わる。何やら般若心経は、先ほど作ったバッハの“English Suite No.4 Menuet I”と同じくF Major(ヘ長調)で、これをC Major(ハ長調)の数字譜にしていこうと思う。朝や夕方に祈りを捧げる実践として、そして瞑想実践として、お経を唱えるように箏を演奏しながら般若心経を読み上げていこう。そうなってくるとやはり神道における楽曲も欲しくなってくる。調べてみると、「御神歌」というものがあったり、「越天楽」や「越天楽今様」などがあったりしたので、それらの楽譜を調べたところ、後者に関しては見つけることができた。取り急ぎそれを数字譜に起こしてみて、早速歌いながら箏の演奏をしてみようと思う。今日は午前10時からオンラインゼミナールのクラスがあるが、それに向けた準備はすでに行っているので、音楽に時間を充てたいと思う。フローニンゲン:2023/1/7(土)07:51


9715. 般若心経の演奏の難しさ


時刻は午後7時を迎えた。今日も充実感と共に1日が終わりに近づいている。今日は午前中に般若心経を数字譜に起こしていった。一度休憩を挟み、午後にまた数字譜に起こすことを続け、それが午後の最初に完了した。まずは数字譜に従って上手く演奏できるようにし、そこからお経を唱えることを合わせていく方針を固めた。そして、般若心経の意味も調べておくことを考えていた。そこから夕方に実際に数字譜を見ながら般若心経を唱えながら演奏をしてみたところ、これが非常に難しかった。楽譜そのものの演奏難易度は全く高くないのだが、般若心経を口ずさみながらだとその難易度が一気に上がったのである。確かに楽譜も初見のものなので、まだ完全に身体を通じて音を覚えているわけでもなく、さらには般若心経の文言も全て頭に入っているわけではないので、数字を見ることと般若心経の漢字を見ることの2つを行うことが認知的に負荷量が高かったのである。これができれば相当に高度な能力を発揮していると思うが、まずはマルチタスクとして2つを同時に行うのではなく、片方ずつに分けて練習をしたいと思う。前述のように、優先するべきは数字譜を見ながら実際に速やかに演奏ができるようになることであり、その次に般若心経の文言を唱えられるようになることだろう。それぞれの完成度が高くなってくれば、両者を合わせることもさほどは難しくないはずである。それ以外にも、数字譜に起こしたのは比較的小さなノートの紙に手書きをしたこともあり、数字や文字が小さかったり、手書きで読みにくくなっていたこと難易度を上げていた要因かと思われる。いずれにせよ、人間の能力とは面白いもので、そうした難易度が高いことであっても訓練によって驚くような芸を発揮できるようになる。今夜もまだ時間があるので、まずは般若心経の数字譜の方の演奏をしていき、それに加えてバッハのコラールの数字譜を演奏していく。改めて、バッハのコラールの旋律の美しさに心が打たれている。コラールのため、旋律に複雑性はそれほどないが、逆に言えば、複雑性を超越した形での、つまり音楽的複雑性を一度通ってから辿り着いたような調和的なシンプルさがバッハのコラールの旋律にあるように思う。それが自分を打つ要因なのかもしれない。フローニンゲン:2023/1/7(土)19:25


9716. 今日のオンラインゼミナールのクラスを振り返って


静かな闇夜の中で、今1人静かにこの日記を綴っている。今日は午前中に、新年最初のオンラインゼミナールのクラスがあった。2022年の10月から開講したこのゼミナールは、基本的に毎週末行われ、これまで非常に充実した形で進行している。今日もまた受講者の方々の年末年始に考えていたことや新年になって新しく始めたことなどの話が大変興味深く、本編の政治思想に時間を割く時間がほとんどなくなってしまうほどに盛り上がっていた。その中でも、ある受講者の方が居合を始めたという話をしてくださった。実は自分も剣の道には関心があり、同時に刀というものが日本の精神性が体現された道具に思えていて、テクノロジー哲学や神道の観点からも注目をしているモノだった。実際に以前銀座の街を歩いていた時に、刀を取り扱っている専門店の前で足を止めて、窓越しに刀を眺めていたのを思い出す。刀に対しては別に危険な関心があるわけではなく、前述のようにテクノロジー哲学の観点や、神道との兼ね合い、さらには日本の精神性を理解する上で関心があるのである。この関心がさらに増し、いつか実際の刀を手元に置くようになるかもしれない。


その他にも、ルース·ベネディクトの『菊と刀』の話題となり、日本の精神·行動特性を理解していく上で、ベネディクトが述べるように、「恥」「恩」「義理」という概念について理解することは鍵を握るだろう。このテーマは、今後のクラスの中で小室直樹氏と山本七平氏が共著で書いた『日本教の社会学』という書籍を扱う時にもまた話題になるだろう。


それ以外にも身体実践の話の中で、草鞋(わらじ)の話となり、草鞋を履くことによって丹田ができてくる感覚や地に足がついた感覚になるという興味深い話題も出てきた。実は自分も家の2階では一本歯の下駄を履いて移動していることが多く、さらにはこの間日本で着物の着付けをした時に、着物を着ることによって明らかに姿勢が変わり、歩き方が変わったことに驚かされた。また先日のテクノロジー哲学の講座では、和の道具はアナログ的な物が多く、逆に西洋のデジタル的な物にはない良さがあるという話になった。端的には、デジタル的に画一化された道具だと、確かに誰しもが等しく一定の機能を容易に享受できるが、それ以上に機能上の価値を発揮することは難しい。一方、アナログ的な物の場合、その利用者がどれだけその道具を大切しに、どれだけ使いこなすかによって、道具はまさにその人と同化するほど密な存在となり、無限の可能性を発揮してくれることがある。まさに一本歯の下駄と西洋的な靴を比べてみればその性質の違いが一目瞭然だし、今自分がやっている和の箏と西洋のハープなども対照的である。ちょうど昨年には一本歯の下駄、着物、箏など、和の物との縁が生まれたので、引き続きそれらの道具を含め、和の道具の可能性を探っていきたいと思う。フローニンゲン:2023/1/7(土)20:21

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

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