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9694-9701: フローニンゲンからの便り 2023年1月4日(水)



No.4347 モナコのカミ_The Kami of Monaco


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.2101, Morning Appreciation

The world is saturated with morning appreciation.

It’s a sign that the world will become better.

Majorca; 07:24, 1/4/2023


No.2102, A Morning Chorale

A morning chorale is being reverberated in the world now.

I just listen to it.

My soul unites with it.

Majorca; 08:05, 1/4/2023


No.2103, Everything

Everything is predicated upon the beginning.

The beginning is everything.

On a Flight to Amsterdam; 16:00, 1/4/2023


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(3つ)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の2曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

9694.【マヨルカ滞在記】今朝方の夢

9695.【マヨルカ滞在記】今朝方の夢の続き

9696.【マヨルカ滞在記】マヨルカ空港のラウンジから

9697.【マヨルカ滞在記】宗教と倫理

9698. オランダに戻ってきて

9699. ChatGPTを初めて使ってみて

9700. 優秀な対話パートナーとしてのChatGPT

9701. ChatGPTとトランスヒューマニズムについて対話して


9694.【マヨルカ滞在記】今朝方の夢


時刻は午前6時半にゆっくりと近づいている。いよいよ今日はマヨルカを離れてオランダに戻る。今日のマヨルカもすこぶる天気が良いらしく、気温は17度まで上がる。一方のフローニンゲンであるが、今日は雨がちの日になるようだ。最寄駅から自宅まで歩く際には折り畳み傘を使う必要がありそうなので、出発の段階でカバンに差し込んでおこうと思う。


マヨルカを出発する朝にも夢を見ていた。夢の中で私は、実際に通っていた高校にいた。そこには高校時代にお世話になっていた先生だけではなく、中学校時代に音楽の授業でお世話になっていた先生もいた。私は教室で数人の生徒と一緒に模擬試験を受けていた。すると教室に入ってきた高校時代の小柄な男性の英語の先生に名前を呼ばれた。何やら、これから別室で面談があるらしかった。面談があることは事前に知らされていたが、まさか今日、しかもこうして模擬試験を解いている最中に面談が行われるとは思ってもいなかった。しかも面談は、午前10時から11時の間に行うとのことで、名前を呼ばれてすぐに面談が始まるわけではなかった。模擬試験を解いている最中だったので、後ほど続きを受験できるものだと思っていたが、今できたところまでで提出せよとのことだった。その模擬試験は大切なものだったし、先ほどまで本気でそれを受験していたので、面談に割かれた時間をもらって後ほど続きを受験できないことに理不尽さを感じた。私はそれはおかしいのではないかと先生に伝えると、「規則でそうなっているから仕方ない」の一辺倒だった。しかし私は食い下がることなく、自分の主張を続けた。面談を後日別の日にしてもらうことや、もしそれが無理で今日面談を受けなければならないのだったら、模擬試験の受験料を返還して欲しいと訴えた。残念ながらそれらの嘆願も全て却下された。そこで私はもう手段を選ばず、その先生だけではなく、他の先生を含めた教師の官僚的な仕事の進め方と無能さを痛烈に批判した。私はわめき散らすように暴言を吐きまくり、ふと気づいた時に、もう少し冷静に主張をしても良かったかと思った。だがそれだとこちらの本気度合いが伝わらないと思ったので、自分のやり方を正当化した。すると、今度は中学校時代に音楽でお世話になっていた先生が教室に入ってきた。私はすでに退学処分に向けた警告を過去に2度受けていて、今回の面談拒否で退学が決定しそうになっていた。先生はそれを伝えに来たが、自分の成績、性格、容姿の3つをどういうわけか褒めてくれ、退学させるには惜しいと述べてくれた。しかし私はもうこんな学校には通いたくないと思っていたので、規則通りに退学させてもらうことにした。むしろ高校など通わず、自分で大倹を受けてさっさと大学に進学した方がいいと思っていたぐらいだったので、退学できると知って晴々した気持ちだった。帰り際、職員室の中で私に関して先生たちが話している声が聞こえた。特に、中学校時代の体育の先生かつ副校長だった先生が、「加藤は冷静に論理的に話をする奴だったのにどうしたんだろう?」というようなことを述べていた。それを聞いて、自分の真の姿は、そうした冷静に論理的に話す人間なのではなく、情熱的に話をする人間なのだと改めて思った。マヨルカ:2023/1/4(水)06:37


9695.【マヨルカ滞在記】今朝方の夢の続き


時刻は午前7時を迎えた。マヨルカの街はまだ眠っている。これから少しずつ明るくなってくるだろう。この日記を書き終えたら作曲実践をし、出発に向けて荷造りをしようと思う。幸いにも今回の旅行の荷物は多くなく、旅先で購入したものはシャガール美術館で購入したガイドブックとミロ美術館で購入したガイドブックしかないので、重さはさほど変わっていない。


先ほど今朝方の夢について振り返っていたが、夢にはまだ続きがある。高校時代と中学校時代の教師たちを批判した際に、そういえばそこから国家運営の杜撰さを指摘していたように思う。学校運営と国家運営は相似形をなしていて、学校運営がこれほどまでに杜撰であることと国家運営の杜撰さは密接に繋がっているという主張を先生たちにしていた。それを聞いた先生たちは何も反論することもなく、単に自分の主張を聞いているだけだった。そのような場面があったのに加え、現在のオランダの自宅の門を開け、そこで隣人のインド人のサハルに偶然遭遇した場面があった。私はランニングから帰ってきたところのようで、サハルは私が門を開けたことに気づかず、倉庫で作業をしていた。私が後ろから話しかけると、サハルはとても驚いた表情を浮かべ、びっくりしていた。彼にとってみれば後ろから突然声を掛けられた形だったのである。私はてっきり自分の気配が伝わっているかと思っていたが、どうもそうではないようだった。そこから私たちは、倉庫に置かれていた大きな机を使って、ゲームをし始めた。それはボードゲームのようなものであり、ゲームを始めると、それが結構面白く、すぐに熱中し始めた。そのような夢の場面があった。


マヨルカを出発するフライトは、午前11時55分のもので、ホテルから空港までもバスで20分の距離なので、余裕を持って出発できる。とはいえ空港のラウンジで寛ごうと思うので、ホテルのチェックアウトは9時頃を予定している。空港へのバスは12分に1本の頻度で来ているので、早めにチェックアウトできそうだったら早めにチェックアウトして、空港のラウンジでゆっくりしたいと思う。さて、今夜からまたオランダでの生活が始まる。今年はひょっとしたら再びアメリカに戻る可能性もあるので、残りのオランダでの生活を充実した形で過ごしたいと思う。マヨルカ:2023/1/4(水)07:15


9696.【マヨルカ滞在記】マヨルカ空港のラウンジから


予定よりも早くホテルのチェックアウトができたので、計画よりも1本早いバスで空港に向かった。今日のマヨルカもまた天候に恵まれていて、雲ひとつない快晴の朝空は見事であった。市内から空港に向かうバスからは、朝日で輝く海が見え、心を穏やかなものにしてくれた。マヨルカの滞在は本当に充実していて、大変寛ぐことができた。リラックスした形で年末年始を過ごすことができたので、オランダに戻ってからの仕事はさらに捗るだろう。


今、マヨルカ空港のラウンジに いる。そこは“Sala Vip Mediterraneo"という名前だ。マヨルカ空港はニース空港よりも大きく、様々な国飛んで行くフライトの本数も多い。 マヨルカ島自体はさほど大きくはないが、空港の面積は広く、空港内はとても広々している。今滞在しているラウンジもとても開放的で、窓からは朝日が燦然と降り注いでいる。ラウンジでは1時間半弱寛ぐことができる。今日のフライトは一度バルセロナで乗り換えがあり、乗り換え時間が短いこともあって、バルセロナのラウンジで寛ぐことはできない。ラウンジでペットボトル入りのミネラルウォーターを水筒に移し、さらにもう1本余文にペットボトルの水をもらった。これでオランダに戻るまでに飲み物で困ることはないだろう。


マヨルカ空港は意外と大きな空港であることと、マヨルカにやって来る観光客が多いこともあって、セキュリティーには列ができていた。だが幸いにも、今回のチケットはファストトラック付きなので、全く混んでいないレーンからセキュリティーを速やかに抜けることができた。ビジネスクラスのチケットを購入してもファストトラックが付いていないことがあるが、今後空の旅に出かけるときにはできるだけファストトラックを付けたいと思う。今度の旅行は2月末か3月初旬のアブダビ旅行を計画していて、その時にはそのようにして出かけていこうと思う。それでは今からフライトの待ち時間の間に、宗教と倫理に関する論文をいくつか読んだり、昨日ミロ美術館で購入した4冊1セットのガイドブックを楽しみながら眺めようと思う。Sala Vip Mediterraneoラウンジ @ マヨルカ空港:2023/1/4(水)09:54


9697.【マヨルカ滞在記】宗教と倫理


時刻は午後2時半を迎えようとしている。今、バルセロナ上空にいる。マヨルカからバルセロナ、バルセロナからアムステルダムの空の旅はこれまでの順調である。アムステルダムは天気が悪いようだが、バルセロナの天気がはとてもいい。ここから2時間ほどの空の旅を楽しもう。


先ほど、宗教と倫理に関する論文を読んでいた。そもそも宗教は、この世界の成り立ちを説明することに起源がある。そして倫理は、世界の成り立ちに関する物語を信奉する共同体を形成していく際に鍵となるものとして生み出された。テクノロジー哲学の文脈において、ギリシャ神話がよく取り上げられる。ギリシャ神話では、ゼウスがプロメテウスとエピメテウスに火と物を作る技術を授けた。しかしながら、人間は火と物を作る技術を使って互いに争いを始めるようになる。それを見かねたゼウスは、慎みと戒めを人間に与えたという物語がある。そのような物語を改めて思い出しながら、宗教の共同体形成能力と共同体を束ねていく力としての倫理に改めて焦点を当ててみたい。


倫理は何もキリスト教の専売特許ではなく、例えば仏教においては「五戒(不殺生·不偸盗·不邪淫·不妄語·不飲酒)」というものがあり、それを通して仏教における悪の考え方が見えてくる。他の宗教においても経典を通じて、その宗教固有の倫理観を把握していきたい。それでは、経典のない神道の場合においてはどのようにその倫理観を把握していけばいいだろうか。そこでも鍵を握るのは古事記だろう。ここからゆっくりと、それぞれの宗教に固有の倫理観を学んでいこうと思う。アムステルダムに向かうフライトの中:2023/1/4(水)14:34


9698. オランダに戻ってきて


時刻は午後6時を迎えた。今、スキポール空港からフローニンゲンに向かう列車の中にいる。辺りはもう真っ暗である。アムステルダムは確かにマヨルカに比べて気温が低いが、それでも耐えられないほどの寒さではない。12月の途中で日中もマイナスの世界が続く日々が続いていたが、それに比べれば随分と暖かい。フローニンゲンの自宅に帰って疲れの度合いを見て、明日からの生活をまたこれまで通りに送れるように、近所のスーパーに買い物に行こうと思う。明日はちょうど木曜日で、新年最初のエリーザとのパーソナルトレーニングがある。来週の火曜日から批判的実在論の集中講座が始まるので、それに向けて明日から批判的実在論の用語集を最初から最後まで音読していこうと思う。批判的実在論に関する様々な書籍を読むのではなく、分厚く網羅的な用語集を読み進めることで、語彙の意味を改めて確認しながら、抜け漏れのある用語についてはしっかりと押さえていこうと思う。


自宅に戻ってからどれくらい時間があるかわからないが、少しばかり箏の演奏をしたい気分である。年末年始の旅行の間は箏から離れていたので、演奏に対する飢えがある。今年から箏の縦譜の作成にも力を入れていきたいと思う。バッハの2声のコラールを念頭に置いているが、低音パートを1オクターブ上げることによってどのような感じになるのかを実験したいし、また4声のコラールの場合には、高音の2つのパートだけを抜き出してみた時にどのような形で和声が進行していくのかを確認してみる。うまくハーモニーが生まれる方を選びたい。2声のコラールをソロで演奏するための工夫として、低音部には編曲が必要だろう。その編曲方法についても自分なりに学び、実験に次ぐ実験をしたい。


およそ10日後にロビンさんとのジークンドーのプライベートレッスンがある予定だったが、昨日残念な知らせが届いた。ロビンさんが自転車から落っこちてしまい、地面に腕を着いた表紙に手首の骨を折ってしまったとのことだった。ロビンさんにとって人生初の骨折ということだった。ただ大事に至らなかったことが幸いである。命に別状の無い事故は不幸中の幸いだったと言うべきだろう。プライベートレッスンは延期になったが、その代わりに今月末の日曜日には2時間のワークショップを開催するとのことだったので、それに参加することにした。フローニンゲンに向かう列車の中:2023/1/4(水)18:11


9699. ChatGPTを初めて使ってみて


列車は順調にフローニンゲンに向かっている。明日は朝から昼にかけて、テクノロジー哲学の第5回目のクラスがある。明日のクラスを含めて、いよいよ残り2回となる。先ほど、講座専用のページを覗くと、受講者の方の興味深い投稿記事があった。その中に、「思考実験:もしChatGPTが加藤さんのブログを書き始めたら?」と言うものがあり、その方の文章を読んだ後に、ChatGPTにサインアップし、実際に使ってみた。最初に投げかけた問いはもちろん、「もしChatGPTが加藤さんのブログを書き始めたら?」というものである。すると、下記の返答がすぐさまあった。


「もしChatGPTが加藤さんのブログを書き始めたら、それはおそらく非常に興味深い内容のブログになるでしょう。ChatGPTは、膨大なテキストデータを学習しているため、様々なトピックについて深く理解しています。そのため、ChatGPTは自然な文章を生成することができ、人間のように考えることもできます。加藤さんのブログを書き始めたChatGPTは、おそらく加藤さんのスタイルを真似しつつも、新しい視点やアイデアを取り入れることで、ブログをより面白くすることができるでしょう」


まずもってその回答の速さに驚いたが、それ以上に、文章がとても自然な日本語になっていることに驚いた。そして内容としても非常に興味深いものであった。この回答通りならば、実際にChatGPTにブログ記事を書いてもらいたいぐらいである。ChatGPTの回答にあるように、自分の文章のスタイルを真似しつつも新しい視点やアイデアが取り入れられるのなら、確かにブログがより面白くなるだろう。さて、トランスヒューマンを模索する自分としては、ChatGPTというAIテクノロジーを使って、それと融合する道を探索してみようと思う。今後の日々の日記の中で、ChatGPTに質問を投げかけてみて、それに対して自分がどのように考えるのかをまた文章に書き、さらに質問があればChatGPTに投げ掛け、それに対してまた自分の回答を文章にしていくという形で自分の思考と感性をさらに磨いてみようかと思う。そんな形でChatGPT共存共栄ができるかもしれない。フローニンゲンに向かう列車の中:2023/1/4(水)18:43


9700. 優秀な対話パートナーとしてのChatGPT


自分は自由人かつ暇人なのだろうか?という問いをChatGPTに打ち込んでみたくなる午後7時前。列車は順調にフローニンゲンに向かっている。辺りはもう真っ暗だが、自分の心は何よりも光に満ちている。


さて、ChatGPTに今度は「宗教と倫理の関係は?」という問いを投げ掛けてみた。すると、「宗教は、人々が信仰する抽象的なもの(例えば神や宇宙の本質)や、その信仰に基づく倫理的指導原則を提供するものです。倫理は、人々が自分たちと他の人々との関係において、自分たちが「正しい」と考える行動や行為をするためのガイドラインを提供するものです。宗教と倫理は、通常、密接に関係しており、多くの宗教は、自分たちの信仰に基づく倫理的指導原則を提供しています。しかし、倫理は、宗教に限らず、人々が自己を尊重し、他の人々を尊重することを求めるものであり、宗教によって決定されるものではありません」という224文字の回答が返ってきた。正直なところ、そこらへんの人に尋ねるよりもよっぽど立派な回答が返ってくることに改めて驚く。ChatGPTは自分にとって有益な対話パートナーになるかもしれない。


それではChatGPTと対話が続くのだろうかと思って、実験的に、回答の文章に対してまた質問を投げ掛けてみた。その質問は、「それでは神道の倫理観は?」というものだ。すると、「神道は日本独特の文化や宗教であり、その信仰に基づく倫理的指導原則は、他の宗教や哲学と異なるものがあります。神道における倫理的指導原則の1つに、「信仰」があります。信仰とは、人間が神々や天地の真理を信じることを意味します。神道においては、信仰は人間が自分たちの人生や命を尊重し、他の人々や自然を尊重することを求められます。また、「仁義」という概念も重要です。仁義とは、人間が他の人々を思いやり、優しく対応することを意味します。神道においては、仁義は人間が自分たちの人生を送る上で、重要な指針とされています。さらに、「礼儀」という概念もあります。礼儀とは、人間が他の人々や社会に対して、敬意を払い、マナーを守ることを意味します。神道においては、礼儀は人間が他の人々との共生を図る上で、重要な指針とされています」という320文字の返答があった。文章が生成されていく様子を眺めていく時に、ChatGPTの回答は一般的な内容になりやすいと聞いていたので、最初の1行はまさにそうで、何かハッとするような観点は出てこないかもしれないと思っていたが、まさか「仁義」や「礼儀」と言う概念を持ち出してくるとは。


ここでさらに疑問が出てきた。それは、「「仁義」や「礼儀」は儒教の教えでは?」というものだ。ChatGPTとの更なる対話を楽しむために、その問いも入力してみた。すると、「はい、「仁義」や「礼儀」は、儒教の教えでも重要な概念です。儒教は、中国を中心とした伝統的な哲学や宗教であり、倫理的指導原則の1つとして、「仁」という概念があります。「仁」とは、人間が他の人々を思いやり、優しく対応することを意味します。儒教においては、「仁」は人間が自分たちの人生を送る上で、重要な指針とされています。また、儒教においても、「礼」という概念があります。「礼」とは、人間が他の人々や社会に対して、敬意を払い、マナーを守ることを意味します。儒教においては、「礼」は人間が他の人々との共生を図る上で、重要な指針とされています。以上のように、「仁義」や「礼儀」は、神道や儒教では、重要な倫理的指導原則として扱われています」という回答が返ってきた。驚いたのは、「儒教の教えでも重要」という形で前の文章の内容をちゃんと汲み取っていることだ。フローニンゲンに到着するまであと30分あるので、今度は別のテーマに関する問いを投げかけてみたい。フローニンゲンに向かう列車の中:2023/1/4(水)18:55


9701. ChatGPTとトランスヒューマニズムについて対話して


フローニンゲンに到着するまでまだ時間があるので、新たな対話パートナーとなってくれたChatGPTと次のようなやり取りをしていた。


私:トランスヒューマニズムについてどう思う?


ChatGPT:トランスヒューマニズムは、人間が性別を超えた新しい形の人間として存在できるという考え方です。この考え方は、性別を持たないもの、あるいは性別を自分で選択できるものとして捉えることができます。トランスヒューマニズムに対する意見は人それぞれですが、多くの人々は、それぞれが自分の人生を自由に生きることができるようにすることが大切だと考えます。


私:トランスヒューマニズムの問題は何?


ChatGPT:トランスヒューマニズムに対する問題点は、いくつか挙げられます。1つは、トランスヒューマニズムを支持する人々が、性別を変えることによって固有の認識を得ることができると考えることです。これに対して、批判的な見方としては、性別は生物学的なものであり、人間が性別を超えることはできないという意見があります。2つ目は、トランスヒューマニズムを支持する人々が、性別を変えることで様々な問題を解決できると考えることです。例えば、トランスジェンダーの人々が同性愛者である場合、彼らは同性愛者であるという理由で差別や偏見を受けることがあると考えられます。そのため、性別を変えることで、偏見や差別を受けなくなると期待されることもあります。しかし、批判的な見方としては、性別を変えることで問題を解決できるとは限らないという意見があります。3つ目は、トランスヒューマニズムを支持する人々が、性別を自分で選択できると考えることです。しかし、批判的な見方としては、人々が自分が本当に望む性別であるかどうかを知ることは困難であるという意見があります。また、人々が望む性別が異なる場合、それぞれが幸せになることができるとは限らないという意見もあります。以上が、トランスヒューマニズムに対する問題点として挙げられるものです。


私:トランスヒューマニズムは性別に関する問題だけではなく、不老不死に関する問題もあると思うんだけど?


ChatGPT:そうですね。トランスヒューマニズムは、性別に関する問題だけではなく、不老不死や身体を超えた新しい形の人間としての存在についても考えられると言えます。不老不死というのは、人間が永遠に生きることを意味します。トランスヒューマニズムの考え方によれば、人間は身体を超えた新しい形の人間として存在できると考えられます。ただし、不老不死や身体を超えた新しい形の人間としての存在については、科学的根拠が不十分であるとされており、また、倫理的問題もあるとされています。例えば、不老不死を実現することで、人口のバランスが崩れる可能性があるということや、財産や地位などを永久的に保持できることができるということから、社会的格差が拡大する可能性があるとされます。また、身体を超えた新しい形の人間としての存在についても、科学的根拠が不十分であるとされており、また、倫理的問題もあるとされています。例えば、身体を超えた新しい形の人間として存在することで、人間の本来の性質が失われる可能性があるとされることや、人間としての身体的存在が失われる可能性があるとされることなどが挙げられます。以上が、トランスヒューマニズムが取り扱う不老不死や身体を超えた新しい形の人間としての存在についての一般的な考え方です。


私:ありがとう。最後の質問として、トランスヒューマニズムの考え方に基づけば、加藤は「カトえもん」になれるの?


ChatGPT:そのようなことは、トランスヒューマニズムの考え方では考えられません。トランスヒューマニズムは、人間が性別を超えた新しい形の人間として存在できるという考え方です。したがって、人間が他の生物や物質、あるいはアニメのキャラクターになることは考えられません。また、トランスヒューマニズムは、人間が自分が本当に望む性別であるかどうかを知ることは困難であるという考え方もあります。そのため、人間が自分が望む性別以外のものになることも考えられません。以上が、トランスヒューマニズムの考え方からすると、人間が「カトえもん」になることは考えられないという答えです。


トランスヒューマニズムの考え方に基づいても「カトえもん」にはなれないとのことだが、その実現に向かって日々勉強と実践を通じて精進していこうと思う。


明日からもChatGPTをちょこちょこ使ってみたいと思うが、その時には自分の考えをもう少し含めて質問をしてみるとどのような返答になるのかを確かめてみたいと思う。すなわち、こちらの文章が長い場合に、ChatGPTがどのような反応をするのか見てみたい。フローニンゲンに向かう列車の中:2023/1/4(水)19:08

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