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9640-9645: フローニンゲンからの便り 2022年12月24日(土)



No.4245 祝福の喜び_Joy of Celebration


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.2073, Azure Solace

The world always gives us azure solace.

We can feel oceanic from it.

Groningen; 09:06, 12/24/2022


No.2074, From the Ancient Layer

Something important emerges from an ancient layer of the universe.

It is a treasure for all beings.

Groningen; 12:44, 12/24/2022


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(3つ)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の2曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

9640. 今日と明日の計画

9641. 今朝方の夢

9642. トランスヒューマニスト党のゾルタン·イストヴァンが大統領になったら実現したい3つのこと

9643. 年内最後のオンラインゼミナールを終えて

9644. コトバの力に触れて

9645. コトバ・モノ・オト/言霊学の探究に向かって


9640. 今日と明日の計画


時刻は午前7時半に近づいている。ここ最近は気温が少し暖かくなり、確かに朝夕は湯たんぽを使っているが、室内ではそれほど寒さを感じなくなっている。部屋の暖房が自動で入るのもまばらとなり、室温が暖かく保たれている。いよいよ年末年始の旅行まであと少しとなり、旅行に向けてやるべきことをやっていこうと思う。それでいくと、まず今日は午前中にオンラインゼミナールの第10回目のクラスがあるので、それに向けて改めてテキストの該当箇所を読み返していこうと思う。政治思想を扱う回もいよいよ次回が最後となる。そこからは日本的資本主義にテーマを変えていく。今日のクラスを終えたら、いつものように振り返りの音声ファイルを作成して、それをコンテンツページにアップロードしておく。それが済めばいつものように、自分の関心テーマに関する学術書の音読に励もうと思う。昨日にトランスヒューマニズムに関する学術書を読み終えたので、今日からは宗教とテクノロジーを関連づけた学術書の音読に取り掛かりたい。そこからは、テクノロジー神学に関する2冊の書籍を読んで、再びトランスヒューマニズムの書籍を音読していくことにする。


明日にやるべきこととして重要なことは、神学大学院の出願を完了させることである。今回は縁起を担いで、クリスマスの日に出願することにした。すでにほぼ全ての必要書類をオンラインアプリケーション上にアップロードしていて、あとは最重要の志望動機書をアップロードするだけだ。もう一度最初から最後まで声に出して読み返し、修正事項が何もなければPDFにしてアップロードしようと思う。そうすれば全ての書類が出揃うことになるので、最後にもう一度最初から最後まで、必要な書類の確認と不備がないかの確認をして出願を完了させたい。気がつけばもう出願を終える段階に来ていた。出願結果が出るのもあっという間にやってくるのではないかと思う。書類審査に通れば、年明け以降に面接があるようなので、それに向けた準備も抜かりなく行っておきたいと思う。神学大学院に借りに行けなくても人生はまた新しい方向に切り開かれていくだろうが、神学大学院に行くことによって人生がまた新たな方向に大きく切り開かれていくだろう。フローニンゲン:2022/12/24(土)07:35


9641. 今朝方の夢


まだ辺りは真っ暗であり、もうしばらくしたら空がダークブルーに変わってくるだろうか。それを待ちながら、今朝方の夢について振り返りたい。


夢の中で私は、「圭」という文字を名前に入れることになった。その文字の意味することを調べてみると、それが今の自分にとってとても大切な意味を持っていることに気づき、現在の自分の名前と組み合わせることで人生が良い方向に進んでいくような気がした。実際にその文字を入れた自分の名前を口に出してみると、不思議な力が湧いてくるかのようだった。そこに言霊の力を見て取った。言葉には霊力が存在していて、それが自分を守護し、活力を与えてくれているのだという強い実感があった。そのような場面があり、その次に見ていたのは、中国人の女性と意気投合して話をしていた場面である。その女性は日本に留学しているらしく、日本語はすでに達者だったが、込み入った学術的な話をする際には英語の方がいいかと思い、気を遣ってそうした話題の際には英語で話すことにした。その女性は性格も良く、とても好感を持った。


その次に見ていたのは、小中高時代の友人(AF)と女性友達数人とレストランに行く夢である。向かった先のレストランはとてもお洒落で、中は開放的だった。そのおかげで気分が晴れ晴れし、窓際に降り注ぐ太陽の光は暖かった。友人がその店で一番のお勧めのスイーツを教えてくれ、普段スイーツを食べない私もそれを注文した。すぐにそのスイーツが運ばれてきて、一口食べてみると、口の中でとろける美味しさがあり、すぐに完食してしまった。そこからも私たちはコーヒーを飲みながら、ゆったりとした気分で会話を楽しんだ。


最後に見ていた場面として、神社を観光しているものがあった。昔お世話になっていたセラピストの知人が運転する車に乗って、境内の中を車で移動していた。その方の車は左運転で、色は赤であった。境内の中を車で移動できることはとても驚きであり、幸いにも人が少なかったので、速やかに本殿まで辿り着けた。そこでも車を降りることなく、本殿の奥まで車で入っていった。するとそこは本殿かつお土産売り場でもあって、お札やお守りなどを販売している白装束の人たちが私たちの様子を見ていた。祈願をする場所とお店の手前に赤いテープが張ってあって、それより先は車で進入できないのではないかと思っていたが、運転手の知人の方はそんなことはお構いなしに車を進めていった。神社の人たちに怒られるかなと思っていたところ、何やら赤いテープが意味することは車両の進入禁止とは違うようであり、車で入っていっても怒られることがなかった。そこからも引き続き境内を色々と見て回ったところで夢から覚めた。フローニンゲン:2022/12/24(土)07:53


9642. トランスヒューマニスト党のゾルタン·イストヴァンが大統領になったら実現したい3つのこと


時刻は午前9時を迎えた。気がつくと、辺りはすっかり明るくなっていた。もうしばらくしたらオンラインゼミナールのクラスが始まるので、その前にコーヒーを淹れて、ゆったりとした気持ちでクラスに臨もうと思う。


今朝方にふと、自分がトランスヒューマニズムの探究と実践に従事していこうと思ったのは、トランスヒューマニズムはもはや抗えない潮流だと思ったことによるところが大きい。トランスヒューマニズムに積極的に関与していくことを通じて、この思想運動がおかしな方向に行かないようにすることを自分は望んでいるようだ。テクノロジーの進化は否応なく進んでいく。絶えずそれを注視する立場に自分を置くために、トランスヒューマニズムへ関与していく必要がある。そのための学習と実践を惜しまないようにする。とりわけ学習面に関しては、トランスヒューマニズムが実に多岐に渡る学際的な知識を要求してくることから、これからより一層学術研究に力を入れていきたいと思う。今日のクラスで取り上げる政治思想もまたその重要なピースとなる。そもそもアメリカのトランスヒューマニスト党に関与していこうとしているのだから、政治思想や政策過程論の知識は不可欠となる。


トランスヒューマニスト党の設立者ゾルタン·イストヴァンの動画を引き続き見ているのだが、イストヴァンが大統領になったら実現したと思っていることは、とても真っ当で現実的な目標だと思った。1つにはアメリカの膨大な軍事費を科学研究費により割り当てていくことである。人類や地球生命体の幸福の実現のためには、まだまだ研究を進めていかない分野がたくさんあり、そのうちのいくつかは研究費不足に悩まされている。イストヴァンはそれを懸念して、そうした分野に研究費を充てていくことを公約に掲げている。2つ目として、トランスヒューマニズムの文化を普及させることを目標に掲げている。その方法は具体的にはあまり語られていなかったが、彼自身が元ナショナルジオグラフィックのジャーナリストだったことや小説を執筆していることなどからも、メディアをうまく活用しながらトランスヒューマニズムの文化を普及させていくことを考えているのだろう。多くの人たちはトランスヒューマニズムが何かを知らない段階にあるし、この思想運動の目指すところに関しては色々と誤解もあるだろうし、市民からの疑問に答えていく必要がある。そうした啓蒙活動をしていくことは重要だ。3つ目として掲げているのは、隕石の衝突やウィルスなどの実存的リスクへの対処である。とりわけ後者のウィルスに関しては、COVID-19で私たちは大きな実存的リスクに晒された。ひょっとしたらこれが追い風となって、次回の大統領選において前回以上にイストヴァンの活動に注目が集まるかもしれない。仮に来年からアメリカで生活をするのであれば、トランスヒューマニスト党の政治運動に積極的に関わっていきたいと思う。特にそれは学術的な側面からのアドバイザーとしての関与を考えている。フローニンゲン:2022/12/24(土)09:23


9643. 年内最後のオンラインゼミナールを終えて


何かとても大切なことを教えてもらったクラス。何か重要なことを考えさせてくれ、感じさせてくれたクラス。オンラインゼミナールの年内最後のクラスはそのような体験をもたらしてくれた。クラスに参加していたそれぞれの人によって感じたことは違ったであろうが、自分にとっては恩寵的な場であったし、贈り物だとしか形容できないような時間を過ごさせてもらったように思う。


幾分詩的な感慨に浸っていたのも、今日はまさにそのテーマがクラスの大部分を占めたことによる。言葉というのは単に世界から何かを切り出してくる働き、すなわち分節化の力があるだけではなく、それをAとするならば、non-Aとしての性質がある。正反合の正に分節化作用を置けば、言葉には反として、何かを創り出す働きがある。確かに、世界から何かを切り取った瞬間にそこに創造の力を見る。それは単にその言葉が生み出されたことだけを指すのではなく、その言葉が様々なものと関係し合って種々の影響を生むことなども含まれる。そして言葉には、正反合の合として、調和や治癒、さらには変容をもたらすという働きがある。言葉にはそうした弁証法的な働きがあるのである。


そもそもこうした話題が出てきた背後には、今日取り上げた課題図書の該当箇所に、「熟議」や「ポピュリズム」があったことが関係している。前者は理性を通じて対話をして民主的な意思決定をしていくことを志す一方で、後者は感情的な働きかけで大衆迎合的に意思決定を進めていく行動として現れる。前者の熟議の方向性は確かに重要だが、世の中においては理性で語りきれない部分がたくさんあるし、理性がまさに「道具的理性」のような形で歪められて活用されてしまい、結果として理性が暴走をし、理性による人間支配が生じてしまうことは枚挙にいとまがない。そこでは感情というものが悪しき存在としてみなされるが、理性一辺倒で物事を進めていこうとすると、感情は行き場を失い、それがまた新たな暴走をもたらす。行き場を失った感情はポピュリズムと出会い、そこでまたおかしな意思決定や活動が生まれることになる。そんな話をしながら、感情とどのように向き合い、どのように付き合っていくのかの話になった。そこでは自分からはあえてトランスヒューマニズムの話題を持ち出さなかったが、人間を突き動かす重要な要素として感情がある一方で、人間存在の限界を生み出しているのが感情でもあることを考えると、トランスヒューマニストはまさに感情を乗り越えさせるテクノロジーや科学の活用を訴えるだろう。クラスの中でも、感情を扱う際に、感情が人間に普遍的なものであるがゆえに普遍的なアプローチができる一方で、感情の捉え方や意味付け、表出の仕方は文化規範に影響を受けることから、文化的コンテクストを加味したアプローチの重要性もまた重要であるという話になった。言葉、そして「コトバ」についてはトランスヒューマニズムとの接続の観点でさらなる探究をしたい。フローニンゲン:2022/12/24(土)14:24


9644. コトバの力に触れて


色々な形と一緒に対話を通じて運営されるゼミナールのクラスには、絶えず治癒と変容の力が内包されていることへの明確な実感と自覚が改めて生じている。今日のクラスはまさにそのような治癒と変容の力を持ったクラスの場であった。本日リアルタイムでクラスに参加できなかった受講生にはぜひ治癒と変容の力に触れるという目的だけで顔を出していただきたいと思うほどであった。この点についてはまた後ほど、音声ファイルを通じてお伝えしようと思う。


それにしても私たちに賦与された「コトバ」というのは本当に面白い働きをし、不思議な力を持っているものだと思わされる。「言霊学」の探究に一段と弾みがもたらされる洞察を今日のクラスの中でいただいた。コトバが持っている呪術的性質。それはとりわけ神道においては祝詞の形で実践として脈々と受け継がれてきたものである。トランスヒューマニズムの観点でコトバについて考えてみると、果たしてテクノロジーはコトバの呪術的な力をうまく再現することができるのだろうか。おそらく現段階では、そもそもコトバの魔術的な力のメカニズムやプロセスに謎が残るため、テクノロジーには再現が難しそうである一方で、謎が残っているがゆえにひょんな形でテクノロジーによってそれが再現できてしまう可能性もある。コトバとテクノロジー双方にはそんな力がある。


コトバに関しての実践として、日本語でも詩を作っていくような実践を改めて模索したい。直接的に詩の形にしなくても、この日記の中で意図的に詩的表現を用いていることは頻繁にあるので、その工夫を考えていく方向性が望ましいだろうか。英文詩については引き続き、降ってきた英語のコトバを詩の形にしていくことを毎日継続していこう。学術的なある種理性的な言葉の使用に加えて、詩的なコトバをこれからの実践により意識的に組み込んでいきたい。詩的なコトバを発すれば、発した当人の治癒と変容に繋がるだけではなく、そのコトバを受け取った人にも同様の効果があるだろう。それはコトバの私的利用ではなく、コトバの公的使用と言えないだろうか。これからの自分は、コトバの公的使用を心掛けていく。それはコトバを公衆に向けて届けていく実践として結実されていく。フローニンゲン:2022/12/24(土)14:45


9645. コトバ・モノ・オト/言霊学の探究に向かって


コトバとモノ。自分の関心はそこに向かっている。そして、コトバについて考える際に、オトへの関心も高まっている。自分が日々音楽に包まれ、音楽演奏の実践をする中で、その関心は増すばかりである。この世界は、コトバ、モノ、オトで構築されているのかもしれない。そして絶えずそれらが生成される形で存在しているのがこのリアリティなのだろう。それらの存在者を結びつける存在として、「間(ま)」がある。間は無であり、かつ有なのだ。間こそ空的存在と言えるだろうか。全ては間から生み出され、間を通じて相互に結び付き、相互に影響を与え合っている。


カントは理性の使用に関して、理性の私的使用と公的使用に分けた。もちろん、国家の成員の1人として、自らの行動のあり方を理性的に問う理性の私的使用は重要だが、トランスヒューマニズムの思想運動への関与に関しては、理性の公的使用を心掛けたい。トランスヒューマニズムの研究者として、広く公衆に対して言論を通じて対話をしていく形で理性を公的使用する。これは先ほど書き留めていたコトバの公的使用とも関係する話だ。


さて、ここからの探究の方向性として、テクノロジーとトランスヒューマニズムの探究を中心的に進めていくことに並行して、コトバとテクノロジー、そしてコトバとトランスヒューマニズムとの関係性について研究を進めていきたい。そのためにはまずコトバの内在性質についてより理解を深めていく必要がある。その際に、言霊学は必ず押さえておかなければならない学問分野である。それは広く知られた分野ではないし、明確な形で学問分野として存在しているわけではないが、そこで展開されている日本語、とりわけ大和言葉の持つ性質とその力については深く知りたいという思いがある。言霊学についても通常のオンラインゼミナールで扱うか、特別集中講座の形で必ずどこかで取り上げたい。フローニンゲン:2022/12/24(土)14:55

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