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9535-9538: フローニンゲンからの便り 2022年12月4日(日)



No.4157 家族の絆_Family Bond


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.2025, Mind and Reality

When your mind changes, your reality changes.

Groningen; 08:53, 12/4/2022


No.2026, Poetic Language

Poetic language makes the real manifested.

It can indicate the wholeness and the absolute.

Groningen; 09:06, 12/4/2022


No.2027, A Metaphysical Dance

The word is enjoying a metaphysical dance.

Everything is vibrating with the dance.

The vibration generates new existence.

Groningen; 13:02, 12/4/2022


No.2028, Fear

Interestingly enough, fear does not fear itself.

Neither should I.

Groningen; 20:24, 12/4/2022


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(3つ)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の2曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

9535. 今朝方の夢

9536. モノそのものについて/詩的言語の力

9537. 学習・創作・蓄積のサイクル

9538. 箏の稽古(49):いくつかの疑問事項


9535. 今朝方の夢


時刻はゆっくりと午前8時に向かっている。辺りはまだ真っ暗であり、気温は0度だ。12月に入ってめっきり冬らしくなって来た。今週末には3日連続で雪マークが付されている。


今朝方見ていた夢をぼんやりと振り返っている。非常に断片的な夢をいくつか見ていた。1つ目としては、高校時代のクラスメートの女子と話をしていた場面があった。場所は見慣れない町の郊外のレストランだった。偶然そこで彼女と出会い、久しぶりに話をした。どうやら彼女は英語を習いたいと思っているようで、その訳を聞くと、驚いたことに6歳の外国人の男の子を好きになったからだと述べた。それはそれで素敵なことであり、すごいことだと思ったので、私は彼女を応援した。


次の夢として覚えているのは、実際に通っていた中学校の体育館を彷彿とさせる場所にいて、そこで朝礼に参加していたことである。周りには友人たちがたくさんいて、どこか雰囲気は和やかだった。朝礼の時に壇上にいた先生が突然、「今誰ともお付き合いをしていない者は立ったままで、誰かとお付き合いしている者は座りなさい」と述べた。それに対して全校生徒の大半はどういうわけか座り、私を含めて数人だけが立っている状態だった。私はその場に立っていることを最初誇らしく思ったが、立っている他の人たちを見ると、その場に立っていることが気恥ずかしくなって来た。その気持ちに負けて座りそうになったが、なんとか堪えてその場に立っていた。そのような場面があった。


目覚めの瞬間に、内的言語の発達が実現され、自己変容の実現がなされたという直感がやって来た。夢から覚めるか否かのところで見ていた夢がまさに、言語的発達と内面の発達に関することを扱っていた。目覚めた瞬間に、自分の内側で確かに言語的発達が生じ、自己がまた異なる次元に到達したことを感じた。それはミクロなものかもしれないが、非常に大事な体験事象であった。フローニンゲン:2022/12/4(日)07:58


9536. モノそのものについて/詩的言語の力


時刻は午前9時を迎え、ようやく明るくなった感じがする。日の出も随分と遅くなったものだ。ここ最近は曇り続きで、今朝も朝日を拝むことはできない。年末年始に訪れるニース、モナコ、マヨルカでは朝日を浴びることができるだろうか。それが楽しみだ。


昨日に引き続き、モノそのものについて考えている。例えば、「スマートフォンが社会で普及している」という文章を例に取って考えてみると、ここでいうスマートフォンは、個別具体的なスマートフォンではなく、スマートフォンそのもの自体を指している。そこで指し示められているスマートフォンは誰のものでもなく、スマートフォン一般を指している。私たちは、個別具体的なスマートフォンなら手に持って使うことができるが、スマートフォンそのもの自体を手に持つことはできないし、使うこともできない。ここで述べている使うというのは、物理的に手に持って活用することである。別の観点で言えば、スマートフォンそのもの自体も概念の領域であれば活用することができる。まさに冒頭の文章はその好例である。スマートフォンそのもの自体を登場させ、それを通じて概念的な意味伝達を果たすことができる。さらに言えば、そうした意味伝達に付随して、スマートフォンそのもの自体によって何かしらの感覚や感情が喚起される性質も見て取ることができる。さらには、スマートフォンそのもの自体に関するイマージュを想起することもできる。こうした性質を持っているのがモノそのものなのだろう。このあたりは、グラハム·ハーマンのオブジェクト指向存在論をまた参照して考えを深めていきたい。


詩的言語の全体指示および絶対性の指示に関するテーマについて、先ほどコーヒーを淹れながら考えていた。このテーマは前述のテーマとも密接に関係している。詩的言語は、対象に関する全体性を示す力がある。詩的言語を用いれば、世界そのもの、リアルそのもの、モノ自体へのアクセスも十分に可能なのではないかと思えてくる。詩的言語の持つ力とモノそのものとの関係性についても考察を深めていこう。この論点は、テクノロジーやマネーの内在性質について考える上でも非常に重要だ。昨日は、テクノロジーをオブジェクト指向存在論の観点から考察していく道について考えていたが、マネーに対してもオブジェクト指向存在論を適用していきたい。いくつかの野心的な取り組みに向けて、今は準備に準備を重ねていく。そのための探究を日々行っている。フローニンゲン:2022/12/4(日)09:14


9537. 学習・創作・蓄積のサイクル


学習、創作、蓄積。そのサイクルが永遠を体現しながら回っている。気がつけば自分の園が自分の内側にできていて、それが外部社会との繋がりの中で何かしらの価値や意味を提供していることに気づく。自分はそれを客観的に眺めながら、その対価を受け取りつつも現状に甘んじることなく絶えず学習と創作を通じた蓄積を継続させていく。そのようなことを考えていると、昨日改めて、もし再びオランダに戻って来たら、カンナビスやマジックトリュフを栽培してみようと思った。この考えはぜひ実現させたい。今の自分には、目には見えない内的なものを育むだけではなく、生き物を育みたいという気持ちが強くある。自分でそれらを栽培し、その過程の中で得られた事柄をまた色々な形で共有していく。その試みにも学習と創作、そして知識·技術と経験の蓄積と創作物そのものの蓄積が生まれるであろう。カンナビスやマジックトリュフを自分の庭で育てられる場所はオランダ以外には本当に場所が限られる。昨日は、先日アムステルダムで訪れたマリファナ·ヘンプ博物館で購入した文献を読み進めていた。今度再びバルセロナに訪れたら、姉妹関係にあるマリファナ·ヘンプ博物館に足を運んでみたいと思う。前回バルセロナに訪れた時にはこの博物館を完全に見落としていた。


今日は午前中の全ての時間を使って、思弁的実在論の集中講座の開講に向けて音声ファイルのコンテンツを作っていた。洋書を読み、それについて解説を加えていくことは一つの楽しみとなった。この楽しみを味わえるだけで自分はもう満足だが、それ以上に楽しみとしてあるのは、他者と学び合うことによって得られる創発である。講座を開講する意味、ゼミナールを行う意味はそこにある。個人で消費できる楽しみと、間主観的な形で立ち現れる集合的な楽しみの双方がそこにある。これから一曲音楽を作り、箏の稽古をして仮眠を取ろう。仮眠から目覚めたら、午後からも引き続き思弁的実在論のコンテンツの作成に時間を充てていこうと思う。フローニンゲン:2022/12/4(日)12:50


9538. 箏の稽古(49):いくつかの疑問事項


時刻は午後7時半を迎えた。今日も気がつけば1日が終わりに近づいている。今週末も非常に充実した形で土日を過ごしていた。年明けすぐに開講予定の批判的実在論入門講座の開講準備が整い、夕食後にまずは優先的にオンラインゼミナールの受講生の方々に講座に関する連絡をした。一般募集に関しては明日から開始しようと思う。批判的実在論は日本ではほとんど知られていない理論ゆえにどれだけの受講者がいるか分からないが、どのような人数であっても今回の講座も充実したものになるだろう。


先ほど、本日2回目の箏の稽古を終えた。昨日の計画通り、今日からは集中して『文化箏のためのテクニック第1巻』に取り組んだ。平調子に関しては、何か楽曲を演奏するよりも、こちらのテクニック集に掲載されている練習曲を練習する方が楽しい。練習する中でいくつか演奏上難しいところがあった。例えば29番の曲に関して言えば、4/4拍子で左手の為の弦をピチカートで4拍分音を鳴らさないといけないのだが、左手で高音のピチカートを弾くと、弦の張りゆえに音がどうしても小さくなってしまうという問題に直面している。演奏上何を工夫すればこの問題を解決できるのだろうか。火曜日までに問題が解決しなければ先生に尋ねてみよう。その次の30番の曲においても左手の使い方で疑問があった。冒頭から1·3·5の左手でのピチカートによるアルペジオが出てくるのだが、右手であれば簡単なのだが、これを左手のピチカートでやろうとすると非常に難しく、正直どのような手の形で演奏すればいいのか分からなかった。この点についても先生に尋ねてみようと思う。もう1つ挙げるとすれば、11番の曲で「後押し」という技術を使うのだが、その方法について改めて先生に尋ねてみようと思う。この技術は、「六段の調」でも出てくるので今後重要になってくる。明日からもこのテクニック集を楽しみながら練習していこうと思う。フローニンゲン:2022/12/4(日)19:48

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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