9392-9398: 日本滞在記 2022年11月11日(金)
- yoheikatowwp
- 2022年11月14日
- 読了時間: 11分

No.4149 奇跡の神_The God of Miracle
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.1968, Poetry and Math
Poetry represents a mathematical theorem.
Math describes a poetical theorem.
Both are reciprocal.
Groningen; 09:53, 11/11/2022
No.1969, Interdependent Development
You develop if I develop.
I develop if you develop.
Groningen; 14:20, 11/11/2022
No.1970, A Great Book
A great book for you is psychoactive.
It is inspiring and enlightening.
Groningen; 14:24, 11/11/2022
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本日の2曲
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タイトル一覧
9392. フローニンゲンの朝の景色を眺めながら
9393. 心と精神が欲するものに委ねて
9394. 今朝方の夢/リアリティ全体との同化
9395. 1ヶ月ぶりに箏に触れて
9396. 脳裏をかすめた夢の断片から
9397. フローニンゲンでの新たな生活が始まって
9398. リズム/RITUALSに足を運んで
9392. フローニンゲンの朝の景色を眺めながら
時刻は午前7時半に近づいている。フローニンゲンの自宅に戻ってきての最初の朝を迎えた。昨日は午後7時頃に自宅に到着したのだが、フローニンゲンに向かうまでの列車の窓から景色を眺めていると、随分と日の入りが早くなっていることに気づいた。また、今この時間帯もまだ薄暗く、これからようやく明るくなってきそうな気配を漂わせており、日の出も相当に遅くなっていることがわかる。それもそのはずで、1ヶ月以上もオランダを離れていたため、季節が随分と進行していたのである。これからオランダは長い冬の時代を迎える。自分にとってこれがこの土地での7回目の冬越えである。いつも冬を越えるたびに自分は新たな自己として生誕している。それを考えると、この長きに渡る冬には本当に感謝しなければならない。冬は育む。冬には大切なものをじっと育む力があるのだ。
久しぶりに見る書斎の窓からの景色。オディロン·ルドンの絵画を思わせる濃いブルーの景色が目の前に広がっている。見慣れているようでいて見慣れていない景色。景色は絶えず変化する。自分が変貌を遂げれば景色はなお一層のこと新しく見える。
フローニンゲンに戻ってきた今日は、色々と買い物をする必要がある。空っぽの冷蔵庫に今日からの食材を入れていく必要があるし、京都でいただいたお香を炊くためのチャッカマンが必要である。その他にもまだ必要なものがあるので、今日は夕方にでも散歩がてら街の中心部に行って買い物をしてこようと思う。幸いにも今日は天気が良いようなので散歩日和である。今日は買い物以外には、読書に没頭しようと思う。明日のオンラインゼミナールのクラスに向けての準備に加えて、テクノロジー哲学に関する書籍を旺盛に読み進めていこうと思う。旅は終わり、ここからは探究の旅に本腰を入れていく。これからの探究を考えるだけで充実感が身体から湧き出して来るかのようだ。フローニンゲン:2022/11/11(金)07:31
9393. 心と精神が欲するものに委ねて
1ヶ月ぶりの自宅での生活はやはりいいものだ。ここには落ち着きと寛ぎがある。それは本当に深く自分の心を穏やかなものにしてくれる。朝の動的ストレッチにせよ、朝の洗濯にせよ、そこにはこれまでの生活によって堆積された慣れと歴史がある。つい今し方淹れたコーヒーもまた自分を深く落ち着かせてくれる。コーヒー豆を自分で挽き、フレンチプレスでゆっくりとコーヒーにお湯を注ぐ楽しみ。そこに湧き立つ香り。それら全てが愛おしい。
それでは今から今日の読書に取り掛かろうと思うが、テクノロジー哲学に関する書籍ではなく、思弁論的実在論の書籍を読み進めていくことにした。エディンバラ大学出版から出ている一連の書籍を読み進めていく。そのシリーズに関する書籍はほぼ全て購入したと言っても過言ではなく、日本への一時帰国の前にはまだ手付かずで積読状態になっていた。それらを今からできる限り読み進めていく。どうやら今日は、形而上学的な何かを心と精神が求めているようなのだ。なのでより形而上学性が高い思弁論的実在論へと触手が伸びたのだろう。このように、その瞬間の自分が求めるものを読んでいく。身体が欲している食べたいものを食べるのと同じで、心と精神が欲していない読書はしない。逆に、それらが欲しているものであればなんでも取り入れていく。そういう心持ちだ。読書に集中した後には、今日からまた本格的に箏の演奏に力を入れていこう。一時帰国中に、ジークンドーに関してはホテルの中で稽古をしていたし、街中で歩いている時やふとした時に脳内で動きのトレーニングをしていた。一方、箏に関しては丸1ヶ月間何もしてなかった状態なので、まずは感覚を取り戻すところから始めていこう。それを含めて楽しみながら演奏をすることが一番だ。来週の火曜日に箏のオンラインレッスンがあるので、それに向けて先生から送っていただいた音源に合わせて曲の弾き込みをしていきたい。フローニンゲン:2022/11/11(金)08:42
9394. 今朝方の夢/リアリティ全体との同化
今朝方の夢がぼんやりと形になって現れてきた。確か夢の中で、白い霧のような雰囲気を持つ王宮の中を歩いていたように思う。王宮内を歩いていると、知り合いの女性と遭遇し、そこで立ち話をしていた。その女性と話すのは久しぶりだったので、お互いの近況報告に花が咲いた。彼女と別れた後に、再び王宮内を歩く場面があったことを思い出す。
生成としての神。変化としての神。変わりゆくものそのものが神である。そしてそれを促す働きそのものが神であること。
メイヤスーが否定した相関主義的な方法ではなく、直接リアリティに触れる方法。それは存在している。リアリティ全体を一緒くたに把握する方法は、自我の境界線を溶解させ、リアリティそのものと同化する方法である。その方法を採用してリアリティとひとたび同一化すれば、意識は量子のもつれを起こす。それは縁起の生成でもある。全てと繋がり、全てから影響を受け、全てに対して影響を与えているという絶対的な感覚がそこに芽生える。その感覚が芽生えれば、それは自分がリアリティ全体と同一化していることを示している。
「全ての行為は知ることであり、全ての知ることは行為である」というマトゥラーナとヴァレラの言葉について考える。全ての行為は知覚的な意味合いを持ち、知覚は行為でもある。そして重要なことは、行為にせよ知覚にせよ、そこには身体性が媒介されているということである。身体の涵養は、行為と知覚に多大な影響を与える。身体性が研ぎ澄まされれば、必然的に行為と知覚も研ぎ澄まされる。身体感覚の涵養を絶えず意識した生活を日々送っていると、そのようなことを実感する。身体を通じて感じること。今日これからそれをより意識した生活を送っていこう。身体感覚を研ぎ澄ませて、リアリティを触知すること。そしてリアリティ全体に溶け出していくこと。当面はそれを強く意識する生活が続くだろうか。フローニンゲン:2022/11/11(金)09:19
9395. 1ヶ月ぶりに箏に触れて
時刻は午前11時を迎えようとしている。午前中のフローニンゲンは曇っていて、もう暖房が自動で室内に入っている。昨夜も感じたが、足下から冷える感じだ。
先ほど、読書の休憩がてら、久しぶりに箏の演奏をした。およそ1ヶ月ぶりの演奏であり、最初は随分と感覚を忘れているように思った。ところがしばらく弾くうちにみるみる感覚を思い出してきて、演奏に没頭するようにして音の海の中に浮かぶことを楽しんでいた。午後に買い物から帰ってきてから再び稽古をしようと思う。来週のオンラインレッスンまでにいくつか復習しておきたいことがあるし、失われてしまった感覚を取り戻すだけではなく、それも発達上必要な停滞と休息と捉え、感覚をさらに一段深いものに高めていきたい。午後の稽古では、午前中と同様の曲を演奏していく。それに加えて、先生から送っていただいた音源のうち、2箏パートを中心に練習をしていきたいと思う。とりわけ、「故郷」「喜びの歌」「ジュピター」の2箏パートに力を入れたい。フローニンゲン:2022/11/11(金)10:59
9396. 脳裏をかすめた夢の断片から
旅の終わりあたりに見ていた夢が脳裏をかすめて行った。その夢の中で、確か自己実現について自分が説明している場面があった。自己実現という言葉はもはや陳腐なものとなり、この社会の中で単なる形骸化した言葉になってしまっている。自己実現という名の下に人々をさらなる消費や搾取に駆り立てるその言葉の問題について指摘しながらも、あえて今一度ここで自己実現という言葉の大切さについて情熱的に説明している場面があったことを突然思い出した。この夢が示すように、現代社会の中ではもはやその本義を見失ってしまった言葉が溢れている。そうした言葉の本義に立ち返り、言葉を復活させる試みに自分は従事したいのかもしれないし、もはやそれを常に行っていると言えるかもしれない。
今日のフローニンゲンはこれまでのところずっと曇っている。昼前に近所のスーパーに買い物に行った時も曇っていて、随分と冷え込んでいたのでランニングがてら走って行った。後ほどまた街の中心部に散歩がてら買い物に出かけようと思うが、その時には暖かい格好をして出かけたいと思う。買い物から帰ってきたら、ジークンドーの稽古と箏の稽古を行う。それら2つの実践は、自分にとって不可欠なものとなった。それらの実践があるおかげで学術研究が捗る側面を見て取ることができる。
午前中から今にかけて、思弁論的実在論に関する書籍を2冊読み進めた。自分の研究分野と直接関係するわけではないが、この分野は大変興味深い。少しばかり息抜きに、いったん思弁論的実在論から離れ、メタモダンに関して購入した数冊の書籍のうちの1冊を手に取って読み始めた。これがなかなか素晴らしい。政治と発達理論を絡めた論考を食い入るように眺めており、いくつかまた新しい考えが閃いた。政治と発達理論を絡めたメタモダンについてもどこかのタイミングでオンラインゼミナールの中で取り上げてみようかと思う。フローニンゲン:2022/11/11(金)14:39
9397. フローニンゲンでの新たな生活が始まって
今日2度目の箏の稽古を終えた。午前中に1度稽古をしていたこともあって、感覚がすっかり戻っていたことに驚く。午前中の稽古では少し感覚が錆び付いているような感じがしたのだが、先ほどの夕方の稽古においては身体が指使いを覚えている感覚が色濃く残っていたのでとても嬉しく思った。一方で、いくつかの細かなテクニックについてはまだ身体知になっておらず、そもそも認知的に「どのように演奏するのだったかな」と振り返る場面もあった。明日の稽古では、そのあたりのテクニックについて念入りに復習をしておこう。箏の稽古の前にはジークンドーの稽古を少々行った。その際には、サイドキックからのバックフィストのコンビネーションを練習した。これについてはすでにロビンさんから習っているものであり、ロビンさんに教えてもらったコツを確認しながら繰り返し稽古をした。箏の稽古によって指先を使って脳に特殊な刺激が与えられ、ジークンドーの稽古によって身体全身から脳に特殊な刺激が与えられていることを感じる。
今日は夕方に街の中心部に買い物に出かけた。八丁味噌を買いにオーガニックスーパーに立ち寄ったり、街の中心部の市場で1週間分の椎茸を購入した。市場の雰囲気はいつもとても活気があって好ましく、そこで買い物をするとフローニンゲンに戻ってきた感じがした。市場を後にして、京都でいただいたお香に火を付けるためのライターを購入して帰ってきた。街の教会の敷地内に入って散歩することや、街全体を色々と歩くことによって、この町に帰ってきたのだという感覚が芽生えた。その感覚によって、再びフローニンゲンに地に足を着けて生活ができるのではないかと思う。フローニンゲンに戻ってきてからの初日の今日は、早速深い充実感を感じさせてくれる1日だった。それに感謝しながら、今から夕食を作って今日も早めに就寝しようと思う。フローニンゲン:2022/11/11(金)17:21
9398. リズム/RITUALSに足を運んで
自分の内側に流れるリズムが踊り出している。それは情熱に裏付けられていて、全ての活動の根源としてある。溢れる情熱によって生み出されるリズムに乗るだけでいいということ。自分にできることはそれだけであり、逆に言えばそれさえできれば全て万事うまくという感覚。生命のリズムはかくも力強く、万能感をもたらすものなのだと気づく。
そう言えば、今日フローニンゲンの街を散歩していると、街の様子がいくらか変化していることに気づいた。普段用事がなければ中心部に行くことはないし、買い物などもしない。自宅と近所の2つのスーパーに行くだけで完結する毎日を送っていると、街の変化にも疎くなるようだ。これまで使っていた香水が切れたので、オランダ発祥のRITUALSというコスメ専門店に足を運んだ。ここはオーガニックな原料で化粧品が作られていることに加えて、日本を感じさせる商品も置かれていて、以前より時折活用していた。結局香水に加えて、お香とバスソルトを購入した。改めて調べてみると、RITUALSは日本の禅やインドのアーユルヴェーダ、そして中国の風水などに着想を得ている。確かに、今日購入を迷ったバスソルトはアーユルヴェーダに着想を得たものだった。以前この店があった場所には別の店があって、改めてスマホで検索すると、少し場所が移動していて、より広い店舗になっていた。雰囲気は相変わらず良く、店に入るだけでどこか癒しを得られるような空間が広がっていた。未上場かもしれないが、仮に上場していたら投資したい会社である。早速今夜は、購入したバスソルトを入れてゆっくり入浴をしたいし、寝室には京都でいただいたお香を炊こうと思う。今夜もぐっすり眠れそうだ。
フローニンゲンに戻ってきての初日だったこともあり、今日は学術研究におけるペースを取り戻すことを意識していた。それほど多くはないが、今日は3冊ほどの学術書の初読を終えた。初読は全体を把握するような読みを行っていることもあり、1日に5冊から10冊ぐらい読むのは何の苦でもないのだが、今日は3冊止まりだった。明日からもう少しペースと感覚を取り戻していきたいと思う。フローニンゲン:2022/11/11(金)19:03

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