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9301-9303: 日本滞在記 2022年10月23日(日)



No.4067 宇宙の磁場_A Magnetic Field of the Universe


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.1919, A Dreamy World

The world always feels like dreamy to me.

The world seems to be made of dreams.

Hikari; 07:10, 10/23/2022


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本日の2曲


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タイトル一覧

9301.【日本滞在記】今朝方の夢

9302.【日本滞在記】優しさに包まれた世界から

9303.【日本滞在記】ピアノに触れて/知的な飢餓感と種々の言語空間の往来


9301.【日本滞在記】今朝方の夢


時刻は午前5時半を迎えた。実家滞在の4日目が始まった。明日から3泊4日で両親と愛犬と一緒に九州旅行に行く。旅行から帰ってくるとあと数日ほどしか実家に滞在できず、有限であるがゆえに1日1日が大切なものとして知覚される。


潮騒が聞こえてくる。今、ゆっくりと干潮から満潮に向かっているので、この寄せては返す波を潮騒と表現して問題ないだろう。それにしてもこうして繰り返し聞こえてくる波の音は、まさに人生そのものであり、身体のリズムそのものである。人生そのものもまた1つの生命として呼吸しているのだ。人生の呼吸。それは寄せては返す波と同じく、絶えず進行しているものであり、同時に、1回1回の波は絶えず新しい。


実家に戻ってきてからはあまり夢を見ていなかったが、今朝方は1つ印象的な夢を見ていた。夢の中で私は、実際に通っていた小学校と同じ雰囲気を持つ教室にいた。私の体はすでに大人であり、教室のみんなも同じであった。教卓に小学校4年生の時の担任の女性の先生が座っていた。先生は厳しい方だったが、同時に親身に生徒の指導をしてくださる方だった。ちょうど給食の時間となり、教室では机を動かして、各班ごとに数人1組の塊を作って昼食を食べ始めた。その時に私はどういうわけか、お盆を持って別の場所で昼食を食べようと思って教室の外に出ようとした。ある友人(YU)もまた外に出ようとしていたので、私たち2人は先生に呼び止められた。先生のところに行って、お盆に乗せたご飯を見せた。先生は私たちがご飯を多く取っていないかをチェックしたいと思っているのだと察し、確かに自分はご飯を多く取ってしまったが、それをしゃもじで押しつぶせば少なく見せることができるだろうと思って、それをすでに行っていたのである。それをしていて正解だったと思い、先生にご飯を見せたところ何も言われずにすんだ。そこからふと、先日台湾人の男性と列車の中で出会って、高校生と間違われたことについて笑いながらシェアをした。すると先生も笑っていたし、教室のみんなも笑っていた。教室にいる自分は大人であったが、若く見られたことに少し嬉しさを感じているようだった。そのような夢を見ていた。夢の中でシェアした台湾人の方とのエピソードは、まさに数日前に実際にあったことである。良質な食事と睡眠、程よい運動、そしてストレスのない生活が若さの秘訣だろうかとぼんやりと考えていた。光市:2022/10/23(日)05:53


9302.【日本滞在記】優しさに包まれた世界から


時刻は午前7時を迎えた。この時間帯はすっかり朝日が昇り、とはいえ昇り立ての朝日のなんとも言えない柔らかさが世界を包んでいる。優しさに抱擁された世界。世界には残酷な側面もあるが、このようにして天上的な優しさが体現された世界の側面もあるということに心が洗われる。満潮に向かう海の潮騒もまた心を落ち着かせてくれる。そして、海岸線の松林にいる小鳥たちの鳴き声がまた素晴らしい。潮騒と小鳥たちの鳴き声の二重奏は、自然が生み出す贈り物としての音楽である。実家の自室はちょうど朝日が差し込んでくることもあり、今、ほのかな橙色の朝日を全身に浴びている。二重奏を聴きながら朝日を浴びることの至福さ。自己という存在は自然に至福と化し、光と化す。今回の一時帰国でもまた自分の魂は浄化と成長の歩みを着実に進めている。


日本にいると、心象写実的な描写が自ずから増えているように思う。それは環境からの働きかけなのだろうか。きっとその側面もあるだろう。自分の中にある日本人としての自然観や世界観がそれをさせる。欧米ではまた違った感覚で日々を生きていることもあり、日本の大地に足を着けることによって、自分の奥深くにある感覚が蘇っているようなのだ。


先ほどふと、人は誰しもある特定の物語の中を生きていて、逆に言えば自らが組み込まれた物語を変容させることができれば、新たな物語を通じて人は生きれることを思った。このテーマ自体はとかく目新しいものではないが、自らの物語を変容させたり、他者が物語の変容プロセスにいる際にどのように支援するかは実践的には難しいことなのだ。昨日のゼミナールの中でもこのテーマが出てきたこともあり、個人の物語の変容と、社会全体が組み込まれ、信奉している物語の変容をいかに実現していくかは今後も長らく重要なテーマであり続けるであろうという予感がする。光市:2022/10/23(日)07:26


9303.【日本滞在記】ピアノに触れて/知的な飢餓感と種々の言語空間の往来


日曜日の穏やかな午後の世界が目の前に広がっている。地元の気候はまだまだ暖かく、日中は最高気温が20度を超えているので、自宅では半袖で十分である。先ほど、母のピアノの練習が終わったようなので、ちょっとピアノの練習をさせてもらった。毎日作曲実践は行っているが、自分はピアノの演奏経験は全くなく、これまでずっとピアノとは縁がなかった。オランダで箏の演奏を始めてから、楽器の演奏がもたらす種々の効能を実感していて、それは技術的人間が元来手を機軸にして知能を磨いてきた歴史と照らし合わせてみると、手先を活用する楽器の演奏には知能を刺激する効果があるようだと感じる。普段箏の演奏をしていることから、先ほどピアノを即興的に弾いてみると、意外とピアノの演奏も楽しいと思った。もちろん今の自分は箏の持つ音色に魅せられているわけだが、いつかピアノの演奏をする日もやって来るかもしれない。


今日はこれまでのところ、午前中には昨日のゼミナールを振り返った音声ファイルを作成し、それ以外には普段と変わらず創作活動に従事していた。それに加えて、テクノロジー哲学に関する和書を読み進め、5冊の書籍の初読をこの2日間の間に行ったので、再読かつ精読を始めた。今は日本にいることもあって和書を中心に読み進めているが、洋書を読みことが恋しくなっている自分がいる。それは恋しさを超えて、ある種の飢えのようなものである。知的な飢餓感が自分の内側には絶えず存在していて、日本にいる今はそれが洋書への飢えを肯定的な形でもたらしている。また、英語を話すということに関して言えば、日本滞在中には2度ほど見知らぬ外国人と話をする機会があった。1つは最初に滞在してた東京の丸の内ホテルのロビーで、ポーランド人のビジネスパーソンと出会い、彼が孫のためにアニメのデザインのTシャツが欲しいとのことだったので、それが購入できそうな場所を教えた。彼とは10分ぐらい話をしただろうか。それ以外には、つい先日新山口駅から光駅までの間、1時間超の時間を台湾人の男性と英語を中心として会話を楽しんでいた。日本語空間に浸れる期間は早いものであと2週間ほどであり、そこからはまた英語空間やオランダ語空間の世界に戻っていく。こうした種々の言語空間の移行もまた自分の知性の涵養に大きな影響を与えていることは言うまでもない。光市:2022/10/23(日)14:56

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