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9146-9149: フローニンゲンからの便り 2022年9月21日(水)



No.4001 飛翔の霞_A Haze of Flight


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.1839, Rainbow Bubbles

Rainbow bubbles embrace the entire world.

Each existence is embraced by a specific bubble.

Each being radiates specifically.

Groningen; 09:51, 9/21/2022


No.1840, A Ferris Wheel of Evening Light

A Ferris wheel of evening light is turning slowly.

Evening moment rides on it.

Groningen; 18:58, 9/21/2022


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(3つ)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

9146. 今朝方の夢

9147. 今朝方の夢の続き

9148. 書籍の出版が無事に決まって/動画の撮影に向けて

9149. 来たる終わりを感じながら


9146. 今朝方の夢


時刻は午前8時半を迎えた。今、青空が広がっていて、穏やかな朝日が地上に降り注いでいる。そして、近くでは小鳥たちが鳴き声を上げている。室内では暖房が自動で入っていて、外の気温の低さを思う。確認してみると、今の気温は6度と非常に低い。そして今夜は4度まで気温が下がるそうだ。もはや冬の気温である。秋を飛び越えて冬に入ったかのようなフローニンゲン。再来週の末に日本に一時帰国する際には、オランダはもっと寒くなっているだろう。行きで経由するヘルシンキも相当に寒いはずだ。


昨日、日本のアマゾンで注文していた『神道と生命倫理』という書籍がキャンセルされてしまったので、出版元から再度購入して実家に送った。この書籍は今後の研究において重要になると思ったので、どうしても手元に置いておきたかった。今回の一時帰国では、実家に送った何冊かの書籍をオランダに持って帰ることを計画している。それらはどれも今後の研究で活躍してくれるに違いない。


今朝方はいくつか印象に残る夢を見ていた。それらは少し断片的な記憶になりつつあるが、覚えていることを書き留めておこう。夢の中で私は、見知らぬ外国の街を流れる小川の上を飛んでいた。小川の脇には整備された道があり、それはどこまでも続いていた。遠くの方にディズニーランドのような遊園地が見え、自分はそこに向かっていることを直感的に知った。そこに向かうために入り組んだ小川の上を飛んでいたのだが、少しショートカットできることに気づき、ショートカットをして飛び始めた。その際に、自分が飛んでいる高さが気になり、足が着水して靴が濡れてしまわないかを少し心配した。幸いにも高度は一定に保たれているようであり、速度も落ちることなく、車と同じぐらいの速度で飛び続けることができた。意外と早い速度だなと気づいた時にはっとして、夢の中の私は夢の中で目覚めた。どうやら空を飛んでいたのは夢の中の夢だと気づいたのである。そして、速度が速く感じられたのは脳の錯覚だったということに気づいた。その時にどういうわけか、書籍を速読している自分が脳裏に浮かび、視点移動によって脳が高速度に動いている様子が想像された。速読をしている自分と小川の上を飛んでいた自分がなぜか重なって想像されたのである。


その他にも、現象学をテーマにした夢を見ていた。夢の中で私は、現象学について講義をしていた。単に哲学者の思想を紹介するだけではなく、現象学が何かが掴めるエクササイズもその場で提供していた。それによって受講者も随分と現象学を理解してくれたようだった。講義の最後に、現象学に関するいくつかの発展的な参考文献を紹介した。そこで夢の場面が変わった。フローニンゲン:2022/9/21(水)08:51


9147. 今朝方の夢の続き


時刻はゆっくりと午前9時を迎えようとしている。今、自動で室内の暖房が入っていて、部屋を温めてくれている。それに感謝をしながら、書斎の窓の外の景色を眺めている。朝日の輝きは美しく、雲ひとつない空もまた申し分ない。朝日の輝きと空の青さに打たれながら、今朝方の夢の続きを振り返っている。


夢の中で私は、見知らぬ外国の街の地下鉄駅に向かっていた。そこで友人の女性と待ち合わせをすることになっていた。スマホの地図を見ながら地下鉄駅に向かっていると、スマホのバッテリーがもうすぐ切れそうであることに気づいた。彼女と少しメッセージのやり取りをしていたこともあり、バッテリーが切れると困るなと思っていた。待ち合わせ場所の地下鉄駅が結構複雑なので、目的地で待ち合わせをする方がいいかもしれないと思ったので、それについてメッセージを送ったところだった。彼女からの返信を受け取れないと、地下鉄駅で待ち合わせるのか、それとも目的地で待ち合わせるのかがこんがらがってしまい、ちゃんと会えない可能性があった。それだけが懸念だったが、地下鉄駅と目的地のデパートは比較的近いところにあるので、最悪どちらでも大丈夫かと思った。とりあえず地下鉄駅に行ったところ、彼女の姿は見えなかったので、デパートに行ってみることにした。デパートに到着すると、1階に巨大な食料品売り場が広がっていた。入り口の近くに海鮮を取り扱う店があり、そこに何気なく入ると、店員の中年女性が笑顔で声を掛けてきて、近くの産地で取れた美味しい魚があると教えてくれた。その魚が丼になったものは確かに美味しそうであり、それを1つ購入することにした。その店にはその他にも魚の天ぷらなどが揃っていて、どれも美味しそうに見えた。すると、入り口から見覚えのある顔が見えた。入って来たのは、小中高時代の友人(HY)と彼の奥さんだった。2人は和服姿で正装しており、とても品があるように思えた。彼とは仲が良かったが、どういうわけか彼に声を掛けることをせず、そそくさと店を後にすることにした。そこからは近くにあったエレベーターに乗って上の階に行ってみることにした。エレベーターに乗ると、少し歳のいったエレベーターガールがいて、あくびをして退屈そうにしていた。私がエレベーターに乗ると、少しシャキッとしてデパートの解説をし始めた。それを聞き終えた後、こちらから話し掛け、少し他愛もない話をした。その時に、自分が着ていたスーツを褒めてもらったが、そのスーツに合う靴を履いていないと指摘されてしまった。確かに今回はスーツは良いものを着ていたが、靴に関してはそれほどこだわったものを履いておらず、両者にギャップがあったと自分でも思った。彼女からのフィードバックを受けて、今後はスーツを着用する際には靴にも気を遣おうと思った。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2022/9/21(水)09:12


9148. 書籍の出版が無事に決まって/動画の撮影に向けて


時刻は午前10時を迎えた。早朝より自動で動いていた暖房も止まった。先ほど、長年お世話になっている編集者の方から嬉しい知らせが届いた。提出していた書籍の原稿が無事に出版会議に通ったとのことだった。それを聞いて大変嬉しく思った。すでに原稿は出来上がっているが、ここから手を加えていく必要があり、出版日については今のところまだ未定である。出版会議に通ったばかりなのでそれも仕方ないが、近日中にまた編集者の方に出版日の目処を尋ねてみよう。タイトルや項目については見直す必要があるとのことであり、そこは編集者の方にお任せしようと思う。自分としては本文の中で展開した、成長·発達を取り巻く時代分析に関する記述を残しながら、出版社側の意向である人材育成につながるようなコラムか特別な項目を設けたいと思う。例えば、「人材育成への手引き」や「成長実践」などの項目を設けてみるのもいいかもしれない。編集者の方の案を聞いてみて、書籍をより良いものにしていきたいと思う。


今日は30分後にオンライン上での動画の撮影がある。そこではハーバード学派(コールバーグ学派)の発達思想やフランクフルト学派の発達思想を取り上げる予定である。さらには、フローニンゲン学派の発達思想についても言及することによって、3つの学派の人間発達観の違いや共通点を明らかにすることができたらと思う。フランクフルト学派の思想について言及する際に、フロイトの理論を社会や文化まで射程に入れた形で展開させた新フロイト派の論客のエリック·フロムについて個別に取り上げて言及しようと思う。彼の主著についてもいくつか言及し、そこで展開されている主張を発達理論と絡める形で紹介したい。ファシズムの台頭期に、いち早くのその危険性に気づき、その発生メカニズムを突き止めたのはフロムの慧眼であった。権威に依存してしまう権威主義というものが、自由を求める方向性ではなく、自由からの逃走の現れであるとみなしたことは非常に有名である。人間は自由を求めながら、自由から逃げようとする非常に不可解な心理メカニズムを持った存在である。権威主義というのは何も第二次世界大戦中だけに顕在化したわけではなく、現代社会においてもそれは強い影響力を持っている。これを例えばロバート·キーガンの発達理論と絡めるのであれば、人間には誰しも権威主義的に振る舞ってしまう内在傾向がありながら、他者依存段階というより権威主義に傾倒しがちな段階特性があることが見えてくる。私たちの思考のみならず、欲望や感覚までもが純粋に自発的なものではなく、社会や文化から与えられたものであるというフロムの指摘もまた重要かと思われる。現代社会の種々の問題を、フロムの思想やフランクフルト学派の思想的枠組みを用いて分析することは依然として大きな価値を有する。フローニンゲン:2022/9/21(水)10:35


9149. 来たる終わりを感じながら


時刻は午後5時半を迎えつつある。先ほど、今日の箏の稽古を終えた。今日は長々と練習するのではなく、テクニック集の課題曲を演奏することに留め、そこから動画を見ながら合わせ爪の練習を行った。当面は、合わせ爪の双方に焦点を当てて稽古をしたいと思う。最初のうちはやはり音が同時に鳴らずにばらけてしまうことが多いが、練習を重ねていくと、徐々にタイミングが合う確率が高まる。指の感覚を含め、明日以降も毎日必ず合わせ爪の練習をしていこうと思う。ちょうど明後日にオンラインレッスンがあるので、その際に合わせ爪のコツを先生に尋ねてみたい。


箏の稽古の前にはジムに行っていた。ジムに行く前にコピー屋に立ち寄り、テクノロジー哲学とテクノロジー神学に関する論文を5つほど印刷してもらうお願いをしていたのでそれを受け取ろうと思った。すると、今日はコピー屋が忙しそうで、まだプリントアウトが完了していないとのことだった。特に急ぎではなかったので、まずはジムに行き、帰りに間に合いそうだったら論文を受け取ろうと思った。結局、論文は明後日の午後に買い物に行くついでにコピー屋に立ち寄って受け取りたいと思う。ハーバマスのテクノロジーに関する貴重な論考や、フィーンバーグの論文、そして神学の観点からテクノロジーを取り扱った稀な論文などを受け取る予定である。ジムでのトレーニングとサウナで良い汗を流し、リラックスした意識状態を維持しながら自宅に戻ってきた。やはりジムでのトレーニングとサウナはいいものだと実感する。


ジムからの帰り道、オランダで過ごした7年の時の発酵過程と燃焼過程が自分には必要だったのだろうということをふと思った。それと共に、フローニンゲンでの生活の終わりを感じ始めている自分がいることに気づいた。自分の人生の終わりもこのように感じるのだろうか。自分の命の終わりもこのように感じるのだろうか。そのようなことを思わずにはいられない感覚が襲ってきた。別段それは恐れるものでもなく、否定的なものでもない。むしろ何かが終わることを祝福しているような感覚が自分の内側に充満していた。フローニンゲンでの生活が終わりを迎えるかどうかは、今から半年後にわかる。そして、そこでフローニンゲンを離れることになったら、残すところ1年弱のこの地での貴重な生活がある。そろそろ自分は物理的にも精神的にも新天地に行く必要がある。そのようなことを考えずにはいられない。フローニンゲン:2022/9/21(水)17:33

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

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