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8668-8673: フローニンゲンからの便り 2022年6月26日(日)



No.3760 カウナスの象徴_A Symbol of Kaunas


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.1642, Otherness

Martial arts training makes me feel otherness.

This is crucial, considering one of the pathologies of the modern society that it lacks otherness.

Groningen; 10:11, 6/26/2022


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本日の3曲


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タイトル一覧

8668. 今朝方の夢

8669. 今朝方の夢の続き

8670. 観想的な生き方の一側面

8671. ジークンドートレーニング111:ロビンさんとのプライベートセッションを終えて

8672. ジークンドートレーニング112:筋力トレーニングと武術のトレーニングの折り合い/集中とリラックス

8673. ジークンドートレーニング113:ロビンさんとの雑談より/自我に関する発見をもたらすジークンドーの鍛錬


8668. 今朝方の夢


時刻は午前6時半を迎えた。今、空は少し曇っていて、深夜にはどうやら雨が降っていたようだ。今は雨が止んでいて、今日は1日を通して曇りのようである。そのおかげか、今日は涼しくなり、最高気温は21度までしか上がらない。7月を目前にしているが、フローニンゲンはまだまだ涼しいので大変過ごしやすい。それに感謝しよう。


今朝方は起床直前に印象的な夢を見ていた。夢の中で私は、ポーランド人の女性として存在していた。名前はアニーという。私はアニーとしてポーランドのどこかの街を歩いていた。外見も声もアニーという女性なのだが、頭の中には自分がいて、思考や感覚は自分のものだった。そんな不思議な存在として街を歩いていると、道ゆく人に声を掛けられ、その人と話をしているときに、自分の中にあるアニーとしての性質を見出した。それは自分の内側にある女性性の発見とでも言えるだろうか。それを発見した驚きと喜びに浸っていると、いつの間にか夢の場面が変わった。


次の夢の場面では、今から大学に行ってポーランド語の試験を受けることになっていた。今自分がいるのは外国のどこかの見慣れない街で、大学まで行くのにバスか自転車を使わないと間に合わなさそうだったが、徒歩で移動していた。試験開始までもう時間がなかったので、私は走って向かい、それでも間に合わなければもう仕方ないと思った。今回はポーランド語の単位の取得は諦め、また来学期に再挑戦するか、別の言語に変えようかと思った。そこでふと、そもそも自分はなぜポーランド語を学ぼうと思ったのかを考えた。だが、その理由は全く分からず、何気なく直感的にポーランド語を選んだことを思い出した。そのようなことを考えながら走っていると、大学に到着した。そこは確かに大学なのだが、大学の敷地内には普通の家やマンションのようなものがたくさんあり、私は所属サークルが使っている一軒家に入った。すると、そこでは1学年上のある先輩がポーランド語の勉強をしていて、先輩もまた試験を受けるのだと知った。先輩は私に、「勉強しなくて大丈夫なの?」と尋ねてきた。私は、キャンパスに向かって走っている最中に、テキストの内容を復習していたので、それでテストを乗り切ろうと思うと述べたところ、先輩は「俺、結構勉強したんだけど、ポーランド語はかなり難しいよ」と述べ、私を少し心配してくれているようだった。私は、ここ最近は毎月旅行に出かけていて、なかなか勉強する時間を取れていなかったことを先輩に伝えた。そこで私は、これからも毎月旅行を続けていきながらもしっかり勉強するか、少し旅行のペースを落としたほうがいいかもしれないと思った。だが自分であればきっと旅行と勉強の両立も可能だと思い、これからは少しポーランド語の学習にも力を入れようと思った。そのような夢を見ていた。どちらの夢もポーランドが関係している点が興味深い。最初の夢ではポーランド人のアニーという女性になり、次の夢ではポーランド語の試験を受けることになっていた。試験に関しては、そう言えば、試験監督が高校時代の家庭科の女性の先生だったのを覚えている。どうやら先生にポーランド語を教えてもらっていたようであり、試験の前にポーランド語のポケットブックを眺めていて、先生の指摘によって初めて、自分が持っているポケットブックは、みんなのテキストの簡易版だと知り、テストにおいて不利になるように思えたのを覚えている。フローニンゲン:2022/6/26(日)06:51


8669. 今朝方の夢の続き


日曜日の朝は、静謐さに満たされている。風もほとんどなく、世界が静けさの中に佇んでいる。1匹の子猫が、よちよちと歩いていて、車庫の中に入っていく姿が見えた。その後、車庫から出てきて、ウロウロと辺りを散策し始めた。この子猫は、今世界を探索する時期なのだろうと思って微笑ましくなった。


先ほど、今朝方の夢について振り返っていた。ポーランド関係の夢が続いたことを改めて考えている。先日カウナスに旅行に出かけた時、実は併せてポーランドのクラコフに行こうと思っていたのだが、フライトの都合上、それを諦めたことを思い出す。ポーランドが自分を呼んでいるような感覚がしていて、どこかのタイミングでクラコフには足を運んでみたいと思う。


今朝方はその他にも、大学時代のサークルの先輩と話をしている場面があったのを思い出す。場所は、合宿中の旅館のような場所で、ある畳の部屋の中でその先輩と話をしていた。その先輩は自分よりも学年が3つ上であり、学業に関してもとても優秀だった。企業への就職ではなく、大学院への進学を考えているそうで、すでに大学院に受け入れられたとのことだった。先輩は私に、学部時代に使っていたテキストや書籍を譲ってくれると述べてくれた。しかしその先輩はしっかりしているので、タダではなく、古本屋の買取価格の相場を考慮した金額で譲ってくれるとのことだった。私はそれでも有り難いと思ったので、合宿から帰ったら早速書籍を譲ってもらおうと思った。そのような話をした後に、先輩がふと、良い香りの除菌剤を取り出し、それを渡してくれた。試しにそれを使ってみると、確かに良い香りがしたのだが、どうも噴射口が大きく、衣服に水玉ができてしまうことに気づいた。先輩もそれを知っていて、なので今からすぐに使わない衣服に噴射すると良いと述べてくれた。そこで私は、今日は気温が暖かかったので、冬用のジャケットは必要ないだろうと思い、部屋にかけてあったそれを持ってきて、除菌剤を足元から念入りに噴射していった。そこで別の先輩が部屋に入ってきて、何をしているのかを尋ねてきたという場面があったのを覚えている。今朝方は、大学時代の先輩が現れる夢を合計で2つ見ていたことになる。それが示唆することはなんだろうか。それについても少し考えを巡らせてみよう。フローニンゲン:2022/6/26(日)07:14


8670. 観想的な生き方の一側面


鳩がホーホーと鳴き声を上げている。日曜日の朝の世界はとても穏やかで静寂に包まれている。今朝はとても涼しく、部屋に入って来るそよ風がとても心地良い。


現代は過度な能力主義のもと、何かができることが自らの存在の証のように錯覚している。ビョンチョル·ハンが指摘するように、マルチタスクが声高に叫ばれるのも、そのような錯覚が支配しているからだろう。そもそもマルチタスクは野生動物が発揮しているようなものであり、少なくとも深い生を営む人間が行うようなものではなかった。古代ギリシャの時代を含め、観想的な生が存在していた時の人たちの心の有り様を思う。西洋の哲学や科学は、古代ギリシャの思想の影響を今でも強く受けていて、ホワイトヘッドが指摘するように、西洋の哲学や科学はプラトンの注記なのである。そう考えてみると、古代ギリシャの思想の豊かさに想いを馳せないわけにはいかず、その時代の生の営み方に想いを馳せずにはいられない。少なくとも、今のように忙しない形で人々は生きていなかったであろう。何かに駆り立てられるような慌ただしい生はそこになかったに違いない。そんなことを思う。観想的な生を営めているのかの試金石として、例えばどれだけ日々静かな時間を設けて、自己省察が行えているのかを考えてみるといいかもしれない。例えば、日々の振り返りとして日記を執筆できているかは観想的な生の実現度合いを物語っているように思う。観想的な生の構成要素に内省があるからである。内省というのをマルチタスクの一環として頭の中で行うのではなく、やはり言葉として書き残すような試みが重要かと思う。書くという作業のために時間を取り、書くための内容を構想する時間を取るのである。そうした時間を取れるかどうかが、その人が観想的な生を営んでいるのかいないのかの分水嶺になるように思う。自己省察と健全な自己批判を行いながら日々をゆっくり着実に営んでいくこと。そんな在り方が観想的な生き方の一側面として浮かび上がってくる。フローニンゲン:2022/6/26(日)09:07


8671. ジークンドートレーニング111:ロビンさんとのプライベートセッションを終えて


時刻は午後7時を迎えた。先ほど夕食を摂り終えた。今日の夕食は、いつも以上に美味しく感じられた。それはおそらく、夕食前にロビンさんとのジークンドーのプライベートセッションがあったからだと思われる。今日のセッションも学びが限りなく多く、集中したトレーニングでありながら、ロビンさんと笑顔が絶えない形でとても良い雰囲気で進行していった。思いつくままに今日のセッションを振り返っておこう。


今日もいつものように、ロビンさんが最初に質問の時間を設けてくれた。今日の質問は、バーストフットサイドキックのやり方に関するもので、それについては今日のセッションの一番最後に取り上げてくれたが、そのやり方とポイントについて書き留めておきたい。この技は前回のセッションの中で取り上げられたのだが、そのやり方として少し曖昧な箇所があったので質問をした。その要諦としては、この技はプッシュステップと共に発動するのではなく、右足を一歩前に動かし、左足はその場に置いた状態で、両足が前に向かって動きたいという衝動を活用して一気に前進して——ここでプッシュステップのような動き、というよりもバーストステップのような動きが発動される——サイドキックを行うことである。右足に関しては、上足底の部分だけを地面に着けるのではなく、右足全体を地面に接地させ——まさに燃えている地面に足が着くかのように一瞬サッと接地させ——、サイドキックを放つことがポイントになる。蹴り技は自分が好んでいることもあり、そのポイントを教えてもらうといつも速やかに行える。ロビンさんもそれを感じてくれているようであり、いつも練習の大半は手技や防御法に時間が充てられる。そこからは、自分の今日のセッションに対する希望を聞かれた。自分としては、前回のテーマであった絶えず集中力を持って1つ1つの技を行うことを掲げた。そのテーマに沿う形で、今日もまた防御とカウンターの技の1番から始まった。今日も実感したのが、改めてジークンドーの技の1つ1つがとても奥深いことに驚かされる。音楽においては、ある作曲家の曲を何度練習しても新しい発見があるかのように汲み尽くせないものがあるのと同じく、ジークンドーの技も無限の奥深さを持っている。ロビンさんが述べていたように、すでにランク1とランク2の技を全て習い、技に関してはジークンドーはそれほど数が多いわけではなく、すでにここまでで大部分の技をカバーしている。重要なことは、ここからは1つ1つの技の精度をどこまで高めていけるかだと思う。それには終わりがなく、無限に磨き上げることができるのだが、それがまた武術の面白さだと思う。毎日自分1人で鍛錬していたは気づけないことをロビンさんとのセッションでは気づかせてもらえる。今日もそれを実感した次第である。細かな点についてはここからまた日記を分けて書き留めたいと思う。今は少し全体感として今日のセッションの感触をもう一度ここで味わっている。フローニンゲン:2022/6/26(日)19:17


8672. ジークンドートレーニング112:

筋力トレーニングと武術のトレーニングの折り合い/集中とリラックス


静かで涼しげな日曜日の夕方の世界をぼんやりと書斎の窓から眺めている。今日もまた、そして今週もまた巨大な充実感に包まれる形で終わりに向かっている。今日のロビンさんとのプレイベートセッションについて少し細かな点について振り返っておこう。そう言えば、ここ最近は武術的身体の邪魔にならない範囲で筋力を付けていくトレーニングを再開させた。以前は筋力の肥大化だけが目的になっていたように思うが、それは武術をする上では好ましくない身体が出来上がってしまうだけであり、筋力トレーニングと武術のトレーニングをどのように折り合いをつけていったらいいのかを考えいたところ、ちょうど今日その話題をロビンさんとした。ロビンさんも、武術においてボディビルダー的な筋力トレーニングは避けなければならないと述べていたが、同時にある程度の筋力を付ける自重トレーニングについてはそれほど否定していないようだった。もちろん理想的には、ジークンドーのトレーニングを通じて、技を繰り出すのに必要な筋力が自然と付いていくことである。ただし自分の場合は、毎日ジークンドーのトレーニングをしているが、負荷量は高くないので、それを補完する形での筋力トレーニングが必要かと最近思っていた。あくまでもジークンドーの鍛錬を通じて自然と筋力を付けていくことが主であり、筋力トレーニングはその補助という位置付けにしたい。ジークンドーのフットワークや蹴り技を練習していたら、下半身については十分過ぎるほどの筋力が付く。上半身のトレーニング、とりわけ胸や腕のトレーニングに絞って補助的に筋力トレーニングを週に2回ぐらい行うことが今のところ望ましそうだ。


今日のトレーニングの中でも、前回と同様に、集中力を切らさずにロビンさんからのカウンター攻撃を防ぐのが困難であった。ロビンさんは、自分の意識が虚になる瞬間を的確に見抜いていて、そのタイミングでカウンター攻撃を仕掛けてくるので、それが見事に当たってしまうことがたびたびあった。ロビンさんとのプライベートセッションは、対話を交えながら行うことが特徴的であり、技の練習の合間合間にポイントについて話し合ったり、質問をぶつけたりする時間があることが有り難い。対話型のセッションというのは、ひょっとしたらオランダの教育の本質的なものを体現しているのかもしれないと思う。過度な集中ではなく、適度な(最適な)集中力とリラックス状態の均衡状態でいることが理想的なのだが、その状態を絶えず維持できるようになるのは難しく、ここも日々の鍛錬がものを言う。ロビンさんからの日々の鍛錬の助言として、防御とカウンターの技の練習をする際に、目の前に実際に相手がいることをありありと想像しながら、1つ1つの技を集中力を持ってできる限り正確に繰り出していくようにすることと、その際に変化をつけて、スピードについてはゆっくり行ったり、素早く行ったりを織り交ぜてみることを勧められた。そして自分の場合は、1つの技を繰り出した直後に集中力がポッカリと抜ける傾向があるので、技を出した直後こそフットワークをして、その場に居着かないように訓練することを勧められた。これは早速明日からの稽古に取り入れたいと思う。フローニンゲン:2022/6/26(日)19:33


8673. ジークンドートレーニング113:ロビンさんとの雑談より/

自我に関する発見をもたらすジークンドーの鍛錬


ロビンさんとのプライベートセッションの雑談の中で、ロビンさんが毎年の誕生日の前後に休みを取って、オランダ国内で訪れたことのない街に行ってみるということをずっと行っているとのことだった。昨年は、この間自分が訪れた北ブラバント州のブレダに訪れたそうだった。この街は人口密度も低く、とても落ち着いていて良かったそうだ。改めて地図で調べてみると、先日訪れたアイントホーフェン、ロッテルダム、ベルギーのアントワープの3点を結んで作る三角形の重心に位置するのがブレダという街なのだと把握した。ロビンさんもこの街をお勧めしていたので、これも何かの縁かと思い、いつか足を運んでみようと思う。その他にも、自分が来月また旅行に出かけ、スウェーデンに行くことを伝えると、ロビンさんからお願い事を1つされた。何やらロビンさんは、世界の様々な言語で執筆されたブルース·リーの書籍をコレクションしているらしく、まだスウェーデン語のものがないとのことなので、もし時間があったら、スウェーデンの書店でなんでもいいのでブルース·リーの書籍を購入して来て欲しいとお願いされた。ロビンさんにはいつもお世話になっており、ロビンさんのコレクションの協力ができるのならこちらとしても嬉しい限りなので、マルメ、ヨーテボリ、ストックホルムのどこかの街でブルース·リーの書籍のスウェーデン語のものを求めようと思う。


今日のセッションでも感じたが、ジークンドーのトレーニングは、これまで自分が行って来た内面実践とは違う形で自我の姿を内省させてくれると感じる。ロビンさんはまるでサイコセラピストであるかのような洞察眼を持っているので、セッションの中で自分の自我がどのように現れ、どのように動いているのかをフィードバックしてくれるのは有り難い限りである。これはこれまで行って来たシャドーワークでは気づけない自我の側面に気づかせてくれる。ロビンさんとのセッションは、毎回本当に発見の宝庫である。それは単にジークンドーを行うマーシャルアーティストとしての自己に関する発見だけではなく、1人の人間としての自己発見が実に様々ある。いつもの3週間に1度のペースだと次回はちょうどスウェーデンに旅行中の期間と重なるので、次回は4週間後になるだろう。それまでに、今日フィードバックしてもらった点を絶えず念頭において稽古を続けていきたいと思う。ロビンさんとのセッションの1つ1つが、自分の人生の中での貴重な思い出になっていくことを感じながら、今日は少し早めに就寝しようかと思う。フローニンゲン:2022/6/26(日)19:50

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