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8470-8478: フローニンゲンからの便り 2022年5月24日(火)



No.3666 霊的模様_A Spiritual Pattern


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.1550, Life and Poem

Living is making a poem.

This world can be a gigantic volume of poems.

Groningen; 09:42, 5/24/2022


No.1551, Mutual Embrace

I embrace all others.

All others embrace me, too.

There is a mutual embrace in this world.

Groningen; 09:47, 5/24/2022

No.1552, Emptiness and Existence

I am emptiness.

Therefore, I am.

I am emptiness.

Therefore, I can exist.

Groningen; 11:56, 5/24/2022


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本日の3曲


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タイトル一覧

8470. 祭りについて

8471. 今朝方の夢

8472. 集中力を保った学習と実践/今朝方の夢の続き

8473. 高みに立つ内在性質/華厳的合一感

8474. 生の喜び/絶え間ない自己模倣と自己産出

8475. 全体直観と激情/幾何学に惹きつけられる自己

8476. 創造力の根幹にある想像力/導きに導かれながら

8477. 霊的な左翼と右翼/光の呼応

8478. 遥か遠くに連れて行ってくれる継続的な実践


8470. 祭りについて


時刻は午前7時を迎えた。ちょうど7時を迎えた瞬間に、1羽の小鳥が鳴き声を上げ始めた。その響きには可愛らしさがある。あのように美しい声でコミュニケーションができるなんて、小鳥たちは素敵である。今朝は空にうっすらとした雲がかかっていて、気温も低い。今日の日中は15度までしか気温が上がらない。そして、最低気温は10度を下回る。天気予報を見ると、ここから1週間はずっと同じような気温である。今日は午後に少し小雨が降るようだが、ジムに行ってジークンドーのトレーニングをし、サウナを楽しんでこようと思う。ジムに行くまでの時間は、いつものように学術探究と創作活動に打ち込む。昨日は、ジャック·エラルのテクノロジー神学に関する書籍を読んだ。その中で、速度学の提唱者であるポール·ヴィリリオについて何度も言及があり、ヴィリリオの書籍も近々再読していこうと思った。昨年大量に購入したテクノロジー関係の書籍が、今このようにして新たな眼を通して読まれるようになったことを嬉しく思う。マネー関係の書籍も同じであり、これからはテクノロジーとマネーについて緩やかに探究を続けていく。テクノロジーもマネーも身近にあり、さらには常に進化を遂げているので、関心の強い研究対象だ。


昨夜、ジークンドーの先生であるロビンさんからテクストメッセージが届いた。何やら、先週の土日で三社祭を祝ったかというものだった。英語で書かれたメッセージを読みながら、最初その祭りが何なのかわからなかった。三社祭というのはどうやら、浅草神社で行われるものらしく、そういえば以前ロビンさんが、七五三の時期に浅草神社を訪れた時の写真を見せてくれ、この神社に思い入れがあることを知った。だからこの神社の祭りについて尋ねて来たのだと思った。そうでもなければ、なぜこの祭りに参加したかを尋ねてくるはずはないのだ。しかし、祭りを祝うというのは実際のその神社に行ってみなければならず、オランダにいる自分には到底不可能なことなのだが、祭りを祝うという意味を誤解しているのだろうか。ひょっとしたら、自分こそが誤解しているのかもしれないという可能性もある。祭りは神社に行って祝うものという考えが自分にあるが、そのあたりは祭りとはなんぞやということを改めて調べてみる必要がある。神道関係の書籍を購入する中で、祭りに特化したものは購入しておらず、今後そのテーマの書籍を購入して、色々と勉強しなければならないと感じる。三社祭に祭りについて調べてみると、随分と歴史が古く、1312年から三社の神話に基づいて祭りが始められたそうだ。日本各地には実に様々な祭りがあり、それぞれの祭りには異なった発祥理由と意味があるため、興味をそそられる対象に思えて来た。ロビンさんからの何気ないメッセージをもとに、今後は祭りにも関心を持ってみようと思う。フローニンゲン:2022/5/24(火)07:15


8471. 今朝方の夢


朝のそよ風はとても優しげで、目の前の木々をそっと揺らしている。先ほど聞こえて来た小鳥の鳴き声はもう聞こえず、朝のお勤めを果たしたようだ。ここからまた別の小鳥の鳴き声が聞こえるかもしれず、夕方にも彼らの鳴き声が聞こえるであろうから、引き続きそれを楽しみにしたい。彼らの鳴き声は、瞑想の意識状態に誘ってくれる素晴らしいトリガーである。


今朝方の夢についていつものように振り返っておこう。夢の中で私は、福岡の駅の周辺にいた。時刻は夕方の時間であり、辺りは薄暗くなり始めていた。私は、大学時代のゼミの友人(TA)と一緒に、駅の周りを走っている変わったモノレールを眺めていた。すると突然、私たちの体はモノレールの中にあり、それに乗って駅の構内に入っていき、駅の構内で降りるのかと思ったらそうではなく、再び外に出て、駅の裏側で降りた。友人は福岡出身だったので、その変わったモノレールについても知っていて、最近の駅周辺の開発状況についても教えてくれた。何やら、そのモノレールは見た目こそ綺麗で斬新なのだが、利用客は少なく、不評とのことである。そして、駅の周りにある変わった形のモダンなホテルも利用客が少なく、経営が心配されるとのことだった。改めてモノレールから降りて、次のモノレールを見た時に、人がほとんど乗っておらず、乗車率が悪いことがわかった。そして、彼が言うホテルを眺めてみても、同様に利用客はほとんどいないであろうことが想像された。そのホテルは、外観は本当にお洒落なのだが、何か負のオーラを放っているように感じられたのである。物理的に日当たりも悪く、それが薄気味悪さを演出してもいた。友人の彼曰く、夜は特に薄気味悪く、ホテルの周りには暗闇で死角になる場所が数多くあるらしく、先日殺人事件が起きたとのことだった。そうした事件が何件かすでにあったらしく、亡くなった人の怨念のようなものがホテルの周辺に漂っているように思えたのである。そこから話は、福岡から大分に直通で行ける列車の話になった。この列車もまた人気がなく、車両全てを新しくしたにもかかわらず、利用客は老人たちだけとのことだった。その理由については謎のようであり、今からその列車に乗って大分に行ってみることによって、その謎を解明しようということになった。列車がプラットホームにやって来たところを見ると、確かに老人ばかりが乗っていたが、その老人の数も少なく、とても寂しい感じがした。いざ列車の中に乗り込もうとしたところで、夢の場面が変わった。


今朝方はその他にも、上記の夢の延長として、見慣れない旅館に宿泊している夢があった。そこでは見慣れない外国人たちと一緒に宿泊していて、一夜を過ごした。夜にはパーティーが行われ、私はそうした騒がしいパーティーが好きではなかったので、パーティーが行われる部屋から早々に抜け出し、布団が敷かれている部屋に行った。3つほどの大部屋がふすまで仕切られていたのだが、どの部屋にも若い女性しかおらず、私は一番奥の部屋に行って、自分の布団を見つけて寝ることにした。すると、私よりも先に横に寝ていた若い女性が、寝返りを打って自分の方に転がって来た。彼女を起こしては可哀想だと思い、そのままの状態で寝ることにし、朝目覚めた時には彼女はもうどこかに消えていた。この夢の中では、パーティーの中で炭酸飲料を一気飲みする大会のようなものが行われていたことを思い出す。自分の横にいたいかつい2人の若い外国人男性が私に話しかけて来て、一緒に大会に参加しようと誘って来たが、その誘いを断って、ちょうど大会が始まる直前に部屋から抜け出したことを覚えている。今日も印象的な夢を見ていたものだ。フローニンゲン:2022/5/24(火)07:33


8472. 集中力を保った学習と実践/今朝方の夢の続き


時刻は午前9時を迎え、小鳥たちが再び鳴き声を上げている。先ほど少しばかり雨が降って来たが、今は雨は止み、外の世界に明るさが感じられる。小雨が降る初夏のフローニンゲンの朝の風情を噛みしめながら、ゆったりとした朝の時間を楽しんでいる。


先ほど、朝の日課になっているELSAのアプリを用いた英語の発話能力の鍛錬を行なっていた。毎朝30ほど時間を取ってこのアプリを活用し、昼過ぎや夕方、そして夕食後と入浴前の合計5回ぐらいに分けてこのアプリを活用している。時には午前中にもう一度このアプリを使うこともある。小分けにして学習するというのは、他の学習領域においても行なっていることであり、この方法の良さは、1回1回の学習を集中力高く行えることである。集中していない状態でダラダラと学習していても仕方なく、ジークンドーの鍛錬でも大事にしているように、短い時間集中して取り組むことが学習効果を引き上げてくれる。これから箏の演奏を始めるに当たっても同じように、小分けして稽古に励みたいと思う。


昨日ふと、自分の専門領域に関する話をすることも1つの芸であることを思った。文章の執筆が芸になるのと同じく、人前で話をするというのもまた芸になるのだ。今後は、セミナーを行う機会や音声ファイルを作成する機会を大切にして、話をするという芸を磨く意識をより明確に持っていきたいと思う。文章の執筆と同じく、話をするという芸をこれから継続して磨いていこう。


朝の読書を始める前に、今朝方の夢の続きを思い出した。夢の中で私は、フローニンゲン大学時代に研究の指導をしてくださっていたサスキア·クネン教授が運営する博物館を訪れていた。ちょうどクネン教授が館長として受付にいて、入場料を払おうとしたら、この間、オットー·ラスキー博士にインタビューの仕事を自分がしたので、入場料はいらないと述べた。しかし、結局そのインタビューは途中で終わってしまい、最後まで完遂することができなかったことを伝えると、クネン教授はそれを思い出したようで、ニコリと笑った。私は通常の入場料を支払うと伝え、電子マネーで支払いを済ませて、博物館の中に入って行った。博物館の中は薄暗く、いくつかの特別展示があった。展示は時空間に関するものと、宇宙の進化に関するものがあった。それらの展示にはとても興味があったのだが、次に向かう場所があることを思い出したので、この博物館を足早に後にすることにした。博物館を出ると、そこで大学時代のゼミの友人数人と鉢合わせ、彼らとその場で立ち話をした。どうやら、彼らも急ぎの用事があるらしく、私たちは少し会話を楽しんだ後、お互いが向かうべき場所に向かって足早に立ち去った。フローニンゲン:2022/5/24(火)09:31


8473. 高みに立つ内在性質/華厳的合一感


およそ累々の精神的危機や実存的不安は、雑多な具体的思考や感情によって構築されているが、それらを乗り越える手段として、精神にはそれらの高みに立つという超越的な性質がある。それは、自分の内側で法則性を見出し、原理を紡ぎ出していく作用と言い換えることもできるだろう。そうした作用をもとにして、精神的危機や実存的不安を生み出している事象全体を俯瞰的に眺める境地に達した時、不思議と精神的危機や実存的不安は去っていく。それこそが、超越がもたらす治癒と変容なのだろう。今の自分には、精神的危機や実存的不安とまではいかないが、いくつか極めて重要な問いがある。しかしそれらはまだ明瞭な形になっておらず、自分の内側で悶々として存在している。それらはいつか明瞭な形を伴って現れ、それはまた超越されることによって、自己を新たな境地に運んでくれる。そのようなことを考えていると、形になっていくもの、形にしていくべきものは、自分の内側にある譲れない同一テーマであることに気づく。それは1つではなく、おそらくいくつか存在しているように思えるが、究極的には1つに一致する。内側にある大切なテーマを変奏曲的に形にしていくこと。それを通じて、自分の中で譲れない最大最重要のテーマがより明確な形となって現れるだろう。


朝から雨が断続的に降ったり止んだりを繰り返している。気温はとてもひんやりしていて、大変心地良い。そんな世界に寛ぎながら、朝の読書を進めている。


自己は他者の全てを包み、他者の全ては自己を包んでいるということ。それは華厳的な合一感であり、その感覚がやって来た。自分は今、目の前の自然に包まれていながらにして、自分がまたそれを包んでもいる。読書を通じて触れる他者の世界に自分は包まれていて、同時にそれを自分は包んでいる。こうした包摂関係が無限に見出されることを見た時に、上述の華厳的な包摂的合一感がやって来た。自己は絶えず世界を包んでいて、世界は自己を絶えず包んでいること。包まれの中に安らぐこと。この感覚があれば、実存的不安など雲散霧消していく。包摂の優しさ。その柔らかな感覚に包まれながら、今日もまた充実した1日を過ごしていこう。フローニンゲン:2022/5/24(火)10:27


8474. 生の喜び/絶え間ない自己模倣と自己産出


自分が自分であるという静かな余韻を楽しむこと、それこそが生きていることを楽しむことなのだ。自分の存在の明晰性を静かに感じる時、なんとも言えない喜びの感情が湧き上がってくる。それこそが、この世で生きているということに対する喜びなのだろう。その喜びは、静かでいて爆発的であり、爆発的であって静かだ。その二面性を持つのが生の喜びの本質である。


個としての生の喜びの感情から、誰かと分かち合うことによってもたらされる生の喜びについて意識が向かった。その際に、小説家の埴谷雄高氏が述べた、「誰もが詩人である社会」を思った。それは極めて理想的な社会像だが、無性に共感する自分がいることは確かだ。昨日の日記では、誰もが詩人かつ音楽家である社会の実現について書いていたように思う。分かち合うことの中に含まれる静謐な喜び。それを感じて生きることは、集合的な生の喜びを享受した生き方に他ならない。自己の存在を他者と分かち合い、他者の存在を自分の中に包摂していくこと。そうした共有と包摂とによって織り成される静かな喜びこそ、社会的な生き物である人間が本来大切にしなければならないことなのではないかと思う。社会が生み出すエンターテイメントを含め、見かけだけ派手な虚構の喜びではなく、静かな喜びを大切に生きたいものである。


自己は絶えず自己を模倣する形で、自己産出を続けていく。連続する自己模倣と自己産出が、自己を絶えず新たな存在にしていく。日々の創作活動は全て、そうした自己模倣と自己産出の運動を促す潤滑油である。それがなければ、自己は新たな存在に向かう歩みをやめてしまう。絶え間ない創作活動による絶え間ない自己模倣と自己産出。これからもそれを大切にしていき、そこにもまた生の喜びを見出す。自己は、模倣され、新たに産出される際にも喜びを感じるようだ。それは、生誕の喜びと言えるだろうか。また、新たな存在になることに対する喜びだと言えるだろうか。いずれにせよ、自己は今、種々の喜びで満たされている。フローニンゲン:2022/5/24(火)10:49


8475. 全体直観と激情/幾何学に惹きつけられる自己


小雨がぱらつき、それが心地良い小刻みなリズムの音を響かせている。先ほど、全体把握に関する超越性について書き留めていたように思う。そうした全体把握をするためには、全体直観が必要になるが、それはある意味とても熱い激情のような感情を伴わなければ生まれないものだということを思った。とりわけ自分の存在をかけた問いと向き合っている際には、そうした熱情がなければ、全体直観など生まれてこないと思ったのである。自己という存在はとても興味深い性質を持っている。こちらが激情を持って乾坤一擲に問いと向き合えば、天啓的全体直観を与えてくれるのである。もちろん、常にそれが起こるわけではないが、存在の熱情性の度合いが強ければ強いほどに、そうした全体直観がもたらされ、自己は事象全体の高みに上る。


三島由紀夫は、ある時期からボディビルディングに目覚め、肉体改造を図った。それと同じく、今の自分は武術的鍛錬によって、肉体と精神の改造を図っている。その効果はすでに現れ始めていて、自分の日々の行動や言動、そして表現にもその効果が如実に現れているのを確認する。こうした改造作業が進展すればするほどに、色々なものが自分の内側に到来する。先ほどは、大学レベルの幾何学への関心がやって来た。それは、音楽やデジタル絵画の制作にも繋がってくる事柄であり、神道のコスモロジーとも繋がってくる事柄である。大学レベルの幾何学に関するテキストを何か購入しようかという思いが突如やって来て、幾何学の探究をゆっくり進めていこうと思う自分がいる。幾何学を本気で修めようとするのであれば、大学レベルではなく、より基礎的なところから始めなければならないかもしれない。どこから着手するのが良いのか、色々と調べてみて、検討を重ねてみよう。これまで自分の内側では、幾何学模様がよく生成明滅していた。それが色や形を伴ってビジョンとして知覚されることがよくある。また、幾何学模様に関する画集や専門書をこれまでよく購入している事実がある。直近で言えば、半年前にベルリンを訪れた時に、イスラムの幾何学模様に関する専門書を美術館で購入していた。どうやら幾何学は自分を引きつける大切な何かを持っているらしい。その何かを知るためにも、幾何学の探究をゆっくりと進めていこう。フローニンゲン:2022/5/24(火)11:07


8476. 創造力の根幹にある想像力/導きに導かれながら


自らの創造力の根幹に、豊かな想像力の存在を見て取る。創造と想像は、見事な調和をなして、お互いを高め合っている。自分の創造力を支えるのは想像力であり、逆もまた然りである。いつも創造力について考えることが多く、そちらに関心が向かいがちだが、それだけではなく、想像力にも関心を向け、敬意を表する必要があるように思える。枯渇することない創造力の背後には、無限大に広がる想像力があったのだ。絶えず想像力を育み、豊かにしていくこと。それがこれから一生涯に渡って創造活動に営む際の原動力と根源力になる。


朝のコーヒーを飲む喜びと楽しみ。そんな喜びと楽しみに包まれながら、小鳥たちの鳴き声と箏曲を背景にして、好きな本を読み進める形で午前中の時間が進行していった。瞬間瞬間が喜びと楽しさの礫と化していて、至福さで輝いていた午前中の時間が終わりに近づき、そろそろ正午を迎えようとしている。午後もまた、瞬間瞬間が輝き、充実感で包まれた時間になるに違いない。午前中は断続的な雨に見舞われていたが、今は雨が止んでいて、再び小鳥たちが鳴き声を上げている。彼らの鳴き声に誘われる形で、午後はジムに出かけたいと思う。当初は、雨が降っていることもあってジムに行くのを悩んだが、この様子なら外に出かけられそうだし、小鳥たちの鳴き声がそれを後押ししてくれている。自己を超えた導きに自己を委ねること。小鳥たちの鳴き声もまたそうした大切な導きである。導きに導かれたその先に、また新しい導きが自分を手招きして待っている。自己は導かれる存在であり、絶え間なく導かれていく過程の中で自己を育んでいけば、いつか何かしらの手段で自己は他の存在を導く存在になるだろう。 フローニンゲン:2022/5/24(火)11:43


8477. 霊的な左翼と右翼/光の呼応


宗教や霊性を取り巻く最近のディスコースを眺めていると、聖なるものを見失い、世俗化が進む社会の中で、スピリチャルだが宗教的ではない在り方が生まれているようだ。それは新たな在り方として、また失われた霊的なものを回復させる意味でも重要な在り方かもしれないが、霊的なものと宗教的なものを果たして分離することができるのかという疑問が湧く。宗教的なものが内包されたスピリチャルなものは、ドグマ的なものに陥りやすく、劣悪な新興宗教的なものを生みやすいのかもしれない一方で、宗教的なものを内包しないスピリチャルなものは、結局のところ低俗で歪んだ霊性をもたらしかねない。正当な宗教的なものは、歴史と伝統に則っていて、歴史と伝統の力というのを見くびってはならないように思う。歴史と伝統に裏打ちされた実践は、私たちを大きく飛躍させてくれる内在的な力を持つ。歴史と伝統という数多くの人々が積み上げて来た見えない力が、私たちを跳躍させてくれることがあるのだ。真正の深い霊性に目覚めるというのは、おそらくそうした力がないと実現しないのではないかと思える。宗教的なものを認めず、それらを切り捨ててしまう態度は、霊的な左翼と言えるだろうか。一方で、ドグマ的なものに堕してしまう態度は、霊的な右翼と言えるだろうか。現代においてなされている宗教や霊性を取り巻くディスコースには、そうした偏りが見受けられる。


時刻は午後1時に近づこうとしており、先ほど降っていた雨が止み、再び明るさが辺りを包んでいる。この様子だと、これから仮眠を取って、午後にジムに行けそうである。地上に降り注ぐ光は眩く輝いていて、それに呼応する形で、書斎の窓から見える目の前の木々の葉が輝いている。光に呼応する存在。それもまた内実は光に他ならないのだ。木々の葉も光でできていて、そこに美しさを感じて呼応している自己の魂もまた光でできているのである。存在は全て、その本質には光がある。全ては光でできていて、世界は光の存在と運動によって成り立っている。 フローニンゲン:2022/5/24(火)12:59


8478. 遥か遠くに連れて行ってくれる継続的な実践


毎日の30分、20分、いや10分でもいい。そうした短い時間の継続的な実践が、私たちをどれほど遠くに連れて行ってくれることか。今、日々の生活の中で、短いながらも毎日必ず時間を取って行なっている実践がいくつかある。英語の発話能力の鍛錬然り、ジークンドーの鍛錬然り、作曲実践やデジタル絵画の創作然り、英文の詩作然りである。今後はそこに箏の鍛錬が加わる。それを受け入れることに大きな喜びを感じる。このように日々は、いくつかの規則正しい集中した実践によって形作られる。こうした生活を死守し、規則正しい実践によって自己を深めていくこと。そうすれば、気づかないうちに実践が積もり積もって閾値を超え、それは自分をまだ見ぬ高みに押し上げてくれるだろう。自分にできることは、小さく実践を積み重ねていくことなのだ。そして、想像を絶する形で遠くまで歩くことなのだ。自分が通りながらにして作ったその道が、いつか誰かの役に立ってくれれば、望外の喜びである。


そのようなことを書き留めた後に、ジムに行き、先ほど自宅に戻って来た。行き道には少しばかり断続的な雨に見舞われる瞬間があったが、傘を差すことはほとんどないほどの雨だった。今日もまた、上記で書き留めたように、集中力を高く保ったままジークンドーのトレーニングを行った。トレーニングの最中は無心になれるのがとても心地良い。頭の中の雑念が空っぽになり、無心で鏡と向き合ったり、サンドバックを叩いたりしていると、自我が浄化されるような気持ちになる。これは他の実践ではなかなか味わえない感覚である。そこに武術の鍛錬の醍醐味を見る。トレーニングを終え、サウナから出た頃には、空はすっかり晴れていて、自宅に戻るまでの道のりはとても気持ち良かった。今週末の日曜日にはロビンさんとのプライベートセッションがあり、それに向けて木曜日か金曜日にもう一度ジムに行ってトレーニングを行おうかと思う。金曜日も午後は天気が良いようなので、金曜日にジムに行くことを第一希望にしよう。フローニンゲン:2022/5/24(火)16:05

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