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8215-8223: フローニンゲンからの便り 2022年4月18日(日)



No.3552 無限の絡まり_Entanglement of Infinity


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.1443, A Veritas Seeker

I’m always seeking veritas.

Veritas at this moment and eternal or universal veritas are crucial for me.

I’m a veritas seeker.

Groningen; 08:26, 4/17/2022


No.1444, A Spiritual Drop

A spiritual drop is rippling gently.

Everything is in there with peace.

Groningen; 08:52, 4/17/2022

No.1445, Our Life

Our life begins from life and ends with death?

No, it’s not true.

Our life begins from life and ends with life.

It’s the truth.

Groningen; 10:48, 4/17/2022

No.1446, Time and Us

We pass in time.

No, we don’t.

Time passes in us.

Time manifests that way.

Groningen; 14:11, 4/17/2022

下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

8215. 身神一如/旅の前日の予定

8216. 奥伝を授かる夢/太陽神の化身となる夢

8217. 深い治癒が生まれる場所に関する夢/大量の書籍を受け取る夢

8218. 今日は復活祭、明日は復活祭の翌日だった

8219. キリスト教が深く浸透した土地で生活を続けて

8220. 生に始まり、生に終わる一生/真実を求めて

8221. イースターサンデーの嬉しい出来事

8222. ジークンドートレーニング97:今日のプライベートレッスンを振り返って/フックパンチの要諦

8223. ジークンドートレーニング98:いくつかのドリルとサイドストンプキック


8215. 身神一如/旅の前日の予定


時刻は午前6時半を迎えた。今、空に朝焼けが現れ始めた。ライトブルーの空の向こう側にオレンジ色の輝きを見る。今日は幸いにも雲ひとつない晴天に恵まれるようだ。今の気温は2度と低いが、日中は17度近くまで上がるらしい。


今日は午後3時から、ジークンドーのプライベートレッスンがある。天気が良いこともあって、道場に行くまでの道のりはきっと気持ちの良いものになるだろう。


いつものように、準備運動がてらジョギングをして道場に向かう。午後2時半過ぎに出発すれば、余裕を持って道場に到着でき、そこでもまた準備運動がてら体の様々な場所をほぐしておこうと思う。


ちょうど昨日、身と神は一つであるという「身神一如」の発想で身体を大切にし、身体から神的世界に参入し、神性に至る道について考えていた。ジークンドーのような武術のトレーニングはまさにその道にふさわしい。身体から神的世界に参入することの重要性を説き、その実践技法を紹介したのは川面凡児の大きな貢献であった。


いよいよ明日からはバルト三国旅行が始まる。旅行を通じて様々な土地に足を運び、その土地を歩き回ることになるが、これは土着神との出会いをもたらし、旅行によってほうぼうを歩き回ることもまた神的世界への参入のための大切な実践なのかもしれない。


幸いにも明日もまた雲ひとつない快晴に恵まれるようだ。ただし自宅を出発する朝の時間帯は気温がまだ低いようなので、ジャケットを羽織っていき、フローニンゲンの中央駅では温かいコーヒーを購入して列車に持って行こうと思う。


フライトの搭乗時間が正午前であることを考え、また空港のラウンジでゆっくりしたいこともあって、午前7時頃には自宅を出発しようと思う。ジークンドーのトレーニングから帰って来たら、自宅を出発する時間の確認と、リトアニアの首都ヴィリニュスの空港からホテルまでの地図を調べておこう。そして夕食後には荷造りを済ませておきたいと思う。


今回はバルト三国旅行ということもあって3つの国を訪れる。2国以上連続して足を運ぶ形での旅は珍しいことである。リトアニアから北上していく形で、各国の風土の違いを知ることができたら幸いである。今回の旅もまた、自分に大きな恵みをもたらしてくれるだろう。旅の経験が肥しとなり、自分はまた新たな境地を開いていく。フローニンゲン:2022/4/17(日)06:48


8216. 奥伝を授かる夢/太陽神の化身となる夢


時刻はゆっくりと午前7時に近づいている。朝焼けが依然として美しい。ここから朝日がより力強さを増してくるだろう。今日もまた、陽だまりのところで日光浴をしながら読書を楽しみたいと思う。


いつものように今朝方の夢について振り返っている。夢の中で私は、マーシャルアーツのトレーニングを誰かと行っていた。その誰かとは、そのマーシャルアーツの達人であり、年齢は相当いっているはずなのだが、見た目はとても若かった。不老不死とまでは言わないが、若さを保つための新仙術を会得しているような人物がトレーニング相手だった。


私はその人から、秘伝中の秘伝の技を授かった。それは通称、「奥伝」と呼ばれる一般には教えられない奥義であった。どうやら私はそれを受け継ぎ、しかるべき人にまた伝承することを宿命づけられているようだった。私はむしろそうした宿命に感謝をした。


というのも、そうした宿命もまた自分に固有のものであり、それがあってこその自分であり、それがあってこその自分の人生であると思ったからだ。そう思うと肩の力が抜け、適度な脱力状態となった。目の前にいる達人はそれを見て、奥義の伝授の準備が整ったと判断したようだった。


それ以外にも、太陽神に関する夢を見ていた。神道においては天照大神、仏教においては大日如来、古代エジプトにおいてはラー、古代ギリシャにおいてはアポロンと、世界の宗教や神話において、太陽神は多く見かける。


私が夢の中で聞いていた話は、そうした太陽神のそれぞれに関することではなく、それら全ての太陽神を包摂するより大きな太陽神についてだった。それは絶対的太陽神、ないしは究極的太陽神と呼ばれるもので、最初それについて聞いたとき、そのような存在がいることを知らなかったので驚いた。


しかし話をさらに聞いてみると、確かにそうした存在がいるという確信めいたものが芽生え始め、そこからも興味深く話を聞き続けた。一体自分は誰からその話を聞いていたのかというと、話をしてくれている人の姿は見えなかった。声だけが聞こえて来たのである。


そして驚いたことに、最終的にわかったことなのだが、自分に入れ替わり立ち替わり話しかけてくれていたのは、世界の様々な太陽神だったのだ。絶対的·究極的太陽神ではなく、それが生み出した多様な太陽神がなぜ私に話かけてきたかというと、絶対的·究極的太陽神はもう姿形などなく、人間と交流することもないぐらいに天高き存在であることと、自分もまた太陽神の化身としての役割を担うことが期待されているからだった。


最後まで話を聞き終えると、自分の体は太陽の暖かさに包まれ、太陽と一体となった感覚がやって来た。それを持って太陽神の化身となることの儀式が完了したようだったが、私はそこからも人間の姿をして人間のように振る舞いながら人間世界で生き、人間世界に貢献していこうと気持ちを新たにした。フローニンゲン:2022/4/17(日)07:04


8217. 深い治癒が生まれる場所に関する夢/大量の書籍を受け取る夢


木々の間から木漏れ日が放射されている。小鳥たちが歌を歌いながらダンスを楽しんでいる。


先ほど1羽の小鳥が地面に降りて来て、地上を探索していた。そのような様子を眺めながら、今朝方の夢の続きについて振り返っていた。


夢の中で私は、深い治癒を経験していた。眠りの世界のさらに奥には、深い治癒を実現する世界が広がっている。そこは母胎のように平穏な場所であり、究極的な治癒がなされる場所である。


そこでしばらくの時間を過ごし、深い治癒が実現した後に、気がつけばある教室の一番後ろの席に自分は座っていた。その教室はあまり見慣れない場所だったが、教室には小中学校時代の旧友ばかりがいた。


教室の雰囲気は和やかで、今教室では、中学校時代の数学を担当してくれた若い女性の先生の授業が行われているようだった。授業は一風変わっていて、先生は数学を単に教えるというよりも、英文詩を交えて教えていた。


英文詩の創作において数学が役に立ったり、その逆もまたしかりだった。すなわち、数学的問題解決や数学的能力の涵養に英文詩を学ぶことが役に立つとのことだった。私はその繋がりについては直感的にわかっていたので、先生の言うことがよくわかった。


先生が英文詩の作り方について説明するよりも先に自分は英文詩を作り始めた。ところがすぐに良い詩を思いつくことができず、これはもう少し時間をかけたほうがいいと思った。


すると、近くにいた女子が彼女自身はまだ詩を作っていないにもかかわらず、詩を今からすぐに発表するのはどうかと先生に提案した。私は少なくとも10分ほど時間が欲しかったので、もし今日の授業の中で英文詩を発表するのであれば、もう10分待って欲しいと先生に伝えた。


すると先生は、最初から今日生徒に発表してもらうことを考えていなかったようであり、英文詩の創作は今日の宿題として、次回のクラスで各々発表することになった。私はそれを聞いて一安心し、ゆっくりと時間をかけて納得のいく詩を作ることができると思った。


そこから数学の授業が本格的に始まるかと思いきや、先生は教卓に大量の書籍を積み上げた。そこには膨大な数の和書があった。よくよく見ると、それはこの間自分が注文していた書籍であり、先生は私の方を見て微笑み、私はすぐにそれらの書籍を受け取った。


席に戻って再び座ると、先生がまたしても大量の洋書を教卓の上に積み上げた。今度の洋書は先ほどの和書よりも量が多かった。そしてまたしてもそれらの書籍は自分がこの間注文していたものだったので驚いた。


そこにはスペイン語、フランス語、ラテン語の辞書なども混じっていて、その他にも研究で必要な書籍で目白押しだった。先生はまたしても無言で微笑み、私は照れ笑いを浮かべながら教卓のところまで行って大量の書籍を受け取った。


教室にいた生徒たちは、私があまりにも大量の書籍を購入し、それをこれから読もうとしていることに目を丸くしていたが、自分にとってはこれくらいの書籍を読むことは当たり前のことだと思っていたので、逆に彼が驚いていることに驚いた。そして、彼らはきっと学術研究に資する読書の習慣がないのだとも悟った。フローニンゲン:2022/4/17(日)07:21


8218. 今日は復活祭、明日は復活祭の翌日だった


午後のジークンドーのプライベートレッスンを終えてからにしようと思っていたが、善は急げということで、明日の旅行における地図を色々とダウンロードしておいた。端的には、早めに調べておいて良かったと思う。


と言うのも、自分は世の中の時間の流れとは違った形で生きていることもあり、祝日には一切関心がなく、今日はキリスト教における復活祭の日(イースターサンデー)であり、明日は復活祭の翌日の祝日(イースターマンデー)であることを先ほど知ったからである。


イースターマンデーは祝日であり、それによって公共交通機関に多少なりとも影響が出ていた。フローニンゲン中央駅からスキポール空港までの列車は問題なかったが、自宅近くのフローニンゲン北駅から中央駅までの列車がその影響を受けていた。


なんと午前中の時間には一切の運行が停止しているようであり、結局、自宅から歩いて中央駅まで行くことになった。自宅から中央駅までは歩いて30分弱かかるが、早朝の良い運動になるだろう。


幸いにも明日もまた雲ひとつない晴天に恵まれるので、ひんやりとした朝のフローニンゲンの街をゆっくり散歩して駅に向かおうと思う。調べてみると、イースターマンデーでも駅の中のカフェは通常通りやっているようなので、列車に乗る前にそこでコーヒーを購入して少し寛ぎ、列車に乗車したい。


自宅からスキポール空港までの時間を調べたついでに、明日訪れるヴィリニュスについても調べた。空港から宿泊先のホテルまではバスで行くのが一番良いようであり、バスの時間を調べた。


明日は、スキポール空港からヘルシンキ空港を経由して、ヴィリニュス空港に到着する。乗り換えの時間が1時間ぐらいあるので、搭乗時間が始まるまでの30分ぐらいはラウンジで寛ぐことができるだろう。


早めに調べたことによって今日がイースターサンデーということを知り、祝日であるにもかかわらず、ロビンさんが今日プライベートレッスンをしてくれることを有り難く思う。オランダの人がどのようにこの日を祝っているのかについて少しロビンさんに尋ねてみよう。フローニンゲン:2022/4/17(日)09:17


8219. キリスト教が深く浸透した土地で生活を続けて


今日は復活祭だ。復活祭の日曜日は、普段の日曜日にもまして平穏さで満たされているように感じる。小鳥たちもそれを知ってのことか、いつもよりも祝福の歌を歌ってくれている。


先ほど、隣人のサハルと彼の息子のフィンがグリーンハウスにやって来て、植物に水を上げていた。植物は春の到来と共に成長を始め、小さなフィンもまたこの1年間で確かに成長している。


さて自分はどうだろう。自分もまたこの1年間において、目には見えない着実な成長を遂げたに違いない。それは自分を定義づけるものそれ自体の変容を伴うものであり、必然的に自己に対する認識も世界に対する認識もこれまでとはまた違ったものとなっている。


目に映る景色もまたこれまでとは違う。それが変貌の証である。内外を捉える眼そのものが変貌を遂げていくというのは真の変容である。


今自分が生活しているヨーロッパという土地が、深く浸透したキリスト教によって支えられていることが経験を通じて徐々にわかってくる。この土地においては、キリスト教という宗教体系が水であり、養分なのだ。その働きを通じて様々なものがこの土地に芽吹いていることがわかってくる。


こうしたことがわかるためにはこの土地で長く根を下ろして生活をする必要があった。自分の場合は果たしてどこまで根を下ろしているのかは疑問だが、それでもこの土地で丸6年間を過ごしたことによって、随分と色々なものがわかり始めている。


アメリカでの4年間の生活を加えると、キリスト教が浸透した土壌で10年間生きて来たのだ。おそらくそれが自分に強く作用して、昨年はプロテスタント神学の探究に向かった。そして今となっては、神道への関心が勃発したのである。それは自分にとって然るべくして起こったのだと思う。


先ほどふと、来年仮にアメリカの神学大学院に進学することになったら、オランダでの生活は今年で最後なので、オランダを離れる前にオランダ国内を旅してみるのも悪くないと思った。


オランダにはまだまだ未踏の場所があり、そうした場所が自分を呼び始めている。その呼びかけに応じることによって、オランダという国が自分にとってまた大切な意味を与えてくれるように思えてくる。そんな予感と展望が開けた瞬間を先ほど経験した。


こうした直感は、ある意味啓示的なものであり、それに身を任せるのが最良の選択であることを経験的に知っている。明日からのバルト三国もまたそうした形で実現したのだ。


そこでの新たな出会いを通じて、自分はまたさらに自己を深め、まだ見ぬ境地にゆっくりと向かっていくだろう。自分の内側と外側には実に様々な土壌があり、自分はそれらの土壌を行き来し、自己の本質的な唯一無二の土壌を深めていく。フローニンゲン:2022/4/17(日)10:40


8220. 生に始まり、生に終わる一生/真実を求めて


自分の生も自分の死も、自分という唯一無二の存在が経験する唯一の経験であるということを多くの人は忘れてはいやしないだろうか。この現代社会で生きていると、自分もまたそれを忘れてしまいそうになる。それを見失ってしまうと、結局自分という1人の存在の大切さまでもを見失ってしまうのではないかと危惧する。


結局のところ死というのは、その瞬間においては自分は物理的·肉体的世界から離れてしまうので、真の意味でそれを経験するということはできないのかもしれない。だが生に関しては、それは常に今この瞬間において生起し続けているものであり、少なくとも自らの唯一無二の固有の生を見つめることから出発しなければならないように思う。


きっと全てはそこから始まり、結局最後はそこに行き着くのだ。ひょっとしたらその意味においては死というのもはひょっとすると存在せず、生に始まり、生に終わるというのが私たちの一生なのかもしれない。それは1つの真実なのかもしれない。


今朝方、真実を求めている自分の存在に想いを馳せていた。常にその瞬間の真実と、より悠久の普遍的な真実を絶えず求めている自分がいる。自分の研究と実践はそれに連なっている。むしろそれに繋がらないものは、自分にとっては研究対象にも実践対象にもなり得ない。それほどまでに「真実(veritas)」というものが自分にとって大事なのだ。


この世界は、自己に関する真実も、社会に関する真実も、尽く巧妙に隠蔽されている。そうした隠蔽のベールを剥ぎ取って、真実を明るみに出すことが自分の役割の1つに思える。少なくとも自分の真実に対しては誠実になり、実直にそれを求めていく。


気がつけば、午前11時を迎えようとしている。太陽の位置も随分と高くなり、太陽光が燦然とフローニンゲンに降り注いでいる。その光の強さと優しさは、まるで復活祭を祝福しているかのようだ。


森有正先生はデカルトとパスカルの研究を通じて、自己を開き、そして深めていった。ここからの自分は、古神道家の川面凡児の研究を通じて同様のことを行い、自己発見と自己涵養の双方が実現されるだろう。


バルト三国旅行から帰って来てしばらくすると、川面凡児の全集が届く。それと真摯に向き合うことを通じて、自分はまた大きな変貌を遂げるだろう。フローニンゲン:2022/4/17(日)10:56

8221. イースターサンデーの嬉しい出来事


時刻は午後5時を迎えた。今日もまた天気がすこぶる良く、午後の太陽が燦然と輝いている。それは夕方の太陽と言うにはまだ早いぐらいに力強い光を放っている。


人との縁に恵まれているという感覚が自分の内側に走っている。今日のロビンさんとのジークンドーのプライベートレッスンでも改めてそれを感じたし、つい先ほどレッスンを終えて自宅に帰って来たときに、隣人のサハルと彼の息子のフィンと話をしていてもそれを感じた。


今日はイースターサンデーであることを早朝の日記で言及していた。午後2時半に自宅を出発して道場に向かおうとしたときに、あることが起こった。自宅の扉を開けてみると、地面に何やら卵の形をしたものがいくつか置かれていたのである。


よくよくそれを見ると、卵の形をしたチョコレートだった。はて誰がこれをおいたのかと考えてみたときに、隣人のサハルの息子のフィンの顔がすぐに思いついた。


今日がイースターサンデーであることは今朝方調べてわかったが、その祝い方については知っておらず、おそらく卵は復活祭に関係のあることなのだと直感的に理解した。すぐにサハルにテキストメッセージを送ったところ、やはりフィンがそれを私にプレゼントしてくれたようだった。


ちょうど道場から帰って来たときにサハルとフィンが近所の公園から帰って来たところだったので、そこで卵の形をしたチョコレートのお礼を伝えた。今、そのチョコレートが口の中に入っていて、その甘さを味わっている。


普段は人工的な砂糖が入った食べ物を一切口にしないのだが、フィンからの贈り物ということもあって口にしてみると、ジークンドーのトレーニングの疲れを癒すかのごとく、チョコレートの甘さがとても心地良い。フィンは私に、ブラックチョコレートとホワイトチョコレートの両方をくれて、どちらもとても美味しく味わっている。


詳しいことは聞いていないが、サハルはフィンを父親1人で育てている。サハルは私よりも少し年上なのだが、サハルとフィンのやり取りを見ていて、彼はつくづく良い父親だと思う。


フィンはきっと立派に育つでろう。不思議なことにそれがもうわかるのだ。もちろん、人には何が起こるかわからないし、人生には様々な分岐点がある。だが、その人が立派な人間になるかどうかはもう幼少期のあり方を見ていたらわかるような気がするのだ。


サハルがそもそも立派な人間であり、以前サハルのお母さんと話したときには、彼女もまた尊敬するべき立派な人間だと思った。このあたりも何か受け継がれていくものがあるのだろう。


話をロビンさんとのトレーニングに戻すと、ロビンさんはオランダ人であるがキリスト教を信奉しておらず、どちらかというと道教や神道に共感するものがあるらしい。仏教に関しては、生まれ変わりの概念があまり共感できないそうであるが、フローニンゲンの西にあるフリースランドには立派なストゥーパがあるらしく、そこに訪れることを勧めてくれた。あるいはいつか一緒にそこに行こうという話も出た。


ロビンさんの口から神道という言葉が出たとき、私は嬉しくなった。というのもここ最近は神道の研究に熱を入れていたからである。そこからはしばらく神道の話をし、帰り際には、ロビンさんは生まれ変わりの概念をあまり信じてはいないが、前世は日本人だったのかもしれないという話をしてくれた。


ロビンさんは幼少の頃、アムステルダムにある日本のグッズショップの2階で兜や刀を見て突然理由のわからない涙を流したという話をしてくれたのである。店員の男性がその様子を見て、ロビンさんの前世は日本人だったに違いないということを述べ、そこから40年以上経ち、ロビンさんも確かにそうかもしれないと思っているようだった。


私はその話を聞いて、日本人である自分と出会ったのもきっと前世からもたらされた縁なのではないかと述べた。するとロビンさんは笑顔で頷いて、「そうかもしれないね」と述べた。また次回のセッションで会うことを楽しみにしながらそこで別れた。フローニンゲン:2022/4/17(日)17:19


8222. ジークンドートレーニング97:今日のプライベートレッスンを振り返って/

フックパンチの要諦


復活祭を祝ってのフィンからのプレゼントである卵形の小さなチョコレートを全部平らげてしまった。夕食前であるが、先ほどまでジークンドーのレッスンがあって体を動かしていたこともあり、ちょうどいいおやつになった。フィンには改めて感謝している。


フィンはまだ4歳ぐらいなのだが、先ほど出会ったときに、「フィン、イースターについて教えてよ」と質問してみた。イースターが何かを説明するのはフィンにとっては難しいことはわかっていたが、隣にいた父親のサハルが見事なスキャフォールディングとなる言葉を与えることによって、フィンは私に一生懸命イースターについて説明してくれた。


その姿はとても微笑ましく、可愛らしいものであった。同時に、このやり取りの中に人間の成長の本質を改めてみたように思った。この微笑ましいやり取りはその本質を維持しながら、形を変えて、今日のロビンさんとのトレーニングでも見られたことである。


ロビンさんは絶えず様々な形でスキャフォールディングを与えてくれ、自分の技を磨く支援をしてくれる。ジークンドーという性質上、言葉だけではなく、身体動作を通じてのスキャフォールディングがあり、それらの効能を今日も実感していた。


毎回のセッションを通じて成長実感が得られるのは本当に貴重なことだ。多くの課題が露呈することも含め、確かな成長がいつもある。


さて、今日のトレーニングで学んだことをここから振り返っておきたい。今日はまず、接触法である防御とカウンターの21個の技を全て復習した。毎回、前回習ったことの復習から始まるのだが、いつもここで新しい発見があることに驚く。


さすがにこの21個の技は毎日ずっと行なって来たので、もう新しい発見はないかと思っていたが、そんなことは全くなく、むしろ自分の技が磨かれていけばいくほどに新しい発見があるものなのだ。新たな発見がないというのは惰性でその練習をしているか、自分の進歩が停滞していることの現れだと思った方がいいだろう。


これは学術研究においても言えるだろうし、創作活動全般にも当てはまる。これから始める箏の演奏にも当てはまることである。


接触法の練習を終えた後に、今日はフックパンチを改めて習った。以前簡単にこの技に触れたことがあったが、今日は正式にそれを習った。フックパンチにおいては、今のところ3つのことを特に意識しようと思った。


1つ目は、拳を対象に当てる角度だ。完全に縦拳や横拳で対象に当てると手首への衝撃が強く、その形はあまりよろしくない。理想的な角度は45度ぐらいの拳の角度で対象に当てるのが良い。


2つ目は、フックパンチの際にはその前に左のリアクロスなどのコンビネーションを伴うのだが、例えばリアクロスを打った後、その腕を引き戻してからフックパンチを打つのではなく、引き戻すのと同時にフックパンチを打つことが重要だ。


このときに、ロビンさんが非常に興味深い右肘の動きを見せてくれた。脇を上げるのではなく、右肘を少し回転させるようにしてフックパンチを繰り出すこの動きは最大のコツかもしれない。この動きはとても微細な動きなので、ロビンさんの動きを見るだけではなく、横についてもらって自分の右肘をロビンさんに回してもらうことによって体に記憶させることに努めた。


そして3つ目のポイントもまた重要なものだった。これまで自宅で右のジャブ、左のジャブ、そして右のフックパンチのコンビネーションを練習する際に盲点になっていたのだが、その場に立ち止まって右のフックパンチを繰り出すのは現実的ではない。というのもフックパンチは距離が短い技であり、その場に立ち止まってそれを繰り出すと、相手が顔を前に出してくれない限りは空を切ってしまうのだ。


そこで重要になるのは、フックパンチの前には相手に向かってステップインすることが重要になる。このステップインをして初めてフックパンチが相手に当たるのである。ロビンさんがセッション後におまけで教えてくれたこととしては、コンビネーションをうまく使うことによって、ステップインをするリスクが激減する。それは大変興味深いものであり、その技を見せてもらったことによってそのイメージが今も脳内にあり、そのイメージを忘れないように、これからのトレーニングで取り入れていきたいと思う。フローニンゲン:2022/4/17(日)17:39


8223. ジークンドートレーニング98:いくつかのドリルとサイドストンプキック


さて、この日記を書いたら夕食の準備をしようと思う。ロビンさんとのプライベートレッスンを終えて、自宅に帰って来たら入浴を先にしようと思ったりもしたが、レッスンを振り返ることなく入浴するのが惜しいように思えたので、入浴はいつも通り寝る前にする。今夜もぐっすり眠れそうであり、明日の旅に向けて弾みがつきそうである。


今日のセッションではフックパンチに結構な時間を充てた。単にフックパンチ1つを取り上げて練習するのではなく、ロビンさんはいつも色々なコンビネーションを教えてくれたり、実践においてそれをどのように活用することができるのかという現実性を非常に重視するのでタメになる。


ある技を1つだけ取り出してそれを無菌状態で行うというのは応用性を欠く。無菌の実験室の中で現実性を無視してトレーニングをしていては何の意味もないのだ。特にジークンドーのような実践的な護身術を学ぶ際には、特にそのことが重要になる。


ロビンさんのレッスンは実践的すぎるぐらいに実践であり、それにとても感謝する。ジークンドーをファッションのように練習している人もいるだろうが、自分の場合はそうではなく、絶えず実践を意識した形での稽古にこれからも励みたいと思う。その点で言えば、自分はロビンさんという本当に良い師に恵まれた。


そこから次に習ったのは、ランク2の表に載っていないものだった。ロビンさんはそれを「パクサオドリル」「バックフィストドリル」と呼んでいた。まず前者に関して言えば、こちらが攻撃を仕掛け、それを相手に防がれたとする。そこで相手の防御した手をパクサオで払うことによって攻撃のスペースを作り、すかさず次の攻撃を仕掛けるというものだ。


この時の攻撃は主にバックフィストを繰り出す形で練習した。もちろんどんな技を仕掛けるかは状況によるが、まずはそのような形式で練習をした。仮にパクサオをした後の攻撃もまた相手に防がれたら、同様に再びパクサオをして相手の防御の手を払い、第3次の攻撃に入る。現実的にはここでもう相手を制しているだろうが、仮にそこでもまだ攻撃を防がれたら、パクサオから第4次の攻撃を繰り出していく。


その次に練習したのはバックフィストドリルである。これはパートナーと向き合って、相手の攻撃をまずはピンダウンして——相手の拳を下に払い抑えて——防ぎ、右手でバックフィストを繰り出す。そのバックフィストを相手がピンダウンしてこちらにバックフィストを繰り出し、こちらはそれをまたピンダウンして防いでバックフィストを繰り出すという練習である。


これを続けていく中でときに不意をついてロビンさんが右のフックパンチを繰り出し、それをこちらは左のタンサオで防ぐということを行なっていった。単に同じ動作を反復していても技の向上には繋がらず、こうした不意を突く動きに対処しながら、正しい動きを体に覚えさせていくことが重要だと改めて思った。


そして今日は最後に、サイドストンプキックを習った。これは以前習ったオブリークキックと用途は似ていて、相手の攻撃をカウンター的に防ぐ技だ。これは相手との距離とタイミングが特に重要であり、体のアライメントも真っ直ぐにすることが重要になる。


今日のレッスンも録画しているので、本日習った技はその動画を見ながら何度も練習を重ねていこうと思う。明日からのバルト三国旅行の最中にもその動画を見て練習をしていきたい。フローニンゲン:2022/4/17(日)17:59

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