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8198-8201: フローニンゲンからの便り 2022年4月14日(水)



No.3530 霊的なハープ_A Spiritual Harp


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.1427, Change and Being

Being is change.

Being is possibility.

Groningen; 10:41, 4/13/2022

No.1428, Unconditionality

True peace and grace are always unconditional.

Unconditionality is the essence of divinity.

Groningen; 10:48, 4/13/2022


No.1429, Unconditional Prayer

Only unconditional prayer comes true.

Conditional prayer is the dark sky which shadows the world.

Groningen; 11:00, 4/13/2022


No.1430, Time

Time is not straight.

It is round to me.

Groningen; 11:08, 4/13/2022

下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

8198. 忍術と呪術に関する夢

8199. 霊媒としての自己と自動書記

8200. ELSAにハマって/箏曲の作曲に向けて

8201. ジークンドートレーニング96:フットワークという自己表現


8198. 忍術と呪術に関する夢


時刻は午前6時に近づいてきている。今、小鳥たちが鳴き声を上げ始め、それが朝の静謐な世界に染み渡っている。


昨日は随分と気温が上がっていて、今日もその流れで比較的気温が高い。昨日ほどまではいかないが、それでも日中は暖かさを感じられるだろう。朝に関しては依然として気温が低く、今もまだ湯たんぽを使っている。


週間予報を見ると、バルト三国に行く来週の月曜日も晴天のようだ。ここから月曜日までは雨の日は一切なく、軒並み晴れマークが付されている。まるで旅の出発に向けて祝福を受けているかのようだ。


種類の異なる小鳥たちが奏でる合唱に耳を傾けながら、今朝方の夢を振り返っておこう。今朝方は夢の中で、森の中にいた。そこは普通の森ではなく、昔何かのアニメで見た森だった。アニメの中では確かそこで戦闘が行われていたが、夢の中の森は平穏であり、戦闘が起こるような雰囲気はなかった。


森を歩いてしばらくすると、そのアニメが忍術をテーマにしたものであることを思い出し、すると自分もいくつかの忍術が使えるようになっていた。その中でも私は、自分の足跡を消して移動する術を使った。それに加えて、普通の何倍もの速度で走れる術も使った。


森を駆け抜けると広大な平地が開けた。見ると、遠くに数人の人影が見えた。私はさっと身を潜め、彼らが何者かを確かめた。しばらく息を飲んで彼らの様子を窺っていると、どうやら彼らは悪者ではないようであり、彼らの前に堂々と姿を晒そうと思った。物陰から出て行ったとき、太陽の光が自分に降り注いできて、とても温かな気持ちになった。そこで夢の場面が変わった。


次の夢のまた何かのアニメに影響を受けているようだった。そちらのアニメは魔術あるいは呪術ををテーマにしているようだった。今度は薄暗い部屋の中にいて、部屋の地面には魔法陣が描かれており、とても不気味な雰囲気だった。


魔法陣の周りを取り囲むように蝋燭が置かれており、その炎を見ていると変性意識に誘われた。すると、自分の内側に眠っていた呪術の力が目覚め始め、自分が想像した呪術であればいかなるものでも発動できる気がした。


自分の内側にはどうやら呪術に関する大きな才能があったようであり、それが完全に目覚めたようだった。その呪術をどのように活用するかは完全に自分の心に委ねられていて、術者としての自分のさらなる成長と精進が求められると思った。今朝方はそのような夢を見ていた。


どちらも興味深い夢であることは間違いなく、妖術を含め、忍術や呪術というのは神道の観点からも探究を進めている分野なので、そうした密かな関心が夢の中で形となって現れたのかもしれない。夢もまたそうした術のなせる技なのかもしれないとふと思う。フローニンゲン:2022/4/13(水)06:06


8199. 霊媒としての自己と自動書記


今、空がダークブルーに変わり始めた。引き続き小鳥たちが喜びの歌を歌っている。


毎日様々な時間帯に様々なことを思いのままに日記に綴っているが、それは自動書記的なものに思えてくる。何かが自分に降ってきて、それが言葉の形になることを望んでいるようなのだ。それは言霊を司る霊的なものと言えるかもしれない。


そうした存在は本来、この世に遍満しているのだが、それが自分のもとに集まってきて、自分を通して言葉の形になろうとしているように感じられる。自分はある種の霊媒として、それを言葉の形にしていくだけである。それもまた自分の大切な役割であり、引き続きそれを全うしていこう。


自動書記的な形で自分は日記を書き留めているが、それを書物にしていった過去の偉人たちがいる。例えば、吉田神道の創始者でもある吉田兼倶もまた神憑り的な形で吉田神道の骨格となる経典を書いた。


吉田兼倶は偽書の作成についてよく指摘されるが、一連の著作物は偽書というよりも、神憑り的な創造的著作物だとみなせるのではないかと思う。確かに兼倶は自らの著書による権威づけを通じて吉田神道の格を上げていったが、自分が書いた書物を1日に100回ほど読誦し、生涯に100万回以上読誦するというのは狂気の沙汰であり、偽書と知っていたらそのようなことはなかなかできるものではないように思える。


やはり霊的な神憑り状態を通じて、天の言葉を聞いたという感覚が兼倶の中にあったのではないだろうか。それゆえに、そのような形で言葉にした自らの書物に自分自身が価値を見出し、100万回以上も繰り返し読むという行為につながったのではないかと思う。こうした神憑り的な書物の執筆は、ヘレナ·ブラヴァツキーや出口なおにも見られることが興味深い。その他にも例を挙げたらキリがないぐらいだ。


神道家に限って言えば、吉田兼倶にはそのような神秘体験があり、それは今自分が注目をしている川面凡児にもあった。神道の神秘主義的な側面は、自分の中でも最重要のものである。むしろ神秘主義的な要素のない宗教など宗教たり得ないのではないかと思う。


神秘主義的な側面の神道、すなわち裏神道的な思想と実践については旺盛に探究を進めていこう。顕教的な表神道的な側面よりも、むしろそうした側面の方が自分の研究対象である。自らの種々の超越体験を咀嚼していくためにもそうした研究は重要性を持つ。フローニンゲン:2022/4/13(水)06:21


8200. ELSAにハマって/箏曲の作曲に向けて


時刻は午前10時半に近づいてきている。先ほどまで神道史に関する和書を読み進めており、その再読が終わったので、これからフリッチョフ·シュオンの詩集を読もうと思う。その詩集からは詩に関する着想を含めて、大いに霊感を得るだろう。


ここ最近は英会話アプリの「ELSA」にハマっていて、夕食後の時間や浴槽に湯を張る時間だけではなく、1日の中の隙間時間を使ってこのアプリを使ってスピーキング能力の向上に努めている。今朝方も時間帯を分けて2回ほどアプリを用いて楽しみながら発話能力の向上に努めていた。


幸いにもELSAには膨大な量のコンテンツがあるので、これからも長くこのアプリと付き合っていくことができそうだ。夕方にもまたどこかのタイミングでこのアプリを使うかもしれない。


早朝にふと、メロディーが美しいモーツァルトの曲やウェバーンの曲も参考にしながら箏曲を作っていこうと思った。今はバッハの曲を集中的に参考にしながら作曲実践をしているが、メロディーが美しいモーツァルトやウェバーンの曲もどこかのタイミングで参考にしたいという思いがある。箏曲の作曲技法に関する書籍はほとんどないようなので、箏曲の作曲については独自に探究をしていく必要があるだろう。その時に、過去の偉大な箏曲の作曲家の楽譜が大いに参考になるだろう。


八橋検校にまで遡ることはもちろん重要であり、現代においては宮城道雄の曲を参考にすることが大切だろう。宮城道雄がどのように西洋音楽の要素を邦楽に取り入れたのかを研究してみよう。また個人的には、盲目だった彼の特殊な感性についても関心があり、それがどのように彼の生み出した曲に体現されているのかも研究してみたいと思う。


今はとにかく様々な領域で関心があることが増えてきており、毎日充実した探究生活を送ることができている。これから紐解くシュオンの刺繍も重要な探究の一環である。フローニンゲン:2022/4/13(水)10:33


8201. ジークンドートレーニング96:フットワークという自己表現


時刻は午後4時半を迎えた。つい今し方、今日のジークンドーの鍛錬を終えた。


ここ最近はジムでも自宅でも、短い時間に集中して鍛錬に取り組むことができている。それによって質の高い稽古が実現され、集中力が切れた状態で行うと身についてしまいやすい悪癖の付着防止になっている。今日の稽古の前に近所のコピー屋に行き、エコロジーと宗教に関する書籍を受け取った。これは後ほど初読をしたいと思う。


今日のトレーニングでは、フットワークに焦点を当てて稽古をした。フットワークは本当に基本的なステップの組み合わせが物をいい、同時にそこに術者の自己表現が結晶化されるとも言える。自分はまだまだ基本的なステップを1つ1つ学んでいる最中であるが、それらを少しずつ組み合わせ、1つの流れるようなフットワークを実現させていきたいと思う。


明日もまたフットワークに焦点を当てて練習をしていきたい。とにかく自宅でトレーニングをする時には、もちろんロビンさんから習った手技や足技も練習をしていくが、フットワークにとりわけ力を入れていくようにする。


ジムでのトレーニングでも同じであり、その際には鏡を見ながら自分の動きを確認できる良さがある。箏の演奏も自分の中では大事な芸術表現になると思うが、ジークンドーもまた身体を使った大切な自己表現の実践である。


今はとにかく学術研究以外にもこの2つの楽しみがある。箏の演奏についてはまだ始めていないが、もう頭の中では実践を始めていて、それが楽しみの1つに加わっている。


午前中にフリッチョフ·シュオンの詩集を読んでいると、心が本当に癒された。優れた詩集は心に潤いを持たせてくれるのだとつくづく思う。また優れた詩集は、魂に必要な養分をもたらしてくれる。


シュオンの詩はいずれも、神聖と神性への讃歌のように響き、自分の魂はその歌に乗せて踊りを踊っていた。密な霊性が体現された詩集はこれからも折を見て読んでいこうと思う。フローニンゲン:2022/4/13(水)16:31

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