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8192-8197: フローニンゲンからの便り 2022年4月13日(火)



No.3522 金剛界曼荼羅_The Adamantine Mandala


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.1424, Mellowness

This moment is mellow.

The air is mellow.

Everything merges into mellowness.

Groningen; 06:23, 4/12/2022


No.1425, A Dream

A dream becomes the way of the god.

It is an eternal way.

Eternity manifests itself in any dreams.

Groningen; 10:48, 4/12/2022


No.1426, Inner Voices

I can hear my inner voices very well now.

Probably because my mind is calm and transparent.

My inner voices are fruitful spiritual seeds.

Groningen; 15:37, 4/12/2022

下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

8192. 祝福を感じる朝に

8193. 箏が現れる夢

8194. 異端の美に惹かれて

8195. 神道の特色/内側の神道的なもの

8196. ジークンドートレーニング95:ランク2の技に慣れてきて

8197. 基本の大切さ


8192. 祝福を感じる朝に


今朝方は午前4時半頃に起床した。目覚めてみると肌寒さを感じたが、今日はこれから気温が上がり、なんと日中は20度に達するようだ。


明後日には小雨が降る予報が出ているが、ここから1週間は軒並み天気がいい。幸いにも、バルト三国旅行に出かける来週の月曜日には晴れマークが付いている。ここから天気が良い日がまた続いていくことは、旅を祝福しているかのように感じられる。


二転三転したが、これにてフローニンゲンにも春が到来すると言えるかもしれない。もちろん5月の半ばまでは肌寒い日が続くので、それは覚悟しておこう。しかし、天気が良い日が増えてくるのもまた事実だ。


季節の変化を存分に楽しんでいる自分がいる。季節の変化が楽しめることと、自分の内側の変化を楽しめることは何か関係しているのかもしれない。きっとそうだろう。


昨日は、AIが搭載された英会話アプリの「ELSA」を随分と楽しんでいた。このアプリにはソーシャルな機能もあり、気がつけば、瞬間風速的なものだと思うが、自分が世界で一番このアプリを使っていることがわかった。コンテンツを視聴し、タスクをこなしていくともらえるポイントの累計ランキングが知らぬ間に全世界で1位だったのである。


画面の表示を見ると、何かのコンテストに自動的に参加していることになっているらしく、残り5日ほどで獲得したポイントで競う形になっている。ランキングについては全く気にしておらず、今日からもまた自分のペースでこのアプリを楽しみながら活用していこうと思う。


このアプリにはゲーム的な要素が多分にあり、文字通り楽しみながら学べる。楽しさや喜びを感じられることは本質的な学習の要諦であり、それがこのアプリに体現されていることは嬉しい限りだ。


今のところは夕食後の時間や浴槽に湯を張っている時間などにこのアプリを使おうと思っている。毎日少しでもいいのでこのアプリを使い、スピーキング能力のさらなる向上を図ろうと思う。


それでは、今日もまた創作活動と研究活動の双方に思う存分に従事しよう。研究については神道に関する書籍を今日もまた読み進めていく。


書籍の再読も順調に進んでいて、バルト三国旅行から戻ってきてからの書籍の一括注文の前には再読が全て終わるだろう。神道関係以外にも、昨日は改めてマネー神学と経済神学に関する学術書を5冊ほど本棚から引っ張り出してきて書斎の机の片隅に置いた。それらの本を読むのはこれで3度目、あるいは4度目になる。


マネー神学と経済神学というのもまた自分にとって非常に重要な研究領域である。そこから再びテクノロジー神学の探究を始めるかもしれない。個人としては川面凡児に注目して研究を進め、領域としてはマネー、経済、テクノロジー、そしてエコロジーの研究を進めていきたいと思う次第だ。フローニンゲン:2022/4/12(火)05:04


8193. 箏が現れる夢


時刻は午前5時を迎えた。この時間帯はまだ辺りは真っ暗である。静けさに包まれた朝の中で、今朝方の夢について振り返っている。


夢の中で私は、日本のある旅館に宿泊していた。旅館の周りは自然豊かで、山と川がとても綺麗な場所だった。旅館の部屋にいても川の流れが聞こえてきそうなぐらいに静かな場所でもあった。そんな恵まれた場所に宿泊しながら、私は箏の練習をする予定だった。


旅館で箏の演奏をするというのは趣があるように感じられた。旅館の持つ和の雰囲気と箏が持つ和の雰囲気がマッチしているように思えたのだ。


箏の演奏をする予定になっている部屋に到着すると、そこには数名の箏仲間がいた。彼らとは面識はなかったが、今回の旅のメインは箏の練習でもあったので、彼らとできるだけ親睦を深めたいと思った。


しばらく箏の練習を楽しむと、練習は終わり、部屋に小さな机が並べ始められた。どうやら今からは勉強の時間となるらしかった。好きなことを勉強してもいい時間がやってきたので、私は箏の楽譜を眺めたり、神道神学に関する勉強を楽しもうかと思った。


しばらく1人で勉強していると、部屋に小中学校時代の友人がちらほらいることに気づいたが、引き続き1人黙々と勉強に勤しもうと思った。すると、友人の1人が私に声を掛けてきて、勉強を教えて欲しいと述べた。人に何かを教えることは好きなので、彼の申し出を断わることをせず、彼に勉強を教えることにした。


すると気がつけば、私はコンサートホールにいた。観客席ではなく、コンサートホールのステージの上にいて、これから箏の合奏を披露することになっていた。随分な数の観客がいたが、特に緊張することもなく、むしろこうして多くの人の前で演奏できる喜びの感情が内側から溢れ返っていて、これから行う演奏が楽しみでしょうがなくなっていた。いざ演奏を始めようとした時に夢から覚めた。


今朝方の夢は紛れもなく箏が重要なシンボルとして現れていた。箏への関心が頂点に達し、実際に購入したいと思う箏はすでに決まっている。来週のバルト三国旅行を考慮して、箏をちゃんと受け取るためには旅行中のどこかのタイミングで注文するのが良いと判断した。今はまだ注文をしていない状態が、箏が手元に届くのが本当に待ち遠しい。


箏に併せて、箏曲の楽譜も10冊から15冊ぐらい購入しようと思っている。これからは五線譜で作曲実践を続け、数字譜を見ながら箏の演奏をしていくことになるだろう。フローニンゲン:2022/4/12(火)05:19


8194. 異端の美に惹かれて


時刻は午前7時を迎えた。今、小鳥たちのさえずりに耳を傾け、魂を寛がせてもらっている。今日もまた青空が見えることは嬉しい限りだ。


先ほど、平田篤胤の生涯と思想に関する書籍の再読を終えた。いつか篤胤の代表作である『霊の真柱(たまのみはしら)』を是非とも読みたい。篤胤の霊魂観にはやはり惹かれるものがある。


惹かれるという観点で言えば、川面凡児の神学思想には異端者の美があり、そこに惹かれている自分がいる。正統の美のみならず、むしろ自分は異端の美に何とも言えない魅力を感じているのだろう。それはきっと、自分自身がこの世界において異端者であることとも関係しているだろう。


川面神学の考え方をテクノロジー神学の発展に応用させていく道も探っている。まずはフランスの神学者のジャック·エラルのテクノロジー神学を理解することや、再びバーナード·スティグラーやアンドリュー·フィーンバーグのテクノロジー哲学に関する一連の書籍を再読していこうと思う。


これに並行する形で、朝方の日記で書き留めていたように、マネー神学と経済神学についても探究をしていく。そこに新たにエコロジー神学の探究も行っていく。それらの領域の探究を根幹から支える研究として、川面神学の研究がある。


昨年購入していた上述の種々の領域の学術書が今このようにして新たな意味を持って自分の目の前に再出現してくれたことを嬉しく思う。ここからの読書はますます実りのあるものとなり、学術論文や社会に関与していく具体的な実践も新たに生まれてくるだろう。


今日はまだまだ時間があるので、引き続き読書に励みたい。今から読むのは古神道に関する書籍だ。こちらの書籍は一言一句丁寧に再読していこうと思う。フローニンゲン:2022/4/12(火)07:25


8195. 神道の特色/内側の神道的なもの


仏教には仏陀がいて、キリスト教にはイエスがいる。そして、イスラム教にはムハンマドがいる。彼らはそれぞれの宗教において教えをもたらした教祖であり、それらの宗教は「創唱宗教」と呼ぶ。一方で、道教やヒンドゥー教、そして神道にはそうした教祖はいない。


これを消極的に解釈するのではなく、積極的な意味として解釈するならば、教えというものは人からもたらされるのではなく、人を超えた何かからもたらされると捉えることができ、今自分が探究している神道で言えば、この世界そのもの、とりわけ大自然が教えをもたらしてくれると言えるかもしれない。


キリスト教における聖書も、イスラム教におけるコーランも、そして仏教における種々の仏典も、いずれも等しく偉大であり、そこに書かれていることの深さには敬服する。一方で、神道にはそのような経典はない。


古神道には「言挙げせず」という考え方があり、無駄に言葉を積み重ねて何かを語ることを避ける傾向がある。この顕現世界において、学問の知が発達した背景には、言葉を用いて思索を積み重ねていったことが挙げられ、それは経典のある宗教の功績が多分にある。


神道には経典はないが、ここも積極的な意味を見出すとすれば、神道においては言葉を超越した世界を言葉を介さずに体感·経験しようとすることを重んじる実践的な側面が強調されていたのではないかと考える。こうしたことから神道は決して未開の宗教ではなく、むしろこの社会に対して積極的な意義を果たしうる宗教なのではないかという思いを強くする。


個人的には、教義がないことに加え、遵守しなければならない戒律がないことも肯定的に映る。自分は他者が提唱したことに従うことや、何かを強制させられて行動することを極度に嫌う傾向がある。そんな自分としては、神道の無教義·無戒律は魅力的に映る。


大自然への畏敬の念をふと自ずから持つ自分がいるのは、やはり神道的な影響があるからだろう。自分にとって最大の教師はいつも自然なのかもしれない。自然から教えられることはいつも本当に多い。


今、さえずっている小鳥たちからも実に多くのことを学ばせてもらっている。その学びは自分の作曲実践に大きな影響を与えている。これからはそれは箏の演奏にも大きな影響を与えるだろう。


自分の内側に眠る神道的なものはまだまだ無数に存在していると思う。それは自分の精神の奥底に張り巡らされた地下水脈のように無数に存在し、自分の精神をいつも支えてくれている。ゆっくりと、自分の内側にある神道的なものを紐解いていこう。フローニンゲン:2022/4/12(火)08:17


8196. ジークンドートレーニング95:ランク2の技に慣れてきて


時刻は午後4時を迎えた。今日は気温が上がり、ジムへの行き帰りは半袖半ズボンで十分であった。多くのオランダ人は長袖を着ていたが、自分にとってはそれは暑く感じさせる格好であった。行きはジョギングを楽しみ、帰りはゆっくりと散歩を楽しんだ。


今日もジムでジークンドーの自主トレーニングを行ったのだが、今日はいつも使っているトレーニングルームにジムのオーナーがいて、彼が今夜か明日の担当クラスのリハーサルをしているようだったので邪魔をせず、自分はダンスルームの方に映った。こちらの部屋は以前一度使ったことあり、時計はないが雰囲気がまた違って良い気分転換ができたので、結果として良かったと思う。


今日も短い時間集中してトレーニングに励んだ。今週の日曜日のプライベートレッスンに向けて、防御とカウンターの技を鏡を見ながら丁寧に練習し、ここ最近自主的に行っているステップの組み合わせによるフットワークを練習した。今自分が練習しているのはランク2の技が中心であり、そろそろこれらの技についても動画を撮影しようかと思う。


これまで自分の中である程度練習をしてから動画で紹介するようにしていたので、ランク2の技についてもそろそろかと思う。今週末のセッションの際に、ロビンさんの道場のオリジナルのTシャツとズボンを受け取ることになっている。次回の動画の際にはそれを着て撮影するのも良いかと思う。また、別にジムでなくても、ひょっとしたら自宅の1階でも撮影ができるのではないかと思い、今度試してみようかと思う。


トレーニング後はいつものようにサウナを楽しんだ。今日は誰もサウナを使っていなかったので貸し切り状態であり、ゆっくりと3回ほどサウナに入って楽しんだ。途中の冷水シャワーは自分にとって禊の実践でもあり、冷たい水を浴びることによって身体が浄化され、細胞が活性化するのをいつも実感する。今日もその恩恵を受けて、さっぱりとした気持ちで今を過ごしている。


それでは先ほど届けられた“The Routledge Handbook of Religious Naturalism”という書籍をこれから読んでいこうと思う。本書を読んだら、マネー神学に関する書籍の再読をしたい。フローニンゲン:2022/4/12(火)16:23


8197. 基本の大切さ


時刻は午後9時を迎えた。今、ようやく日が落ちたところである。つい今し方、隣人のサハルの家に行き、荷物を受け取った。それは、アニメ関係の商品に定評のあるベルギーの会社に注文した『鬼滅の刃』の英語コミック全巻であった。


ちょうど先日それがうちに届く予定だったが、向こう側の手違いで配送センターから再び送り返されてしまうということがあった。今回は無事に受け取れたので何よりである。明日から時間を取って、少しずつコミックの方を読み進めていこうと思う。アカデミック英語ではない英語をコミックを読んで楽しみながら学ぶことも狙いの1つである。


英語に関していうと、本日英語を習い始めて25年経って初めて知ったことがあった。それは夢のお告げによって始めた「ELSA」というアプリによってもたらされたことである。


今日はIELTS対策用の少し難しめのコンテンツを楽しんでいたのだが、その中でこれまで気にもしなかった大きな盲点を見つけた。それは何かというと、“this”という単語の発音である。


これは英語を習いたての頃に一番最初に習う単語と言っても過言ではなく、なんと自分はこの25年間ほどずっと正しくない発音でこの単語を発音していたことに気づかされたのである。端的には、“that”や“the”という単語においては、「th」の音を正確に出していたのだが、“this”だけは“dis”のような音としてこれまでずっと発音してきたことに気づかされたのである。


まさに青天の霹靂と言ってもいいような気づきであり、まさかこんな初歩中の初歩に落とし穴があるとは思って見なかった。「初心忘れるべからず」という言葉や「初心に立ち返る」という言葉が胸に刺さるようであった。


ちょうど欧米生活が11年目を迎えるタイミングにおいて、英語のスピーキングを今一度改めて見つめ直そうとしていたときに夢のお告げがやってきて、ELSAというアプリと出会うことができた。そしてそのおかげで、基本中の基本に漏れがあることを今回知ることができた。


基礎というのは本当に重要であり、それでいて意外と穴がある可能性があるということを今回痛感させられた。これはこれまで自分が学んできたいかなる学習領域や実践領域にも当てはまることかと思う。またこれから始める箏の練習においても、とにかく基本を大切にしたい。


今継続している神道の学習やジークンドーの実践においても、とにかく基礎を抜かりない形で絶えず工夫を凝らしながら基本に向き合っていきたい。基本と絶えず向き合い、基本に絶えず立ち返ることの重要性を今日は身をもって痛感させられた。それはとても有り難いことであった。フローニンゲン:2022/4/12(火)21:26

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