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8122-8126: フローニンゲンからの便り 2022年4月2日(金)



No.3469 感謝の波紋_Ripple of Gratefulness


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.1396, A Cosmic Dance

I can see the intrinsic divinity within myself.

So can I for others.

Not only humans but also other life and material have inherent divinity within themselves.

All of us are dancing a cosmic dance.

Groningen; 13:05, 4/1/2022

No.1397, Watery Reality

This reality is watery.

The essence of this reality could be water.

Groningen; 13:26, 4/1/2022


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の2曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

8122. 雪景色を眺めながら/身心一如について

8123. 今朝方の夢

8124. 差異化した身体に向けて/神踊りの舞

8125. 祝福に満ちた死の実現に向けて/今朝方の夢の続き

8126. TOEFLの試験結果が出て


8122. 雪景色を眺めながら/身心一如について


時刻は午前8時を迎えた。今、辺り一面が雪景色である。


昨日は雪が降るに降り、まるで冬が命を燃え尽くすような雪だった。今日も午前中に少し雪が舞うかもしれないという予報が出ている。


今日から4月を迎えたのだが、フローニンゲンの冬はまだ完全に終わっていない。どうやらイギリスの方でも雪が降っていたらしく、そのニュースを目にした。先日までは春を感じさせる日々が続いていたが、本当に春がやって来るのはまだ先のようである。


昨日、改めて身心一如について考えていた。心が先ではなく、身が先であるということ。存在の入れ子の観点からすれば、身は心を支える土台であること。それらの点を勘案しながら、身体を蔑ろにすることは心を蔑ろにすることであるということを改めて思う。


霊性開発に勤しむ者の中には身体を手放そうとして、身体からの脱却に向かおうとする人を時折見かけるが、それはいつもうまくいかない。身体を含んで超えていくという発想を持たないまま、身体を単純に越えようとしてもそれはうまくいかないのだ。


身体にも命があり、身体にも役割があるのだ。それらを無視して、肉体を持つ私たちが身体を忌み嫌って脱却しようとすると、蔑ろにされた身体から何かのタイミングで手痛いしっぺ返しを食らうことになる。


それは身体を疎かにする霊性修行者のみならず、多くの現代人にも見られることである。身体の要求の声に耳を傾けないことは、心の要求の声に耳を傾けないことでもある。身体と心はつながっているのだから、身体を無視した霊性開発や能力開発はうまくいきようがない。そのようなことを改めて考えていた。


今日もまた読書に励んでいこう。昨日は何冊読んだのかわからないぐらい多くの書籍を貪るように読んでいた。今日もまたその勢いを持って読書に励もう。


その他には今日は、昼前にオンラインミーティングがある。2人の知人の方がオランダに遊びに来られるということで、その件について打ち合わせをすることになっている。


その方々が来られるのは8月前半であるから、8月の末はやはり旅行に出かけようと思う。フローニンゲンは大抵8月の終わりに1週間だけ暑い日が続き、そのタイミングでアイスランドとアイルランドに旅行に出かけようと思う。


ひょっとしたら来年から再びアメリカでの生活を始めることになるかもしれず、そうなると欧州を旅行することは少し難しくなる。欧州を存分に旅行するのは今のタイミングがと思い、今年と来年の夏までは積極的に欧州を旅しようかと考えている。


6月はスイスのドルナッハとアスコナに、7月はスウェーデンのヨーテボリに行くことを計画している。5月は少し休憩を挟むか、5月にもベルギーかどこかの近場に旅行に出かけてもいいかもしれない。今年と来年は旅の楽しみで満たされた年になりそうだ。フローニンゲン:2022/4/1(金)08:53


8123. 今朝方の夢


時刻はゆっくりと午前9時に向かいつつある。今日から4月になったが、まさか書斎の窓から雪景色を眺めることになるとは思ってもみなかった。いつもは車庫の上を歩いて遊んでいる猫の姿も見えない。雪に覆われた車庫を敬遠してか、彼らの姿はなりを潜めている。


今朝方はいくつか断片的な夢を見ていた。最初の夢の中で私は、ボクシングの試合をしていた。自分はプロのボクサーで、相手もまたプロのボクサーだった。リングには熱い声援が送られていて、観客もたくさん入っていた。


リング上での試合は本気のものだったが、どういうわけか、1ラウンド制であり、合計3ラウンドの中で、3人の相手と闘うことが求められていた。3人の相手に対して全て試合を優位に進めたが、KOは一度もなく、気がつけば3ラウンドが終わっていて、会場からの盛大な拍手に身を包まれていた。会場の拍手の音は1つとなり、自分の身体と共鳴し、不思議な高揚感を味わっていた。


次に見ていたのは、見慣れない学校の教室の中にいるものだった。そこは確かに学校の教室なのだが、校舎の中の教室ではなく、お洒落なオフィスビルの中の1室のようだった。だから少し不思議な感じがしたのである。


教室には、小中学校時代の友人たちが着席していて、教壇には中学校時代にお世話になった数学の女性の先生がいた。どうやらこれから数学の授業があるらしかった。


正直なところ、教科書の内容も授業も簡単すぎたので、私は少し退屈をしていた。なので、好きなように空想に耽ったりして、そこで思いついたことをノートに書き留めていた。先生も私がそうしたことをしていることを知っていてたが、決して咎めることはなかった。むしろ、私を無視しているようだった。


先生は何か問題を出題し、生徒たちが問題につまづいていないかを確かめるために教室を歩き回り始めた。大抵、先生はどの生徒にも一声掛けて様子を確認していったが、私には声を掛けることもせず、私の前を素通りして行った。それに対して私は寂しさや嫌な感じも一切することなく、むしろ自分の好きなことに没頭できると思って有り難かった。そこからもしばらく自分の世界に浸っていると、夢の場面が変わった。


次の夢の場面では、私は2人の友人(HY & SN)を探していた。2人は同じくバスケ部に所属していて、彼らは共に背が高く、チームでも重要な役割を担っていた。彼らを含めた練習をこれからしようと思っていたのだが、彼らの姿が見えず、私は彼らを探しに出かけたのである。


気がつくと、自分はゲームの世界の中にいるようだった。街の雰囲気がどこか人工的であり、そこがゲームの中の世界だと察したのである。その世界の中で2人を探し、ゲームの世界から脱出することが当面の課題かと思った。


2人は携帯を持っていたので、メッセージを送ってみたところ、早速返信があった。何やら、2人で練習したいことがあるとのことであり、今はどこかの建物の部屋を借りて練習をしているそうだった。彼らはバスケの練習ではなく、どういうわけか柔道か何かの組み手の技の練習をしているそうだった。もしかしたらそれがバスケに活かされるのかもしれないと思ったが、少し疑問が残った。


一応彼らがいるであろう建物に向かった。すると、そこはとても綺麗な病院のようであり、病院の中のどこかの一室に2人はいるようだった。そこは確かに病院なのだが、普通と違うのは、病院の建物の中が無限に広い空間を持っていて、そこに複数のバスケコート、サッカーコート、テニスコートなどがあったことである。それこそそれらの競技のコートは無数にあった。


なので、彼らを探すことは難航し、結局日が暮れてしまった。最終的に彼らを見つけることはできなかった。ただし、彼らが練習していたであろう部屋にはたどり着くことができた。


不思議なことに、その場所に彼が練習していた時の動きの映像が刻印されていて、その場に浮き上がる形で彼らが何をどのように練習していたのかが見えた。それを見届けた後、私はその場を去ろうと思った。フローニンゲン:2022/4/1(金)09:11


8124. 差異化した身体に向けて/神踊りの舞


時刻は午前10時を迎えた。昨日はすこぶる寒く、今日もその寒さが残っている。溶けずに残っている雪の姿からもそれがわかるし、それに加えて、先ほど朝の換気をしていた時にも感じた。


とても冷たい空気が部屋に流れ込んできて、部屋の気温は一気に下がった。寒さを感じなながら朝の呼吸法と動的エクササイズを行っていった。そうすると、体が温まってきたが、窓をこれ以上開けていられないと思ったので閉めて換気を終えた。ここからしばらく寒さが残る日々が続く。


ここ数日間において、改めて武術の技の発現に適した身体を作っていくことに関心を持っていた。決して外側の筋力を無駄に鍛えるのではなく、鍛えるとするならば意識では動かせないと言われているような内側の筋肉を意識的に動かせるように鍛錬をしていく。また、骨も意識的に動かせるようになっていけるようなトレーニングをしていく必要がある。


とにかくこれまで一緒くたにしていた体の各部分を分けて1つ1つ動かせるようにしていくことが重要だ。統合の前に、まずは差異化を徹底していく必要がある。


武術においては、差異化した身体を形成することがまず求められ、そこから差異化した各部位を連動させ、統合させる形で動かすことが求められる。差異化されていない部位を連動させても、それは単なる癒着的動作である。そのため、まずは徹底的に体の様々な部位を差異化していき、それぞれを意識的に動かせるようにしていこう。それを実現するトレーニングについても絶えず工夫と実験を凝らしていく。


神の眼を通して、神の世界と神の理を探究していく神学への関心が増すばかりである。仏教においては神という言葉はなくても、神学の定義は仏教研究においても当てはまり、仏教神学というものがある。また、神道においても当然ながら神道神学というものがある。


今の自分は神道に焦点を当てながらも、宗教学的な形で探究を進めていくのではなく、あくまでも神学的な形で探究を進めていくつもりである。神的なものへの関心が深まり、聖なるものへの関心が深まる日々。それに応じて、神的なものや聖なるものを捉える感性や感度が高まっているように思える。


自分自身の内側にある神性への気づき、他者の内側にある神性への気づき、他の生命の内側にある神性への気づき、無生物の内側にある神性への気づきが増えていき、それはこの世界に宿る神性への気づきにつながっている。


目の前に広がる雪景色にも神性が宿っている。目の前のありとあらゆる生命と非生命的な物にも神性の躍動を感じる。神性が踊る場としてのこの世界。遍満する神的な存在は、踊り場としてのこの世界で神踊りを舞っている。フローニンゲン:2022/4/1(金)10:24


8125. 祝福に満ちた死の実現に向けて/今朝方の夢の続き


静かな白銀世界が目の前に広がっている。猫たちの姿を見かけないと思っていたら、1匹の猫が車庫の上にやってきて、ゆっくりと散策をしている。あの猫のように、自分もまたどんな環境に置かれても、ゆっくりとした散策を楽しんでいきたいと思う。


昨日、死について少しばかり考えていた。現代において、死は忌むべき対象になっており、悲しみの対象になっているが、少なくとも自分の死は祝福されるものであって欲しいと思ったのである。


当然がら、死を喜ぶ人など誰もいないだろう。だが、祝福としての死というものがあってもいいのではないかと思ったのだ。


死を経験する自分としても、祝福としての死に向かっていきたいし、後に残った人たちにとっても自分の死は決して悲しむものではなく、祝福に満ちたものであって欲しいという思いがやって来た。これを実現するためには、自分自身の死生観をより深めていく必要があるし、現代人の死生観の変容が起こらなければならない。これからの探究と実践は、祝福に満ちた死の実現に向けたものになるだろう。


先ほど今朝方の夢について振り返っていたが、それ以外にもまだ夢を見ていたことを思い出した。夢の中で私は、実際に通っていた大学の池のほとりのベンチに腰掛けていた。


すると、私の目の前を、どこかで見たことのある2人の若い男性が歩いていた。私は彼らが誰なのかハッとすぐに思い出した。彼らと自分の歳は一回りぐらい離れているが、彼らは大学の後輩で、ユーチューバーとして活躍している人たちだと思った。


彼らと私の間には面識はなかったが、私は彼らの活躍をYouTube越しに知っていたのである。彼らは母校の魅力について紹介したり、入試に関する対策情報などをYouTube上で発信していて、コンテンツが結構面白かった。


彼らに声を掛け、自分も本学の卒業生だということを伝えると、彼らは笑顔を浮かべ、卒業後の話を色々と聞かせて欲しいと述べた。後輩からの申し出を断るわけにはいかず、また自分のこれまでの歩みを共有することも何か意味があるかと思ったので、彼らにインタビューをしてもらうことになった。


ひょっとしたらインタビューを動画コンテンツとしてYouTubeで配信していいかと尋ねられ、それも快諾した。そこから私は自分の卒業後の歩みについてシェアをした。その後、近年の大学入試の話になり、彼らに最近の出題傾向を聞き、彼らが手に持っていた数学の問題集を見せてもらうことにした。自分もその問題集を昔使っていたのだが、今の問題集は随分とヴィジュアルが良くなっていて、とても見やすくなっていて驚いた。


また、そもそも入試問題の中にも数学なのに美しい絵が描かれていたりして、随分と傾向が変わったなと思った。彼ら2人は社会学部であり、私と学部は違ったが、将来数学的素養がどのように仕事に活きてくるかを自分の実体験をもとに紹介した。すると、彼らは興味深そうに私の話を聞いてくれた。


今後もまた何かの機会にインタビューをさせて欲しいとのことだったので、私はもちろんと答えて2人と別れた。フローニンゲン:2022/4/1(金)10:49


8126. TOEFLの試験結果が出て


時刻は午後3時を迎えた。この時間になると、早朝にはまだ残っていた雪が随分と溶けている。


昼前から、知人の2人とオンラインミーティングをし、オランダ旅行の旅程を詰めた。ミーティング後、話し合った内容をもとに、こちらの方で旅程を一覧表にして、それを先ほどPDFで2人に送った。今から旅が楽しみである。


メールを確認すると、ETSから連絡があった。どうやら先週の土曜日に受けたTOEFLの結果が出たようだった。結果が出るまでに1週間ぐらいかかるかなと思っていたが、テストを受けた6日後に結果が出たので早く感じた。


ETSのウェブサイトにアクセスし、早速結果を見たところ、残念ながら過去最高点を更新することはできなかった。やはり110点の壁は高い。だが、今回の神学大学院への出願に向けて、要求されているスコアはクリアしていたので、幸いにも改めて試験を受ける必要はない。それだけでも精神的に随分と楽になる。


TOEFLの試験の有効期限は、GREの5年間よりも随分と短く、2年間しかない。そのため、次の修士課程のプログラムを終え、さらにまた修士課程のプログラムに出願するか、博士課程のプログラムに出願する際には、再度TOEFLを受けなければならない。仮に博士課程に進学するのであれば、その時にはGREを受けなければならないが、今の自分にとっては、TOEFLよりもGREの対策の方が楽しいかもしれないと思っている。


今回スコアレポートを改めて細部まで眺めてみると、各セクションにおいて、世界共通の語学のガイドラインであるCEFR( Common European Framework of Reference for Languages)のレベルとの対応について記述されていることを初めて知った。


今回はどのセクションも満点はなかったので、CEFRのレベル分けで言えば、最高レベルのC-2(翻訳·通訳レベル:ネイティブと同等の熟達者)に到達するものは何一つなかった。結果的に、どのセクションもC-1(英検1級レベル:言語能力が優れている上級者)にカテゴライズされることがわかった。


それを見て、自分の中でやはりまだまだ英語力を磨いていく余地があることがわかって嬉しく思った。確かに感覚的に、今の自分はネイティブレベルまではいかず、かといって上級者レベルで留まっているかというとそうではなく、ちょうどその中間ぐらいにいるような気がしていたので、C-2とC-1の間ぐらいにあるという今回の試験結果からのフィードバックには納得ができる。


改めて、リーディング、リスニング、スピーキング、ライティングの4つの技能をさらに高めていこうと思ったのに加えて、やはりスピーキングをもっと磨きをかけていこうと思った。そのために、これから神道の研究を英語でしていく際に、読書の際には音読をし、読んだ内容を素早く自分の言葉で声を出して説明する鍛錬を積んでいこう。


そうすれば、スピーキングの技能が高まっていくだろう。しかもそれは、自分の専門分野に関するスピーキング能力をより高めることにつながるので、一石二鳥のように思える。今回のTOEFL試験から得られたことはやはり多く、4年ぶりにTOEFLを受けて、たくさんの収穫があったと言える。フローニンゲン:2022/4/1(金)15:24

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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