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8021-8027: フローニンゲンからの便り 2022年3月16日(水)



No.3403 神聖な生命体_A Sacred Life-Form


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.1351, The Essence of My Learning

I learn from nature.

I learn from the above.

This is the essence of my learning.

Groningen; 10:43, 3/16/2022


No.1352, From the Pure Land

I returned from the pure land.

I’m fully nourished now.

So, I’ll give back my vital energy to the world.

Groningen; 15:43, 3/16/2022


No.1353, Kismet

Kismet brought me to Shintoism.

That was my divine fate.

Groningen; 20:02, 3/16/2022


No.1354, Adieu

I had fortune.

My tiny ego was completely burned by the flame of my zest.

I just said “Adieu!”

Groningen; 20:05, 3/16/2022


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

8021. 平田篤胤と吉田兼倶の神秘思想・宇宙論に関心を持って

8022. 今朝方の夢

8023. 今朝方の夢の続き

8024. 古神道や中世·近世神道に関する研究に向けて

8025. ジークンドートレーニング80:集中した稽古の実現

8026. 情熱の業火

8027. 吉田兼倶という統合的思想家・宗教家


8021. 平田篤胤と吉田兼倶の神秘思想・宇宙論に関心を持って


時刻は午前7時を迎えた。今、辺りは少し霧のようなものに包まれていて、視界が白い。ここからはうっすらとした雲が晴れてきて、今日は良い天気になるようだ。今日の午後にはジムに行く予定なのでそれは有り難い。


私たちはどこからやって来て、どこに行くのかという点において、平田篤胤(1776-1843)の霊魂の行方に関する思想が参考になるのではないかとふと思った。平田篤胤の『霊能真柱(たまのみはしら)』という書籍を通じて、彼の霊魂観を窺い知ることができる。


また、平田篤胤の霊魂に関する思想を違った角度から知る意味では、神仙界の様子について詳述した『仙境異聞』が参考になるだろう。この書籍を通じても、平田篤胤の神秘思想を知ることができる。


平田篤胤は、この書籍を、神仙界を訪れて、呪術を身に付けたという寅吉(とらきち)という少年から聞いた話を元に執筆した。こうした研究手法のことをなんというのだろうか。ある種のナラティブリサーチなのだろうか。死後の世界を含めた超越的な世界を理解する上で、このような研修手法も存在しているという点を記憶に留めておこう。


平田篤胤について考えていると、吉田神道の創始者である吉田兼倶(1435-1511)についても思いを馳せた。伊勢神道に加えて、吉田神道というものがどういったものなのかを詳しく知りたいと思う自分がいる。


両神道に関する書籍の到着を首を長くして待っている最中だが、今後はゆっくりとではあるが、本格的にこの2つの神道に着目して研究を進めてみようという考えがある。また、吉田兼倶と平田篤胤の神秘思想を比較するということもまた研究テーマとして浮上している。


吉田兼倶が残した『神明三元五大伝神妙経』『唯一神道名法要集』『神道大意』といった書籍はなんとしても入手して読み進めたいと思う。入手は困難かもしれないが、なんらかの手段を見つけよう。


平田篤胤にせよ、吉田兼倶にせよ、彼らの神秘思想について研究するということはすなわち、彼らのコスモロジー(宇宙論)を研究するということにもつながり、それはひいては神道のコスモロジー、そして日本人のコスモロジーを理解する上での重要な取っ掛かりになるだろう。


昨日は神道だけではなく、九字、忍術、妖術、古流武術、ジークンドーに関する書籍など、実に様々な書籍が届けられたが、今日からはそれらのうち、まずは神道に関する書籍を優先して読み進めたいと思う。フローニンゲン:2022/3/16(水)07:25


8022. 今朝方の夢


無風の世界。今朝は風が全くなく、いつも以上に静かに佇んでいる印象を受ける。木々の揺れは、小鳥たちによってもたらされているのであって、それは風の仕業によるものではない。


今朝方の夢についていつもの湯に振り返っておこう。夢の中で私は、パーティー会場とセミナー会場が混じり合った建物の中にいた。どうやらセミナー会場の一室で、母校の入試に関する対策セミナーが行われることになっているようだった。


気がつけば私はもうその部屋にいて、セミナーを受けることになっていた。その講座は、英語に関する対策をしてくれるようであり、どういうわけか講師は2人いた。2人が代わる代わる教えるのか不明だったが、通常こうした講座では1人の講師が務めるように思えたので、2人の講師というのは見慣れない光景だなと思った。


講座の冒頭で講師の1人が、今回の実践的な対策問題を解いて成績が優秀な者は、この後のパーティーに参加できると述べた。また、成績が良ければ良いほど座れる席が良くなるということも述べていた。私はパーティーの類が好きではなく、生徒を釣ろうとしているその特典はどうでもよかった。しかし、できる限りの力を振り絞って問題を解いてみようと思った。


問題を解き始めてみると、それは意外と難しく、特に空欄を埋める問題の難易度が極めて高いと思った。これは高校生に出題する大学入試のレベルを遥かに超えていると思った。というのも、選択肢の候補に挙げられている単語がいずれもSATやGREレベルの単語だったからである。


これが解ける高校生はいるのかと疑問に思ったが、そんなことを言っていてもしょうがないので、引き続き問題に取り掛かった。しばらく問題を解いていると、いつの間にか制限時間がやって来た。


2人の講師は教壇の方に歩いて行って、一方が解説を始めた。最初に解説をしたのは、やはり難易度の高かった空欄を埋める問題だった。


地図上に示された場所に関する単語を当てはめていく問題において、示された神社の上に当てはめる単語の正解が“intrude”とのことだが、それがなぜなのか理由がよくわからなかった。また、全く理解ができなかったのは、海の埋め立て地に示された大きなクジラの姿の上に当てはめる単語だった。これについては結局解説の中でも言及されず、謎を残したままだった。


そんな形で何かモヤッとするような解説講義を聞いた後、成績上位者が発表された。私は自分が選ばれるはずはないと思って席を立とうとした。すると、どういうわけか自分は成績上位者に入っていて、これからのパーティーに招待された。


最初私はパーティーに参加する気など全く無かったのだが、せっかくなので顔だけ出してみることにした。同じ大学を志望する人たちとも仲良くなれるかもしれないと思ったので、良い機会かと思ったのである。


パーティーに招待されたのはいいものの、パーティー会場に到着するのが一苦労であった。というのも、セミナー会場からパーティー会場に行くこともまた1つの謎解きになっていて、エッシャーのだまし絵のような構造をした建物内を進んでいくことは非常に難しかったのである。


何度も道に迷いながらも、苦労してようやくパーティー会場に到着した。どうやら私はほぼ一番乗りで会場に到着したようであり、同じタイミングで到着したのは大学時代の女性友達だった。


彼女と話をしながら他の人たちの到着を待っていると、ぼちぼち他の人たちも無事にだまし絵のような建物を進んで来て、会場に到着した。


最初に到着した私は、一番良い席に案内されたが、それは立派なソファーとテーブルでできていながらも、ソファーもテーブルも一塊りの空間として宙に浮いていた。しかもそれは相当に高いところに浮いていたので、恐怖心が伴うほどだった。フローニンゲン:2022/3/16(水)07:47


8023. 今朝方の夢の続き


早朝の霧は晴れ、青空が広がっているフローニンゲンの朝の世界。朝日の光はとても優しく、地上をそっと撫でている。


呼吸法のエクササイズや動的ストレッチ、そして朝の創作活動を一通り行い、TOEFL対策として、スピーキングの問題に対する自分の回答をいくつか音読することを行なっていた。この日記を書き終えたら、リスニングの問題を2題ほど解き、本番と同じようにスピーキング問題を1セット解こうと思う。


TOEFL試験の本番は来週の土曜日であり、仕上がりはとても良い。ここからは最終調整に入っていこうと思う。


今朝方の夢について先ほど振り返っていたが、まだ書き留めていないものがあったので、それについても書き留めておこうと思う。


夢の中で私は釣り堀にいた。そこは区画を区切った形の一般的な釣り堀として最初存在していたのだが、ある瞬間から突然船の上に変わった。私はそこで父と見知らぬ人たちと一緒に釣りを楽しんでいた。


最初私は黄色く目立つルアーを使っていて、それを何度か試していた。ところが、魚の食いつきはよくなく、父の勧めで別のルアーを試してみることにした。また、船の底はかなり深いにもかかわらず、自分は中間辺りの層ばかりにルアーを泳がせていたので、父はその点についても指摘した。


父の助言に従う形で底までルアーを落としてみようと思った。しかし、私がそもそも底までルアーを落とさなかったのは、海底にどんな魚がいるのかわからなかったからだ。端的に言えば、海底にはとんでもない化け物のような魚がいるのではないかと少し怯えていたのである。


私は恐る恐る、大物がかかったらどうしようかと思いながら、海底にルアーを落としてみることにした。幸か不幸か、1回目は何もかからなかった。さて、2回目はどうかと思ってルアーを投げようとした瞬間に、夢の場面がサッと変わった。


最後に見ていたのは、トルコ系のドイツ人の友人が現れるものだ。彼は夢の中で友人として存在しているが、現実世界においては彼のような存在は知らない。


少し薄暗い屋台のようなレストランの一席に、彼は同じくトルコ系のドイツ人の友人たちと一緒に食事をしていた。小中学校時代のある友人(KS)が彼に話しかけて何か伝えたいとのことだったので、私は友人と一緒に彼が座っている席に向かった。


彼は新聞を広げて顔が見えなかったが、私が近づくと、彼は新聞を下げて私たちに挨拶をしてくれた。すると、先ほどまで彼の周りにはトルコ系のドイツ人ばかりがいたのだが、いつの間にかそこにいた女性の全てがアフリカ系の女性に変わっていた。彼女たちの英語から察するに、ヨーロッパのどこかの国の出自なのだと察した。今朝方はそのような夢を見ていた。フローニンゲン:2022/3/16(水)09:15

8024. 古神道や中世·近世神道に関する研究に向けて


時刻は正午に差し掛かろうとしている。今、まるで天からの恵みであるかのように、優しい光が地上に降り注いでいる。


天から学び、自然から学ぶこと。それが自分の学びの本質である。


天上と地上の双方から絶えず学びを得るということ。それが自分という存在の器を通して日々実現されている。それに感謝をしよう。


先ほどは、昨日届けられた神道に関する書籍を食い入るように読み進めていた。とにかく今の自分の学術的関心は神道にある。もちろん、日々の読書においてはマーシャルアーツを含め、他の分野の書籍も読んでいくが、いざ学術研究をこれから本格的に行い、論文の執筆までつなげていくのは神道に関してである。


文献資料の充実さからか、国家神道に関する欧米の研究者の仕事はよく見かけるが、文献資料へのアクセスの困難さからか、古神道や中世·近世神道に関する欧米の研究者の仕事が少ないように見受けられる。


自分が欧米の大学に所属して神道の研究をする際には、そうした領域へ貢献することができるだろうし、その領域における関心は高い。事実、中世·近世の神道の研究を進めるに当たっては、2人の神道家に注目して、彼らの思想を比較研究することに意欲がある。


2人の神道家とは、吉田兼倶と平田篤胤である。最初のうちは彼らの死生観や霊魂に対する思想に焦点を絞ってみるのが現実的だろうか。後々は、神道全体の宇宙論や死生観にまで研究を広げていこう。


神道の持つコスモロジーへの関心と、神道が死という現象をどのように捉えているのかに対する関心がある。後者に関して言えば、文献の中で所々そうした記述を見かける。洋書でそのテーマに絞った書籍は今のところ見つかっておらず、和書であれば見つかっている。これまで欧米の大学院で研究する際に和書を参照することなどただの一度もなかったのだが、神道に関する研究においては積極的に和書を参照することになるだろう。


引き続き、洋書と和書の双方を通じて、できるだけ神道に関する書物を読み進めていき、神学大学院での本格的な研究に向けて、基礎知識を獲得し、研究アイデアを醸成していきたいと思う。フローニンゲン:2022/3/16(水)12:01


8025. ジークンドートレーニング80:集中した稽古の実現


大きな爽快感に包まれながら自宅に戻り、今もなお爽快感に包まれている。今日のジムでのトレーニングも非常に充実していて、その後のサウナもまた素晴らしく気持ちよかった。


ここ最近はジムで長々とトレーニングをするのではなく、集中力を持ってして比較的短い時間でトレーニングを行なっている。どんな学習や実践も、適度な負荷量と集中力が必要である一方で、過度な負荷量は必要ない。疲弊した状態で集中力なくトレーニングに取り組むことは、ことマーシャルアーツの世界においては百害あって一利なしだろう。


前回と同様に、今日もまたバウンスステップをしながらインターバルトレーニングのような形で、いくつかの技を練習していった。最初のセットは、3つの種類のビルジーを主にして、そこに時折ジャブやストレートパンチを織り混ぜていった。それを2分ほど行い、呼吸と心拍数を整えた上で、2セット目は防御とカウンターの1番から8番までをバウンスステップをしながら行なった。これは時間にして1分半ほどだった。


そこからまた呼吸と心拍数を落ち着けた上で、3セット目としては、防御とカウンターの9番から17番までを行なった。そこから休憩を挟んで、改めてフリックジャブやストレートパンチの練習をサンドバックを叩きながら行なった。


今日感覚として掴めたのはリアクロスである。これまではあまり威力のあるリアクロスを出すことができなかったが、身体のアライメントや拳の位置などを意識しながら技を繰り出すと、以前よりも威力のあるリアクロスが生まれた。


今後も様々なことをまずは意識してリアクロスを出す練習をし、徐々に体に覚え込ませていこう。そうすれば、いつか色々と意識していたことが無意識的に発動させることができるようになるだろう。


その後は、再び防御とカウンターの技に戻ってきて、18番から21番までの練習をオンガードポジションから行なった。そして、バウンスステップをしながらそれらを行なってみた。防御とカウンターに関しては、まだ9番以降はロビンさんから習っておらず、ロビンさんの動画を見て予習として練習している。毎日朝や夜寝る前には必ずそれらを繰り返し行っているので、徐々にマッスルメモリーに動きが覚えられていることは嬉しい限りだ。


ジムからの帰り道に近所のおもちゃ屋に立ち寄り、日本から届けられた書籍とイギリスから届けられた書籍を受け取った。今日も随分と書籍を受け取り、重たかったが、それは嬉しい重さである。


書物の中に内包された叡知の重みとそれを受け取らせてもらうという責任の重み。そのような重みも付随していたように思う。今から段ボールを開け、夕食までまだ時間があるので、初読を早速始めていこう。フローニンゲン:2022/3/16(水)16:25


8026. 情熱の業火


ドーパミンが溢れ返っている。ドーパミンがまるで大洪水を起こしているかのようだ。自分の内側から爆発的な探究心が沸き起こり、それに膨大な炎が灯っている。


絶望的なまでに、希望的なまでに、神道を深く理解したいという衝動が内側に立ち込めている。絶望が反転すると巨大な希望が突如として現れる。絶望も希望も陰陽なのだ。


先ほどふと、自分が過去に出版した書物について思いを巡らせていた。自分が世に送り出した書籍は、自分の子供であるとよく言われる。その通りだと思う。


今も自分の知らないところで書籍は多くの人のところに届けられている。だが、過去に出版した書籍は、自分の中ではもう焚書している。全てを焼き捨ててしまえばいいのだ。それができなければ、自分は次に進めない。もうそういうところまで来ている。


過去の探究にすがることは、自分の今の爆発的な探究心の炎に水を差す。だから過去のそんなものは捨て去ってしまえばいいのだ。


その結果として残ったもの。それが自分を最奥で最後まで支えてくれるのだ。


過去の仕事に表面的に依存することほど馬鹿げたことはないのだ。それをするのは前に進もうとしない腰抜けだけである。


精神的な足腰が鍛え上げられつつあるのを実感する。それは日々のマーシャルアーツの鍛錬のおけげであろう。それを抜きにしては今の自分の精神的な足腰の強靭さはありえない。


とどまることを知らないドーパミンの流れ。物理的な脳にドーパミンが嵐のように吹き上げていて、精神的な意識空間の中にも爆発的な探究心というドーパミンが灼熱の太陽のように燃え盛っている。


行くところまで行く。自己の全てを賭けても自分は自分の道を進んでいく。


優しく魂に響いている神道の音楽。今、その浄化的な音楽に心が表れている。


神道関係の辞典が洋書に関しては2冊、和書に関しては1冊ほど届いたことは実に嬉しい。来週末のTOEFL試験が終わったら、それを単語帳を眺めるかのように楽しみながら毎日新しい言葉や概念、そして歴史的事象を覚えていきたいと思う。


辞典に書かれていることは全て頭に叩き込むつもりである。今の自分の熱量を見れば、それはあまりに容易いことである。


幼少期の頃から自分は、自分が関心を持ったものを如何なる手段を使ってでも、対象に没入する形でそれを取り入れてきた。今回もまた同じである。


もっぱらの焦点は神道である。神道に関しても今の自分の関心を引く人物や分野が見え始めている。まずはそうした所から探究を進めていく。


情熱という言葉がもはや安っぽく響くほどの自分の内在熱。zest、fervor、zealが自分の内側から迸る。


天国と地獄の中間地帯である煉獄の業火。魂は激しい炎を求め、炎と化し、その使命を今全うしようとしている。フローニンゲン:2022/3/16(水)19:49


8027. 吉田兼倶という統合的思想家・宗教家


煉獄の業火は自我を焼き尽くした。情熱の業火は小さな自我を完全に焼き尽くしてくれた。これ以上幸運なことはない。それは天からの恵みである。


だから始まった。でなければ始まることなどなかったのだ。


今、自分はまた新たに自らの天命に向かって歩き始めた。過去の諸々のことは全て焼き捨て、今、新たに一歩を前に踏み出そうとしている。


気がつけば午後8時を迎えていた。今日は気温が暖かく感じられた。一応ベッドを温めておくために、ベッドの足元に湯たんぽを先ほど置いておいた。


いつもであれば、この時間帯は背中やお腹に湯たんぽを入れて温めているのだが、今日はその必要がない。午後にジムでサウナに入ったことも影響しているかもしれない。


そう言えば、サウナに入った日の夜はあまり湯たんぽを必要としていなかったことに気づく。やはり、体の芯から温まっているのだろう。


今の自分は身体の芯からだけではなく、魂の芯から熱が込み上げている。神道の探究。そして神道の探究。その休憩として神道の探究。休憩が終わったら神道の探究。それだ。これからの日々はそのように過ごしていく。


神道界の鬼才、吉田兼倶は、仏教、儒教、道教などを神道の体系に組み込んでいったという点で統合的な思想家·宗教家だったのかもしれない。兼倶がどのようにそれらの宗教思想体系を神道に組み入れていったのかがとても気になる。


彼は何を取り入れ、何を取り入れなかったのか。そして、吉田神道として結実したその神道体系はいかなる性質を帯びているのだろうか。


吉田兼倶の研究は、神道の歴史から言えば、中世にあたる研究になるだろうか。文献をどこまで入手できるかによるが、できれば古神道まで探究の幅を広げていきたい。


中世から出発し、古神道に戻る形で今度は近世の神道研究へ進み、最終的に現代の神道研究に移行していくという流れが今の自分の関心からすると良さそうである。


さて、今夜はまだ時間があるので、神道関係の学術書を読み進めていこう。神道の研究を通じて初めて自分の魂と深く出会えるような気がする。日本人としての自分にとって、神道とはかくの如しものだったのだ。フローニンゲン:2022/3/16(水)20:13

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