top of page

7646-7652: フローニンゲンからの便り 2022年1月8日(土)

更新日:2022年1月11日



No.3119 頼れる目印_A Reliable Landmark


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.1146, An Invisible River

An invisible river delivers my life to the place it should go.

All I can do is just flow on a river.

Groningen; 18:39, 1/8/2022


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

7646. 今朝方の夢/表現·創造活動としての武術

7647. 自由自在に動ける体に/物騒な世の中における護身術

7648. 武術?武道?武芸としてのマーシャルアーツ

7649. ジークンドートレーニング8(1/8/2022)カービングステップからの学び

7650. 待ちに待ったプライベートレッスンを明日に控えて/ジークンドートレーニング9(1/8/2022)バーストステップにおける気づき

7651. システマトレーニング8(1/8/2022)バランスのワークと末端を動かすワーク

7652. 親友たちとの久しぶりの会話/インドの武術


7646. 今朝方の夢/表現·創造活動としての武術


時刻は午前8時を迎えた。今、空がダークブルーに変わり始めている。


ゆっくりと目覚めを迎えようとしているフローニンゲン。自分もこれから朝の動的ストレッチと呼吸法を行い、1日の活動に向けた準備をしたい。


今朝方の夢について思い出している。まずすぐに思い出すことができたのは、高校時代のクラスメートの女子と話をしていたことだ。


彼女とはそれほど話をしたことはなかったが、文化祭の準備の際に何度か話をしたことがある。そこで打ち解けて、文化祭以降はある漫画をきっかけにして時々話をしていた。


そう言えば、彼女から卒業間際に手紙をもらったことを思い出し、その記憶を持ちながら夢の中で彼女と接していた。


この夢の前に、高校時代のサッカー部の友人たちとも話をしていたように思う。場所は高校なのだが、高校の雰囲気が変わっていて、校舎の周りはリゾート地のような雰囲気があった。


今のところ覚えているのはそれぐらいだろうか。総じて今朝方の夢は落ち着いていたように思う。


これから武術の鍛錬をしていくと、自分の無意識領域がどのように変化していくのか楽しみである。武術では無意識を活用することが多々あるので、いやむしろ全ての身体動作の根幹に無意識があり、その性質を積極的に活用するため、武術の鍛錬を通じて無意識にもきっと何か変化が見られるはずだ。


昨日、ジークンドーのストレートリードに関する書籍を読んでいた。ストレートリードは、ジークンドーの代名詞であり、創始者のブルース·リーは、この技は最も難しいが、同時にこれはアートであるとも述べている。


ジークンドーの1つ1つの技は、本当に身体アートのようである。武術の鍛錬が身体を通じた表現·創造活動にもなる点を嬉しく思う。ジークンドーのみならず、システマにおいても創造性を発揮して、色々なトレーニングができることに気づく。新しいトレーニングを自分でつくることができ、それによって自己発見が絶えずある。


システマのトレーニングも自分にとってみれば、身体を使った創作活動と言えるかもしれない。まさにマーシャルアーツという言葉の中に“art”という言葉が含まれている意味を実感する。


それではこれから動的ストレッチと呼吸法を行いたい。こうした毎朝のルーティーンの中にも必ず気づきや発見の機会があるであろうから、それを逃さないようにしたい。その日の自分の体の状態を確認する良い機会でもある。フローニンゲン:2022/1/8(土)08:27


7647. 自由自在に動ける体に/物騒な世の中における護身術


つい今し方、朝の動的ストレッチと呼吸法を終えた。動的ストレッチの継続によって、体の柔軟性がますます高まっていて、可動領域も日増しに広がっている。


護身術の技云々よりも、まずは兎にも角にも滞りなく動ける身体を作っていくことが重要だ。さもなければ、護身術の技を繰り出すこともできなければ、その習得も難航してしまう。


とにかく自分の体が持っている本来の力を取り戻すこと。まずはそこに向かって日々の動的ストレッチを行っていこう。


呼吸法に関しては、いつものようにバンダとナウリ、そしてそこから火の呼吸を行った。これによって、内臓がマッサージされ、腹部のインナーマッスルが鍛えられているような感覚がある。


火の呼吸によって細胞が活性化されたので、今日もまた活力溢れる1日を過ごすことができるだろう。ここから少し創作活動を行い、その後、ジークンドーの朝のトレーニングに入る。鏡を見ながら自分の姿勢とフォームを見たいので、浴室と寝室の境目のスペースで練習をしようと思う。


今朝方、日本では昨年に、電車内で刃物を持った襲撃事件が何件もあったことを初めて知った。お隣のドイツでも昨年の秋に同様の事件があった。


日本では、京王線や小田急線という過去に自分も使っていた列車でそのような事件が起こっていることを知り、九州新幹線でも同様の事件が起こっていることを見ると、日本も随分と物騒になっているように思える。


列車の中で刃物を持った相手からどのように自分の身を守ることができるのかを考える。まずは逃げるというのが最良の手段だろうが、走行中の列車においては逃げることは容易ではない。犯人が犯行に及ぶ寸前まではあまり刺激をしない方が賢明だろうが、いざ犯行に移った際には消火器などの武器になるようなものを活用するというのも1つの手だ。


護身術の世界でよく言われることだが、私たちは凶器を突き付けられると体が恐怖で固まってしまう傾向にある。これは武道の鍛錬をしている人でもそうなるらしい。


その時に、ルールのある武道の世界ではなく、やはり実際に凶器を持って練習をするような護身術を学んでいないと、いざという時に体が動かないのではないかと思う。護身術を学んだからといって、犯人を制する必要などないのだ。


とにかくそうした危機的状況において、体が動くかどうかが重要なのだ。体が動けば、武術の世界で言うところの居着きが減り、攻撃を受けても重傷を避けられる可能性が高まり、何よりも体が動けば速やかに逃げることができる。武術の鍛錬を通じて、身を守れるようになるというのはまずはそういうことだと思って鍛錬に励もう。


それともう1つ、凶器を持った相手との練習を相当積んでいないと、いざという時に護身術を活用することは難しいため、自分の身を守る際には近くに武器になりそうなものがないかを探し、それを使って対処するというのが良いアクションかもしれない。


電車の中であればもちろん消火器を活用することができるだろうが、そのためには乗車の際にその場所を把握しておかなければならない。身近にある武器としては、尖ったものであればなんでも武器になるだろうし、カバンなどは防御の道具になるだろう。


このあたり、身近にあるものを絶えず護身的な観点でどのように使えるかを日頃から観察し、考察を深めておくことが重要になるだろう。フローニンゲン:2022/1/8(土)09:37


7648. 武術?武道?武芸としてのマーシャルアーツ


つい今し方、1曲ほどピアノ曲を作った。武術の鍛錬は創作活動にも良い影響を及ぼしている。


武術の鍛錬を始めたことによって、言葉の淀みが解消され、再び力のある言葉が蘇ってきた。それに合わせて、創作活動にも弾みが生まれているように思う。魂の弾力性が高まっている感じがするのだ。


昨日にファスティングを終え、今日から再びコーヒーを飲み始めた。先ほど、コーヒーミルを挽きながら肩甲骨のトレーニングができることを発見した。


具体的には、肩甲骨の両方を回しながら豆を挽くことができると分かったのだ。両方の肩甲骨を回した後、次にミルを挽く手を使って右の肩甲骨を回し、そしてミルを挽く手を左手に変えて左の肩甲骨を回すことを行っていた。


このように、日常の所作の全てを武術のトレーニングにつなげていく。トイレに行く時もそうだし、料理を作っている時でもそうだ。立ち上がる動作、歩く動作の全てが鍛錬になる。


今ここで1つ小さな悩みがある。それは自分が行っている実践を武術と呼ぶべきか、武道と呼ぶべきかというものだ。英語においては、どちらも「マーシャルアーツ」という言葉に包含されるが、実際のところはやはり差があるように思える。


少し調べてみると、武術とは、戦闘における対人格闘術の総称のことを指すそうだ。一方で、武道とは、武術の技を取り入れながら、心身の鍛錬、修養を目指す形で競技として、あるいはスポーツとして行われるものだという説明がある。


それを見た時に、自分は武術の要素と武道の要素の双方を持って日々の実践をしているように思う。武術はその前には「武芸」と言われていたように、まさに武術はマーシャルアーツとしての芸としての側面がある。


日々の実践をしながら、芸事に従事しているかのように、1つ1つの技を芸として磨く姿は武芸としての鍛錬を行っているように思える。今の自分の鍛錬においては、競技性やスポーツ性は必要なく、武道のそれらの要素には関心がない。


だが、武道の持つ精神修練や人格形成という目的は非常に重要なものに思えるため、自分の中では競技化やスポーツ化した形での武道ではなく、武道の持つ精神修練や人格形成といった尊い側面を武術鍛錬の中でも大切にしたい。


そこからもう少し考えてみると、武術が本来武芸と呼ばれていたのであれば、現代武術においても精神修練や人格形成は不可欠の要素なのではないかという考えが芽生える。芸事の中でそれらの要素が欠落したものを見たことがない。


今自分が取り組んでいるジークンドーやシステマは、確かに武術と呼ぶに相応しい側面が多々あるが、精神修練や人格形成は立派な要素として存在している。精神を磨き、小さな自我から脱却できなければ、結局のところ真の強さなど得られないのだ。そうした観点において、武術においても精神修練や人格形成はとても大切なのではないだろうか。


結論として、それでは今自分が行っているものは武術なのか武道なのかと問われると回答に窮する。どちらか一方を選ぶことは難しい。であれば、2つを包含するマーシャルアーツという言葉を用いる方がいいのかもしれない。


「マーシャル(格闘の)」「アーツ(芸)」としての、すなわち武芸としてのマーシャルアーツであれば、今自分が行っている取り組みの本質を掴んでいるように思える。とりあえずこの瞬間から、自分が行っているのはマーシャルアーツとして表記しておこう。


マーシャルアーツの鍛錬を重ねる中で、自分の中でまた違う意味や言葉を発見できるかもしれない。その時がやって来るまで実践を重ね、静かにその時を待とう。フローニンゲン:2022/1/8(土)10:19


7649. ジークンドートレーニング8(1/8/2022)カービングステップからの学び


時刻は午前11時半を迎えようとしている。つい今し方、午前中のジークンドーのトレーニングを終えた。


今は兎にも角にも運速の練習、すなわちステップの練習をしている。ジークンドーにおいてはフットワークが本当に鍵を握るのだ。


今日行っていたのは、前に動くステップと、動くスライド、そして左右に動くサイドステップだ。この動きに関しては、随分と正しいフォームで行えるようになってきた。


毎回の練習ではゆっくりとした動きから入るようにして、少し慣れてきたので、練習の後半においては少し速度を上げて練習をし始めている。しかし忘れてならないのは、とにかく基本の徹底である。


速い動きを意識するあまりにフォームが崩れてしまっていては元も子もない。なので、後半に速度を上げて練習する際にも、正しいフォームになっているかを絶えず確認している。そして練習終わりには、再びゆっくりな速度で正しいフォームを体に染み込ませるようにしている。


ステップとスライド、そしてサイドステップを終えた後に行ったのがカービングステップだ。これは前後左右のフットワークの応用であり、角度をつけた足の運び方をするためのものだ。これに習熟すれば、360度足を動かしていくことができる。


今日改めてこの動作を行ってみたところ、この動作についてはまだまだ改善の余地があると思った。具体的には、角度をつけて動くと、オンガードポジションのラインが崩れてしまうことが何度もあったのである。


左足の土踏まずと右足の親指が一直線になるように足を動かしていくのがジークンドーのフットワークの要諦であり、そのラインが崩れる瞬間があったのだ。カービングステップを練習する際には、とにかくゆっくりとした動きを意識して、正しいフォームで繰り返し行っていく。


右回りに少しずつ角度をつけて1周したら、今度は左回りに1周する。それを何回か行ったのち、今度は右回りに数回ステップをしたら、そこから左回りにステップをして戻って来るなどをしたい。


今日の午後のトレーニングにおいても再びカービングステップから始めるのも良いかもしれない。これまで習ってきたこととカービングステップを組み合わせると、相手の攻撃をアングルをつけて瞬時にかわす際にこのステップが重要になり、そこからストレートリードなどの打撃につなげることができる。


カート·フィッシャーのダイナミックスキル理論にあるように、まずは点として1つ1つの動作を鍛錬していき、ゆっくりとそれらを線として組み合わせてつけるようにしていく。まずは数々の点としての動作を1つ1つ大切に習得していき、そこからゆっくりと線、面、立体を作っていきたいと思う。


こうした基礎動作の鍛錬から毎日新しいことが学べるのは本当に楽しく、嬉しい。午後のトレーニングもまた楽しみだ。フローニンゲン:2022/1/8(土)11:39


7650. 待ちに待ったプライベートレッスンを明日に控えて/ジークンドートレーニング9(1/8/2022)バーストステップにおける気づき


時刻は午後5時に近づこうとしている。つい今し方、午後のジークンドートレーニングを終えた。


明日はいよいよ待ちに待ったプライベートレッスンの日だ。これからジークンドーの先生となるロビンさんが日程を調整してくれて、本来は2月に入ってから最初のレッスンを行う予定だったが、急遽明日の午後に最初のトレーニングをしてくれることになった。


ジムは畳のようであり、別にシューズがなくても裸足でいいということだったので、明日は何もシューズは持っていかない。ロビンさんからテキストメッセージで、MMA(総合格闘技)用のグローブを持っているかと尋ねられたが、持っていないということを伝えると、それを貸してくれることになった。


初回からグローブを着けてトレーニングするのだろうか。1回のセッションは80分ほどとのことなので、マンツーマンで80分の時間であれば相当多くのことを学べるような気がしている。


今から明日が本当に待ち遠しい。ジムまではわずか2kmほどしかないが、ジムに向かうまでもトレーニングとしてナンバ走りをしていこうと思う。


さて、今日の午後のジークンドートレーニングは、いくつかのメニューをこなした。まず最初に行ったのは、プッシュステップと呼ばれるものだ。これは攻撃においても防御においても要となるステップであり、攻撃に際しては間合いを一気に詰めるために、防御に際しては間合いを一気に開けるためにある。


このステップもかなり正しい動きが定着しつつある。それに慢心せず、継続してゆっくりとした動きを意識して継続してトレーニングしたい。 


その次に行ったのは、ジークンドーの代名詞であるストレートリードだ。昨日から、ストレートリードにだけ焦点を当てた書籍を読み始めた。もちろんこうした技術は書籍を読んだだけでは上達しないが、書籍を読むことによってより発見があったり、洗練された動きに向けてのヒントを得られることは確かだ。


今日のトレーニングでは、書籍から得られた知識も意識しながら鍛錬をした。この動作に関しては何よりも鏡を見てトレーニングすることが今の自分にとっては大切だ。


というのも、この動作を正しく行うためには、足のライン、腰のライン、両肩のラインを揃える必要があり、3つのラインが正しく同じ方向を向いているかを確かめるためには鏡を見ないとなかなか確認が難しいからだ。


そうしたこともあり、今後ストレートリードを練習する際は、型が完全に身につくまでは鏡の前で練習したい。そして、今後ストレートリードの打撃の威力が落ちていると思ったら、それはきっとフォームが崩れていることの証なので、鏡の前で再びフォームを確認するということを行おう。


最後に行ったのは、バーストステップだ。ジークンドーにおける蹴り技は全てバーストステップから繰り出されるため、このステップはとても重要だ。


今日改めてこのステップを練習してみた時に、ステップを踏んで前へ移動した際には左足のかかとを地面に着けていいが、そこから戻って来る時には、かかとを上げてオンガードポジションにすぐに戻って来ることが重要であることを再認識した。


前へ移動した時にも軸足のかかとを上げていると、それはバランスを取ることが難しく、構造上不安定である。だから移動した瞬間においてはかかとを地面に着けていていいのだ。


だが、そこから再び戻って来る際にはオンガードポジションを取る必要があるため、左足のかかとは浮かせておかなければならない。そんな意識を改めて持って練習に励んでいた。明日は午後からプライベートレッスンがあるので、午前中はシステマのトレーニングに時間を充てようと思う。フローニンゲン:2022/1/8(土)17:10


7651. システマトレーニング8(1/8/2022)バランスのワークと末端を動かすワーク


時刻は午後6時に近づいてきている。この日記を書き留めたら夕食を摂ろう。ファスティング 明けの今夜の夕食も、きっと美味しくいただけるはずだ。


先ほど、システマのトレーニングを行った。まずはとても地味だが、両足における親指の付け根、小指の付け根、かかとの6点できちんと立つ練習を行った。そしてそこから歩く練習につなげていった。


これらのトレーニングは、バランストレーニングである。地味だが全身をリラックスさせた立ち方を実現する上で極めて重要であり、こうした立ち方や移動の仕方ができないと、そこから護身術を活用することも難しくなってしまう。


それこそ日常において立つことや歩くことは日常茶飯事に行っているので、これも日常の様々な場面で実践できる。今から夕食を作る際に立っている時にもこのバランス感を意識する。


その後、体の末端を動かすワークを行った。とりわけ手や指を意識して行う動作を行った。


例えば打撃の際には、腕や肩を動かしがちだが、そうではなく末端を意識して打撃を繰り出した方が威力が出る。そう言えば、合気道を習っている時にも、先生から肩の力を抜いて、指先から動くようにしなさいと言われたことを思い出し、あれはそういう意味だったのかと納得する。


金属バットで人を殴ると、それは相当な痛さであり、当たりどころによっては死んでしまう。実は前腕は金属バットよりも重いのだ。その重さを十分に伝えることができれば、打撃としては十分である。


その時に重要なのが末端からの動きである。蹴りにおいても同様で、脚になってくると、それは金属バットの数本分に相当するのだから、脚の重さをうまく伝えることができればそれこそ尋常ではない威力の蹴りが繰り出される。


であれば、キックボクシングやムエタイのようにわざわざ捻りの動作を入れて蹴る必要などないのだ。むしろ相手に蹴りの動作を悟られないようにモーションを消すかのように、末端から動かしていくことが重要だ。


末端から打撃を繰り出すというシステマの発想は、ジークンドーの打撃の発想と非常に似ている。ジークンドーにおいては、ノンテレグラフィックモーションで打撃を繰り出すことが原則であり、それはシステマの打撃の理論と通じるものがある。


明日の午後はジークンドーのプライベートレッスンがあるので、午前中のトレーニングはシステマのトレーニングにしよう。その際には、先日届いたDVDを見ながらトレーニングに励みたい。今日も大変充実した1日だった。フローニンゲン:2022/1/8(土)17:49


7652. 親友たちとの久しぶりの会話/インドの武術


時刻は午後7時半に近づいている。先ほど夕食を摂り終え、今ひと休憩している。今夜はここから曲をもう1曲作り、曲の原型モデルを作成しようと思う。その際にはベートーヴェンの曲を参考にしよう。


今日は昼過ぎに、地元の親友3人とZoomを通じて話をした。本当であればもう1人親友が参加する予定だったが、体調を崩してしまったそうであり、急遽参加が叶わなかった。


3人の親友と話をしたのは、コロナ前の秋に日本に一時帰国した時なので、今からもう2年強前となる。2時間ほど親友たちと楽しいひと時を過ごした。みんな変わりなく元気そうで何よりであった。


話の最後に、今年の秋に日本に一時帰国した際に会って話をしようということになった。今の自分の関心事項であるマーシャルアーツのトレーニングを一緒にしようという提案もこちらからした。


地元の近くにはマーシャルアーツを行えるジムや道場はおそらくないので、少し遠出をするか、あるいは自分が習った技をみんなに伝えるような形で楽しみながら時を過ごしたいと思う。


マーシャルアーツの鍛錬を始めてから、再びヨガの実践を見直している。現代のヨガはどうしてもストレッチ運動のような側面が強調されがちだが、元々ヨガは武術と結びついたものだった。例えば、ハタヨガをベースにしたカラリパヤット(Kalaripayattu )と呼ばれる武術ヨガがあるし、クンダリーニヨガをベースにしたガトカ(Gatka)という武術ヨガもある。


こうした武術ヨガにも関心を示している自分がいる。もちろん今はジークンドーとシステマのトレーニングが最優先であるが、いつかカラリパヤットやガトカの鍛錬もしてみたい。特に、身体エネルギーに焦点を当てたクンダリーニヨガをベースにしたガトカはとても興味深い。


インドの武術については、リグヴェーダや古代インドの叙事詩ラーマーヤナやマハーバーラタにも記述がある。中国武術に関しては、『洗髄経』『易筋経』にも記述があり、それらの原典を読んでみたい。このテーマは神学校で探究することができるかもしれない。


世界を眺めてみると、その他にも東南アジアにはシラットと呼ばれる伝統的な武術があり、武術の探究には限りがない。もちろん全ての武術を探究することなど不可能だが、絶えずアンテナを広く張っておき、ジークンドーやシステマの鍛錬に有意義なものがあれば積極的に取り入れていこうと思う。フローニンゲン:2022/1/8(土)19:42

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

bottom of page