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7278-7280: フローニンゲンからの便り 2021年8月30日(火)



No.2657 迸る色彩_Spouting Colors


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.854, Rebirth

Yesterday, I had a tremendous experience.

My being was spiritually intensified and galvanized.

Here I am.

I’m being here as a new person.

Groningen; 09:16, 8/30/2021

No.855, Our Ego as a Temporary Phenomenon

What if we think that our ego is not a mental construction but a temporary phenomenon?

Ego that drives us can be just an ephemeral experience.

Groningen; 14:38, 8/30/2021


No.856, The Edited Reality

Our reality is not only socially constructed but also socially “edited.”

Watch out for it.

Groningen; 14:59, 8/30/2021


No.857, Manipulated and Hijacked Reality

Reality is constantly manipulated and hijacked.

Yet, it always has a certain rupture.

Once we find it, we may be able to liberate ourselves from delusional reality.

Groningen; 20:46, 8/30/2021


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

7278. 今日の計画/今朝方の夢

7279. 解放的合理性/昨日の知覚体験を振り返って

7280. 自我という体験現象/ハイジャックされたリアリティ


7278. 今日の計画/今朝方の夢


時刻は午前8時半を迎えた。新たな週が静かな形で産声を上げている。


空にはうっすらとした雲があるが、それは雨を降らせるようなものではない。天気予報を確認すると、これから雲が晴れていき、今日は1日を通して天気が良いようだ。


そうしたこともあり、今日は午後に街の中心部の珈琲屋に足を運び、そこで好みの豆を購入する。いつも1種類は固定であり、もう1種類は新しいものを試すようにしている。今回は新たにどんな豆を購入しようかと期待が膨らむ。


珈琲屋を後にしたらその足で、銀行に立ち寄ろう。マルティニ教会の横に構えられたABN AMROのATMで、9月末の旅行に向けて現金を少々下ろしておく。これは現金しか受け付けられない美術館や博物館があった場合のため、そして万が一のために活用するものである。


現金を下ろしたら、中央駅に近いEkoplazaに立ち寄り、そこでそこにしかない八丁味噌と大麦若葉のパウダーを購入する。八丁味噌に関しては2つほど、大麦若葉のパウダーも2つほど購入しておこう。


今朝方の夢を振り返り、午前中の活動に入っていこう。今日から再び集中的な読書を行う。


先週は毎日何かしらのオンラインミーティングが入ってたが、今週は金曜日しかない。1週間に1件オンラインミーティングが入っているぐらいがちょうど良い。


今朝方の夢。夢の中で私は、サッカー元日本代表の2人が教室の中で話をしているところを見守っていた。夢を観察する自己がそこにいて、自分はその夢に登場しているのではなく、あくまでも夢を目撃する者だった。


2人は何の話をしていたかというと、サッカーの技能を高めるだけではなく、人間としての器を成長させるために、インナーワークが大切だということについて話し合っていた。一方の選手は、心理学用語を1つ1つ自分の言葉で説明できるように強く意識しているようであり、その姿勢に共感した。


1つ1つの言葉をあやふやに使うのではなく、自分なりに理解して使うことが重要である。もちろん、言葉の意味に固執してインナーワークが進まないというのは本末転倒だが、言葉を大切にする姿勢は重要だ。


そのような夢の場面があった後、次の場面では、私は複雑な路地に密集した居住地区にいた。辺りは砂埃が立っていて、建設中の家などもいくつかあった。雰囲気は中南米のどこかの国の都会の片隅のような雰囲気があった。


自分の家も狭く密集した場所にあり、薄暗い路地を通って、外にむき出しの階段を上がっていくと、なんと目の前が図書館の書庫になった。その図書館の本棚も狭く密集していて、とても歩きにくかった。


まっすぐに向くと体が挟まってしまいそうだったので、体の向きを横にして進む必要があった。書庫の中で迷子になりそうになっていると、どこからから人の声がして、正しい方向を教えてくれた。そのおかげでようやく自分の家に辿り着くことができた。


家に辿り着いてしばらくすると、2人の友人がやって来た。外は暑かったようなので、何か飲み物を出そうとすると、冷蔵庫には冷たいお茶などはなく、あるのは残り少なくなったニンジンジュースだけだった。


私はそのニンジンジュースをサッと飲み干し、2人には水を差し出すことにした。2人に水を手渡すと、洗濯機を回す必要があることを思い出し、洗剤を入れる溝を開けたところ、何やら奇妙な音がした。


洗濯機がまだ本格的に回る前だったのでおかしいなと思ったところ、なんと洗剤を入れる場所から人の声が聞こえてきたのである。よくよく耳をそば立てて聞いてみると、声の主は子供と母親のようだった。


彼らはどうやら遠く離れた別の世界にいるらしく、こちらの声が聞こえるか試しに声を発してみたところ、彼らに声が届いたようだった。そこからもう少し夢が続く形で静かに夢の世界から目覚めた。フローニンゲン:2021/8/30(月)08:59


7279. 解放的合理性/昨日の知覚体験を振り返って


時刻は午前11時半に近づきつつある。とても穏やかな月曜日の朝の世界が広がっている。


フローニンゲンはもう秋に入った感じがする。明後日からは9月を迎え、そこからは秋がより一層深まっていくであろう。9月末から10月の初旬にかけてのドイツ旅行がとても楽しみだ。


今日はこれまでのところ2冊ほど書籍を読み終えた。1冊はフーコーとドゥルーズの神学思想に関するものであり、もう1冊はハーバマスの神学思想に関するものだ。ここからは、ジャック·エラルのテクノロジー神学思想に関する書籍を読んでいく。


解放に向けた合理性、すなわち解放的合理性は記憶が元になっている。既存の抑圧的記憶から脱却し、新たな記憶を紡ぎ出していく形で発揮される合理性があり、ハーバマスは実践的合理性という概念を通じてその点を示唆している。


スティグラーもまた記憶の重要性を自身のテクノロジー思想の中で展開しており、最近の自分の関心の焦点の1つは記憶にある。記憶にまつわる映画やアニメと出会うことも多く、この論点は引き続き考察を深めていく。


昨日メルヴィンと共に行った霊的実践を通じて得られた知覚体験について思い出している。1つ印象的なものとして、マインドが通常認識しているリアリティの背後にあるリアリティに参入し、それと一になる体験があった。


マインドが背後に移行し、無限後退する形で溶解して、背景にある広大無辺のリアリティと一体化する感覚と言えばわかりやすいだろうか。ただしこれは、いくら精緻に言葉を紡ぎ出したところで、同種の知覚体験をしたことがなければ全く通じないのだろうが。


いずれにせよ、通常の意識状態でマインドが認識しているリアリティは虚構でありかつリアル、リアルでありかつ虚構のものであり、深い変性意識状態においてはその背後に存在している無限に豊かなリアリティにアクセスすることが可能になる。そして、そうしたリアリティもまた虚構かつリアル、リアルかつ虚構、すなわち色即是空·空即是色なものだと弁えておかなければならない。


内的成長は認識論的·言語的変容と密接に関係しており、自らの今の認識論的·言語的空間を眺めてみると、それらの空間変容が迫ってきているように思う。日々読んでいる書物の内容を鑑みると、これまでとは異なる認識論的·言語的空間の構築に向かっていることがわかる。


既存の認識論的·言語的空間から脱却し、脱構築を通じて新たな認識論的·言語的空間が醸成されつつある。昨日の体験はその足掛かりとなるはずだ。


それでは今から作曲実践を行い、再び読書を行いたい。夕方にはノベルゲームのシナリオ作りに取り掛かる。このようにしてライフワークはゆっくりと進行かつ深耕していく。フローニンゲン:2021/8/30(月)11:30


7280. 自我という体験現象/ハイジャックされたリアリティ


時刻は午後7時半を迎えた。新たな週の最初の平日が、穏やかな夕日に照らされながらゆっくりと終わりに向かっている。


昨日、ショパンの協奏曲に大いに感銘を受けたので、作曲実践においてもう1つ楽器を追加してみることを考えていた。協奏曲を実際に作る際にはピアノとヴァイオリンの曲にし、参考になる楽譜を購入しようと思う。


私たちの自我というのは構築物というよりも、ひょっとしたら仮初めの体験的現象なのではないかという気づきがやってきた。この気づきは間違いなく、昨日の霊的実践を通じた知覚体験が元になっている。


自我が体験現象であるという側面は確かにある。自我が何かを体験しているのではなく、自我そのものが体験なのだという知覚体験。それは大切な洞察である。


リアリティは社会的に構築されているだけではなく、「編集」されてもいるという気づきも今日得られた気づきの中で重要なものだった。現代人のリアリティのみならず、人々の感覚もある意味ハイジャックされているということ。そのハイジャックから解放される体験を昨日にしていた。


フランスの思想家ジャック·エラルは、技術とテクノロジーを聖書を通じて分析し、技術とテクノロジーに対して神学的意味合いを汲み取っていることが興味深い。自分も独自の方法で聖書を元に技術とテクノロジーを分析してみようと思う。


今日は随分と神学関係の書籍を読んでいた。神学とテクノロジーを架橋させる書物はいつも刺激に満ちている。


明日に向かって歩みを進めている夕方の世界。昨日、友人のメルヴィンがトランプを用いたマジックを披露してくれたことを思い出している。彼のマジックに大いに驚かされ、プレゼントしてもらったマジック用のトランプのデッキが机の上にある。


先ほど、メルヴィンに教えてもらった基礎的な技術を何回か練習していた。人を楽しませる一つの特技として、マジックの練習を少しずつ進めていく。とても簡単なものをまずはできるようになり、少しずつレパートリーを増やしていこうと思う。


そういえば、メルヴィンにNintendo Switchを持っているか尋ねたところ、持っているとのことであり、今度一緒にゲームをすることになった。自分はまだその機器を持っていないが、10月に新しいモデルのものが発売されるタイミングで購入しようと思う。


今作っているゲーム作りにゲーム体験を活かしていきたいという意図もある。この街に来て6年目を迎えたが、この6年間を通じて自分は随分と変わったものである。フローニンゲン:2021/8/30(月)19:32

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