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7140-7142: アートの国オランダからの便り 2021年7月13日(水)



No.2470 隠れたリアリティ_Hidden Reality


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.752, Descendent

Something descended on me.

It is holy and divine.

It can be called the descendent of the spirit, which is a fortuitous experience.

Groningen; 07:20, 7/13/2021


No.753, The Kuleshov Effect

I’m wondering whether not only visual images but also words can generate the Kuleshov effect.

It could be possible when I describe at least two words in a relatively meticulous way.

Another question might be whether not only concrete words but also abstract words can create the Kuleshov effect.

I’ll experiment it.

Groningen; 11:41, 7/13/2021


No.754, The End of Human Civilization

The life span of human civilization might exhaust soon.

I feel so.

It is neither negative nor positive.

Rather, it is transcendental and inevitable.

Groningen; 20:43, 7/13/2021


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日生まれた3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

7140. トレーニングから一夜明けて

7141. 文明批判と文明の再建への道/模倣の力とシンクロ

7142. 終焉と新たな始まり


7140. トレーニングから一夜明けて


時刻は午前7時を迎えようとしている。今、洗濯機がゆっくりと回っている。


今日の早朝のこの時間帯は少し霧がかかっている。天気予報を確認すると、今日は夕方に小雨が降るとのことだが、降水確率からして、今日の天気予報も外れるかもしれない。


今週の中で確実に雨が降りそうなのは明後日であり、それ以降は晴れの日が続きそうだ。来週の天気が良い日には、気分転換を兼ねて南オランダのモンドリアン美術館にでも行ってみようかと思う。以前は宿泊付きで考えていたのだが、美術館までの往復がそれほど時間がかからないこともあり、日帰り旅行のような形で訪れてみようかと思う。


来月にワクチンの2回目の接種があり、それが終わってしばらくしたらワクチン接種の証明書が手に入る。それを持ってドイツのボンに旅行に出かけよう。9月に入ったぐらいがちょうど良いだろうか。


ボンでは必ずベートーヴェンの生家と近くのトリアーという街にあるマルクス博物館に立ち寄る。その他にも良い美術館があるかどうかを調べ、良さそうな美術館があればそこを訪れたい。デュッセルドルフにいる大学時代から付き合いのあるドイツ人の友人に会いにいくのはまた別の機会にしたい。


今朝方は起床した時に体の痛みがそれほどでもなかった。昨日の夕食前と寝る前に2回ほどトレーニングを行なったのだが、筋肉痛は少しあるぐらいだ。


限界まで挑戦し、確かにもう腕立て伏せなどはできないぐらいに追い込んだのだが、その後の食事と栄養補給と睡眠が効いたのか、疲労感はそれほど残っていない。


最初のうちは色々と観察をしながら進めて行こう。負荷量やインターバルの取り方などを仮説実験しながらその都度最適なものを選んでいく。とりわけインターバルに関しては次回のトレーニングで意識したい。各セット後の休憩をどれくらい取るのか。そこにもトレーニングの鍵がありそうだ。


今朝方の夢を思い出そうとしている。昨日はトレーニングを行なったことにより、意識も無意識も普段とは違った働き方をしていたように思う。それが影響して、あまり印象に残る夢を見ていなかった。


ただし、1つ覚えていることとしては、夢の中で早速トレーニングのことを話している自分がいたことだ。話し相手は見知らぬ専属トレーナーのような若い男性であり、その男性に自分のトレーニングメニューの内容と進め方を伝え、それに対して助言を得ていた。


その中で1つなるほど思うことがあり、感嘆の声を上げたのを覚えている。その他としては、確かドイツのドルトムントに関する夢を見ていたように思う。


自分はその街にいたのか、はたまたそこに今から訪れようとしているのかのどちらかだったように思う。確かにドルトムントはいつか訪れてみたい街であり、そこも今後のドイツ旅行の訪問先候補に入っている。


比較的静かな夢を見たことを引き継ぎながら、今日もまた自分の取り組みに打ち込んでいこうと思う。昨日のトレーニングのおかげで、思考がクリアになり、今日の探究活動は相当に捗るだろう。筋力トレーニングと探究活動の捗りについての関係性も見ていきたいと思う。フローニンゲン:2021/7/13(火)07:07


7141. 文明批判と文明の再建への道/模倣の力とシンクロ


時刻は午後7時半を迎えた。今日は天気予報が当たり、夕方から小雨が降り始めた。今も少しばかり雨が降っている。


夏の日の雨はどこか風情がある。依然として涼しい日々が続くフローニンゲン。


今日もまた探究活動が捗る1日であった。肉体改造を意図したトレーニングを始めてから、集中力が以前よりも増田ように思う。トレーニングによってホルモンの分量もどこか異なっているような気がしており、それが日中の意識に作用している。


本当に人間の肉体とは不思議なものである。また、肉体と精神の密接な繋がりについても改めて興味深く思う。


ここから週に2回の激しいトレーニングによって肉体がどのように変化し、それが精神にどのような影響を与えるのか。それが今から楽しみである。


広義の文明批判と文明の再建の道筋の探究。先人として、フロイト、マルクス、フランクフルト学派の仕事を改めて参照していく。


フロイトは精神分析の提唱者として知られているが、フロイトは何も個人の心を探究したのではなく、それよりもむしろ人間文明の限界を鋭く見抜き、人間文明を批判していたのである。


ウィーンにあるフロイト博物館に足を運んだ時にみた数々の骨董品を思い出す。フロイトは人間の文明に関心を持ち、それに敬意を評していたがゆえに、人間文明の限界を見据えながらそれを健全なものにしていくことをどこかで意図していたに違いない。


その他にも雑多なことを考えていた。人間が備えもつ模倣の力。そのおかげで私たちは学習が行え、それによって文化が発展してきたという点がある。


だが、現代の標準化·画一化の流れは、模倣の力を誤った方向に活用してしまう。それは個人や文化から個性を剥ぎ取り、画一化を導いてしまうことを招いている。模倣の力がそうした画一化の温床に成り下がってしまっていることに危機意識を持ち、スティグラーが述べるように、もう一度模倣の力を差異化の方向に復権させていく必要がある。


スティグラーの書籍を読みながら、完全に動作や行動、そして意識までもがシンクロしてしまう傾向を引き起こすグローバルテクノロジー社会のあり方に危惧を覚えていた。テクノロジーを通じて奇妙なシンクロ現象が起こり、人間が幾ばくかの社会性を持った昆虫に成り下がってしまうことをスティグラーも危惧している。


この点に付随して、世界規模でテクノロジー漬けにされている集合意識について考えていた。例えば、音楽をいつでもどこでも聴けるようになったことは肯定的な側面があるものの、音楽が持つ悪魔的な性質を考えてみた時に、世界規模で音楽漬けにされている集合意識については懸念がある。


意識が音楽的なものになるというのは肯定的な側面だけではなく、どこか脆さがあるはずだ。しかもそれが画一的かつ悪魔的な音楽だったらどうだろう。


この世界は平穏なのだろうか、それとも不穏なのだろうか。はたまたそれら双方か。


いや、それらも超越しているのだろうか。この世界のあり方に絶対的な違和感を自分が持っていることだけは確かだ。フローニンゲン:2021/7/13(火)19:49


7142. 終焉と新たな始まり


何かが終わりに向かっていることに気づく。そして、これまでとは違った全く新しいことが始まろうとしていることにも気づく。


自分が大きく変容し、自分の取り組みが大きく変わっていく。住む場所も生活のあり方も大きく変わるかもしれない。


自分がどれだけ変容しようとも、固有な自己とそれを支える超越的な存在は変わりようがない。自己は自己であり、同時に自己はそれを支える超越的な存在なのだ。


終わることに関して言えば、協働プロジェクトに関してはいくつか終わりが近づいていることに気づく。もはや自分の関心は単に人間の成長·発達にあるのではない。


ある特定の企業や企業社会の人生育成に携わるというのは少し前から関心が減退していた。実際にコンサルティングに関してはもう数年前に辞めている。


諸々の協働プロジェクトが終わる。自分はそこから離れていく。今の自分は、人間の成長·発達に関する事柄も内包したより大きな問題意識を持っている。


文明の衰退メカニズムと病理的構造の探究を通じた文明の再建に向けた実践。それに自分は関心がある。


それに向けて扱う学問領域も以前とは随分と変化した。フランクフルト学派の批判理論、批判的実在論、そして神学。こうした大きな学問領域に付随して、フロイト学派と新フロイト学派の理論を丁寧に辿り、マルクスの革命論理ではなくて社会批判理論を丹念に追っていく。


文明の衰退メカニズムと病理的構造を明らかにすることに関して言えば、成人発達理論やインテグラル理論は貧弱過ぎる。


これまで長い時間をかけて探究してきた理論を含んで超えていくこと。そのために、あえて自己に手厳しい批判を加えていく。


成人発達理論やインテグラ理論は一度投げ捨ててしまったほうがいいだろう。実際にはもう投げ捨てている自分がいるように思うが、まだその残滓が自分に付着している感じがする。


どこまで切り捨てればいいのだろうか。諸々の協働プロジェクトに終止符を打つことはその儀式になるかもしれない。


肉体改造に向けた激しいトレーニングの希求と同じくして、知的探究もまた激しいものを求める自分がいる。幾分強烈な上昇的エネルギーが流れているように思う。


それと対極的なエネルギーの流れ、すなわちアガペー的な下降のエネルギーもまた必要であり、同時に文明の再建に向けた実践に乗り出すためにはフィリア(友愛)もまた必要なエネルギーだ。


地上をもう少し見る試みとして、やはり旅に出かけるのがいいかもしれない。9月に入ってからドイツのボンとトリアーにはやはり足を運ぼう。自分を呼ぶ何かがそれらの街にある。フローニンゲン:2021/7/13(火)20:29

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