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7034-7036: アートの国オランダからの便り 2021年6月11日(土)


No.2351 祝いの神_A God of Celebration


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.681, A New Beginning

The morning world right now is very still.

There is no wind but there is full of tenderness.

The orange morning sun is shimmering.

A beautiful day began.

Groningen; 06:04, 6/11/2021


No.682, Money, Ecology, and Technology from Theological Perspectives

My current research focuses on the three domains: money, ecology, and technology.

I rigorously research on those fields from the theological perspectives.

Although my existential essence prefers Buddhism, Christian theology is profoundly rich in terms of the academic discourses on those topics.

Groningen; 21:01, 6/11/2021


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日生まれた3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

7034. 今朝方の夢

7035. 注意のハイジャック/危機的な枢軸時代の中で

7036. バーナード·スティグラーの慧眼に感銘を受けて


7034. 今朝方の夢


薄オレンジに染まる朝空。時刻は午前5時半を迎え、ここから朝日が本格的に姿を現す。


今朝方起床した際に、新たな1日が始まったことを静かな奇跡として捉えている自分がいた。


今日もまた始まったのである。いつも始まるのは今日である。今日以外が始まったことはない。そして終わりもまたそうである。


今日以外の始まりはなく、今日以外の終わりはないということ。毎日は今日なのだ。


それにしても昨日は随分と気温が上がっていた。2階の気温も上がり、2階のキッチンに置いてあるバナナも熱の恩恵を受けて、最近は熟するのが早い。冬の時代とは全く違う。


今日もまた天気に恵まれるようなので、午後には届けられた書籍を受け取りに、指定の場所に散歩がてら向かいたい。今回指定されたのは前回のおもちゃ屋ではなく、自宅から北西に1kmほど行った場所にあるホテルだった。


ホテルが郵便配達の場所に指定されているのは初めてのことであり、ホテルもまたそうした役割を担っているのかと驚く。自宅から北西に向かって進んだことはまだないので、初めて見る景色が今から楽しみである。


今朝方の夢を振り返り、今日も探究活動と創作活動に力を入れていこう。とりわけ前者の探究活動に関しては、今日もまた3~4冊ぐらいの本を読めたらと思う。


夢の中で私は、小学校5年生の時にお世話になっていた女性の先生と話をしていた。先生は当時のままであり、私の体もまた当時と同じようだった。だが知性に関しては今と同じのようであり、先生との会話は当時とは随分と違うものになった。


当時先生はまだ20代の半ばだったので、精神年齢としても完全に逆転しているようだった。先生の話を親身になって聞いていると、先生は色々なことを打ち明けてくれた。そこからしばらく先生との対話が続き、話がひと段落したところで場面が変わった。


次の夢の場面で私は、実家の目の前の瀬戸内海を思わせる海岸線にいた。厳密には、海岸線にある松林の道を歩いている女性を空から観察していた。どうやら私はその女性と知り合いのようであり、どこかのタイミングで空から突然声をかけて驚かせてやろうと企んでいた。


その女性は私に気づくことなく松林を歩いていて、私はタイミングをじっと伺っていた。すると、ここしかないというタイミングがやって来たので、私はすかさず上空から地面に向かって急降下し、肩に触れて声を掛けた。女性は突然のことだったので何が起きたのか理解できないようだった。


私はそこから彼女を海に連れ出し、一緒に海の中に入った。そこでようやく彼女は笑顔になり、瀬戸内海の澄んだ海の中を泳ぐことを気持ちよく思っているようだった。少しばかり海で泳ぐと、見知らぬ少年が、海岸にクジラが打ち上げられたと述べた。


どうやらクジラが沖合の海の汚染によって皮膚病になってしまったらしく、そのまま死んでしまったようだった。私はそれを知って、海の汚染を食い止める何らかの手段を打たねばならないと思った。そこで夢の場面が変わった。


今日はその他にも、渋滞で動きが遅くなった道路の上で待機する車の中にいた夢も見ていた。車は全く動かなかったわけではなく、ゆっくりとだが着実にどこかに向かって動いていた。すると、あるところで車がピタリと止まり、止まった車に1人のアメリカ人女性がやって来た。


その女性は何かを訴えるように大きな声を出していて、最初それは何かの抗議かと思ったが、どうやら彼女は教師のようであり、何かを私たちに伝えようとしているようだった。車にはアフリカ系アメリカ人の女性が乗っていて、彼女が窓を開けてその女性の話に耳を傾けようとしていた。


ちょうど私の前の席に日本人の見知らぬ男性が座っていて、外にいる女性に対して、 “How are you enjoying here in Miami?”と日本語訛りの英語で尋ねた。するとその女性は、“What do you mean by that?”と少し困った顔で答えた。


私は日本人だったので、彼が尋ねた質問の意図はなんとなく理解できたが、文脈上、その質問を突然投げかけても通じないだろうなと思った。すると外にいたアメリカ人女性は、車内のアフリカ系アメリカ人女性と日本人男性に薄紫色のアイスクリームを渡した。2人は美味しそうにアイスクリームを舐め、私は冷たいものは食べないので後ろからその様子を見ていた。そのような夢もあった。フローニンゲン:2021/6/11(金)05:57


7035. 注意のハイジャック/危機的な枢軸時代の中で


静かな朝の世界に佇んでいると、自ずから言葉が生まれてくる。シュタイナー的な発想で言えば、考えていることについて書き留めるのではなく、考えていることが自ずから語るようにして文字に書き留める。


自分が何かを考えるのではなく、考えに考えてもらうのである。日々の探究においても同様であり、考えが自発的に考えてくれることによってそれは進行してく。


マルクスが指摘するように、ある人間が他の人間を所有するという奴隷制のおかしさと同じぐらいに、人間が地球上の土地を所有するというのは馬鹿げたことだと思う。今となっては、地球を離れて宇宙空間においても土地の所有化が始まっている。


人間の社会や文明が所有という概念によって支えられ、それなくしては存在できないことに人間社会と文明の限界を見る。人間社会と文明は、内在的な限界を常に抱えていて、現代はそれが様々な問題となって顕在化している。神学上、所有というものがどのように扱われているのかを調べてみようと思う。


スラヴォイ·ジジェクは、現代の消費社会において、仏教の実践は単なる——完全なる——サプリメントの役割しか果たしていないと指摘する。もし仮にマインドフルネスの実践が重要であるというのであれば、その重要性は、私たちの注意をハイジャックし、ハイジャックした注意をエネルギーにして拡大する現代の経済·金融的仕組みに対してマインドフルネスでいることにあるだろう。


SNSやインターネットの発展を元にした現代の経済は、今ここという瞬間ですらハイジャックしてくる。現代はもはや、個人の客観的側面が商品化されることを超えて、主観的側面までもが商品化されている時代なのだ。


そうしたことに無自覚なままに自閉的にマインドフルネスの実践をすることは、認知的な繭(cognitive cocoon)を作り出してしまい、現代の経済·金融的仕組みに盲目的な状態となり、その餌食になってしまう。


SNSにおいては「エコーチェンバー現象(echo chamber)」の進行が目立ち、インターネットにおいては「フィルターバブル(filter bubble)」の進行が目立つ。前者の意味は、自分と同じ意見が様々な方向からやってくる狭い反響室のようなSNS空間で、同じような意見を見聞きし続けることによって、自分の意見が増幅·強化されることを指す。後者の意味は、インターネットの検索アルゴリズムによって、私たちが見たくないような情報は遮断され、逆に見たい情報だけが入ってくるような仕組みのことを指す。


検索アルゴリズムが生み出すフィルターによって、私たちはまるで泡に包まれたかのように、自分の見たい情報しか見えなくなってしまう。こうした点に無自覚なままにマインドフルネスの実践を行い、自閉的かつ認知的な繭を育みながら、狭い反響室のようなSNS空間と、検索アルゴリズムによって見たい情報しか入ってこない情報空間に閉じ込められ、そこで搾取の対象となってしまうことの危機を思う。


そこでは単に人間が経済的消費対象とみなされているだけではなく、実存的·霊的搾取がなされていることに大きな危機感を覚える。内面において脱人間化が進み、外面において人新世化進む危機の時代に私たちは生きている。その意味で私たちは、ヤスパースの言う時代の危機的転換点、すなわち枢軸時代(axial age)を生きているのかもしれない。フローニンゲン:2021/6/11(金)09:13


7036. バーナード·スティグラーの慧眼に感銘を受けて


時刻は午後7時半を迎えた。今日もまた清々しい1日であり、探究活動が大いに捗った。結局今日は、4冊ほどの書籍を読み進めていた。


午後に、郵便物の受け取りに指定されたホテルに向かい、そこでイギリスから送られてきた書籍を受け取った。それに加えて郵便受けにも書籍が入っていて、一方は社会主義とエコロジーに関する書籍、もう一方は「注意経済(アテンションエコノミー)」に関する書籍だ。デジタル化が日々進む時代にあって、人間の注意力というものが経済的資源となり、その話題に関心があったので本書を購入した。


今日読み進めていた書籍の中で、プラトンがテクノロジーは毒にも治癒にもなり得ると指摘している記述を目にした。残念ながら現在においては、テクノロジーの負の側面の方が優位に顕在化しており、テクノロジーに関する問題への関心も高まる。


そこから次に読み進めていたのは、まさにテクノロジー依存型の現代文明に対して非常に重要な批判的考察を行っているフランスの哲学者バーナード·スティグラーの書籍“The Age of Disruption: Technology and Madness in Computational Capitalism”だった。スティグラーの書籍はすでに何冊か購入済みであり、まだ未読のものが数冊あるのだが、上記の書籍を読んで、スティグラーの慧眼に大変感銘を受けた。


彼の経歴を調べていると、彼は20代の半ばに、武器の窃盗で5年間ほど投獄生活を余儀なくされ、そこで霊的な変容を遂げたことを知り、とても興味深く思った。スティグラーは獄中での霊的変容によって哲学者になったという異色な経歴を持つことが自分の関心を強く引いた。


すでにいくつかの書籍を購入していたのだが、まだ持っていない書籍があり、スティグラーの書籍を全て購入することにした。自分が関心を持った思想家に関しては、基本的にその思想家の著作物を全て購入して読むようにしており、ここ最近で言えばバスカーに続く形でスティグラーの全著作を読むことにした。


テクノロジーの発展に伴う記憶の外部化の問題について自分なりに考えを深めたいと思っており、スティグラーはおそらくその論点についても論証をしているだろう。次回の一括注文の際に残りの書籍を全て購入しようと思う。


マネーとテクノロジーの性質は自分の関心を強く引いている。そこにエコロジーを加えれば、現代において重要な領域の三位一体が形成されるように思う。


マネーと神学、エコロジーと神学についての書籍はすでにいつか購入して読み進めているのだが、先ほどふと、テクノロジーと神学の観点で文献調査をしていなかったので、今からその調査を行いたい。良書があれば、それらは全て文献購入リストに加え、次回の一括購入の際にそれらも合わせて注文しよう。


探究に次ぐ探究。利他的精神に駆り立てられる形で行われていく探究を見守る者として自分がいる。フローニンゲン:2021/6/11(金)20:00

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