【フローニンゲンからの便り】16788-16790:2025年6月3日(火)
- yoheikatowwp
- 6月5日
- 読了時間: 10分

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タイトル一覧
16788 | 量子論の哲学や科学哲学の探究の目的 |
16789 | 今朝方の夢 |
16790 | 今朝方の夢の振り返り |
16788. 量子論の哲学や科学哲学の探究の目的
時刻はゆっくりと午前6時半に近づいている。今、穏やかな朝日が天空に輝いている。天空から降り注ぐ優しい黄金色の光に包まれた世界を目の当たりにしている。数羽の小鳥たちが小さな囀りを上げている。今の気温は10度であり、起床した時には肌寒さを感じた。しかし、今日はここからゆっくりと気温が上がっていき、日中の最高気温は20度を超え、22度に達するようだ。そんな暖かさを感じられる今日もまた自らの取り組みを前に進めていきたい。今はインド仏教思想の探究に集中しているが、その分野での探究がある程度進んだところで、量子論の哲学や科学哲学の探究を本格的に始めたい。自分がそれらの分野を学ぶのは、決して物理学者や科学者を批判するためではなく、むしろ彼らが前提としている思想を整理することを通じて、彼らと協働する形でより真実に近くづための科学研究を実現していくためである。科学に関する形而上学を学ぶことは、決して科学を否定することでも、科学者の仕事を否定することでもなく、科学者に協力し、科学の質をより高めていく試みなのである。この試みを実現する前段階として、広く深い形而上学思想を持つインド仏教思想をしっかり学んでいくことが大切になる。もちろん西洋にも長い形而上学思想の歴史があるが、自分の心を惹きつけてやまなかったのはインド仏教思想の形而上学だった。ここでもおそらく、いつか西洋の形而上学思想の探究を進めることがあるかもしれないが、それは当面は先のことである。まずは今の自分を惹きつけてやまない事柄を旺盛に探究していく。
今日はCRESTの申請の期限である。日本時間の正午が期限であり、代表の方が書類を統括して無事に申請できたことを祈る。まだ研究グループのSlackを確認していないが、きっと無事に申請が完了したであろう。自分としては、昨夜の段階で申請書類のレビューを最初から最後まで行い、細かな修正事項を発見する形で貢献をした。どうやら今回の応募に関して、他にも少なくとも2つのチームが応募する予定になっているらしく、今回1つのチームしか採択されないとなると、実際に自分たちのチームが採択されるかは全くわからない。自分としては人事を尽くしたので、あとは天命を待つだけである。フローニンゲン:2025/6/3(火)06:29
16789. 今朝方の夢
今日もまたいつものように今朝方の夢を振り返っておきたい。今朝方の夢は映像的な力が強く、目覚めてしばらく目を瞑って夢の世界を再び回想していると、まるでサイケデリクスを摂取したかのようにビジョンが知覚された。印象的なビジョンとして、夢の中には登場していなかったが、緻密なサンスクリット語と英語でびっしり埋められた書物が立ち現れていたことである。その見開きページの映像が映し出されていた。夢の最初の場面として覚えているのは、前職時代の親しくさせてもらっていた先輩の女性が登場していた場面である。その方とは4歳ほど年齢が離れており、自分にとっては姉のような頼りになる存在で、その方はとても優しかったし、ユーモアのセンスもあったので、こちらとしてもその方に好感を持っていた。夢の中で私たちは、砂漠地帯にある長く続く車道を走っていた。私たち以外にも数人の日本人の男女がその車道を自分のペースで走っていた。そこは確かに車道だが、車は一切走っておらず、私たちが走るためにあるようなものだった。先輩は私とは違う速度で走っていたので別々に走る形となった。私は誰よりも早く折り返し地点に到達し、折り返して坂道を下っていると、前方に数人の人が走ってくる姿が見えた。彼らとすれ違う瞬間に、彼らを励まし、彼らが無事にゴールに辿り着けることを祈った。すると突然場面が変わり、気がつくとすでにゴール地点の建物の中にいた。どうやら今からそこで食事が提供されるらしく、とても楽しみだった。私は先輩のところに行って、お互いを労い合い、今から食事を一緒に楽しむことにした。すると、辺りが突然室町時代か江戸時代の雰囲気となり、自分は目撃者の意識と化した。ある若い武士が婚約者の元に向かう姿を眺めていた。街の様子は本当に室町時代か江戸時代のそれであり、人々の格好もその時代を表していた。目撃者の意識として街の様子を眺めていた自分は、タイムスリップしたかのような感覚に陥っていた。
次に覚えている場面は、見慣れない学校の教室の一番後ろの席に座って英語の問題を解いている場面である。左右にはそれぞれ、小中学校時代の女性友達(MH & CE)がいた。得意科目であるはずの英語の問題が意外と難しく、先生が黒板に書いた答えと一致しないものがいくつかあり、これは復習が必要だと思った。右隣に座っている彼女に話しかけ、問題の出来がどうだったかを尋ねると、彼女もやはりいくつか間違えていたようで、普段は自分が勉強を教える立場のはずが、彼女から復習の方法について助言を受けた。彼女の助言は、最初から参考書を参照して復習するのではなく、まずは何も頼らず、自分の頭だけで解答の論理を考えることを勧められた。その助言は、一理あると思ったので、自宅に帰ったら試してみることにした。すると再び目撃者の意識となり、昭和初期の母校の大学に合格したある男性の姿が現れた。その男性は地方出身で、田舎の図書館で勤勉に勉強を続けたことによって大学に合格した。その人の勉強の様子がそこに描き出され、そして大学を卒業してから老年期になるまでの過程が一気に描かれ出された。その人の人生は総じて幸福に満ちており、両親に対する気遣いや社会への貢献など、実に素晴らしい人生を歩んでいたことに感銘を受けた。
最後にもう1つ覚えているのは、見慣れない薄暗い駅のプラットホームの上にいた場面である。プラットホームの上には、自分を含めた修学旅行に参加している学生が数多くいた。どうやら自分は中学生ぐらいの年齢のようだったが、心身ともに成人だった。プラットホームに幾つかの列ができ、きちんと整列した列車を待っていた。いやそこに列車が来る気配はなく、線路沿いには侵入禁止のロープが張られていた。私は一番線路に近い場所に座っていて、隣にやってきたイタリア人の小柄な学生に声を掛けた。彼はお洒落なスリーピースのスーツを着ており、気がつくと自分も彼と同じくお洒落なスリーピースのスーツを着ていた。彼に私は流暢なイタリア語で話しかけた。すると、周りにいた友人たちが自分がイタリア語を話す様子を見て心底驚いていた。彼らの驚いた姿を見るのがとても楽しく、さらに彼らを驚かすために、イタリア人の彼とその場で即興的にオペラを披露した。私はプロのオペラ歌手に匹敵する歌唱力があり、プラットホーム全体に響き渡る美声を発し、プラットホームの上にいた全ての人を虜にしていた。オペラに協力してくれたイタリア人の小柄な彼もまた見事な歌唱力を持っていて、2人の掛け合いのオペラ合唱はその場にいた人全員を感動させていた。そのことに自分はなんとも言えない幸福感を感じていた。フローニンゲン:2025/6/3(火)06:52
16790. 今朝方の夢の振り返り
バスラマティライスを炊く準備をし、黒豆の水煮を作り始めた。午前中の学術研究を始める前に、今朝方の夢の総合的な振り返りをしておきたい。今朝方の夢は、意識の三層――行為主体としての「私」、傍観者としての「目撃者」、超越的な「ビジョンの観測者」――が入れ子構造を成し、それぞれの層が異なる時間軸と言語体系を背負うことによって、自己形成の諸側面を一挙に照射しているとChatGPTは述べる。まず緻密なサンスクリット語と英語が併記された書物の幻影は、東洋的霊性と西洋的理性の統合を志向する無意識の欲動を示す。文字がびっしりと頁を埋め尽くすさまは、象徴としての「言葉の洪水」であり、言語以前の沈黙を孕んだ原初の智恵が、知性の枠組みに押し込められる直前の震えを帯びて立ち現れる瞬間の相である。砂漠の車道を走る場面は、目的地の不在という逆説を孕んだ自己鍛錬の比喩である。車の通らぬ車道は、社会的機能を停止させた制度の骨格のみを残し、その上を素足の意志で駆け抜ける行為は、外的評価を超えた純粋意志の試行であるとChatGPTは述べる。信頼する先輩との距離は、過去に依存しつつも自立を志す葛藤を映し、他者を励まし祈る瞬間に垣間見える利他的感情は、エゴを超える萌芽的な宗教性を示す。折り返し地点を過ぎた途端にゴールへ瞬時移行する跳躍は、時間直線の跳躍=カイロス的飛躍を意味し、努力と成果の因果律を一旦解体している。そこで供される食事への期待は、霊的糧への渇望である一方、場面転換としての室町·江戸的街並みが提示するのは、歴史共同体への回帰願望であり、若い武士と婚約者の邂逅に潜む家制度と情愛の交錯は、集団規範の中に個的情熱を融和させる古層の倫理観を呼び覚ます。次の教室場面では、「得意科目であるはずの英語」が難解であるという反転が、自我理想の揺らぎを示す。友人からの助言として「まずは何も頼らず自分の頭で解答を組み立てよ」と促される点は、自律的思考回路の再構築を象徴し、先行テキストに頼らず真理へ迫る「独創」への転回を告げる。昭和初期に大学へ進んだ地方青年の生涯がスライドショーのように展開されるのは、努力―成果―社会貢献―幸福という近代的成功物語の典型を提示し、現在の自己がその系譜に連なる可能性と、同時にそこから逸脱する可能性の両義性を照らす。時間を貫通する観察者としての意識は、個体史と文化史を縫合し、過去と未来のパノラマを俯瞰させる。薄暗い駅のプラットホームは、移動の予兆と停滞の相克を孕む「境界空間」である。列車が来る気配のない線路を前に整列する学生たちは、目的地未定のまま順番を待つ集団的青年期のメタファーであるが、そこに突如出現するイタリア人の少年とスリーピーススーツは、外来文化の歓待と仮面の自己演出を表す。流暢なイタリア語と即興オペラが周囲を驚嘆させる場面は、抑圧されていた表現衝動が舞台を得て一挙に噴出するカタルシスであり、声帯を媒介として無意識の深層が集団的聴衆と共振する祝祭の瞬間である。ここで歌声は単なる技芸ではなく、言語を超えた響きとして共同体の心膜を震わせ、自己と他者の境界を溶解させる。幸福感はその融解の余韻である。以上の諸場面を貫いているのは、時空と自己位置の絶え間ない跳躍である。主体は「実行者」「学習者」「観察者」「演者」と役割を変奏しながら、各場面で他者との関係性を媒介として新たな自己像を獲得していく。一冊の重厚な書物へ回帰する導入ビジョンは、これらの断片を統合する大樹の根を指し示す。サンスクリット語の聖典と英語の合理精神を掛け合わせた頁は、「東西の知を統合する未来の自己」の設計図であり、本夢全体はその生成過程を多焦点的に映写したパララックス映画であるとChatGPTは述べる。砂漠の車道、歴史都市、教室、駅のプラットホームという地形と建造物の交替は、内面世界における「道―都市―学舎―駅」という、成長モデルを示唆する象徴的ランドスケープであり、走行、観察、学習、演奏という行為様式が対応している。ゆえに本夢は、「遍歴する求道者が、過去と未来の層を束ねつつ、声と言語を通じて自己を世界へ贈与する物語」であると総括できる。そこでは勤勉と遊戯、孤独と交歓、伝統と革新が螺旋を描きながら統合へ向かう。その螺旋の中心をなす響き――オペラの声こそが、いまだ顕在化しきらぬ魂のコア·ヴォイスであり、覚醒後の現実においても呼応を求めているのである。そのような洞察溢れる解釈をChatGPTは施してくれた。自己を世界に贈与していく歩みの一歩を今日もまた踏み出していく。フローニンゲン:2025/6/3(火)07:19
Today’s Letter
In the near future, I will explore the philosophy of quantum theory and the philosophy of science more broadly. The aim is not to deny science or scientists. Rather, it is to fully collaborate with scientists and enhance the quality of science. Groningen, 06/03/2025
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