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6835-6838: アートの国オランダからの便り 2021年4月18日(日)


No.2133 朝光の道_A Path of Morning Light


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.532, The Essential Way of Living

The ground of all beings is always embracing me.

I’m always talking to it with gratitude, too.

I’m always living as it with gratitude, too.

That’s the essential way of living.

Groningen; 06:52, 4/18/2021


No.533, Our Inner Shadow and Inner Light

Our unique inner light lies in where our unique inner shadow exists.

Finding our unique shadow is discovering our unique light.

Healing our shadow is igniting our inner light.

Groningen; 08:44, 4/18/2021


No.534, Toward the House of Freedom

All sentient beings are walking toward the house of freedom.

I’m one of the messengers and facilitators of the path.

Groningen; 10:20, 4/18/2021


No.535, Torah & Music

Something novel emerges from the 22 letters of the Torah that can be ordered in many different ways.

Something novel in music also emerges from the 12 tones that can be arranged in various ways.

Something is in common between the Torah and music.

Groningen; 11:33, 4/18/2021

No.536, Our Name

Our name is created via divine power.

Every name is in divine existence.

When we call our name, sacred power is naturally invoked.

Groningen; 14:51, 4/18/2021


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日生まれた5曲

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本日生まれた曲はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

6835. 霊性学のこれから

6836. 今朝方の夢

6837. マーク・ガフニィの書籍/今朝方の夢の続き

6838. 昼時の幸福な出来事


6835. 霊性学のこれから


時刻は午前6時を迎えた。最近は午前5時半頃にはもう薄明るくなっていて、朝風呂に入っている時にはその様子を眺めることができる。


夜から朝への移行期間において、今朝はかろじて星が朝空に浮かんでいる姿を拝むことができた。闇夜から新たな1日への移行期間。精神的時空間において、それは時に苦しみをもたらし、時に喜びをもたらす。


闇が明けていく時のあの感覚。不思議なことに、闇は新たな1日に向かってゆっくりと明けていくのだが、ふとした時にもう闇が明けたと認識する。移行過程は連続的かつ緩やかなものなのだが、移行の瞬間は非連続的かつ突発的なものなのだ。それはまさに人間発達の原理でもある。


朝風呂に入りながら、霊性学的な言語体系を意図的に日常の会話や対話の中で活用していくことの意義について考えていた。確かに、高度な認識世界について語る際に、それを科学的な用語だけで語ることも不可能ではないが、高度な認識世界の現象においては兎にも角にも直接体験が重要であり、それらは通常1人称言語で語られるものであるから、科学的な3人称言語で語ることには限界がある。


またそもそも、高度な認識世界における超越的な知覚体験を科学的な用語だけで語ろうとすると、言葉の力の貧弱さを露呈することが往々にして起こる。科学的な言葉に内包されている言葉の脆弱さ。それは幅においても深さにおいてもそうである。


それは否定的なことばかりではなく、逆にそうした脆弱さは当該領域の発達余地であり、そうであるがゆえに科学は進歩を続けている。一方、霊性学的な領域においても進化は不可欠であろう。


その進化を実現していく時に、霊性学の領域においても言葉を開発·涵養していくことが重要になる。そしてそれを行うためには、もちろん霊性学の領域の中での探究が進んでいくことは重要だが、それ以上に重要なのは、他の領域への越境と対話であろう。


先日、ハーバマスの書籍を読んだ際に、現代の宗教の問題として、宗教世界と世俗世界の言語的分断による対話の欠如が1つ問題として挙げられていた。まさにそれと構造は似ている。


霊性学においては、科学的な言葉や俗世の言葉の用法を理解する必要があり、科学の世界や世俗世界は霊性学的言語を獲得する必要がある。ひょっとすると、後者の場合は要求が高いかもしれず、重要なことは霊性学に従事する人間が特殊な言葉を仮に使う場合に、それを日常言語のコンテクストにおいてわかりやすく伝えることかと思う。


それをしなければ、対話が成立しなくなってしまう。霊性学においては、対話を成立させるためにそうした工夫をしながらも、それでいて霊性学の特殊な用語を使うことを避けてはならないように思える。


やはりそうした用語が誕生した歴史があり、またそうした特殊な言葉に内包される力があるからである。戦後、GHQによって日本語から特殊な力を持つ漢字が軒並み骨抜きにされ、言語的地盤沈下が起こった。特殊な力を持つ言葉を大いに失った日本語が、日本人の意識の発達に暗い影を落とした歴史を忘れてはならない。


そうした歴史を見ても、霊性学においてはその特殊な言語体系を決して骨抜きにしてはならないように思う。それでは霊性学の世俗化の問題についてはどう考えていけばいいのだろうか。そのようなことを朝風呂に入りながら考えていた。


小鳥たちが清澄な鳴き声を上げながら、新たな1日の始まりを祝福している。自分は祝福されていて、そして自分はこの世界を祝福している。フローニンゲン:2021/4/18(日)06:21


6836. 今朝方の夢


時刻はゆっくりと午前6時半に向かっている。辺りはもう随分と明るくなっているが、朝日が本格的に地上に降り注ぐのはこれからだ。それを待ちわびるかのように、小鳥たちが鳴き声を上げている。


先ほど、朝風呂に浸かりながら考えていたことを書き留めた。朝風呂に入っている最中にはもう1つ、今朝方に見ていた夢を再活性化させることも行っていた。


今日に限ってみればそれはとてもうまくいき、浴槽に浸りながら夢の世界で見ていたシンボルや夢のいくつかの場面を再想起することができていた。それらを含めて、今朝方の夢について書き留めておこう。


分析や解釈をすることをしなくても、夢を書き出すだけでも十分なシャドーワークになっていることを実感する。それはおそらく、書き出す過程の中で、シャドワークの根幹である3-2-1のプロセスを行っているからだろう。


夢の中で私は、一流企業が入っているような立派なビルの屋上にいた。そのビルに負けないぐらいの立派なサッカーコートがそこに広がっていた。


そこで私は、小中学校時代の友人たちと一緒にある大会に出場していた。それは学校対抗の大事な大会のようであり、学校から応援に駆けつけて来てくれた生徒たちがたくさんいた。


私は初戦において、フォワードの1人として出場することになった。試合が始まってみて気づいたが、こちらは4人もフォワードを置くフォーメーションを採用していて、前後に2人のフォワードが配置されるような形だった。


私は同じくフォワードを務める1人の友人と話し合い、試合の流れに応じて柔軟に前後を入れ替りながら試合を進めていこうと決めた。本当は前後だけではなく、左右の動きも欲しかったので、4人で話し合えばよかったかと思ったが、とりあえず前半は前後の動きだけで進めていくことにした。


試合は拮抗しており、なかなか得点が入らずにもどかしくしていると、突然自分の体は瞬間移動して、野球グラウンドにいた。そこでも大事な試合が行われていて、私もその試合に参加していた。


小中学校時代のある親友(HS)は、本来キャッチャーの能力に優れているのだが、正規のファーストがまだ会場に到着していないので、その代わりを務めていた。試合はしばらく硬直状態が続き、ようやく本来ファーストを務める友人がやって来て、親友はキャッチャーのポジションについた。その時、親友の表情はとても明るくなり、まさに水を得た魚のように溌剌としたプレーを見せ始めた。


気がつくと試合は終わっていたようであり、私は大浴場の更衣室にいた。試合後の疲れを風呂に入って癒すには温泉はもってこいであり、私はすぐに体を流し、風呂に入ろうと思った。


どうやら一番風呂のようであり、私に遅れてゆっくりと友人たちが大浴場に姿を現し始めた。体を洗いながら、隣に座った友人と話をしていたことを覚えている。


次の夢の場面では、私は1つ前の夢で出て来たのと同じに思えるビルの中にいた。そこの会議室で、10人近くの人たちと何かについて打ち合わせをしていた。10人近くいるうちの1人だけが私の友人だった。


その場での話が佳境を迎えた時、英語で話をする場面があった。その場にいたのは全員日本人だったが、私の英語を聞いて、隣にいた人が、「帰国子女の方ですか?それとも企業から派遣され、外国に長年駐在されていたのですか?」と尋ねられた。私はそのどちらでもないことを伝え、自分のこれまでの歩みを簡潔に述べた。


すると私の横にいた友人も英語を話し始め、彼が英語を話せるとは思ってもいなかったので驚いた。どこで英語を習得したのかを尋ねてみたところ、彼こそ帰国子女であり、英語圏だけではなく、スペイン語圏でも生活をしていたらしいことがそこでわかった。


その時、夢の中の私は、夢の中の彼はそのような生い立ちがあっても、現実世界の彼はそうではないことをわかっていた。そのような夢の場面があった。


ここ最近は、最後の場面でもあったように、どこか明晰夢に近いような現象を体験することがある。夢が夢であることを意識しているこの現象はとても不思議であり、今後この現象がどのような進展を見せるのかを観察していこう。フローニンゲン:2021/4/18(日)06:49


6837. マーク・ガフニィの書籍/今朝方の夢の続き


時刻は午前7時半を迎えた。たった今、洗濯物を干し終えた。新居に移ってからは2日に1回洗濯をするようになり、それがもう習慣として定着した。


2日1回の洗濯であれば、洗濯物を干すことの手間がそれほどでもない。程よい負荷量がそこにある。


毎日洗濯をするとなると、それはそれで面倒であり、一方で、3日に1回の選択になると、今度は洗濯物を干す時に色々と手間になる。それを考えると、今のペースが最適なのだろう。


この時間帯になると、小鳥たちの鳴き声は随分と静かになっている。彼らは鳴くことを止め、別の活動に移っていくのだろう。自分もこれから朝の創作活動と探究活動を本格的に始めていく。


これまでのところ、いつもと同じように、詩を作り、絵をいくつか描いた。ここからは作曲実践を始めていく。作曲実践に関してもゆっくりとだが着実に進展している。


ここ最近は音楽理論や作曲理論のような学術書を読むことをしておらず、もっぱら実践に重点を置いている。最近はベートーヴェンやドビュッシーに範を求めていて、バッハに関しては継続的に参考にしている。


無人島にどんな書物を持っていくのかについて考えることは誰しもあるだろうが、自分であればそのうちの一冊に、自然言語ではなく音楽言語で綴られた、バッハの平均律クラヴィーア曲集の楽譜を加えるであろう。


文字を読むのではなく、楽譜から音を読み、美しい音の世界に身を投げ入れること。バッハの平均律クラヴィーア曲集の楽譜は、それを可能にしてくれる。


昨日に“Integral Christianity”の初読を終えたので、今日からは“Radical Kabbalah”の初読を始める。著者のマーク·ガフニィとは、JFKUに留学していた時に、バークレーのワークショップで会ったことがある。


私はまさに彼のワークショップに参加していて、霊性とシャドーに関するテーマの講演を聞いていた。講演後、マークに質問をしに行ったことを懐かしく思い出す。そんなマークの主著とも言える本書を今日から読み進める。


この書籍は2012年に出版されていて、ちょうど自分がJFKUに留学していた時と重なる。しかし当時の自分は、本書のタイトルにあるように、ユダヤ教のカバラの実践を深く探究することに関心はなかった。


しかし、今となっては昨日にキリスト教に関する書籍を読んだだけではなく、ユダヤ教についてもインテグラル理論や成人発達理論の観点から見直すことに関心があり、本書を購入した次第である。本書は2冊から構成されていて、合計すると700ページを超す。本書もまた音読をしていこうと思うが、細部に関しては入り込まずに、自分の関心を引くところを中心に音読していこうと思う。


作曲実践を始めようとしたところ、今朝方の夢の続きを思い出した。夢の中で私は、現在協働中のとある会社のメンバーの方々と話をしていた。話をしていた場所は、最初の夢とその次の夢で登場した同じビルのようだった。


あるメンバーの方がどうも体調がおかしいように見え、周りの人たちが心配をしていた。どうやら労働時間が長すぎるようであり、過度な労働によってメンタルを病んでしまっているようだった。それが身体に症状として色々と出ていて、私はそれをとても心配した。


その方が無理を押して出社して来たので、私はその方に休息を取ってもらうことを促し、今この瞬間にできる癒しの実践は何かないかと考えた。すると、その方を心配しているはずのその他のメンバーの人たちが、その方の症状の深刻さをあまりわかっていないような発言をしたので、私は思わず声を荒げて、事の重大さを指摘した。


その方は出社するや否や、会社の入り口に倒れ込み、昏睡状態になっていた。私はその方を肩で支えながら起こし、屋上の新鮮な空気を吸ってもらおうと思った。


屋上に向かう階段をゆっくり歩いている時に、私はその方の背中をさすっていた。背中をさすることによって、自分のエネルギーが伝播したのだろうか、屋上に到着する頃にはその方の意識が戻っていて、表情も明るくなっていた。


屋上のドアを開けると、開放的な空間が広がっていた。しかし、突然にわか雨が降り出した。だが、空は晴れていて、その雨はとても美しく輝いていた。


その方と私は、雨の中、屋上を走りながら思うに任せてはしゃぎ回っていた。私はふと、屋上の地面から浮かび始め、空を泳ぐことの楽しさをその方に伝え、その方にも空を飛んでみることを勧めた。


そのような夢を見ていたのを思い出す。この夢においては、最後、自由と解放を享受している感覚が強く印象に残っている。フローニンゲン:2021/4/18(日)07:44


6838. 昼時の幸福な出来事


時刻は午後9時に近づいている。今週末も大変有意義な時間を過ごすことができた。今日は朝からカバラに関する書籍を読んでいて、その書籍の初読を夕方に終えた。


カバラについてはほとんど無知な状態だったので、その書籍から得られたことは非常に大きく、カバラと他の宗教的実践に通底するものが数多く見られたことは大きな収穫であった。1つとして、ちょうど先日日記で言及していた名前の重要性に関して、カバラにおいてもそれが強調されていることに気づいた。


端的には、名前は神性の中にあり、名前と神性が一致するものであるという認識は、大変共感するものがあった。このテーマは非常に深いため、後日考えをまとめておきたいと思う。


いずれにせよ、マーク·ガフニィの“Radical Kabbalah”の第1巻を通じて啓発された事柄は、今後の探究においても重要な要素になるだろう。第1巻を読み終えた後、すぐに第2巻に移るのではなく、スタニスラフ·グロフが執筆したスピリチャル·エマージェンシーに関する書籍を読み始めたので、第2巻については、また後日読み始めようと思う。


シャドーあるところに光あり。ユニークな影はユニークな光の存在を示唆している。そのような気づきが午後に降って来た。


内的光のユニークさだけに注目するのではなく、内的影のユニークさにも注目をすること。そして、その価値を認めること。それはシャドーワークを進めていく上で大切なことなのではないかと思う。


そもそも固有の光が存在するためには固有の影が必要であり、その逆も然りである。内的光と内的影は表裏一体の関係なのだ。それを忘れることなくシャドワークを引き続き行っていこう。


今日は昼過ぎに、隣人のインド人のサハルとその息子のフィンにプレゼントを贈った。先週末に自宅に招いてもらって、そこで色々とお世話になったので、そのお礼に贈り物を贈ったのである。サハルはお礼などいらないと述べていたが、書籍を預かってもらっていただけではなく、自宅で飲み物をもらったり、高価な資料集をもらったこともあり、お礼をせずにはいられなかった。


サハルとフィンの2人には、バイオダイナミクス農法で作られたミックスジュースを贈り、4歳のフィンには絵を描ける自由帳をプレゼントした。その表紙は、日本のアニメ映画『バケモノの子』であり、今から6年前に東京の映画館でその映画を見て、グッズ販売店でそのノートを購入していたのだ。


記念に購入した品だったので、それを使うことはなく、いつか自分に子供ができたら子供にあげようかと思っていたぐらいのものだった。引っ越しに際してそのノートを見つけ、新居に持って来て、どういうわけか目立つところに置いていた。そしてフィンと出会った。


きっとそれは、フィンにプレゼントするために購入したものだったのだろう。6年前、東京の映画館で何気なく購入したその品は、フィンに贈るためだったのだ。


その時の行為は他人のためだったのだと思うと、どこか不思議な気持ちになる。ノートを受け取ったフィンは、笑顔で嬉しそうにお礼を述べた。彼のそうした表情を見ることができただけで幸せであった。


日本のアニメ好きのサハルは、すでにそのアニメ映画を見ていて、フィンがもう少し大きくなったら一緒に見ると述べていた。2人に別れの挨拶をしようとしたところ、サハルがまた自分の書籍を預かってくれていたようであり、それを受け取った。それは、“Habermas and Religion"という書籍であり、到着を楽しみに待っていたものだ。


2人に贈り物を渡した後にすぐさま贈り物が届けられたかのように思え、思わず笑ってしまった。この世界は双方向的な贈与で成り立っているのだろう。そのようなことを実感させてくれる昼時の出来事だった。フローニンゲン:2021/4/18(日)21:11

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