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6804-6807: アートの国オランダからの便り 2021年4月8日(金)


No.2096 夜の訪れ_A Coming Night

本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.504, A Creative Spirit

Early hours in the morning are precious for me.

I can concentrate on my work very much.

A creative spirit might dwell in morning.

Groningen; 09:17, 4/8/2021


No.505, An Ultimate Truth

When I reach the depth of what I learn, an ultimate truth that is shared with other learning areas is revealed.

The ultimate truth is universal.

Groningen; 09:45, 4/8/2021


No.506, Before Going to Bed

A night spirit is coming down to the earth.

Both the spirit and earth are me.

I’m so delightful to re-unite with them.

I could go to sleep very well tonight, too.

Groningen; 21:53, 4/8/2021


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(5つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日生まれた5曲

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タイトル一覧

6804. 新居での暮らしから

6805. 今朝方の夢

6806. あまりの寒さから筆を取って

6807. 探究の新たな方向性/政治神学への関心の芽生え


6804. 新居での暮らしから


時刻は午前7時半を迎えた。今、小鳥たちが家を取り囲むようにして清澄な鳴き声を上げている。


先ほど朝風呂に浸かっている時にも彼らの鳴き声が聞こえていて、浴槽でリラックスしながら彼らの鳴き声に耳を傾けると、より瞑想的な意識状態になる。小鳥たちの鳴き声は、自分にとって意識状態を変容させ、それを深める働きをしてくれている。


もうすぐしたら洗濯機が止まる頃だろうか。今日は曇りがちであるが雨は降らないようなので洗濯物をしようと思う。


以前言及したように、前の家には乾燥機が付いていて、それを毎回使っていた。というよりも、欧米での生活を始めて以降、乾燥機のない家に住んだことはなく、それをずっと使ってきたことに改めて気づく。


だが今回の新居は、オーナー夫妻のエコ意識によって、乾燥機は取り付けられていない。洗濯機と比較して、乾燥機は環境的負荷が高いとのことである。そうしたこともあり、およそ10年ぶりに乾燥機を使わず、手で洗濯物を干すということをしている。


オーナーのフレディさんが、家の横に洗濯物を干せるプライベートスペースを作ってくれているので、いつもそこで洗濯物を干している。そこには雨除けがあり、手作り感が肯定的に漂う針金が3本ほどかけられていて、そこに洗濯物をかけて洗濯バサミで止めたり、ハンガーにかけた洗濯物をそこに吊すことができる。


雨除けのため、雨の日でもそこで洗濯できるが、雨の日は浴室で洗濯物を干すようにしている。それでも朝に洗濯をすれば、夜にはちゃんと乾いている。それを見て、乾燥機は確かに不要かもしれないと思った。


乾燥機が環境負荷が高い点のみならず、洗濯物を痛めてしまう危険性もある。確かにこれまで幾つかの衣類が乾燥機によって擦り切ってしまったことがあった。


一方で、時間の節約という観点では乾燥機はやはり便利であった。この点については、今は洗濯をしながらポッドキャストを聞いていて、勉強しながら洗濯をしている。


ただし外に洗濯物を干す際には、Bluetoothの範囲から外に出てしまうため、いったんポッドキャストを止めて、洗濯を干すことに集中するようにしている。その際には、小鳥たちの鳴き声に耳を傾けたり、朝の静けさを味わうようにしている。こうした日常の何気ないことが日々の充実感と幸福感につながっていることを実感する。


今日は午後に、オーナーのフレディさんにキッチン側の窓を点検してもらうことになっている。今はちゃんと閉まっているように見えるが、それが完全に閉まっていると言えるかどうかわからない。何せ窓も全てフレディさんの手作りであり、人が作ったからこそ生まれる良い意味での不完全さ、あるいは遊びの部分があり、それによって完全に窓が閉まっているのかわからない状態になっている。


部屋の窓はどれも2重窓になっていて、外側に面している窓は、あえて若干の隙間を設けることによって開閉が可能になっている。その窓しかないと冬には冷たい風が隙間風として部屋に流れ込んできたり、虫が部屋に入って来てしまう。そうしたことを防ぐためにもう1つ窓が取り付けられて2重構造になっているのである。


今日フレディさんに確認してもらうのは、その2重扉の方である。こちらが完全に閉まらないように感じている。


それを確認してもらったら、ついでの部屋の暖房システムについても見てもらいたい。一応部屋の室温が一定に保たれていることを見ると、暖房システムはうまく作動してるのだろう。


しかし室温を高く設定しても、一昨日や昨日などは部屋がとても寒く感じられていて、うまく機能していないと見ることもできる。その点についてもフレディさんに確認しておきたい。フローニンゲン:2021/4/8(木)08:03


6805. 今朝方の夢


時刻は午前8時半を迎えようとしている。ちょうど今し方洗濯物を干し終えた。


今日もまたとても寒いので、洗濯物を外で干している時に手がかじかんでしまった。かじかんだ手で今日記を書いている。


これまでは乾燥機もあったこともあり、洗濯は3日に1回のペースで行っていた。しかし今は洗濯物を自分で干していることもあり、洗濯する量が増えると干すことが大変になってしまうこともあるので、これからはもう少しこまめに、2日に1回洗濯をしようと思う。枕カバーもそれぐらいの頻度で洗っていく。


今朝方の夢についてまだ振り返りをしていなかったように思う。新居に引っ越してからは、朝風呂に浸かりながら、再度夢見の意識のような意識状態に意図的に入り、そこで夢を回想してみたり、時には夢の世界の中に再度入ってみることをしている。今朝方もそのようなことをしていた。


夢の中で私は、見慣れない場所にいた。そこはどこの国にも属していない国籍のない街のように思えたが、そこにいる人々は日本人だった。


私はその街のシンボルとも言えるような設備にいた。その設備について説明するのは難しい。何せ現実世界にこのような場所がないのだから。


あえて描写するのであれば、それは何らかのトレーニング施設と買い物や飲み食いができるようなスペースの双方を兼ね備えているような場所だった。それはモダン建築でできていて、建物の外観は、黒曜石の塊のようにも思えた。あるいは、この世のものとは思えないような黒い物質で作られていたとも言えなくもない。


私はその設備内に入っていき、動く歩道に乗って、傾斜の緩やかなスロープをゆっくりと上っていた。その途中で、小中学校時代の数人の友人と出会った。


私は何らかのトレーニングに参加することになっていたようだが、その前にトイレに行っておこうと思った。気がつくと私はトイレの個室に入っていて、便器の方を一瞥すると、便器内に食べ物の残りカスなどいろいろなものが溜まっていた。どうやらそれはもう流れないようになっていたらしかった。


困ったなと思った私は個室から出ようとした。すると突然、隣の個室との間の壁に設けられたドアから、見知らぬ若者がこちらの個室に入って来た。そして何事もなかったかのように、無言で詰まったトイレを流した。


便器内に溜まっていたものは渦を描きながら見事に全部流れていった。彼は私の方を見て、何か言いたそうだったが、何も言わずにその場に佇んでいた。


私は彼にそのトイレを使ってくれとジェスチャーで示し、個室から出て行った。個室から出た時に、何か自分はし忘れているようなことが残っているような気がして、少し気持ち悪さを感じていた。それが一体何かわからないままトイレから出ようとすると、私の体は瞬間移動していた。


今度は、その設備内の研修室の中にいたのである。どうやら今から何人かの研究発表があるらしく、登壇者の方を見ると、小中高時代の友人(HY)だった。


研究発表は全て英語で行わなければならず、彼のことが心配になったが、いざ彼がプレゼンを始めてみると、非常に流暢な英語を彼が話しており、何も心配いらないと思った。


友人のプレゼンは、いきなりある日本のアニメのワンシーンを流すというものであり、その作品について知らない人が見たら何のことかわからないだろうと思ったが、彼の狙いはそこにあるらしかった。背景情報やコンテクスト情報が一切ないままにアニメのワンシーンを流し、そこからある現象について説明を加えることが彼の狙いらしかった。


とは言え、私の隣にいた女性は、いきなりアニメのワンシーンを流すのではなく、一言何か説明があった方が良かったのに、と述べていた。今朝方の夢で覚えているのはそれぐらいだろうか。実際には、もう少し様々な場面があったことを覚えている。フローニンゲン:2021/4/8(木)08:47


6806. あまりの寒さから筆を取って


論理的なつながりなど一切ないのだが、今し方外に出てゴミを捨てに行ったところ、身が凍えてしまうような寒さを感じたので文章が書きたくなってしまった。


時刻は午後1時を迎えたところであり、本来であればこの時間帯は気温が上がってくる頃なのだが、今日は張り裂けそうな寒さがある。別に外はマイナスの気温になっていないのだが、体感温度としての寒さが厳しいのだ。それは先週引っ越しをしたあたりに暖かかったこともあり、そのギャップから来るものかもしれない。


ゴミを捨て終わり郵便受けを確認したところ、新居に引っ越して早速13冊ほど書籍を注文したうちの1冊が届けられていた。それは“The Power of Religion in the Public Sphere”というタイトルのものだ。


書籍のタイトルにあるように、ハーバマスの「公共空間」の概念を切り口にして、宗教の力について論じている思想書である。実際に執筆者の1人にハーバマスがいる。その他の執筆者として、アメリカの哲学者ジュディス·バトラーとコーネル·ウェスト、そしてカナダの政治哲学者チャールズ·テイラーがいる。


本書は130ページほどの薄さなので、今日から音読を始めていけば、明日には十分初読が終わるだろう。これから残りの12冊が続々に届けられて来るはずであり、すでに手持ちの書籍の中で音読したいものと合わせてそれらの新たに届けられて来る書籍も音読をしていく。


2階のフロアを歩きながら音読をしたり、姿勢が悪くなることを防ぐ特殊なクッションに寄りかかって仕事場の近くの窓辺で音読をすることが良き習慣になっている。


引っ越しをしてすぐの頃には晴れの日が続いていたので、陽だまりに止まって立ちながら音読をしていたこともあった。天気が悪くてもカーテンを開ければ窓辺には明るさがあり、書物を読むことに不便しない。


この家で暮らす少なくとも2年間は、絶えず何かしらの書籍を毎日音読していこうと思う。この家は自分にとって音読道場、ないしは音読教会のような探究拠点になっている。


今日は午後3時前にオーナーのフレディさんが我が家に立ち寄り、キッチン側の窓と暖房システムの点検に来てくれる。フレディさんの点検が終わり次第、近所のスーパーに買い物に行きたいと思う。その際に、いつもの食材に加えてキウイフルーツを購入することを忘れないようにする。また生活用品として、トイレットペーパー、ティッシュペーパー、浴槽を磨く溶剤を購入する。


以前の家の近くにもオランダの2大スーパーのうちの1つのユンボがあり、今の家の近くにもユンボがあるのでとても助かる。そう言えば、新居近くのEkoplazaは街の中心部よりも面積が広く、品揃えも良かったのだが、1点だけ、八丁味噌が置いていないことだけが残念である。


玄米味噌と麦味噌は置かれているので、八丁味噌も置いてもらえるように空き瓶を持ってリクエストをするか、それとも他の味噌に変えるかを検討している。これまで長らく、朝にはベジブロスに八丁味噌を加えたスープを飲んでいて、夜は玄米味噌を用いた野菜スープを飲んでいる。


朝のスープに加えるものは麦味噌に変えてみようかと考え中であり、後ほど八丁味噌と麦味噌の成分や効能を比較したいと思う。フローニンゲン:2021/4/8(木)13:28


【追記】

日記を執筆することの不思議な力。それは良き偶然や幸運を呼び込むことだろう。


上記の日記を書き終えた直後にフレディさんがやって来て、2つの問題を速やかに解決してくれたのである。窓に関しては、閉め方に工夫がいるらしく、その工夫を聞いて自分も試してみたところ、見事にキッチン側の窓がちゃんとしまった。


また、家の暖房システムについても、中央システムをチェックしてくれ、少し温度を上げてもらった。さらには、フレディさんからの助言として、2階にある4つの空調システム——空調システムが4つも天井にあるとは気づかなかった——のうち、1つだけ空調を作動させ、残りについてはスイッチをオフにしておくことを勧められた。


何やら冷たい空気がそこから流れて来て、それが部屋の気温を下げている可能性があるからとのことだった。冬場は1つだけ空調を残せば部屋の暖かさが保たれ、夏場は全ての空調を機能させれば部屋が涼しくなることを覚えておこう。


上記の日記を書き終えた直後にフレディさんが家をノックしたので驚いた。書くことは何か引き寄せる力を持っているようだ。フローニンゲン:2021/4/8(木)13:44


6807. 探究の新たな方向性/政治神学への関心の芽生え


時刻は午後8時に近づきつつある。サマータイムが始まった早くも10日近く経ち、日が随分と伸びているのを感じる。


日が完全に沈むのはなんともう9時以降になっている。だが、気温の低さは相変わらずである。夕方に買い物に出かけた時には万全の防寒対策をしていた。


今日は1つ嬉しいことがあった。それはオーナーのフレディさんに窓のきちんとした閉め方を教えてもらい、隙間風が2階に入ってこなくなったことと、暖房システムがうまく作動し始めたことである。


よくよく考えてみれば、それら両者が欠落している中で、この数日間よく寒さに耐えてきたものである。服を着込み、湯たんぽの湯を変えて暖かい状態をなんとか保っていたり、2階を音読しながら動き回ることで体を温めていたりもした。そんな努力をもはやすることなく暖かく過ごすことができていることに感謝したい。


本日から初読を始めた“The Power of Religion in the Public Sphere”という書籍から、早速色々な気づきを得ている。とりわけ、今後の探究の方向性というものがより明確になったことは大きな収穫であった。


具体的には、ヨルゲン·ハーバマスとチャールズ·テイラーの思想的枠組み、そして発達理論とインテグラル理論の枠組みを使って、公共空間における宗教の力と意味を考えていくということを当面の最優先関心事項に据えていく。


関連書籍を惜しみなく購入していき、全て音読していく計画でいる。その一環として、まずは2人の哲学者の思考的枠組みを獲得していく必要があるため、当該探究項目につながるハーバマスの書籍としては“Between Naturalism and Religion: Philosophical Essays”を、チャールズ·テイラーの書籍としては“Varieties of Religion Today: William James Revisited”を5月に購入しようと思う。


5月に書籍を一括注文する際には、宗教と戦争に関するテーマとして、下記の書籍のうちいくつかを購入しようと思う。


·Zen at War (2nd Edition)

·Grey Eminence

·Buddhist Warfare

·War and Christian Ethics: Classic and Contemporary Readings on the Morality of War

·War and Political Theory

·Jihad A History in Documents

·Jihad in Islamic History: Doctrines and Practice


そして本日初めて出会った「政治神学(political theology)」という学問領域へ関心が広がり、この領域に関する専門書も何か1冊購入してみようと思う。


ただしこの分野については何も知らない白紙状態のため、書籍を選定していくことは難しく、出版社と書籍の目次から書籍を吟味していく方向性と、政治神学という分野の発展に多大な貢献を果たしたドイツ人の政治哲学者カール·シュミット(1888-1985)が執筆した書籍を読んでみようと思う。


新居での探究生活の門出は極めて良好であり、静寂な環境の中でとにかく自分の探究を前に進めていく。フローニンゲン:2021/4/8(木)20:06

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