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6744-6746: アートの国オランダからの便り 2021年3月18日(木)


No.2012 神聖な植物_A Divine Plant

本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)


No.447, Transformative Affordance by Great Art Works

Great art works afford something that has a transformative effect on us.

Great paintings have visual affordance.

Great pieces of music have auditorial affordance.

Great poems have linguistic affordance.

A point in common between them is a transformative effect that is always somatic and existential.

Groningen; 07:23, 3/18/2021


No.448, This Metaphoric World

The world is replete with metaphors.

This world is intrinsically metaphoric.


A poet unveils a metaphor of the world by making a poem.

A painter does so by painting a picture.

A composer does so by composing music.


Again, this world is abundant in breathtakingly beautiful metaphors.

Groningen; 10:20, 3/18/2021


No.449, One of the Essential Roles of Artists

One of the essential roles of artists is to find and decipher hidden metaphors of the world.

True artists can disentangle complex metaphors of the world and recreate a new metaphor through their artistic means.

Groningen; 10:27, 3/18/2021


No.450, The Interdependent Evolution of Epistemology and Ontology

Both epistemology and ontology enact interdependently.

The more I develop myself, the more my worldview (epistemology) and my world (ontology) become richer and fuller.

Both epistemology and ontology constantly evolve together in me.

Groningen; 11:03, 3/18/2021


No.451, My Creations are Not Mine

All of my creations are not mine.

They are for everybody who needs them.

My creations will be delivered to anyone who want them.

Groningen; 12:59, 3/18/2021

No.452, Creation and the Kosmos

Whenever I create something novel, the Kosmos shows its fresh new face.

Creating something new can bring an unnoticed aspect of the Cosmos to the world.

Groningen; 13:03, 3/18/2021


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日生まれた7曲

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本日生まれた曲はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

6744. 近づくサマータイム/今朝方の夢

6745. 相対的真実と絶対的真実/今朝方の夢の続き

6746. 大量な論文より/ 『イル·ポスティーノ(1994)』と『イノセンス(2004)』を見て


6744. 近づくサマータイム/今朝方の夢


時刻はゆっくりと午前7時に近づいている。今朝の起床はゆったりとしていて、午前6時頃に目覚めた。そのときにはもうすでに辺りが明るくなり始めていた。日の出も早くなり、再来週の週末からサマータイムが始まる。いよいよそうした時期がやって来たのかと思う。


しかし、気温に関してはまだまだ低く、今日の最低気温は0度であり、明日はマイナス2度である。サマータイムの始まりと共に、少しばかり季節もシフトしてくれるだろうか。


サマータイムが始まった週の水曜日に引っ越しをすることになっていて、引っ越しまでもう2週間を切った。いよいよ新居での生活が始まるかと思うと、どこかたまらない気持ちになる。


今の環境よりもさらに静かで落ち着いた環境の中で日々を過ごしていくこと。それを本当に待ち望んでいたので、ここからの生活を通じて自分がどのように変わっていくのかが楽しみである。


明日の午後3時から1時間ほど時間を取って、物件見学にやって来る人に家の案内をすることになった。ちょうど今日の午後に、残りの荷造りを進めようと思っていた。


あとはもうスーツや衣類などを詰めるだけであり、まずはスーツをスーツケースに詰めて行こうと思う。オーダーメイドで仕立ててもらったスーツをカバーに入れると、それは段ボールに入らない大きさになりそうなので、スーツは大きなスーツケースに詰めていく。


その他の衣類は段ボールに詰めていけばよく、引っ越しまでまだ時間があるので、その他のよく着る衣類に関してはまだそのままにしておこう。絵画を箱にしまい、シューズ類もそろそろ段ボールに詰めていくことを考えていこうと思う。


そういえば今朝方の夢の中で、引っ越し業者とやり取りをしている場面があった。依頼をしていたオランダの引っ越し業者の担当者が自分に電話をしてきて、今どこにいるのかと尋ねてきた。ちょうど私は荷物の保管配送場所にいて、そこで業者の別の担当者に荷物を預けていた。


電話をしてきた彼は、私の家までトラックで荷物を取りに来る予定だったようであり、私がすでに荷物を配送場所に持っていっていることを残念がっていた。また後ほど合流しようということで電話を切った。そのような夢の場面があった。


こうした夢を見ている自分を見ると、引っ越しというものが自分の無意識のどこかに浸透していることがわかる。それによって自分の内側に何らかの変化が芽生えようとしているようだということもわかる。


その他の夢としては、私は実家のマンションにいて、愛犬と戯れている場面があった。愛犬と一緒に外に遊びに行こうかと思い、マンションの部屋のドアを開けると、瀬戸内海から吹く強い風によって、黄色いリボンが飛んでいってしまった。


後ろを振り向くと、どうやらそれをわざと飛ばしたのは父のようだった。そのリボンは愛犬がおもちゃにして大切にしていたものであり、そのリボンを空に飛ばしたら、愛犬がどのように反応するのかを父は確かめたかったようなのだ。それは幾分意地の悪い実験のように思えたが、私も愛犬の反応が気になった。


夢の中の愛犬は人間の言葉を話すことができ、黄色いリボンが風に飛ばされていく様子を見たときに、「あっ!」と述べて反射的にそれを追いかけて捕まえようとした。しかし、リボンは柵の向こうへと飛んで行ってしまい、愛犬はそれ以上追いかけると下の階に落ちてしまうと悟り、リボンを追いかけることをやめた。


そこで愛犬と私は、リボンを拾いにエレベーターで下の階に降りることにした。リボンが飛んでいった方向を思い出しながら散策すると、無事にリボンを見つけた。それが見つかったとき、愛犬はとても嬉しそうだった。


すると、近くを通りかかったスーパー帰りの中年女性が、愛犬の方に近寄って来て、頭を撫でて何かを差し出した。それは犬が食べても問題ない食べ物であり、愛犬はそれを嬉しそうに食べた。


そこから少し散歩でもしようと思って歩き出すと、愛犬は突然糞をし始めた。リボンを追いかけることによって腸が刺激され、そして今食べた食べ物によって便意を催したのだと思った。


愛犬が糞を出し切るまで静かにしておこうと思い、その様子を観察してみると、なんと糞が愛犬の姿と瓜二つのフラクタル構造的な物体であり、それが愛犬の肛門から出てくる様子を見て驚いた。そのような夢の場面があった。フローニンゲン:2021/3/18(木)07:08


6745. 相対的真実と絶対的真実/今朝方の夢の続き


時刻は午前7時半を迎えた。空には少しばかり雲があるが、穏やかな朝の世界が広がっている。今日もまた、創作活動と探究活動に精を出して行こう。


昨日、歯医者からの帰り道に、相対的真実と絶対的真実について考えていた。ポストモダンの思想に毒されていたり、相対主義的段階に固着していると、おそらく絶対的真実の存在について気づけないのではないかということをぼんやりと考えていた。また、そうした状態にあっては、相対的真実というものが、発達に応じてその真実性を拡張させていくことも見抜けないのではないかと思った。


相対的真実は、発達共に深まっていくものなのである。端的には、ある発達段階における真実は、次の発達段階に到達すると、真実性を増し、より深く包括的な真実になっていく。


もう一方の絶対的な真実について。それは一般的には、非二元の意識状態で知覚され、究極的な意識段階で体現されるものである。一者の存在をありありと触知感を持って認識できるかどうかは、高度な意識状態へのアクセスと高度な意識段階への到達にかかっている。


相対的真実の世界において真実の拡張の道を歩むこと。そしてそれと並行して、絶対的真実に目覚めること。日々の歩みはそこに向かう過程であるということを再度認識したところで、近所のスーパーに到着した。


昨日はそのような出来事があった。昨日のその記憶と今朝方の夢が混じり合う。


今朝方の夢の続きについても振り返っておこう。夢の中で私は、見慣れない教室にいた。そこはどこかの大学のようだった。


教室にはまだ誰もおらず、これから何の授業が始まるのかわからなかったので、とりあえず一番後ろの席に座って様子を見ることにした。その机はL字型になっていて、私が座った1辺とは別の辺に2人の人が腰掛けた。


1人は中年男性であり、もう1人は若い女性だった。どうやら男性の方は教授のようであり、もう一方の女性の方は教授の助手のようだった。


話を聞くと、その教授の専門は中国の政治と歴史のようだった。そしてその助手の女性は、中国人であり、博士課程に在籍しているとのことだった。


どういうわけか、その教授は日本人なのだが、私との会話は英語だった。比較的発音が綺麗な英語をその教授は話していて、彼もまた留学経験か海外の居住経験があるのかと想像した。


その教授は中国を専門にしているのだが、中国語があまり話せないことを少しばかり嘆いていた。文献をベースに研究をしていくのであれば、中国語を話せる必要はさほどなく、むしろ読解力を高める方が賢明ではないかと私が述べると、それもそうだということをその教授は述べた。


そのような雑談をしていると、講義を担当する教授らしき男性が教室に入って来た。その教授はどこか見覚えがあると思い、すぐにその人が私が敬愛するある小説家であることに気づいた。


私はとても嬉しくなり、そこからの講義を食い入るように聞いた。講義の内容は中国の美術史に関するものだった。


しばらくして、小説家でもあるその教授は、教室の中をゆっくりと歩きながら、生徒たちを引きつける話をしていった。途中でふと、教室の中に熱気が溜まっているのとで窓を開けようとその教授は述べた。


私は、熱気というよりもむしろ、様々な人たちの体臭が混ざり合った異様な匂いを感じていたので、教授もそれを感じ取ったのだろうと思った。窓を開け終え、講義を再開させると、教授は私の方に近寄って来た。そして、私に語りかけるように話を始めたのである。


するとそこで、私はその教授は敬愛する小説家ではなく、その人の弟であることに気づいた。弟も小説家として活躍していて、非常に有名な人物だった。


それに気づいたとき、いつの間にか講義は終わっていて、私はその方と、そして1人の中年女性と話をしていた。その女性は、兄の小説家の方の奥さんとのことだった。


私は、その小説家はすでに亡くなっていることを知っていて、それを知っていたはずなのだが、先ほどの講義ではそれに気づかなかった自分がいたことを思い出していた。そこから私は、弟の小説家の方と話をさせてもらい、その方が出版したハードカバーの小説をちょうど持っていたので、書籍を開いたページにサインをもらうことにした。


サインを書いてもらっているときに、その方が嬉しい提案をしてくれた。サインだけではなくて、記念写真を撮影し、その写真のデータをメールで送ってくれるとのことだった。送った写真は、ぜひ私のウェブサイトに掲載して欲しいとのことだった。


そのような夢を見ていた。この夢の中で、敬愛する小説家の方の講義を聞いている時の至福感を今思い出している。そこには、言葉にできない感動があった。


こうした感動を味わい、その感動をもとに学びを深めていくことが、さらなる成長発達への道なのだろうと改めて思う。無感動·無感覚の人間になってはならない。フローニンゲン:2021/3/18(木)08:08

6746. 大量な論文より/ 『イル·ポスティーノ(1994)』と

『イノセンス(2004)』を見て


時刻は午後7時半を迎えた。今日も充実感と共に1日が終わりに向かっている。


今日は午後に、引っ越しの荷造りの続きを行った。もうあとは若干の荷造りだけでよく、あとは引っ越しの前日に少しばかり荷物を詰めればいい。


幸いにも、残りの4箱の段ボールで全ての荷物を詰めることができそうだ。今日は絵画をケースにしまい、スーツをスーツケースにしまった。残りのスーツは皺になることを防ぐため、前日にスーツケースにしまうことにした。


今日はとりわけ論文を詰めていくことにしたのだが、改めて大量の論文が出て来た。印刷した論文の整理をしていると、この10年間において、学術書だけではなく、膨大な数の論文を読んできたことを感慨深く思った。


知識に関して言えば、とりわけオランダに来て以降、感覚として3ヶ月に1つの修士号を取得するペースで学習を続けて来た。ここ最近は論文を読むよりも、学術書を読むことに再び戻って来ているのだが、新居での生活を始めたら、再度全ての論文を読み直してみようかと思う。


過去に読んだ論文を今読み返すとまた得られるものが異なるだろう。新たな発見が必ずあることが見えている。


その新たな発見は、新たな自己発見でもある。新居での生活の楽しみがまた1つ増えたことを喜ぼう。


今日は昼に、『イル·ポスティーノ(1994)』というイタリアの映画を見た。この作品の物語は、イタリアの美しい風景の中で、世界的に有名な詩人と手紙を配達する配達人の若者が、詩を通して心を通わせていくというものだ。


この作品を見ながら、この世界全体は何かの隠喩(メタファー)になっていることについて考えていた。隠喩としての世界。


隠れた隠喩を発見し、その豊かな意味を紐解いていくこと。その手段として詩作があり、絵画の創作があり、作曲がある。


主人公のある言葉をきっかけにして、自分の全ての創作物は自分のものではなく、それを必要とする人たちのものであるということについて考えていた。そうなのだ、自分が生み出した創作物は、自らのためにあるのではなく、それを必要としてくれる人のためにあるのだ。その意識を持って明日からも創作活動に従事していく。


何か新しいものを創造すると、コスモスが新鮮な顔を見せてくれる。まさにアルフレッド·ノース·ホワイトヘッドが指摘しているように、この世界は絶えず新しいものを生成する運動を行っているのだ。その運動と波長を合わせ、自らも生成の運動と化して創作活動に従事していこう。


先ほど、『イノセンス(2004)』というアニメーション映画を見た。この作品は、電脳化技術が発達した近未来世界を舞台にしており、創作年はもう今から15年以上も前なのだが、映像の緻密さと美しさに感銘を受けた。そして何より、ちょうど先日購入していた書籍のテーマであるポストヒューマンが題材にされている点も大変興味深かった。


印象に残っているのは、この作品は、深いサトルの意識状態で顕現するような豊かなイメージを具現化しているというものだ。まさに、華厳教的なイメージで溢れ、作品の中には真言密教的な世界観や、鳩をモチーフにしたキリスト教的な世界観も垣間見れた。


ここからふと、詩と宗教だけではなく、映画と宗教というテーマで探究を進めてみたいと思った。早速関連書籍を調べてみたところ、下記の書籍が参考になると思われたので、新居に到着して落ち着いたら、再度吟味して必要な書籍を購入しようと思う。


- Theology Goes to the Movies: An Introduction to Critical Christian Thinking

- Explorations in Theology and Film: An Introduction

- Theology and Film: Challenging the Sacred/Secular Divide

- Cinema Divinite: Religion, Theology and the Bible in Film

- Shi'i Islam in Iranian Cinema: Religion and Spirituality in Film

- Hermeneutic Humility and the Political Theology of Cinema: Blind Paul

- Representing Religion in World Cinema: Filmmaking, Mythmaking, Culture Making

- Theology and the Films of Terrence Malick

- Ghostly Desires: Queer Sexuality and Vernacular Buddhism in Contemporary Thai Cinema

- Buddhism and American Cinema

- Buddhism Goes to the Movies: Introduction to Buddhist Thought and Practice

フローニンゲン:2021/3/18(木)19:45

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