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6727-6728: アートの国オランダからの便り 2021年3月11日(木)


No.1985 羽の精霊_A Spirit of Feathers

本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)


No.422, Here I AM

I’ll be where a poem emerges.

Here I am.

Groningen; 06:31, 3/11/2021


No,423, Disappearance of the Observing Existence and I

Something is observing right now whatever arises in me.

Any objects of the observing existence suddenly disappear.

All of the objects, the observing existence, and I have gone.

Groningen; 07:36, 3/11/2021

No.424, The Observer and I

I notice the observer to see everything in my reality.

I notice I who observes the observer.

I notice various types of patterns of my observing the observer.

Finally, I notice I sometimes go somewhere without the observer.

It’s a true journey.

Groningen; 07:43, 3/11/2021

No.425, Contexts and Constructs

I can not only notice various contexts but also notice multiple layers of them.

In addition, I can construct a new large context to embrace multiple contexts.


This happens not only to contexts but also to any abstract and subtle constructs.

I can see multi-layered constructs and can create an organic large construct to include them.

I play a role of a context builder and a construct builder.

Groningen; 07:52, 3/11/2021

No.426, Who and What Am I?

Who and what am I?

I am this and that.

Who and what am I?

I am not this and that.

Who and what am I?

I am “not” not this and that.

Groningen; 07:59, 3/11/2021


No.427, Darkness and Me

Darkness is opening its arms.

I dive into there.

Darkness smiles.

So do I.


I become it, and it becomes me.

Suddenly, both disappear.


Nothing is here.

Something emerges soon again.

Groningen; 21:40, 3/11/2021


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本日生まれた5曲

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タイトル一覧

6727. 今朝方の夢の感覚

6728. 今日という日に


6727. 今朝方の夢の感覚


時刻は午前6時を迎えようとしている。今、昨夜に引き続き、強風を伴う雨が降っている。


ここから数日間は、天気の悪い日が続くようだ。とりわけ今日や明日は、強風を伴う雨が降るとのことなので、自宅で大人しくしている必要があるだろう。コロナに加えて、こうした外発的要因によって自宅で静かに過ごすことが多くなっているように思える。


昨日、ヨーロッパの情勢に特化したポッドキャストニュースを聞いていたところ、欧州の各国でコロナが落ち着きを見せていることは喜ばしい知らせであった。引っ越しが完了した後の4月にはドイツに旅行に行けるかもしれない。そんなことを考えている。


いつものように今朝方も夢を見ていた。夢の情景はとても印象的であり、自分を癒し、そして変容してくれるような大きな力を持った夢だったことは覚えている。


ところが起床してみると、肝心の夢の描写についてはあまり覚えていないという状況に見舞われている。覚えている範囲のことを書き出す中で、少しずつ夢を思い出せるかもしれない。


夢の中で私は、どこの国かは不明だが、山の麓にある街にいた。その街には日本人しかいなかったのだが、そこが日本だと言い切れない何かがあった。


その街をぶらぶらと散策していると、数人ほど知り合いに会った。知り合いの大半は女性だった。


話の内容はもう覚えていないのだが、自分にとって関心のあるテーマについて随分と熱心に話していたように思う。今朝方の夢で覚えているのはそれぐらいしかない。


具体的な状況描写ができなくても、夢の感覚がまだ自分の中に残っている。それは力強く、自分に活力をもたらしてくれるものだ。


今日は夢について言語的に記述するのではなく、身体的にこの感覚を味わおう。その感覚に留まることが、治癒と変容を後押ししてくれることになるだろう。


デイヴィッド·ボームが指摘するように、存在には折り畳まれた性質があり、それを解きほぐしていくことが発達のプロセスなのだ。まさに、発達の語源が「開く(拓く)」という意味を持っているのはそういうことである。


夢も同様だ。夢も折り畳まれた性質がある。それを言語的·身体的に紐解いていくこと。それを今後も行っていく。


今日もまた探究と創作に明け暮れる1日にしたい。


永遠が創作行為に自己を向かわせる。いや、永遠が永遠を創作しているのかもしれない。


自己は永遠の一部であり、全体である。フローニンゲン:2021/3/11(木)06:05


6728. 今日という日に


時刻は午後8時半を迎えた。夕方には止んでいた雨が再び降っている。


早朝には強風を伴う雨が降っていたのだが、今は強風はなく、シトシトとした雨である。天から降り注ぐ雨粒を眺めながらこの日記を執筆している。


今日という1日が本当に始まり、本当にそれが終わりに向かっているのだろうか?という感覚。今日という1日が本当に存在していたのだろうか?という素朴な感覚がある。


確かに今日もいつもと同じように探究活動と創作活動を前に進めていたのだが、気づけば今この瞬間に自己があるのだ。そう、気付いたらいつもここにいるのである。


いつも常に、絶えずいつもここにいるということ。始まりも終わりもない永続的な今という時間の流れぬ時間の中に自分がいるということ。


絶えずそうした時間が自分を通じて展開していて、自分という存在がそうした時間を通じて展開しているということ。自己という存在が紐解かれていくという現象。


あぁ、そういえば、「発達とは開く(拓く)ことである」という点について、デイヴィッド·ボームの「折り畳み」という概念を絡めて今朝方に日記を書いていたことを思い出す。


今日は午前中に、協働者の方々とミーティングを行った。その際に、突然デジャヴ体験に見舞われ、私はまるで無邪気な子供のように、その体験が今この瞬間に起こったことを伝えた。


そう、6ヶ月前ぐらいに、今日の午前中のミーティングで話をしていた方と楽しさで高揚した形で話をしていたビジョンか夢か何かを見ていたのである。そうした既視感があったので、それを思わず口にしている自分がいた。


体験や言葉が降ってきて、自分を通じてそれらがこの世界に顕現してくること。私という1人の人間は、その媒介者なのだ。


だが、単なる媒介者ではなく、それを何らかの形にしていくことが、本来自分に課せられた役目のはずである。その役目を全うするべく、明日からもまた探究と実践を続けていく。今の自分はまだそうした役割を全うできるところにいない。


今日はその他にも考えていたことがある。グロス領域で殺人を犯した場合において法の裁きが下される一方で、サトルやコーザルの領域での殺人に類する行為が何も罰せられないというのはおかしなことではないだろうか、という点について考えていた。


ソウルやスピリットの収奪と殺戮がこれほどまでに野放しで実行されているこの現代社会のおかしさに憤りを覚えるのは自分だけではないだろう。サトルやコーザル次元での律法についてその実現について真剣に議論されるべき時期に差し掛かっているのではないだろうか。


それをするには時代がついてきていないのだろうか。ついてきていないのは人間の知性や意識であって、時代はそれを希求している。


雨が少し小降りになった。明日も雨が降るようだ。


ちょうど椎茸が切れてしまっていて、本来であれば、明日に中央市場に行って、納得のいく形と大きさのオーガニックの椎茸を1つ1つ自分で選びたいところなのだが、それができないかもしれない。


明日の午後に雨脚が弱まっていて、風が強くなければ、近くのスーパーに行って、椎茸の代わりにマッシュルームでも購入しようかと思う。


気がつけば今夜もまた自分は夢を見ない深い眠りの世界に入っていく。そして気がつけば、明日と呼ばれる明日がやってきている。


明日がまた自分の内側を通っていく。明日という名の訪問者。それを両手を広げて受け入れよう。フローニンゲン:2021/3/11(木)20:56

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