6479-6480: アートの国オランダからの便り 2020年12月15日(火)
- yoheikatowwp
- 2020年12月18日
- 読了時間: 5分

No.1636 朝の渚_A Morning Beach
本日の言葉
If time were really running way from us, there would be a separation between time and ourselves. Eihei Dogen
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タイトル一覧
6479. ビザの更新について/今朝方の夢
6480. 本日の映画鑑賞より
6479. ビザの更新について/今朝方の夢
時刻は午前8時半を迎えた。今、ようやく辺りが少しずつ明るくなってきている。日の出の時間はとても遅くなり、日の入りの時間はとても早くなった。
今年最後の月である12月も半分を過ぎた。昨夜ふと、今年の夏のビザの更新について考えていた。
現在は起業家ビザを取得してオランダに居住していて、それはまず2年間の滞在を許可してくれる。次の更新においては一気に5年間の滞在を許可してくれる。
滞在許可が切れるのが今年の8月の頭であり、そこから逆算にして期限までに更新手続きを行なっておきたい。聞くところによると、最初の申請よりも更新手続きは随分楽とのことである。
最初の申請に関してもそれほど煩わしいことはなかったため、更新手続きは随分と楽に感じられるのではないかと思われる。近々、起業家ビザの更新方法と提出期限について調べておきたい。
今朝方もまた夢を見ていたが、その記憶はどうやらもうどこかに逃げてしまった。起床した瞬間は、とても印象深い夢だと思っていたが、意外にも早く記憶の世界の扉をあけてどこかに飛び立ってしまったのである。
覚えていることを書き留めておくと、夢の中で小中高時代の友人(おそらくSS)が現れ、彼と話をしていた。ひょっとしたら車の運転を私はしていたかもしれない。
至って代わり映えの無い車を運転していて、運転の速度も至って普通であった。感覚として強いものを持っていたのはおそらく次の夢だろう。だがそれについてはもう何も思い出すことができない。
それでは、今日もまた映画鑑賞と創作活動に励んでいきたい。先ほどすでに絵を2枚ほど描いていて、これから作曲実践をする。
朝と夜に数枚ほど絵を描くことは、カラーセラピー的な効果を発揮していることを実感している。またそもそも、絵という非言語的な形で自分の内的感覚を表現することによって、それはアートセラピー的な効果もある。
そこにミュージックセラピーとしての効果を持つ作曲実践を加えると、自分が日々いかに治癒的な実践をしているかがわかる。また、映画鑑賞においても「ムービーヨガ」という実践があるように、映画を鑑賞することもまた治癒と変容をもたらす効果がある。
そのように考えてみると、毎日の自分の実践の大半は、治癒と変容に関係しているものだということが見えてくる。今日もまたミクロな治癒と変容をもたらす実践を通じて1日を過ごしていこう。フローニンゲン:2020/12/15(火)08:36
6480. 本日の映画鑑賞より
時刻は午後8時半を迎えた。静かに今日という1日が終わりに向かっていく。
昨夜ふと、自分の名前に「平」という文字が付くことについて考えていた。それは「平穏」の「平」であり、「平等」の「平」でもある。
後者の平等ということについて今朝から気になっていて、今日は、日本の被差別部落に関する映画やドキュメンタリーを集中的に見ていた。この問題は日本の長い歴史の中で生み出されたものであり、その根はとても深い。
日本は歴史上古くから階級差別があったが、江戸幕府がそれを制度的に推し進めた。そして、明治に解放令が出されたが、それは形だけのものだった。
続く大正時代においては、水平社運動が展開されたが、それもうまくいかず、1947年の日本国憲法の制定によって、「法のもとに平等」という精神が謳われたが、それでも差別意識は消えなかったという歴史がある。
1975年においては、「部落地名総艦事件」が起こった。「部落地名総艦」というのは、部落の地名のリストが書籍としてまとめられたものであり、それが5000円から40,000円ほどの値段で市場に出回り、なんと大半は企業が購入していたとのことである。
私たちの自我は強烈な自我保存欲求を持っていて、自我を保存する1つの手段として存在しているのが、他者と自分を区別するということである。端的には、他者と自分を区別することを通じて自分の存在を確保·確認するという内在特性が自我に備わっており、差別の根元にはこうした自我の内在的な特性があることは見逃せない。
そこからさらに、集団のアイデンティティの保存のために、それに属するものと属さないものという区別が生まれる。その他にも様々な要因によって、とりわけ社会·経済·文化的な要因によって差別が人為的に生み出されていく。
個人や社会の発達において、差異は不可欠だが、差別は不必要である。前者は自然の産物であり、後者は人間や社会が作為的に生み出すものである。
差異を認める差別なき社会、差別なき差異のある社会について思いを馳せる。差異が認められず、差別が残る現代社会は依然として未熟なままである。
差別に関する問題意識から派生して、今日はその他には、アメリカの「人種差別」と「暗殺」の歴史を映し出すドキュメンタリー『私はあなたのニグロではない(2016)』を見た。また、フィンランドのアキ·カウリスマキ監督が難民問題を題材にした『希望のかなた(2017)』というフィンランドの映画を見た。
後者に関していえば、ヨーロッパを旅行しているときに、シリアやイラクの難民、さらにはロマ族(ジプシー)の難民を見かけることがある。移民や難民はEU諸国においては1つの重大な社会課題となっており、それについて以前から関心があった。だが、フィンランドやオランダの難民収容施設の現状や難民を受け入れる仕組みや制度については不勉強であり、この映画は部分的ではあるが、これまでの自分にはない観点を与えてくれた。
明日はテーマを少し変えて、世界の食事事情(遺伝子組み換え問題や添加物の問題)に関する映画を見ていこうと思う。フローニンゲン:2020/12/15(火)20:50
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