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5469-5471:フローニンゲンからの便り 2020年1月20日(月)


本日の言葉

If useless things do not hang in your mind, any season is a good season to you. Zen poetry

本日生まれた6曲

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タイトル一覧

5469. オンラインゼミナールを終えた翌朝

5470. 今朝方の夢

5471. 治癒と変容の鍵を握る呼吸

5469. オンラインゼミナールを終えた翌朝

昨夜の就寝前に閃き、今朝方起床して改めて考えていたのは、特殊な意識状態の中で曲を作っていくことだった。治癒と変容を喚起する曲作りに向けて、それを実現するためには作り手の自分自身の意識の状態が鍵を握ることに気づいた。

おおよそどういった意識状態が曲作りに最適なのかは見えてきており、あとはそうした状態に入る儀式的なものを確立し、その状態をさらに強めていく心掛けをしていくだけだ。特殊な意識状態で作った曲は、やはりどこか通常ではない側面を少なからず持つだろう。その通常ではない側面が治癒と変容につながるようなものにしていく。

ここからはますます意識の状態に関心を向けていこう。そして、意識の状態の種類や質を決定していく脳の機能的な特性について探究を深めていこう。また、意識の状態を変化及び深化させていく身体的な実践技法にも引き続き関心を払っていく。こうした一連の気づきが起床直後にあった。

オンラインゼミナールの終了から一夜が明けた。一夜が明けてみても、今回のゼミナールがどれほど充実したものだったかを感じる。

今回の実践編のゼミナールを通じて、受講者の方々が新たな実践に取り組むことを通じて変化していく姿を見ながら、自分自身も変化していることに気づいていた。

自己は関係性の産物である。それは昨日の日記でも述べていたように思う。まさに、ある関係性を通じて他者が変化をし、それがその関係性に変化をもたらし、自己が変化を遂げていったという構図がそこにあった。

今回のゼミナールを通じてもたらさられたもの、その大きさは計り知れない。他者の変化を見届け、そして自分自身が変化するという当事者としてその場にいれたことに感謝の念が尽きない。

そんなゼミナールも終わりを告げ、今日からはまた日常の生活に戻った。確かに、ゼミナールがある時も日常は日常のままあり続けていたが、今日からはまた新しい日常が始まると言える。

新たに始まるこの日常をどのように過ごしていくかはもう見えている。静かに淡々と、自分の取り組みを前に進めていこう。

ここから1ヶ月ほどまた集中的に探究と実践を進めていき、来月の終わりにはベルギーの主要3都市を巡る旅に出かける。この秋までは大体月に1度はどこかに旅行に出かける。

3月末から4月初旬にエジプトに行き、5月半ばか5月末にギリシャに行く。6月末から7月初旬には、マルセイユとモナコ公国——さらにはジェノアを含めるかもしれない——に旅に出かける。

10月の中旬に日本に一時帰国しようと考えているため、9月はもしかしたらどこにも旅に出かけない可能性があるが、8月か9月初旬には、アイスランド、アイルランド、スコットランドのどこか、あるいはそのうちの2カ国に訪れてみようかと思う。

この秋の一時帰国までの期間において、そのような旅を実現させていこうと思う。日本に一時帰国した際には、高野山、福井県、石川県を旅することはもう決めている。

旅を通じて、自己を取り巻くなんらかの関係性が変化し、それによって自己が変化していく。それは毎回の旅を通じて感じることである。

この秋までの旅を通じて、自己はまたどのように変わっていくのだろうか。それを静かに見守りながら、私は自分の取り組みに従事し続ける。フローニンゲン:2020/1/20(月)06:53

5470. 今朝方の夢

今朝方は、自分の内奥にある途轍もなく力強いエネルギーが外側に発露するような夢を見ていた。それも踏まえて、今朝方の夢を振り返っておきたい。

夢の中で私は、外の景色を見渡せる露天風呂の床に立っていた。露天風呂に浸かっていたわけではなく、その外側に立っていたのである。

その露天風呂は、だだっ広いマンションの大きなリビングルームの窓際にあった。窓の外を眺めると、そこには松林があり、松林の向こうには穏やかな海が広がっていた。その海はどこか瀬戸内海のように思えた。

その日の天気は良く、午後の柔らかな日差しが海と部屋の双方に降り注いでいた。露天風呂を見ると、そこに誰かが入っていた。見ると、それは小学校低学年ぐらいの男の子であった。

彼は私の存在に気づいていないようであった。よくよく彼を見ると、彼はこの世の人間ではなく、どこかあちらの世界の人間のように思えた。

そこから私はまた海の方を眺めた。すると、先ほどまではあれだけ穏やかだった海が突然荒れ始め、天気も崩れ始めた。海は大荒れとなり、高波が発生し始めた。その波がマンションの一階までやってくるのではないかと私は心配していた。

ふと横を見ると、私の父がそこに立っており、この海の状態についてどのように思うかを尋ねてみた。特に、高波がマンションの一階までやってこないだろうかと聞いてみたのである。

すると父は、「これくらいの波であれば大丈夫だ」と述べた。確かに波そのものはあまりみたことのないような高さなのだが、マンションに被害を加えるほどのものではないとのことだった。それを聞いて少しばかり安堵したが、自分の目と感覚を頼りにするならば、この高波は少し不吉なものを持っているように思えた。そこで夢の場面が変わった。

次の夢の場面では、私は日本の田舎町にいた。それがどこの県かは定かではないが、雰囲気として山口県であるようにも思える。

その町の公民館のような場所に私はいて、友人たちと話をして楽しく過ごしていた。そこには友人たちだけではなく、自分の両親を含め、彼らの両親、さらには町の人たちも老若男女様々いた。

どうやら私は、午後から歯科医に歯の検診をしてもらうことになっていた。ただし、その検診は歯科医のところに行くのではなく、歯科医がこちらの方に来てくれる形で行われることになっていた。

予定の時間が迫ってきたので、私は歯を磨いて準備をしておこうと思った。公民館の外には、何軒かの高級料理屋があり、それらの料理屋が共有して使っている綺麗なトイレがあった。トイレの外装も内装も和を感じさせるものとなっている。私はそのトイレで歯磨きをしようと思った。

トイレの入り口までやってきたところで、歯磨きをするのはもう少し後でいいかもしれないと思った。というのも、まだコーヒーか紅茶か何か、色のついた飲み物を飲むかもしれないと思ったからである。そこで私は一旦引き返し、再び公民館の部屋に戻って行った。

すると、先ほどとは内装がガラリと変わっており、どこか列車の中のような作りになっていた。本当にそこは列車の中のような狭さになった。

2人が腰掛けられるような椅子が左右に列をなしており、それぞれの列には友人たちが座っていた。だが彼らは一様に眠りの世界の中にいた。

私がちょっとギョッとしたのは、彼らが皆本の下に埋もれていたことである。大量の本がそこにあり、彼らはそれらのうちの一冊を読みながらどうやら眠りの世界に陥ってしまったようだった。

深い眠りの世界にいることは特に問題はないと思ったので、私は彼がどのような本を読んでいたのか、そしてどのような本が今ここに大量に積まれているのかをサッと確認して行った。そのようなことをしていると、列車の先頭座席まで到着し、その瞬間に再びその場が公民館の先ほどの部屋に変わった。

時計を確認すると、歯科医との約束の時間がやってきたのだが、歯科医はまだ到着していない。確認の電話をいれたほうがいいかと思い、公民館の電話を借りようと思って別の部屋に移動しようとすると、部屋と部屋の通路で両親が仲良く立ち話をしていた。雰囲気はとても楽しげであり、それでいてなぜか小声で話をしていたので、何か秘密の話をしているのかもしれないと察し、2人の邪魔をしないようにしようと思った。

歯科医に電話をしてみると、歯科医はすっかり予約のことを忘れていたとのことだった。普段は別にその程度のことではなんとも思わない私は、なぜかその時は瞬間的に激怒し、その歯科医の仕事の杜撰さと責任感のなさを罵倒した。

その声はけたたましく、自分が出すことのできる最大限の声量だった。そのため、公民館にいた人たちが皆、何事かと思って私の方を見ていた。

私はそんなことはお構いなしに、その歯科医の仕事の杜撰さを引き続き罵倒していた。その時の自分の身体から発せられる声量、さらにはそのエネルギーは途轍もないものがあった。フローニンゲン:2020/1/20(月)07:27

5471. 治癒と変容の鍵を握る呼吸

時刻は午後8時を迎えた。今はもう外の世界はすっかり闇に包まれているが、時計の針を少し前に戻すと、今日の夕方には、赤紫の美しい夕暮れを見た。

この美しさはこの季節の素晴らしい贈り物である。いつも私はオランダのこうした夕焼け空を見ると、感動で胸が一杯になる。明日もまた、心に染み渡っていく夕焼け空を見たい。

今日も自分のペースで創造活動と探究に打ち込む1日であった。読書に関しては大して行うことができなかったが、協働プロジェクト関係の仕事や作曲実践を含め、1日がとても充実したものであったことは間違いない。

オンラインゼミナールは昨日に終わりを迎えたが、一応今週の水曜日まで質問を受け付けており、それらの質問については木曜日あたりに回答したいと思う。

ここ最近はヒーリングに関する探究と実践と関連して、自分の呼吸に意識を向けることが多い。呼吸のあり方を確認したり、呼吸に介入する形で呼吸を整えていくことを行っている。特にゆったりとした呼吸を通じて、自分の意識状態を変えるような実践をしている。

治癒や変容に関する技術の背後には呼吸法と密接に関係したものが多く、脳や意識が特殊な状態で働くようにするためには呼吸に介入することが重要になる。そうした意味も含めて、呼吸の整え方と呼吸の活用の仕方を探究し、日常生活の中で絶えず実践している。

そう言えば、これまで日記の中で言及したことはなかったかもしれないが、もう何年もの間、毎朝火の呼吸を実践している。朝のヨガを始める前にそれを行い、心を整え、集中した意識状態になってからヨガを行うことがもう何年もの間習慣になっている。おそらく8年間ぐらい毎朝これを知らず知らず続けているように思う。

日中に関しては、もはや意識をしなくてもいいぐらいに深くゆったりとした呼吸を行っている自分がいる。ここからは、呼吸の速度をさらに緩やかにし、極限までゆったりとした呼吸を四六時中行えるように訓練をしていく。しかもそれが無意識的に行えるようになるようにしていこう。

夕方、近所の河川敷をジョギングしている最中も呼吸について考えており、その時にふと、「神経」という言葉に考えを巡らせた。呼吸を通じて、「神経」という神の経路に働きかけていく。

神の経路をコントロールする術と活用する術を磨いていく。それも一つの能力領域であるから、訓練をすればいかようにも鍛えることができる。

言葉を通じてにせよ、音を通じてにせよ、自分も含め、他者の治癒と変容を実現させていく上で、脳と意識の機能と特性について理解を深めていくことは大切であり、脳と意識に働きかける方法として呼吸は一つ大きな鍵を握るだろう。明日からも呼吸についての探究と実践を重ねていく。フローニンゲン:2020/1/20(月)20:30

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